第1話 オトからの呼びだし(1)
再誕祭の翌朝。
レンカは身支度を済ませると、寝起きの悪いシルヴェストルを起こすべく、声を張りあげた。
「シルヴェストル、朝だよ!」
寝台の覆いを開けはなったレンカは、顔をこわばらせた。
いつもなら、不機嫌そうに顔をしかめるシルヴェストルがいない。寝台は、もぬけの殻だった。
嫌な予感がじわじわと喉元まで迫りあがってきたが、レンカは首を振った。
(あいつにしては珍しいけど、早起きしたんだ。きっと、宿の中にいるはず)
しかし、レンカが朝食を終えても、シルヴェストルは部屋に戻っていなかった。
不安に駆られ、宿の中を探しまわったが、どこにもいない。
従業員に話を聞いても、誰ひとり姿を見ていないという。
部屋に戻ったレンカは、ひとまず卓の前に座ったが、すぐにじっとしていられなくなった。
室内をうろうろしながら、昨日のシルヴェストルの様子を思いかえす。
クーデターが起きたあとの彼は、レンカがなにを話しても上の空だった。
かと思えば、険しい表情で宙をにらんでいることもあった。あのとき、彼はなにを考えていたのだろうか。
(たぶん、クレメントのことだろうな)
ラジスラフと名乗っていた国王専属まじない師は、シルヴェストルの異母兄だった。
討ち果たしたはずの仇が、吸血鬼となってよみがえっていたのだ。シルヴェストルが受けた衝撃は、察するに余りある。
(……となると、クレメントを倒しに行ったとしか思えない)
レンカの胸は、石を詰めこんだように重くなった。
昨日のパレードの様子からして、クレメントが近衛隊を掌握していることは明らかだ。ひょっとすると、王軍も支配下に置いているのかもしれない。
いくらシルヴェストルが吸血鬼であるとはいえ、数で勝る相手に挑むのは、無謀と言わざるを得なかった。
(無事に帰ってきてくれればいいけど、でも……)
もし、帰ってこなかったら?
レンカは自身の寝台にくずおれた。
彼になにかあったらと想像するだけで、胸が潰れそうだった。
そうして物思いに沈んでいると、不意に、回廊に面した扉が叩かれた。
「はい!」
レンカは大急ぎで扉を開けた。
そこに立っていたのは、生真面目そうな青年だった。どこかで見た気がするが、はて、誰だったろう。
「おはようございます、レンカ嬢」
「おはようございます」
挨拶を交わして、レンカはようやく目の前の人物がわかった。
何度か顔を合わせたことのある警吏だ。深緑色の制服を着ていないため、知り合いだと認識できなかったようだ。
「こんな早くに、どうされました? あの、もしかして、主人になにかあったんですか」
「……ひとまず、中に入れてもらえますか。内密の話なので」
レンカが言われたとおりにすると、彼は立ったまま話しはじめた。
「バラーシュ卿は現在、王宮で囚われの身となっています」
レンカは息をのんだ。
やはり、自分の推測は正しかったのだ。
「け、怪我はないんですか!?」
「わかりません。詳細は、後ほどオト隊長が説明します。そのためには、まずあなたに、この宿から出てもらう必要があります」
「なぜでしょう」
怪訝な面持ちのレンカに、警吏は事務的に告げた。
「バラーシュ卿が拘束されている今、近しい関係にあるあなたにも、累が及ぶ危険があります。それに、あなたのような若い女性は、昨日から兵士に連れ去られているんです。身を隠したほうがよいかと」
「連れ去られているって、吸血鬼の餌にするためですか?」
「ええ。こそこそする必要がなくなったので、白昼堂々、人さらいをしているのでしょうね。……恐らく、この宿にあなたがいることは、逆賊たちに知られています。早々に引きはらわねばなりません」
「わかりました。でも、兵士に見つからないように、オト隊長のもとまでたどり着けるでしょうか」
「それに関しては、心配いりません」
警吏はここに来て初めて、笑みらしきものを浮かべた。
「秘策がありますから」
***
夜明け前から降り始めた雪によって、街は一面、塗りつぶされたかのように白かった。
宿の前、雪に覆われた道に、馬につながれた橇が停まっている。その橇の上に、ふたりの祭司が棺を置いた。
「いまだに信じられません。先ほどまで、歩きまわっていらっしゃったのに」
「それが祟ったのでしょう」
「まさか昨日、転んで頭を打っていたとはねえ……。パレードの見物に行ったのが運の尽きでしたね。市庁舎前広場は、大混乱に陥ったそうじゃありませんか。いやはや、世の中、なにが起きるかわかりませんね。あんなにお若くて溌剌としていた方が……お気の毒なことです」
「ええ、本当に。……ではご主人、後ほど荷物を取りに伺います」
門前で話していたふたりの男のうち、ひとりが会釈して、馬に乗った。そのまま橇を引いて、雪の降りしきる道を走りはじめる。
橇のあとに、馬に乗った祭司たちが続く。
彼らの様子を路地に隠れてうかがっている者がいたが、それに気づいた者は、ひとりとしていなかった。