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逃亡花嫁と死にたがり吸血鬼陛下の、絶対に破棄したい主従契約  作者: 水町 汐里
第2章 アルテナンツェのまじない師
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第21話 再誕祭(2)


 レンカたちは宿屋に面した狭い通りを抜け、大通りに出ようとしたが、思わぬ事態に直面した。人の群れに行く手を阻まれてしまったのだ。

 馬車四台分の幅がある大通りは、パレードの通る中心部分をのぞけば、人で埋まっていた。場所取りをする者と通りを移動する者とが混じりあい、信じられないぐらいごった返している。

 黒山の人だかりを前に、レンカは顔を引きつらせた。


「こんなに人がいるとは思わなかった……」

「まったくだ。あいつら、どこから湧いて出たんだ?」


 シルヴェストルもうんざりとした様子で同意した。


「市庁舎前広場には出店が並んでるっていうから行きたかったんだけど……この様子じゃ、無理かもね」


 レンカは虚ろな目をした。

 残念だが、宿に戻るしかないのだろうか。

 その思いが通じたわけでもないだろうが、突如、シルヴェストルに手を取られた。彼はそのまま大通りに背を向け、歩き始めた。

 

「えっ」


 握られた手に意識が集中し、鼓動が忙しなく脈打つ。

 レンカは狼狽ろうばいし、それを誤魔化すように声を張りあげた。


「な、なんで戻るの!」

「考えてみれば、律儀に道を歩く必要はなかったな。まったく、時間を無駄にした」


 シルヴェストルは狭い枝道に入った。

 大通りのにぎわいが嘘のように、ここには人気ひとけがない。

 彼は辺りを見まわすと、なんの前触れもなく、レンカをひょいと担いだ。そして足に弾みをつけ、勢いよく跳躍した。

 煉瓦色の屋根に着地した、と思ったそばから、同色の屋根を踏み台にして、次から次へと跳んでいく。


 レンカは泡を食って叫んだ。


「ちょっとちょっと! こんな真っ昼間に屋根なんか跳んだら、悪目立ちするでしょうがっ!」

「ここは大通りからはずれているし、問題ない。もし誰かが気づいたとしても、祭りの余興だとでも思うんじゃないか」

「さすがに無理があるんじゃない!?」


 シルヴェストルが跳ねるたびに、屋根が遠のき、眼下の景色が流れていく。高所にいる現実をまざまざと見せつけられ、体が縮こまった。

 それからいくらも経たないうちに、シルヴェストルがひときわ高く跳躍した。

 地面がぐんぐんと遠ざかっていく。

 レンカはいっそのこと、気を失ってしまいたかった。


 気づいたときには、レンカは床に下ろされていた。

 背後に大きな鐘が吊されていることから、今いるのは、鐘楼の展望台だとわかった。

 進行方向とは逆を向いていたので、どこに連れて行かれるのか、到着するまで知りようがなかったのだ。


 鐘楼は封鎖されているのか、人影がなかった。鐘を鳴らす時刻ではないため、鐘つきもいない。

 レンカは静かな展望台の床に、へなへなと座りこんだ。


「こっ、怖かったあ……」

「なにを腑抜けたことを。これが初めてではないだろう」

「このあいだは夜明け前で、こんなにはっきりと見えなかったじゃない!」


 それがなにか?と言いたげなシルヴェストルをにらみつけると、レンカは立ちあがった。

 ここから落ちてもぴんぴんしてそうな吸血鬼に、ひ弱な人間の気持ちなど、わかりっこないのだ。


 展望台には、アーチの渡された柱が、等間隔にぐるりと連なっている。

 その柱の間から、外の景色を望むことができた。


 レンカはそこから眼下を見て、息をのんだ。

 鐘楼の前には、市庁舎前広場が広がっている。石畳の敷かれた長方形の広場は、道の出入口と中央部分をのぞけば、人であふれかえっていた。

 押し合いへし合いする人びとは、アリのように小さく見える。

 相当な高さを登ったのだとぞっとしたが、この混雑ぶりを目にしては、徒歩をやめたのは正解だったと認めるしかなかった。


「パレードは広場も通るんだね。出店に行くのは、そのあとにするしかないか」

「そうだな」


 シルヴェストルも隣に来て、とんでもなくまずい血を口にしたかのような顔になった。


 レンカが展望台からの全景を楽しんでいると、しばらくしてから、パレードが広場にやって来た。

 ぞろぞろと馬で行進する近衛兵の後ろに、四頭立ての馬車が続く。

 精緻な彫刻が施された馬車は、全面に金箔が貼られ、燦然さんぜんと輝いていた。ここからでは確認できないが、あの中にヘルベルト王と王妃が乗っているのだろう。

 馬車が広場に入った瞬間から、耳をろうするような歓声が上がっていた。人びとの熱気が、こちらにまで立ちのぼってくるかのようだった。

 

 そのまま、パレードは広場を去って行くものと思われたが、馬車が中心に差しかかったとき、突然歩みを止めた。


(どうしたんだろう)


 レンカが怪訝に思っていると、下の民衆も、ざわざわとし始めた。彼らもなにが起こるのか、知らされていないのだろう。


 そうして事態を見守っているうちに、予想外のことが起きた。

 御者が御者台にのぼり、一礼したのだ。


「ごきげんよう、皆さま!」


 朗々たる声が、広場に響いた。

 その一声で、広場はあらかた静かになった。


「まずは、この場に集まった皆さまに、心よりお祝い申しあげます。あなたがたは今日、歴史的瞬間を目撃するでしょう! ですがその前に、皆さまにはある事実を知っていただきたく思います」


 この御者は、藪から棒になにを言っているのか。

 再びざわめきが広がるなか、御者はよく通る声で続けた。


「こちらにおられるヘルベルト二世。彼には、国王たる資格がありません!」


 無礼極まりない発言に、広場は騒然となった。

 聞き捨てならないと思ったのか、ヘルベルト王は馬車から降りようとした。だが、そばにいた徒歩かちの兵たちが、王の前に立ちふさがった。


(どうして陛下の邪魔をするの? あの言葉だけで、反逆罪に問われてもおかしくないのに!)


 近衛兵は、誰ひとり御者のほうへ向かわなかった。

 異様な状況に、レンカは寒気を覚えた。なにか、とんでもないことが起きようとしている。


「なぜならば、彼は偉大なるミロスラフ一世の直系ではない、傍系の人間だからです! カンネリア王国を統べるにふさわしいのは、始祖の正統なる血筋のみ。にもかかわらず、本来なら玉座に触れることすらかなわぬ者が、おこがましくも王を名乗っている。このような欺瞞ぎまん、断じて許されるべきではない!」


 傍系の王族がカンネリア王国を治めるようになったのは、二百年前、シルヴェストルが直系の血を絶やしたからだ。それが事実かはさておき、そう伝わっている。

 直系の人間がいなくなれば、傍系に王位が移るのは当然のことだ。御者の主張は、ただの言いがかりに過ぎない。


 レンカは思わず、直系の子孫たるシルヴェストルを見やった。彼は硬い表情で、御者を見すえている。


「くわえてヘルベルト王は、平民が官職を買うことで、貴族に昇格する仕組みを作りました。卑しい平民を、高貴なる血統と同列に扱ったのです。もはや、貴族という身分は王に汚され、格式と伝統あるものではなくなってしまった。……そこで、我々は考えました。国の体制を覆し、まったく新しいものに作りかえようと!」


 御者は被っていた帽子を投げ捨てた。

 その下から現れたのは、シルヴェストルよりも色の薄い、金の髪だった。


「我こそは正統なる王位継承者、クレメント・ヴェンツル! またの名を、ラジスラフ。宮廷まじない師であり、『翠緑の円環』の創設者である」


 役者じみた口調を重々しいものに変化させると、男は長剣をたずさえ、御者台から飛び降りた。

 近衛兵が王を引きずり出す。

 男はまたたく間に王に接近し、その胸を剣で貫いた。

 男が長剣を突き放すと、王は地面に倒れこんだ。みるみるうちに、血だまりが広がっていく。


 広場は、水を打ったように静まりかえっていた。

 誰も彼も、目の前で起きたことが信じられないようだった。


「さあ、ご覧あれ! 偽りの王は死んだ! これからこの国を動かすのは、真の王である私と、吸血鬼たる我が同胞『翠緑の円環』だ。臣民よ、とくとその胸に刻むがいい!」


 その瞬間、空気を切り裂くような、甲高い悲鳴が響きわたった。

 それを皮切りに、方々で叫び声が上がった。恐怖に駆られた群衆は、足をもつれさせながら、一目散に逃げていく。


 大混乱に陥る広場を目にして、レンカは茫然自失となった。

 目の前で、クーデターが起きたのだ。

 衝撃のあまり、ただ立ちつくすよりほかなかった。

 

 そのとき、シルヴェストルがか細い声でつぶやいた。


「クレメント……」


 彼は放心したように眼下を見下ろしている。その様子に、レンカはようやく思い至った。


 ――クレメント・ヴェンツル。

 それは、シルヴェストルを殺した異母兄の名前だった。

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