第16話 暴走(1)
レンカは昼食を食べたあと、洗濯女中を捕まえて、サシャの魔除けについて聞きだした。
それによると、やはりサシャは、ドルダの店で魔除けを購入したようだ。
洗濯女中がドルダを知っており、信頼できるまじない師として、サシャに紹介したらしい。
これでブランカとドルダ殺害の犯人は、はっきりした。
しかし、証拠がない。
ブランカが殺された夜、門番がなにかを見聞きしていないだろうか、と思いついたが、すぐに考え直した。
仮にそうだとしても、ヨナークの催眠術によって、なにも覚えていないだろう。
あと一歩でシルヴェストルの容疑を晴らせそうなのに、その決め手が見つからない。
レンカは掃除をしながら考えを巡らせたが、有効な手立てはまるで思い浮かばなかった。
そうこうしているうちに、いつの間にか黄昏時になっていた。
そろそろ、夕食の配膳を手伝わねばならない。三階にいたレンカは、とぼとぼと階段を下りはじめた。
「あら、ヨナークさん!」
一階まで下りたレンカは、耳に飛びこんできた女中頭の声に、ぎくりとした。
「まさか、今日お戻りになるなんて。どうされましたか? なにか急用でも?」
レンカは声の聞こえる大広間へ、足早に向かった。
なんとなく、嫌な予感がする。
大広間の端、開いた玄関扉の前には、ふたりの人物が相対していた。
ひとりは、金色の残照を背にたたずんでいる。室内が薄暗いせいで、遠目では真っ黒な影のようだった。
こちらに背を向けているのは、女中頭だろう。
「……足りない」
「え?」
「足りない。あれだけではとても足りない。喉が渇く。渇いてしょうがない。頭がどうにかなりそうだ」
ぶつぶつと呟いていたヨナークは、そこで女中頭に顔を向けた。
「ああ、君。どうか、わかってくれ。俺はもう耐えられない。これ以上、苦しみたくないんだ。だから……ありったけの血を、寄こしてくれるだろう?」
粘りつくような声音で問いかけると、ヨナークは女中頭の首元に食らいついた。
「あっ!」
レンカは一瞬硬直したが、すぐさま我に返ると、階段へ向かって走りだした。
大広間の壁には、剣や槍などの武器が、美術品を飾るように整然と留められている。ここは、武器庫にもなっているのだ。
二階の桟敷席も例に漏れず、様々な武器が掛けられている。
桟敷に突入したレンカは、その中から弓と矢筒を引っつかんだ。背の低い手すりへ走りより、階下を見下ろす。
しかし、ヨナークの姿は見えない。桟敷席は、玄関の真上にあるのだ。
焦りのあまり手が震えたが、息を吐きだして、どうにか平静になろうと努める。
矢筒を背負い、弓をつがえると、レンカは腹の底から息を吸った。
「バルトロメイ・ヨナーク!」
レンカの大声が、大広間に響きわたった。
「わたしは、おまえのしたことを全部覚えている! おまえが処分すべきは、その人ではなくわたしのほうでしょう! わかったら、さっさとその人から離れて、掛かってきなさい!」
束の間、沈黙が辺りを支配した。
これでは駄目か、とレンカが唇をかみしめたとき、桟敷の下から頭がのぞいた。
酔っぱらいのような足取りで歩いてきたヨナークは、こちらを振りあおいだ。
彼の口は、黒っぽいもので汚れている。
それに怖じ気づくより前に、レンカは矢を放っていた。
矢はあやまたず、ヨナークの額を射抜いた。
彼がゆっくりと床に倒れるさまを、レンカは息を殺して見守った。
(とりあえず、なんとかなった?)
だが、油断は禁物だ。
吸血鬼は首をはねるか、心臓を杭で刺さなければ死なない。
一刻も早く、応援を呼ぶべきだろう。
レンカは手すりに背を向けようとして、はっと振りかえった。
黒い影が、手すりを乗りこえ、飛びかかってきたのだ。
そのまま勢いよく、床に押し倒された。
矢筒のおかげで頭を打ちつけることはなかったが、衝撃で息が詰った。
ヨナークが首にかみつこうとしてきたので、とっさに左腕で防ぐ。
その腕がつかまれた。
袖が引きあげられ、腕にヨナークの牙が深々と刺さる。
痛い、と反射的に思ったが、すぐになにも感じなくなった。
そのまますべての感覚が鈍る前に、レンカは床に散らばった矢をつかんだ。
腕をまわし、ヨナークの背に突き立てる。
だが、吸血鬼はびくともしない。二本も矢が刺さっているというのに、まるで痛みを感じていないようだった。
(どうしよう)
どんどん夢見心地になっていく一方で、レンカは切迫感を覚えた。
まぶたが開けられない。全身の力が抜けていく。
このままでは、ヨナークを告発できないまま、命を落とすことになる。
生きることに投げやりな、シルヴェストルを置きざりにして。
(嫌だ)
レンカはまぶたをこじ開けた。
なんでもいい。なにかないか。この現状を打破できるような、なにか。
眠気と暗がりのせいで、視界ははっきりしない。しかし、彼女は目当てのものを見つけた。
ヨナークは、レンカの血を貪るように飲んでいる。こちらがなにをしようが、気にもとめないだろう。
レンカは彼の腰に下げられた短剣に、右手を伸ばした。
重石で押さえつけられているかのように、腕が重い。だが、どうにかして、剣の柄に触れることができた。
(動いて!)
緩慢な動きで、短剣を持ちあげる。
わずかに露出した刃に、指を滑らせ、傷を作る。すると、すこしばかり頭がはっきりした。
レンカは柄をしっかり握り、短剣を鞘から引きぬいた。
そして、ヨナークの心臓めがけて突き刺した。
冷たい血液が、顔に、体に降りかかる。
ヨナークはレンカの上に倒れこんだ。
彼の体から抜けだすと、レンカは立ちあがることもできず、這いずるようにして進んだ。
桟敷とつながっている食堂まで来ると、だんだん意識が明瞭になってきた。
よろよろと立ちあがり、再び一階へ下りる。
玄関前には使用人たちが集まっており、右往左往しながら、女中頭を介抱しようとしていた。
彼女が吸血鬼にかまれたことを伝えると、レンカはふらつきながら外に出た。
前庭で立ち止まると、レンカは指笛を吹いた。これで、近くに潜んでいる警吏を呼べるらしい。
血を失ったせいか、立っているのも辛く、ずるずると座りこむ。
この寒空の下では、そのうち体が凍りつきそうだが、今は動く気力もなかった。
そのとき、複数の悲鳴が聞こえた。
レンカが振り向くと、玄関からヨナークが飛びだしてきた。
彼は憎悪も露わに、暴れ馬のごとくこちらに駆けてくる。
やはり、あの程度では、たいした足止めにもならなかったのだ。
そう思っているうちに、ヨナークは眼前に迫っていた。
血に濡れた短剣が、レンカ目がけて振りおろされる。
それが、やけにゆっくりとした動きに見えた。
とっさに、シルヴェストルを呼びたくなった。だが、彼が脱獄したと見なされれば、どのみちレンカは殺される。
それならば、これ以上、彼の立場を悪くすべきではない。
レンカは覚悟を決めて、来たる衝撃に備えた。




