第14話 バルトロメイ・ヨナーク
屋敷が静まりかえった夜半、レンカは屋根裏部屋を抜けだし、一階にあるヨナークの部屋へと向かった。
手には、燭台と鍵束を持っている。
この鍵を管理しているのは、戸締まりの責任者たる女中頭だ。
彼女は就寝前、寝台の敷き藁の中に鍵を隠していたので、それをこっそり拝借してきたのだった。
女中頭に内心で謝りつつ、扉の鍵穴に片っ端から鍵を差しこむ。そうしてかなり手間取ったのち、ようやく合致する鍵が見つかった。
レンカはそろそろと扉を開き、蝋燭の明かりで中を照らした。
使用人の中で唯一個室を持っているヨナークだが、室内は思いのほか狭かった。
入って右手には寝台があり、その足元側に櫃が置かれている。左手には書き物机と椅子、奥にレンカの腰の高さまである箪笥がひとつあった。窓はないようだ。
戸口の左右には、主人の部屋と同じく、タペストリーが掛けてある。
レンカは箪笥の上に燭台を置くと、さっそく中を調べることにした。
一番上の引き出しに入っていたのは、家計簿だった。食品や日用品に関しての支出が、乱雑な字で記されている。どうもヨナークは、几帳面な質ではなさそうだ。
紐で綴じられた紙を全部めくってみたが、不審な点は見つからない。
二段目、三段目には、未記入の紙やインク、ペンなどの文房具が入っているだけだった。
レンカはめげずに櫃や寝台も調べたが、すべて空振りだった。
(他人に見つかってまずいものは、荘園のほうに置いているのかも)
探し疲れたレンカは、扉の前に座りこんだ。
(やっぱり、重要な書類がうんぬん、っていうのは嘘だろうな。家計簿も重要だけど、なにかあったら困るってほどのものじゃない気がする。支出を水増しして不当に利益を得ている、とかなら話は別だけど)
だが、レンカが求めているのは不正の証拠ではないし、ヨナークが人の出入りを禁じている理由が、そのせいだとは思いたくなかった。
(ブランカさんの殺しに関する証拠でも、ヨナーク本人の正体を暴くものでも、なんでもいい。とにかく、なにか見つけないと)
このまま犯人につながる手がかりを見つけられなければ、シルヴェストルは処刑されてしまう。
彼が無実の罪で斬首されるところなど、けっして見たくない。たとえそれで、紅血の指輪がはずれるのだとしても。
(どうしよう)
気が焦るばかりで、次の手がまったく思い浮かばない。
レンカは抱えこんだ膝に顔を伏せ、しばらくそのままでいた。
どれくらい、そうしていただろうか。
かたりと音が聞こえた気がして、彼女は顔をあげた。
(なんだろう)
レンカはかたわらに置いた燭台を手に取った。
室内を歩きながらあちこち照らしてみるものの、なにも変わったところはない。
立ち止まって耳をそばだてていると、またしても、かすかに物音が聞こえた。
(気のせいかな。……いや、もしかして)
はやる気持ちを抑えて、レンカは部屋の捜索を再開した。
家具をどかしては、床や壁をぺたぺたと触ってみる。が、不自然な箇所はない。
次に、戸口の右にあるタペストリーをまくった。その下に潜りこんだレンカは、目的のものを発見し、会心の笑みを浮かべた。
「あった!」
火明かりに照らしだされたのは、扉だった。
壁の石材に合わせて、黄色みがかった灰色に塗られている。
恐らくこの扉の先は、地下室かどこかの部屋につながっているのだろう。物音がしたということは、ヨナークはそこにいるに違いない。
荘園にいるはずの彼が屋敷に隠れているとなると、やましいことがあるのは明白だ。
(このまま、隠し部屋をのぞいてみる?)
しかし、相手がなにを企んでいるのかわからない以上、丸腰で乗りこむのは危険だろう。
出直すべきか、と思案していたレンカは、唐突に燭台を持つほうの腕をつかまれ、タペストリーの下から引きずり出された。
「ここでなにをしている」
あやうく、燭台を取り落とすところだった。
なんとか体勢を立てなおしたレンカは、灯火に照らされた面輪に、顔色を失った。
二十代後半とおぼしき男は、こちらを眼光鋭くにらんでいる。その目つきの悪さは、見覚えのあるものだった。
(バルトロメイ・ヨナーク……!)
「あんた、昨日入ってきた女中じゃないか。昨日の今日でもう間諜の仕事か。はっ、ご苦労なことだ」
「ち、違います! その……この屋敷、幽霊が出るって噂があるんです。この部屋は開かずの間だから、もしかしてここに出るのかもって、ちょっと確かめたかったんです!」
「そんな嘘が通用するとでも?」
とっさに思いついた言い訳は、ヨナークに鼻で笑われた。
「あんたの雇い主は誰だ。ブランカと同じか? あいにく、あの女は殺しちまったから、あんたにはちゃんと答えてもらわないとなあ」
そう言うや否や、ヨナークは片手でレンカの首をつかんだ。
ぎりぎりと締めあげられ、息ができなくなる。枯れ枝のごとく、たやすくへし折られそうだった。
「残念ながら、俺は気が長いほうじゃないんだ。うっかりあんたの息の根を止めちまう前に、さっさと話したほうが身のためだぞ。……ああ、この状態じゃ、話せるわけないか」
ぱっと手を放され、レンカは床に倒れこんだ。
それから、ほんのわずかな時間、気を失っていたらしい。
我に返ると、ヨナークが目の前にしゃがみこんでいた。いつの間にか、燭台は近くの床に置かれている。
「血の匂いだ」
ヨナークはぼそりと言った。
「なぜだ? ……そうか、俺の爪が当たったから」
どうやら、ヨナークの鋭い爪が食いこんだせいで、首に傷ができたらしい。
彼がそこに親指を滑らせると、ぴりっとした痛みが走った。
しかし、めまいがひどいために、指一本動かせない。
ヨナークが親指を舐める。
「うまいな」
その恍惚とした声音は、解体中の鹿を前にしたときの、シルヴェストルを彷彿とさせた。
ヨナークは身を乗りだし、今度は直接、レンカの首を舐めた。
おぞましさに身震いしたくなったが、全身に力が入らない現状では、それすらも敵わない。
「これではとても足りない」
レンカの耳元に口を寄せ、ヨナークはささやいた。
「もっと血をよこせ。もっとだ。もっともっともっと! あんたの血は、俺が一滴の残らず飲みほしてやるよ」
熱に浮かされたようなヨナークは、理性の箍がはずれてしまったようだった。
薄らと目を開けたレンカは、大きく開かれた口を目の当たりにした。尖った犬歯が視界に入り、再びぎゅっとまぶたを閉ざす。
(嫌だ。シルヴェストル……!)
「バルトロメイ」
そのとき、落ちついた声が辺りに響いた。
ヨナークは飛びあがるようにして立ちあがると、慌てた様子で振りかえった。
「だ、旦那さま! いつお帰りに?」
戸口に立つ人物に、レンカは目を凝らした。
蝋燭の明かりが届く範囲にいないので、顔かたちはわからない。ただ、声から察するに、若い男性のようだった。
(旦那さまってことは……この人が、クリシュトフ・メドゥナ)
この怪しい屋敷の主。
期せずして、疑わしい人物がふたりとも揃ったのだ。
「つい先ほどだ。それよりも、なにがあった?」
淡々と問うメドゥナに、ヨナークは急きこんだように話しはじめた。
「昨日雇ったばかりの女中が、この部屋に侵入していたのです! 誰の差し金なのか、聞きだそうとしていました」
「そうだったのか? 私の目には、おまえがその娘から血を飲もうとしていたように見えたが」
主の面白がるような口調に、ヨナークは絶句した。
「そ、それは……申しわけございません! どうも最近、吸血衝動が抑えられず……」
「そうか」
メドゥナはあっさりと返し、室内に足を踏みいれた。
その途端、蝋燭の火が、ふっとかき消えた。
暗闇の中、こちらに近づいてくる足音が聞こえ、レンカは体をこわばらせた。
「おや、この子は」
間近に膝をついたメドゥナが、こちらを注視している気配がした。
「その娘をご存じなのですか?」
「すこしね」
メドゥナは考えるように間を置いてから、言葉を継いだ。
「首謀者には心当たりがある。この娘は、部屋に帰してやっていい」
「えっ! 餌にして殺さなくていいのですか?」
「餌を殺すのは私ではなく、おまえのほうだろう。私はおまえとは違って、加減というものを知っている。……とにかく、この子には手を出すな。近いうちに使い道があるはずだから、ここで消してしまうのはもったいない」
楽しげにくつくつと笑うと、メドゥナはレンカの頬を両手で包みこんだ。
めまいは相変わらず治まらず、レンカは自分がぐるぐると回転しているような気がした。そのせいで、優しげに頬を撫でられても、なんの抵抗もできなかった。
「ここで見たことも、この屋敷に来た目的も、すべて忘れてしまいなさい。君はただの女中だ」
暗がりでなにも見えないはずなのに、メドゥナの目が、レンカのそれにしっかりと合わせられたのがわかった。
彼の甘やかな声が耳に入り、全身に染みわたっていく。
めまいがさらに悪化し、レンカは意識を手放した。




