第11話 紛糾
被害者は、貴族の屋敷に勤めていた若い女中らしい。
その屋敷からほど近い路上で倒れていたのを、シルヴェストルが同行していたのとは別の夜警隊が発見した。
「処刑するしかないでしょう」
そう声高に主張したのは、夜警隊隊長である。
裁判所のオトの執務室には、手枷をはめられたシルヴェストルと、彼の両脇に立つふたりの警吏、レンカとオト、中年の夜警隊隊長が顔をそろえていた。
せせこましい室内にただよう張りつめた空気に、レンカは息苦しさを覚えた。
「わざわざ裁判するまでもありません。化け物に人間と同じ法を適用することが、そもそも間違っているのですよ。それに、裁判が開かれるまで悠長に待っていたら、逃げだされるに決まっています。次の被害者を出さないためにも、即刻斬首すべきかと」
「ちょっと待ってください」
レンカは黙って聞いていられなくなり、口を挟んだ。
「なんでシルヴェストル……主人の仕業だって決めつけているんですか。確かに、先ほど宿を抜けだしたことは軽率でした。でも、それだけで犯人と疑われるいわれはありません。だいたい、犯人だって証拠はあるんですか!」
「証拠などなくとも、吸血鬼の犯行とわかっている以上、そこのバラーシュ卿以外に疑わしい者はいない。火を見るより明らかではないか」
夜警隊隊長に見くだしたように言われ、レンカははらわたが煮えくり返る思いをした。
「あなたがたが吸血鬼の仕業だと確信しているのは、被害者に牙の痕が残っていたからですよね。オト隊長、ドルダさんのときと同じように、かみ痕を測ってもらえませんか!」
「……それはできない」
オトは顔を曇らせた。
「被害者は、すでに火葬された」
「えっ、どうしてですか?」
「発見時には確認できたかみ痕が、しばらくすると消えていたからだ。死体の傷が消えるなどありえない。つまり、吸血鬼になりかけていたんだ。そうなった以上、完全によみがえる前に、火葬する必要があった」
「そんな……」
レンカは目の前が真っ暗になった。
これでは、シルヴェストルの無実を証明できない。
(あのとき、シルヴェストルが外へ出るのを、なにがなんでも止めるべきだった)
能天気に構えていた自分に、心底嫌気が差す。
唇をかみしめてうつむくレンカを余所に、夜警隊隊長が声を張った。
「オト殿! このように処遇を話しあうのは、時間の無駄というものです。結論は出ているのですから、さっさとこの吸血鬼を処刑しましょう!」
大きくうなずくふたりの警吏が視界に入り、レンカは思いきり顔をしかめた。
(この人たち、自分たちの体面を保ちたいだけじゃないの?)
警備隊は、二年経っても失踪事件を解決できていない。
くわえて、殺人事件の犯人も挙げられないとあっては、彼らの信用はますますがた落ちするだろう。
それを避けるために、彼らは犯人としておあつらえ向きなシルヴェストルを処刑し、自分たちが無能ではないと喧伝したいのだ。
真実がどうであろうと、お構いなしに。
夜警隊隊長の訴えに、オトはなにごとか考えていたが、やがて静かな口調で話しはじめた。
「処刑はしません。それは、あまりにも時期尚早だ」
「オト殿!」
「まあ、聞いてください。……じつは、被害者が勤めていたのは、別件で私が目をつけていた屋敷なのです。被害者が殺された理由も、屋敷に関係があるかもしれない。バラーシュ卿の犯行だと断定はできません」
「その別件というのは?」
「極秘任務のため、口外できません」
身を乗りだす夜警隊隊長に、オトはにべもない返事をした。
(警備隊に極秘の任務なんてあるの?)
レンカと同じ疑問を抱いたらしく、夜警隊隊長は怪しむような表情を浮かべた。
それに頓着する素振りも見せず、オトは続けた。
「この屋敷の主は、陰謀を企てているという嫌疑がかかっています。捜査しても、なかなか尻尾がつかめずに困っていたのですが、ここへ来て、屋敷の女中が殺された。私としては、これを利用しない手はないのです。……ちょうど適任がいることだし」
オトに視線を向けられ、レンカは目をしばたたいた。
「な、なんでしょうか」
「レンカ嬢。君には、その屋敷に女中として潜りこんでもらいたい」
「……え?」
「そこで、今回の殺しの犯人を見つけだして欲しい」
「ええ!?」
あまりにも突拍子のない要請に、唖然とするよりほかなかった。
「ど、どうしてそんなことに? えーっと……」
レンカは懸命に頭を働かせ、今までに聞いた情報を整理した。
「つまりオト隊長は、うちの主人をあんまり疑っていないんですね。今回の殺人は、その屋敷の人間が怪しいと思っている。……そういうことでしょうか?」
「ああ、そうだ。まじない師の殺人や、失踪事件のほうは、屋敷の人間が関与しているか定かではない。だが今回の件に関していえば、その可能性がかなり高いと思っている」
「そんな話は初耳ですよ!」
「今初めて口にしましたからね。当然です」
憤慨する夜警隊隊長を、オトは軽くいなした。
「君が犯人を見つけてくれれば、バラーシュ卿の容疑は晴れるし、わたしの捜査もはかどる。互いにとって、悪い話ではないだろう?」
「……もし、犯人を見つけられなかったら?」
「そのときは残念だが、バラーシュ卿が犯人として、しかるべき刑に処されるだろう」
レンカは耳を疑った。
(冤罪もやむなしってこと? いくらなんでもめちゃくちゃすぎる)
理性的に見えるオトが、筋の通らないことを言いだしたのは、なにか理由があるのだろうか。
それはわからないが、確かなのは、オトがシルヴェストルを人質に取って、レンカに圧力を掛けていること。そして、絶対に犯人を見つけさせるつもりでいるということだ。
「素人の小娘が、そのように重大な任務を果たせるとも思えませんが……。それに、バラーシュ卿はどうするのですか? まさか、野放しにするわけではありませんよね」
夜警隊隊長は胡乱げな眼ざしで、レンカとシルヴェストルを交互に見やった。
「バラーシュ卿には、牢に入っていただきます」
「しかし、吸血鬼を収監しても意味がないのでは。奴らの変身能力を持ってすれば、脱獄など朝飯前でしょう」
シルヴェストルにはめた手枷を、夜警隊隊長はじろりと一瞥した。
魔除けの力があるという、トネリコで作られた枷だが、効果はいかほどなのか、彼も疑わしいのだろう。
「ええ。ですから」
突然肩を引かれ、レンカはたたらを踏んだ。
気づいたときには、オトに背後から腕を回され、短剣を首に押し当てられていた。
「……なんの真似だ」
シルヴェストルは不快そうに眉を寄せた。
「バラーシュ卿。もしあなたが逃亡すれば、この娘の命はないと思ってください。たった今からです。彼女が潜入しているあいだも監視がつきますから、そのつもりでいるように」
「はっ! 治安維持のために活動する警吏が、こんな汚い手を使うとはな。笑わせてくれる!」
シルヴェストルは嘲笑うと、赤い目をらんらんと光らせた。
途端、みしみしと音が鳴り、手枷に亀裂が入った。
「僕のことは、煮るなり焼くなり好きにして構わない。だがその娘に手を出すというなら、話は別だ。貴様ら全員八つ裂きにしてやるから、仲良く豚の餌にでもなるがいい」
手枷が、粉々に砕け散った。
シルヴェストルの怒りに呼応するように、家具ががたがたと揺れだす。閉じられていた窓の板戸が、風もないのに弾け飛ぶようにして開いた。
その禍々しいありさまに、夜警隊隊長と警吏たちは、恐れをなしたように後ずさりした。
レンカはあまりの急展開に呆然としていたが、修羅場となる寸前で、ようやく我に返った。
「だ、だめ、シルヴェストル! 人間を襲ったら、その人たちの思う壺だよ! わたしは大丈夫だから!」
そう叫ぶと、今度は後ろにいるオトに、早口で訴えた。
「シルヴェストルは、わたしを置いて逃げるような吸血鬼じゃありません。わたしも、全力で犯人捜しをするとお約束します。ですから、その物騒なものを引っこめてもらえませんか」
「……いいだろう」
オトが短剣を離したので、レンカは安堵のため息をついた。
緊張状態が解かれると、今になって、恐怖が湧きあがってきた。レンカは体の震えを押さえようと、自身の二の腕をつかんだ。
「おい、レンカ。そいつの言いなりになる必要など、まったくない。どうせ斬首刑になるなら、こいつらひとり残らず道連れにしてやる」
シルヴェストルは視線で射殺さんばかりに、顔色ひとつ変えないオトをねめつけた。
「そんなことはしなくていいよ。わたしが犯人を特定できれば、あんたは処刑されずに済むって話だったでしょう。それに、もし失踪事件のほうも同一犯だったら、わたしたちは自由の身になれる。こんな絶好の機会、逃すべきじゃないよ」
「……だが、これは僕の問題であって、おまえには関係ないだろう」
「はあ? なに言ってるの」
うつむくシルヴェストルに、レンカは腰に手を当てて呆れかえった。
「もうとっくの昔に巻きこまれているのに。こうなったからには、最後までとことん付きあうよ。もうあんたとわたしは、運命共同体なんだから」
シルヴェストルは、驚いたような、途方に暮れたような顔でレンカを見た。
彼を安心させようと、レンカはにっこりと笑ってみせた。
「あんたに死んで欲しくないって言ったでしょう? それが本心だってこと、これから証明してみせるから。あんたは大船に乗ったつもりで待ってて!」
「……できるのか? おまえひとりで」
「できる」
レンカが即答すると、シルヴェストルはこちらをしばし見つめてから、さっと横を向いた。
「死んだら承知しないからな」
ぼそりと言われた言葉に、レンカは目を見張り、破顔した。
「もちろん!」