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逃亡花嫁と死にたがり吸血鬼陛下の、絶対に破棄したい主従契約  作者: 水町 汐里
第2章 アルテナンツェのまじない師
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第10話 シルヴェストルの後悔(3)

 

 冬も間近となった今、日が昇らないうちは、ことさらに冷える。

 レンカたちはしっかりと着こみ、寒さに備えた。

 シルヴェストルが見張りの警吏たちに催眠術を掛け終えてから、レンカは回廊に出た。


 中庭をロの字に囲んだ回廊は、中庭に面した側が、アーチの連なった柱廊となっている。

 シルヴェストルはレンカを担ぐと、床よりも二段高い、柱の土台部分に登った。

 そして勢いをつけ、向かいの屋根に飛びうつった。


「うわあっ!?」

「口を閉じていろ。さもないと、舌をかむぞ」


 薄闇のなか、シルヴェストルは屋根から屋根へと跳躍した。

 レンカは驚きと恐怖で、思わず彼の服を握りしめた。辺りは黒い紗で覆われたように不明瞭だが、ここで手を離されたら一巻の終わりだと、本能が告げている。


 そうして息を詰めているうちに、あっという間に目的地に到着した。

 シルヴェストルに下ろされ、レンカはそろそろと周りを見まわした。


 どうやら、小高い場所に建てられた、塔の屋上にいるらしかった。


 東に視線をやると、橙色の光がにじむように姿を見せている。だが、空の大部分は濃藍色で、その下に広がる街は闇に沈んでいた。

 周囲に目を転じれば、ぽつぽつと明かりが見える。常夜灯だろうか。

 一晩中明かりを灯すには、財力が必要だ。となると、この辺りは貴族の邸宅街なのだろう。

 そして、そのなかでひときわ高い場所といえば、ひとつしかない。


「……ねえ。まさかとは思うけど、ここって王宮じゃないよね?」

「王宮の鐘楼の上だが」


 レンカは目まいがしそうになった。

 不法侵入が露見したら、一番まずい場所ではないか。

 

「ちょっと! いったいなにを考えて……」


 しかし、レンカの文句は口の中で消えていった。

 シルヴェストルが微動だにせず、眼下の景色を眺めていたからだ。夜目の利く彼のことだ、王都の姿ははっきりと見えているのだろう。

 その様子に、レンカははっとした。


「もしかしてあの夢って、ここから見下ろした光景だったの?」

「そうだ」


 となれば、目の前の風景も違ったものに見えてくる。

 レンカは暗闇にたたずむ街を見わたした。


「王宮はほとんど同じだが、街のほうには昔の面影がないな。……当然か。焦土となって、二百年は経っているのだから」

「……寂しいの?」


 そっとたずねてみると、シルヴェストルは間を置いてから話しはじめた。


「寂しくもあるが、嬉しくもある。……本当のところ、アルテナンツェには来たくなかった。自分の犯した罪をまざまざと突きつけられるようで、恐ろしかった。だが……こうして復興し、活気に満ちた姿を見られたのは、よかったと思う。人間はどん底からでも立ちあがる強さを持っているのだと、知ることができたから」


 その柔らかな声音に、レンカは胸が締めつけられるような心地がした。


(シルヴェストルの悪夢が、今のアルテナンツェの景色に置きかわるといいな)


 たとえ大火の原因がシルヴェストルにあるとしても、レンカはこれ以上、彼に苦しんで欲しくなかった。

 いつもの傲慢で鼻持ちならない、わがままなシルヴェストルでいて欲しかった。


(わたしには、なにができるだろう)


 レンカは左手を伸ばし、隣に立つシルヴェストルの手に触れた。

 びくっと肩を揺らした彼は、「なんだ?」と怪訝そうに問いかけてきた。


「……寒いの。手袋忘れてきちゃったし」

「僕の手を握ったところで、暖は取れないと思うが」

「いいの!」


 レンカは言うが早いか、シルヴェストルの手を握りしめた。

 彼の手は、石にでも触れているかのように冷たい。

 無機物のような手がすこしでも温まるよう、隙間なくぎゅっと握った。


(こうして傍にいることしかできないけど)


 人のぬくもりは、心をほぐしてくれる。

 そうして自分がひとりではないと、孤独に抱えこまなくていいのだと、知って欲しかった。


 シルヴェストルはレンカの手を握り返さなかったが、振りほどきもしなかった。

 ふたりは無言のまま、ひっそりと静まりかえった街に目を凝らした。


(……そういえば、なんで吸血鬼になったのかは、まだ聞いてなかった)


 表情の判然としないシルヴェストルを、レンカは盗み見た。


 生前に悪行を働いたせいなのか、誰かに吸血されたせいなのか、どちらなのだろう。

 もし前者だったら、と考えて、レンカはそれほど動揺していない自分に気づいた。

 彼が生前に大罪を犯していたとしても、嫌悪も恐怖も、忌避感も覚えないはずだ。


 なぜならば、レンカはすでに知っているからだ。

 シルヴェストルが血も涙もない狂王ではなく、罪の意識に苦しむ、普通の少年だということを。

 




 空が白む前に帰ってきたレンカたちは、思いがけない出迎えを受けた。


「どこへ行っていた?」


 明かりの灯った部屋で待ち構えていたのは、険しい表情のオトだった。

 もう無断外出がばれたのか、ときまり悪く思いながら、レンカはもごもごと答えた。


「ええっと……。ふたりとも眠れなかったので、ちょっと夜風に当たりに行きました……」

「君たちは、自分の立場がわかっていないのか? よりにもよって、今日外出するとは!」


 オトは額を押さえると、大きくため息をついた。


「な、なにかあったんですか?」


 レンカが恐る恐るたずねると、オトは目つきを鋭くした。


「また殺人事件があった。今度もまた、吸血鬼による犯行が疑われている」


 オトはシルヴェストルに向きなおり、声を低めて宣告した。


「今まで外に出ていたとあっては、さすがにこれ以上、あなたを自由にさせておくことはできません。これより先、あなたの身柄は、裁判所が預かります」


 蒼白になったレンカは、とっさにシルヴェストルを見やった。

 彼は先ほどまでの穏やかさを消し去り、冷ややかにオトを見返していた。

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