第10話 シルヴェストルの後悔(3)
冬も間近となった今、日が昇らないうちは、ことさらに冷える。
レンカたちはしっかりと着こみ、寒さに備えた。
シルヴェストルが見張りの警吏たちに催眠術を掛け終えてから、レンカは回廊に出た。
中庭をロの字に囲んだ回廊は、中庭に面した側が、アーチの連なった柱廊となっている。
シルヴェストルはレンカを担ぐと、床よりも二段高い、柱の土台部分に登った。
そして勢いをつけ、向かいの屋根に飛びうつった。
「うわあっ!?」
「口を閉じていろ。さもないと、舌をかむぞ」
薄闇のなか、シルヴェストルは屋根から屋根へと跳躍した。
レンカは驚きと恐怖で、思わず彼の服を握りしめた。辺りは黒い紗で覆われたように不明瞭だが、ここで手を離されたら一巻の終わりだと、本能が告げている。
そうして息を詰めているうちに、あっという間に目的地に到着した。
シルヴェストルに下ろされ、レンカはそろそろと周りを見まわした。
どうやら、小高い場所に建てられた、塔の屋上にいるらしかった。
東に視線をやると、橙色の光がにじむように姿を見せている。だが、空の大部分は濃藍色で、その下に広がる街は闇に沈んでいた。
周囲に目を転じれば、ぽつぽつと明かりが見える。常夜灯だろうか。
一晩中明かりを灯すには、財力が必要だ。となると、この辺りは貴族の邸宅街なのだろう。
そして、そのなかでひときわ高い場所といえば、ひとつしかない。
「……ねえ。まさかとは思うけど、ここって王宮じゃないよね?」
「王宮の鐘楼の上だが」
レンカは目まいがしそうになった。
不法侵入が露見したら、一番まずい場所ではないか。
「ちょっと! いったいなにを考えて……」
しかし、レンカの文句は口の中で消えていった。
シルヴェストルが微動だにせず、眼下の景色を眺めていたからだ。夜目の利く彼のことだ、王都の姿ははっきりと見えているのだろう。
その様子に、レンカははっとした。
「もしかしてあの夢って、ここから見下ろした光景だったの?」
「そうだ」
となれば、目の前の風景も違ったものに見えてくる。
レンカは暗闇にたたずむ街を見わたした。
「王宮はほとんど同じだが、街のほうには昔の面影がないな。……当然か。焦土となって、二百年は経っているのだから」
「……寂しいの?」
そっとたずねてみると、シルヴェストルは間を置いてから話しはじめた。
「寂しくもあるが、嬉しくもある。……本当のところ、アルテナンツェには来たくなかった。自分の犯した罪をまざまざと突きつけられるようで、恐ろしかった。だが……こうして復興し、活気に満ちた姿を見られたのは、よかったと思う。人間はどん底からでも立ちあがる強さを持っているのだと、知ることができたから」
その柔らかな声音に、レンカは胸が締めつけられるような心地がした。
(シルヴェストルの悪夢が、今のアルテナンツェの景色に置きかわるといいな)
たとえ大火の原因がシルヴェストルにあるとしても、レンカはこれ以上、彼に苦しんで欲しくなかった。
いつもの傲慢で鼻持ちならない、わがままなシルヴェストルでいて欲しかった。
(わたしには、なにができるだろう)
レンカは左手を伸ばし、隣に立つシルヴェストルの手に触れた。
びくっと肩を揺らした彼は、「なんだ?」と怪訝そうに問いかけてきた。
「……寒いの。手袋忘れてきちゃったし」
「僕の手を握ったところで、暖は取れないと思うが」
「いいの!」
レンカは言うが早いか、シルヴェストルの手を握りしめた。
彼の手は、石にでも触れているかのように冷たい。
無機物のような手がすこしでも温まるよう、隙間なくぎゅっと握った。
(こうして傍にいることしかできないけど)
人のぬくもりは、心をほぐしてくれる。
そうして自分がひとりではないと、孤独に抱えこまなくていいのだと、知って欲しかった。
シルヴェストルはレンカの手を握り返さなかったが、振りほどきもしなかった。
ふたりは無言のまま、ひっそりと静まりかえった街に目を凝らした。
(……そういえば、なんで吸血鬼になったのかは、まだ聞いてなかった)
表情の判然としないシルヴェストルを、レンカは盗み見た。
生前に悪行を働いたせいなのか、誰かに吸血されたせいなのか、どちらなのだろう。
もし前者だったら、と考えて、レンカはそれほど動揺していない自分に気づいた。
彼が生前に大罪を犯していたとしても、嫌悪も恐怖も、忌避感も覚えないはずだ。
なぜならば、レンカはすでに知っているからだ。
シルヴェストルが血も涙もない狂王ではなく、罪の意識に苦しむ、普通の少年だということを。
空が白む前に帰ってきたレンカたちは、思いがけない出迎えを受けた。
「どこへ行っていた?」
明かりの灯った部屋で待ち構えていたのは、険しい表情のオトだった。
もう無断外出がばれたのか、ときまり悪く思いながら、レンカはもごもごと答えた。
「ええっと……。ふたりとも眠れなかったので、ちょっと夜風に当たりに行きました……」
「君たちは、自分の立場がわかっていないのか? よりにもよって、今日外出するとは!」
オトは額を押さえると、大きくため息をついた。
「な、なにかあったんですか?」
レンカが恐る恐るたずねると、オトは目つきを鋭くした。
「また殺人事件があった。今度もまた、吸血鬼による犯行が疑われている」
オトはシルヴェストルに向きなおり、声を低めて宣告した。
「今まで外に出ていたとあっては、さすがにこれ以上、あなたを自由にさせておくことはできません。これより先、あなたの身柄は、裁判所が預かります」
蒼白になったレンカは、とっさにシルヴェストルを見やった。
彼は先ほどまでの穏やかさを消し去り、冷ややかにオトを見返していた。




