第9話 シルヴェストルの後悔(2)
シルヴェストルが一度、人間として死んでいることはわかっているつもりだった。
けれど、まさか異母兄の手で命を奪われていたとは。
「……その人は、どうしてそんなことをしたの」
「しごくありきたりな理由だ。僕から王位を奪いたかったんだ」
シルヴェストルは鼻を鳴らすと、レンカの寝台に勢いよく腰かけた。
「僕が生まれたことで、王位継承権を奪われたのが許せなかったんだろう。自分こそ正しい王だと主張して、僕を排除した。結局、吸血鬼になった僕に殺されたのだから、束の間の夢だったと思うが」
彼の声色は、侮蔑に満ちていた。
「えーっと、ちょっと待って。なんでお兄さんは、継承権を奪われたの? 王位って、長男が継ぐものだとばかり思っていたけど」
「あの男は、父王に疎まれていた」
首を傾げるレンカに、シルヴェストルは苦々しげに言った。
「……クレメントの母親であるヴラディミーラ元王妃は、父との結婚後も、独身時代からの恋人と関係を持っていた。しかも事もあろうに、彼らは自分たちにとって邪魔な父を暗殺しようとした。だが計画が発覚し、ふたりは処刑される。その後、父はクレメントが自分の子であるのか疑わしくなったらしく、奴を病弱と偽って離宮に追いやり、二度と顧みることはなかった。そして、後妻となった母が僕を産んだあと、継承権をすぐさま僕に移したという」
「う、うわあ……」
王室のどろどろとした話に、レンカは顔を引きつらせた。
そういった事情があるならば、クレメントがシルヴェストルを恨む気持ちも、わからないでもない。
しかし、その結果シルヴェストルにしたことを思えば、到底許せないし、同情の余地もなかった。
(シルヴェストルはわたしと出会ったとき、手首を切り落としてまで指輪をはずさせようとした。あそこまで過剰な反応をしたのは、クレメントって人に主の指輪を使われて、ひどい目にあわされたのかもしれない)
そう考えると、胸が苦しくなった。
「……話してくれてありがとう」
「さぞ僕のことを軽蔑しただろうな」
シルヴェストルの口ぶりは、自嘲的だった。
「僕は王として守らねばならなかった民を、みずからの手で大勢死なせてしまった。こんな僕が、第二の人生を享受するなど……許されるべきではない」
それを聞いて、レンカはようやく理解した。
シルヴェストルが、なぜ吸血鬼としての生に執着していないのか。
(こいつはずっと、罪の意識に苦しんでいるんだ。そして、自分には生きていく価値なんてないと思っている……)
レンカは不意に、シルヴェストルが吸血を拒んでいたことを思い出した。
元人間ゆえに忌避感があったという推測も、間違いではないだろう。
だがそれ以上に、彼は恐ろしかったのではないか。吸血することで、二百年前の大火のような悲劇を、再び起こしてしまうのではないかと。
シルヴェストルの抱えているものの重さに、レンカはなんと言えばいいのかわからなかった。
彼女はしばし沈黙してから、のろのろと口を開いた。
「……あんたは確かに、過ちを犯した。でもわたしは、あんたが死ぬべきだとは思わない。ううん、死ぬべきじゃないというより……死んで欲しくない」
「なにを言っている」
シルヴェストルは訝しげな様子だった。
「おまえにとっては、僕が死んだほうが都合がいいだろう。主従契約が破棄されて、自由の身になれるんだぞ」
「そう思っていたら、血を吸っていいなんて、そもそも提案しなかったよ」
「では、なぜだ? おまえになんの利がある」
「利とか、そんなことじゃないよ」
レンカはそっと息をついた。
彼に打算的な人間と思われるのは心外だし、すこしばかり辛かった。
「そりゃあ、最初は伝説の狂王だって知って怖かったし、さっさと主従契約を破棄したいって思ったよ。でも……あんたは、わたしのことを助けてくれたじゃない。あんたにとって、わたしは理不尽な命令をするかもしれない、危険で目障りな存在だったはず。それなのに、自分の意志で、アーモスから救ってくれた。それが本当に嬉しかったし、こう見えてすごく感謝しているんだよ。命の恩人に死んで欲しくないって思うのは、当然のことでしょう? それに」
レンカは目元を綻ばせた。
「あんたは吸血鬼だけど、人の痛みをちゃんと知っている。毎晩罪悪感に苦しんで、人を傷つけたことを後悔している。そんな風に人間味のあるあんたを、わたしは好ましく思っているの。……これじゃあ、納得できない?」
しばらくのあいだ、シルヴェストルは無言だった。
彼が困惑しているであろうことは、姿が見えずとも、なんとなく伝わってきた。
「……おまえは、僕のことを買いかぶりすぎだ」
ようやく口をきいたかと思えば、その声は、今にも消えいりそうだった。
「僕には、そう言ってもらえる資格などない。僕がやったことを知れば、おまえだって……」
そこで言葉を切ると、シルヴェストルは口を閉ざした。
レンカは続きが気になったが、問いただすのはやめにした。
これ以上、彼の心の傷に触れるのは酷だろう。すべてではないとしても、彼がおのれのことを話してくれただけ、良しとしなければならない。
「……そろそろ寝ようか。今休んでおかないと、明日に響くよ」
「いや。……すこし、風に当たってくる」
立ちあがったシルヴェストルを、レンカは慌てて制した。
「ま、待って。そこの回廊に出るんだよね?」
「まさか。あんな警吏がうじゃうじゃいるところで、気が抜けるわけがないだろう」
「じゃあ、どこに行くつもり? 今むやみに外に出たら、ますます疑われるでしょう!」
「ふん、僕を誰だと思っている? あんなぼんくらども、簡単に出しぬける」
シルヴェストルは傲然と言い切った。
彼がいつもの調子を取りもどしたのは嬉しいが、だからといって、このまま見過ごすわけにはいかない。
「……それならわたしも一緒に行く!」
「は?」
「今からじゃ眠れそうにないし……ちょっと気分転換したいから」
本当は、不安定なシルヴェストルを、ひとりにはしたくないからだった。
警吏にばれないよう抜けだせるだろうか、と思案するレンカに、シルヴェストルはつぶやくように言った。
「……おまえは、こんなときでも命令しないんだな。外出をやめろ、とも、連れて行け、とも。ひと言命じれば、おまえの要求はなんでも通るというのに」
「だから、そういうことはしないってば! あんたの意志を無視するようなこと、したくないもの。嫌なら置いていっていいよ」
「……そうか」
沈黙が流れ、ややあって、シルヴェストルがこちらに視線を向けた気配がした。
「主の指輪をはめたのが、おまえでよかった」
レンカは瞠目した。
彼の言葉が、胸のうちにぽつりと落ち、染みわたるようにして広がっていく。
(前は、どこの馬の骨とも知れない輩よりはまし、とか言ってたのに)
初めてシルヴェストルに認められた気がして、じわじわと喜びが込みあげてくる。
「いまさら気づいたの?」
気づけば、レンカは満面に笑みを浮かべていた。