第6話 疑惑(2)
警吏が向かった先は、ルーナリーナ川の岸辺に建つ、要塞のような建物だった。
四隅に塔のある長方形の外観は、チェルヴィナー城によく似ている。
この街の警吏は、ノーゼンヴィア裁判所に所属していたはずだ。となると、ここは裁判所に違いない。
警吏に案内されたのは、机と椅子、それに戸棚しかない、簡素な小部屋だった。
椅子には二十歳前後の青年が腰かけている。
まっすぐな黒髪を高く結いあげた青年は、カンネリア王国民にしては彫りが浅く、あっさりとした顔立ちだ。
しかし、切れ長の青い瞳が魅力的で、異国風の美しさを備えていた。
「隊長。シルヴェストル・バラーシュ卿をお連れしました」
「ご苦労」
隊長と呼ばれた青年は、すっと立ちあがった。
たったそれだけの動作でも、どことなく気品を感じる。
「ノーゼンヴィア裁判所所属、アルテナンツェ警備隊隊長のオトと申します。ご足労をおかけし、申しわけない」
オトはシルヴェストルに一礼すると、「さっそくですが」と淡々と続けた。
「あなたが吸血鬼であり、まじない師を殺害した犯人であるとの通報が寄せられました。これは事実でしょうか?」
(通報?)
レンカは眉根を寄せた。
吸血を目撃した男の仕業だろうか。
だが、彼が通報したにしては、早すぎやしないか。
(わたしたちが来る前に、現場にいた警吏に話していれば、おかしくはないかな……?)
そう仮定してみたものの、しっくり来ない。
レンカが考えこんでいるうちに、シルヴェストルは行きがけに着けた眼鏡とフードをはずしていた。
「吸血鬼であることは見てのとおりだが、まじない師は殺していないし、殺す理由もない。僕はあの男に依頼していたんだぞ。結果を聞く前に殺すような、愚かな真似をするものか。……まあ、こうして犯人でないと言い張ったところで、貴様らは聞く耳を持たないだろうな。否定できる証拠が、ひとつもないのだから」
シルヴェストルは投げやりな口調で言った。
どうも、野次馬に猜疑の目を向けられてから、シルヴェストルの様子がおかしい。普段の彼であれば、猛然と抗議していただろうに。
彼の態度は、自分が汚名を着せられても、どうでもいいと言っているかのようだった。
レンカはそれに不安を覚え、急いで口を開いた。
「あの、本当にこいつ……じゃなかった、この方は犯人じゃないんです! わたしはこの方の従者なので、四六時中一緒にいました。三日前に依頼してから、まじない師のもとへは一度も行っていません!」
「しかし、バラーシュ卿は吸血鬼だろう? 夜間、君が寝ているあいだに外出したら、気づかないのでは?」
ぐうの音も出ないレンカに、オトは「それに」と言い足した。
「君はバラーシュ卿に仕える身だ。彼と共犯の可能性もある」
「……わたしの証言は当てにならないと、そうおっしゃるのですね」
オトは黙っていた。
だが、それが肯定であることは、レンカにもわかった。
「……そちらの考えはよくわかりました。ですが、まじない師に依頼したのは本当のことです。まじない師は帳面にわたしの名前と滞在先を記入していました。それを確認してくだされば、こちらが嘘を言ってない証明になると思います」
まじない師の店にいた警吏を、オトはちらっと見やった。
警吏は、「その従者の言うとおりです」と認めた。
「なるほど、情報をありがとう。しかし、それだけではバラーシュ卿の容疑を晴らせないな。……たとえば、予定よりも早くまじない師の仕事が終わり、昨日のうちにバラーシュ卿を呼びよせたとする。バラーシュ卿は依頼の結果を聞いたが、それが気に食わなかったか、なんらかの不都合な事態が生じたために、まじない師を手に掛けた。その可能性も否定はできないだろう」
「なにを馬鹿なことを!」
レンカはかっとなって怒鳴った。
「わたしたちは、やっとの思いであのまじない師を見つけだしたんですよ。たとえ結果が好ましくないものだったとしても、得がたい情報源である彼を、わざわざ殺すわけがない!」
「……我々とて、君の主人を犯人だと決めつけているわけじゃない。ただ、まじない師殺しは吸血鬼の所業と推測されることから、吸血鬼であるバラーシュ卿が、もっとも疑われる立場にある。バラーシュ卿が犯人でないという証拠さえあれば、疑いを晴らすこともできるが」
そんなものはあるのか、とオトは無言で問いかけてきた。
レンカは唇をかみしめた。
(証拠……犯人ではないと、確実に立証できるもの……)
けれど、いくら知恵を絞っても、良案はまったく思いつかない。
(まじない師の遺体を見せてもらえれば、なにか手がかりが見つかるかもしれないのに)
そう考えたところで、レンカははっと自身の首に手をやった。
「まじない師の体には、吸血鬼のかみ痕がありましたか?」
「もちろん。それを見たからこそ、吸血鬼の犯行だという話になった」
「それなら、わたしの首に残るかみ痕と比べてみてください。主人がわたしの血を吸った痕です。間違いなく、まじない師の跡と間隔が違うはずです!」
それまで凪いだ水面のようだったオトの顔に、初めて驚きが広がった。
レンカは挑戦状を叩きつけるような心持ちで、彼をにらみすえた。