2話
次の日。
朝練を終えていつも通り教室の扉を開くと、いつもと全く違った光景が広がっていた。戦慄としたその空間。何が起きたのか気づくまで時間を要した。
だって、全く見知らぬ男が、教室の中でナイフを振り回していたんだ。一体何が起きているんだって、思うのも当然だと思う。
辺りは血まみれで、何人もの生徒が真っ赤に染まって床に倒れ込んでいる。その中にクラスで1番仲の良い同じ部活の雄太の姿もあった。内臓が抉れている雄太の姿を見てしまって、俺は何もできずに扉の前で立ち尽くしていた。女子の何人かも腰が抜けて立ち上がれなくなっていた。
俺にだって連れて逃げるくらいのことはできるけど。頭ではそうわかっているけど、身体が動かない。まだ腰は抜けてないけど、足の動かし方がわからない。
そんな俺が格好の的だと思ったのか、ナイフを持った男は俺と目が合うなり、刃先を向けて走ってきていた。
やばいやばい。早く逃げないと。このままでは刺される。
こんな時にでも足は動かなかった。
もう死ぬんだ。そう思った。
ナイフが刺さる瞬間は見たくないから、咄嗟に目を瞑ってナイフが刺さるのを待った。
ナイフが腹に刺さった時の痛みってどんなものだろう。痛いのは知っているけど、具体的な痛みは聞いたことがないな。あーあ。もっと高校生らしいことしたかったな。成れないサッカー選手を目指して、青春を無駄にするんじゃなかったな。
最後に頭の中に流れた映像は、親に無理を言って、実家からは遠いサッカークラブに所属した時の記憶だった。
これが走馬灯というやつか。悪くない映像を見せてくれるものだな。懐かしい。あの頃は純粋にサッカーをすることが楽しくて、毎日ボールと遊んでいた。いつからだろうな。純粋にサッカーをできなくなったのは。
いつまで経っても腹に痛みはなく。恐怖を煽ってくる猟奇殺人犯なのかと思いながら、恐る恐る目を開けると、そこにはいつもと何も変わらない日常が広がっていた。
見知らぬ男はどこかへ消えて、刺されて血まみれになっていた人も何も変わらずいつも通り席に座っていた。何がどうなっているのか、意味がわからなかった。
最近色々ありすぎて、変な妄想でもしてしまったのだ。きっとそうだ。それしか考えられない。そうしか考えたくない。よし、そうしよう。
訳のわからなくなった俺は、とりあえずいつも通り鞄を自分の席に置いて雄太の席に向かった。
さっきまで血まみれで倒れていた雄太。あれは確実に死んでいた。今、目の前にいる雄太も幽霊ではないよな。
雄太の肩に触れると実体のある身体だった。雄太は不思議そうに俺を見ていた。無理はない。俺だって、何をしているんだろうかと思っているから。
横目に廊下を見ると、昨日俺が触れて頭痛を起こしたあのノートを持って、三好が廊下を歩いていた。
普通なら何も変ではない。でもここは、三好の教室からは遠い。来る用事もほとんどない。物の貸し借りの可能性はあるけど、友達がいないって言われている三好に限って、そんなことがあるのだろうか。所詮は噂だから、三好にも友達はいるものか。誰か知らないけど、名乗り出たら一躍有名人になりそうだ。
自然と三好の動きを目で追っていると、三好が何かを落としたのを見てしまった。本人は落としたことに気がついていないのか、取りに来る様子はなかった。
仕方ないなとため息を吐きながら、廊下に出て三好の落としたものを拾った。三好が落としたのはくしゃくしゃに丸めていたノートの切れ端だった。特に気になったわけでもないけど、中身を確認するために丸まったノートの切れ端を伸ばす。中には。
『9月8日火曜日。午前8時30分頃。白水高校2年5組の教室で、30代の男がナイフを振り回す。犠牲になるのは2年5組の人間だけ。死者数は7人。負傷者は多数。』
と書かれていた。
三好は今日のことの何かを知っている。僕だけが幻想を見ていると思っていたが、もう1人見ている人間がいた。それがわかっただけでも1歩前進だ。
いやーでも、疲れて幻想を見てしまったことにしていたのだった。今更探ってもな。
拾った紙をゴミ箱に捨てようとしたが、チャイムがなり教室のいつもの席に座る。
さっきまであんな大変なことが起きていたというのに、至って普通に、いつも通りの授業が始まった。
何も変わらない風景。それでいい。今朝のは俺の見間違いだ。
そう思っていたけど、そうではなかったみたいだ。
3時間目の授業を始めたばかりの時だった。学校内、学校外から、ウーーウーーとサイレンが聞こえたのだった。パトカーやダムの放流みたいなサイレンではなく、聞き慣れないサイレン。
「空襲警報だな。みんな地下シェルターに逃げるぞ」
担任の西山先生がそう言って、みんな一斉に廊下に並び出す。
俺は何が起きているのかわからないけど、なんとなく危険そうなことは理解したから、右へ倣えでみんなと同じ行動をとった。
この学校に地下シェルターなんてあったかな。聞いたことがないぞ。そもそもどこから地下に入るのだ。それらしい扉なんて見かけたことがない。知らないだけであったのか。
空襲警報は鳴り終わり、西山先生は廊下で立ち止まった。そして、方向を変えて体育館に向かった歩いていた。生徒も全員ついて行く。
先生にどんな心境の変化があったのか。それよりも地下シェルターの方が気になっていたのに残念だ。
体育館では臨時の全校集会が開かれていた。題目は避難訓練。さっき鳴ったサイレンは地震のサイレンだったみたいだ。僕の中では聞いたことのないサイレンだった。
というか、地震って、緊急地震速報だよな。前に本物が鳴った時は人の声だったよな。サイレン音だけはスマホとかだよな。一体何が起きているというのだ。今日は訳のわからないことだらけだ。唯一何が起きているのか知ってそうなのは三好だけだし、ダメ元で話を聞きに行くのもいいかもしれない。まあ、三好がよかったらの話だけど。
急な猟奇殺人者が現れたり、空襲警報が鳴ったり、朝は意味のわからなことだらけだったけど、それからはいつもと何も変わらない日常が広がっていた。そう平凡な毎日。
決してさっきみたいな刺激的な毎日を熱望したりはしていない。でも、暇であることは確かだ。
そんなわけで、三好に話を聞くべく、俺は昼休みを利用して2階に降りてきていた。
俺のいる5組は推薦とか特色とかスポーツ関係で入ったやつが集まるクラス。5組とは違って2組は割と優秀なやつが集まる場所。だから友達は少ない。
来たのはいいものの、2組に顔を出せずに、廊下の窓から外を眺めていた。
今日はいい天気だから外での練習が捗りそうだ。足はまだ治りそうにないからまた走り込みだろうか。そろそろ本気で飽きるから違うメニューをしたいな。
「うちのクラスに何か用?」
俺に話しかけてくれたのは、山内陽菜。この学校のマドンナ的存在。どのクラスの男子にも人気があって、人気投票では常に1位を獲得している。頭良くて運動神経も抜群。最近の陸上大会で県内ランキング4位の自己ベストを記録したそうだ。そして何より、顔が可愛くて誰にでも優しい。1位になるべくして1位になった存在だ。今もこうして山内さんが話しかけてくれることによって、俺の中での山内さんの株はそもそも1位なのに2位との差をさらに広げる形になった。
と、妄想している暇はないや。
「えっと……三好さんに用があってきたのだけど、いるかな?」
「そうなんだ。ごめんね。三好さん、昼休みはいつもどこかに行っているんだ。帰ってくるのはいつもギリギリだから、多分会えないと思うよ」
「そうなんだ。ありがとう」
「また何かあったら言ってね」
相変わらず山内さんは可愛いな。山内さんが謝る必要なんてなかったのに、どんだけいい子なんだ、山内さん。惚れてまうやろ。
三好に話を聞くつもりで2組にきていたけど、山内さんと会えたことと話せたことに達成感を感じて、薄ら笑いを浮かべながら教室に戻った。
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