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神の国  作者:
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第一章 守人たち 七

 七


 真っ赤な絨毯の敷き詰められた謁見室は、四十畳ほどあるだろうか。ひっきりなしに市民達が訪れるこの部屋で、陳偉チェンウェイは一日の大半を過ごす。勤勉にして聡明な彼は、その知識を少しでも多くの人に広める為に、一般に開放された謁見室で三時間置きに講義を開く。

 室内に整然と並べられたパイプ椅子に、空きは無い。そこに座った人々は皆、熱の篭もった視線を壇上の賢者へ向けている。口を利く者は一人としておらず、ただじっと座ったまま、時にはメモを取りながら、陳の話を一句たりとも聞き逃すまいとして、両の耳を傾ける。

 よく通る低い声は、部屋の隅々まで朗々と響き渡る。陳の声に熱が篭もれば聴衆の手にも汗が滲み、彼が悲痛な声で語れば、聴衆も肩を落とした。

 彼の弁舌は、どの州の知事をも唸らせるほどのものだった。賢者だけが持ち得る膨大な知識とその話術で以って、巧みに華州知事を操り、民衆の圧倒的な支持を得て不当に知事となった事はまだ、記憶に新しい。

 華が変わったのは、彼が知事を名乗り始めてからであった。それまで無気力で真面目とは程遠かった華州民達は、彼が知事となって独立の為尽力するようになってから、がらりと変わった。彼が知事となる事で、華の民が良い方向へ変わったのは事実だ。華州民は博識で勤勉で、真面目な州民へと変貌を遂げた。

 それは彼が成し遂げた事の中で、最も偉大なる功績と言えよう。貧しかった州は徐々に豊かになり、住民同士の小競り合いが多かった地域も、近年は大分落ち着いて来ている。全ては陳のお陰と、神ではなく彼を崇める者さえ存在する。

 けれど彼がしていることは、法的には罰せられるべき事である。神と世界の為の機関である軍を不当に動かし、他州を侵略せんと画策している。それが罪である事も、無論民衆はよく知っている。華州の独立に反対する者も、中にはいる。

 それでも陳は、やらなければならなかった。ここまで来て後に引けないというような、消極的な話ではない。華の独立は華州の民の為に、必要不可欠であると陳は考えている。

 一日の講義を全て終えた陳は、その足で執務室へ向かった。賢者としての仕事だけではなく、知事としての仕事も山とある。補佐官であった頃とは比べ物にならない程の重圧と責任が、その肩に重く圧し掛かる。けれど彼が後悔する事はない。睡眠時間を削って仕事をこなす毎日にも、もう慣れてしまった。

 州全体が動いて今のようになったのは、やっぱり陳が賢者であったからなのだ。大陸の宝が華の為に動いたというその事実が、民衆をその気にさせた。指導者が陳であったから、民衆は動いた。独立の為に決起するというその動きこそが、彼でなければ成し得なかった、大きな改革だったのだ。

 それでも陳は、国から見れば大罪人だ。首都出雲に楯突き、そこに住まう唯一の神に背き、領土を獲得すべく蒙古へ進軍している。内戦となっても、例え出雲が火器を持ち出して華に制裁を加えようとも、最早引く訳には行かなくなっていた。

 陳が蒙古へ進軍したのには、少なからず訳がある。真実、蒙古の砂漠と羊だらけの土地が欲しかった訳でもない。万が一蒙古相手に戦勝を挙げられたとしても、出雲本部の軍と、その隷下にあるといっても過言ではない雨支部の軍勢に、勝てる筈がない。勝とうとも、陳は思っていなかった。

 勝利する事が、今回の侵攻の目的ではなかった。勝ち負けなどどうでも良かったからこそ、若い指揮官に全てを任せたのだ。そうでなければ、慎重な陳が一任するなどと言って、好き勝手にやらせておく筈がない。

 陳は露州が保有する、良質な銃火器が欲しかったのだ。蒙古へ攻め込めば出雲が動くのは当然ながら、露支部もまた動くだろうと予想した。あちらは出雲ほど信心深い集団ではないから、歩兵も拳銃ぐらいは装備はしているだろうと踏んだ。だから出雲の軍には指揮官も歳若い歩兵師団を当てて注意を向けさせ、露支部の軍には、州内での反乱分子の制圧等で経験を積んだ機械化部隊を当てた。

 露支部が軍の中でも取り分け名高い、空挺連隊を出して来るとは流石に思っていなかったが、お陰で質のいい火器が手に入った。こちらの被害は甚大だったが、得る物が大きかった分、侵攻した意味はあっただろう。そう思わなければ、不毛の地で戦死した軍人達が報われない。

 周が相手方の師団長と結んだ盟約に従って一旦引きはしたが、ここで終わる気は毛頭なかった。いつまでも、大人しく出雲に従っているつもりもない。出雲にも、神自体にも反抗心はない。彼らのやり方に不満はないし、神も出雲も正しいとは思っている。陳が抱えているのは、華州側の問題なのだ。

「陛下」

 扉の向こうから、呼ぶ声がした。別段陛下と呼べと言った訳ではなく、気がついたらそう呼ばれていただけのことだ。陳は長い髭を蓄えた顎を撫でながら、入れと声を掛ける。

 失礼しますと言いながら入って来たのは、まだ若い男だった。黒いスーツに身を包み、前髪を左右対称にきっちりと分けている。

 彼は前知事の息子だ。他に知事に相応しい人員もおらず、順当に行けば彼が州知事になる筈だった。今は秘書として使っているが、彼の有能さは、秘書にしておくには勿体無いとも、陳は思う。

「どうだ?」

 嗄れた低い声だった。せり出した頬骨と細長い輪郭のせいか、そう痩せている訳でもないのに頬がこけて見える。賢者となったのが比較的遅かった為、陳の外見は四十代半ばほどで老化を止めている。実際はそれより、遥かに長く生きているのだが。

 細い目の三辺に白目が窺える三白眼に見据えられた秘書は、僅かに身を硬くして姿勢を正した。

「伊太からの返答はありません。露は、捕虜は交換だと」

「頭の固い奴らよな。よほど出雲が怖いと見える」

 陳は顎を撫でていた手を、髭から喉に下ろして行く。大きくせり出した喉仏から、皮膚の皺を伸ばすように撫で下ろす。白いものが混じる顎髭は、細く真っ直ぐに伸びていた。

「本当に怖いのは、出雲の背後にいる雨支部だと思われますが」

「雨は確かに強大だ。ロスト以前はどんな権力も雨にだけは敵わなかったが、そうではない」

 怪訝に眉を顰める秘書を見て、陳は低い笑い声を漏らす。薄い唇の隙間から、脂で黄ばんだ歯が覗いた。

「伊太は神が怖いのだ。露は出雲と何やら共謀している節がある。背後にいる雨も怖いだろうが、一番はやはり、首都出雲だろう」

「露州が、出雲と?」

「そうだ。私も仔細は知らんがな。どこかで繋がっていなければ、あの野心家の露知事が大人しく従っている筈はない」

 秘書は納得行かないように首を捻ったが、陳はそれ以上は言わなかった。

「大洋賢者は出雲というよりは、雨に隷属している」

「北米賢者と、個人的に親交が深いそうですね。政治は遊びではないというのに」

「その通りだ。北米の駄犬が何を考えているか、さっぱり判らんのが厭な所よな」

 言いながらシガーケースを引き寄せ、陳は葉巻を取り出す。

「たかが出雲の犬……では?」

 ばちん、と葉巻を切る音が響く。秘書は懐からガスライターを取り出し、火を捧げた。

「どこの知事も、たかが犬と見くびっているが……あれは中々野心家だ。そこらの知事より切れる」

 ゆっくりと吐き出した煙が、顔の周りを漂う。濃い香りを吸い込み、陳は目を細めた。

「何度か会ったが、何を考えているやらさっぱり判らぬ。ただの馬鹿と言うならそうかも知れぬが、あれはそれだけとも思えん目をしている」

 賢者達が全員顔を突き合わせて会議を開いていた頃の記憶しか、陳にはないが、北米賢者のあの暗く淀んだ目は、何事かを企んでいる者の目だった。今も変わっていないとすれば、恐らく華にとって一番の脅威は、秘書の言うとおり雨の大軍隊となる。

 どこの出方も分からない。伊太などは現在の指導者が賢者でない分、知事の動きは読みやすいが、どの程度まで支配が及んでいるのか、皆目見当もつかない。一部では、賢者を秘密裏に殺害したという噂さえ飛び交っている。

「一番分からぬのは、出雲の古狐だがな。出雲と南北米を背負う多忙な身で、直接動きはすまいが、ちょろちょろと動かしおる手駒が煩わしい」

「出雲には、神主の娘がいますからね」

「あれは寧ろ、軍人として動かれる方が怖かったな。ジョウが負けるとは、私も思っていなかった」

 華の軍が負け越し始めたのは、彼女が指揮官として出てきてからだった。箱入り娘と思っていたが何の事はない、今までずっと軍人として生きていたのだ。出雲は秘密主義が徹底している為か、軍事機密を調べ上げるのにも骨が折れる。聖女と呼ばれる神主の娘が軍人であると知れたのも、彼女が戦場に出てきてからだ。

 周は若かったが、それなりに出来る男だと思っていた。頭の出来よりも上げた功績を考慮して指揮官に任命し、第一線の師団を一任したのだが、当てが外れたようだ。

 当てが外れたと言うよりは、向こうの腕が勝ちすぎていたのかも知れない。若い女に負けるとは、まさか周も思っていなかっただろう。実際は若くない事を伝えておくべきだった。

「欧州賢者の動向は、まだ分からぬか?」

 秘書は視線を落とし、小さく左右に首を振った。あれも中々小憎たらしい女だったが、賢者さえ説き伏せてしまえば、なんとかなると思っていた。こちらも当てが外れてしまった。

「依然、消息さえ掴めないままで……ローマ市内にいる筈とは思うのですが」

「生きてはいるだろう。女狐にやられたな、もっと早く手を打つべきだった」

「伊太知事が何を企んでいるのか、私には未だに分かりません」

 ふむ、と呟いて、陳は灰を落とした。

「私と同じさ。独立しようと目論んでいる」

「動きが見えないのは伊太だけです。あちらは銃器を保有していますし、寧ろ手を……」

 葉巻を持った手を翳し、陳は秘書の言葉を制した。

「伊太が我々に付けば、確かに攻め易くはなる。だがな、あちらの目的は、厳密には我々とは違う」

 眉間に皺を寄せ、秘書は怪訝な顔をする。賢い男なのだが、些か思慮が浅い。それでも他よりは真面目に仕事をこなすし、知事の座を明け渡した前任への配慮もあるから、彼を秘書からは外せない。寧ろ人当たりがいいので、外交官でもして欲しい所なのだが。

「あれは、神が欲しいのだ」

 秘書は怪訝に目を細くした。

「……神が、ですか」

「そうだ。神を手に入れ、伊太を首都とする。そうすれば出雲は神の島ではなくなり、支配権が伊太に移る」

 溜息を吐くように煙を吐き出しながら、陳は頬杖をついた。揺らぐ煙の向こうに、組まれた秘書の手が見える。

「私はそこまで野心家ではないのだ。ただ、独立出来ればそれで構わない。宗主であった頃の中華を、取り戻そうなどとは思っておらぬ。神という大いなる力には、誰も敵いはせぬ」

 神という言葉の本当の意味を、今の人々は知らない。知らなくても構わないと、陳は思っている。知らないからこそ、この国は成り立っている。それを愚かとは思うまい。こうして人々が苦もなく生活出来るようになったのは、確かに神のお陰なのだから。

 神が立ち上がらなければ、世界はどうなっていただろう。陳は時折、そんな事を考える。仮定の話は好きではないが、もし神が立ち上がったとしても、人々に己の知識を広める手段を持たなかったとしたら。

 恐ろしい事だ。賢者と神の違いは、そこにある。賢者達が持ち得ない力を、神は持っていた。それは地球上に存在する全ての人類に己の言葉を伝えるという、通信機器が発達した今から考えれば、なんでもない力だった。けれどロスト直後の人々にとって、神の言葉は確かに天啓であったのだろう。

 華は今のままでは、どの州にも勝てはしない。出雲が神の島である限り。それぞれの州が、州という地位に甘んじている限り。

「眠れる獅子であったのだ、ワン。ここには今の州土と同じだけの領土を持った国があり、人口は世界の二割を占めていた。それが今はどうだ」

 まるでロスト以前の世界を見てきたかのように、陳は語る。賢者の知識は、記憶として蓄えられている為だ。思い返せば思い返すほど、膨大な記憶が昨日の事のように脳裏に蘇ってくる。

「過去の我々は、確かに愚かであった。自らの首を絞めていたにも関わらず、知らず存ぜぬで平気な顔をしていたのだ」

 各地の人々が環境汚染による公害病に苦しんでいた事はまだ、記憶に新しい。汚染はなんとか食い止めたが、奇形児の出生率は今も世界で一番高い。人類は一歩進むごとに、確実に自分自身を苦しめていた。

 進まなくなることと、技術の進歩による弊害に苦しむのと、どちらが増しか。華の惨状を百数十年の間見てきた陳には、前者の方が増しであるように思える。即ち、今の世界だ。

 下水処理施設の処理能力向上に、河川の汚染拡大の防止。公害病に苦しむ人々への援助や、交通機関の向上。

 今でも問題は山ほどある。それでも、やらなければならない事がある。たとえ神に背く事になろうと、余計に苦しむ羽目になろうと。

「私は自分の、華国民の力で、建て直したい。神の力も出雲の助けも必要ない。自分の尻は、自分で拭うべきなのだ」

 秘書は黙って頭を下げた。出て行きたかっただけなのか納得したのか、それだけでは判断出来ない。けれど、握り締めた彼の両手は震えていた。

 それだけで、陳には充分だった。

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