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神の国  作者:
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第六章 選ぶ道、選ばれざる道 二

 二


 華で銃弾の生産が追い付いていないようだと噂が流れたのは、英支部が出雲島内から完全撤退した頃だった。工場も既に出来上がっていると聞いていたし、資金は伊太から提供されている筈だ。

 だから乃木は、そんな噂を話半分に聞いていたのだが、どうやら本当のことだったようだ。近頃は華支部が飛ばすのは輸送機ばかりになり、戦闘機は伊太のものしか見られなくなった。

 そして開戦から一年と三ヶ月が過ぎた、十月。華支部は銃器の使用を取り止め、槍で以て攻め込んできた。目には目をと定められた出雲はこれに対応出来ず、撤退を余儀なくされ、侵入を許してしまった。元より、出雲は神の定めを破る事が出来ない。火器の使用は、相手方が使用しない限り許可されないのだ。

 これを奇襲作戦と取るなら、華側から見れば成功と言えよう。けれどその程度で怖じ気づく本部ではないし、第三師団長は、そうは取らなかった。

「槍の方がいいよな、いちいち弾籠めなくていいし」

 冷凍しすぎて黒ずんだ肉まんのような顔をした北村は、槍の手入れをしながらそう言って笑った。彼の発言は呑気すぎて緊張感がなくなるが、無駄な力が抜けて、逆に良い。乃木は呆れながらも頷いて、瓦礫の山からそっと顔を出す。

 街は、巨大な何かに踏み荒らされたようだった。完全に形を保っているビルは殆どなく、スコップで削り取られたように崩れているか、完全に倒壊している。

 海沿いに位置するこの地域では、数ヶ月前に空中戦が繰り広げられた後、戦車部隊が踏み荒らして行ったというから、この惨状も理解出来る。理解は出来るが、乃木は信じたくなかった。

 これがあの、出雲の姿だろうか。怪我も完治して戦場に復帰してみたら、辺り一帯は瓦礫の山と化していた。毎日報じられる戦死者の数も、勝敗さえ聞きたくなかった。けれど今は、戦わなければならないと、そう思う。

「死亡確率は上がるけどね」

 頭を引っ込めながら言うと、北村は穂先を鞘に収めて、薄い眉をひそめた。

「そういうこと言うなって……あ、小隊長」

 振り返ると、他部隊の長と会議していたキアラが、輪から抜けて来るのが見えた。瓦礫を避けながら近付いて来る彼女の表情は、大分疲れている。また師団長命令の、無茶な作戦でも聞かされたのだろう。

 一時行方不明になっていた師団長は負傷していたらしく、暫くの間は大社から指揮を取っていた。前線に復帰してから、何があったものか完全に補給路を断つよう命じた。今までは僅かな道だけは残してあったが、それすらも潰しきったのだ。

 お陰で出雲島内にいた敵部隊は日を追う毎に憔悴し、投降する兵も以前より増えた。伊太は遠いし、華支部は元々貧窮していたから、効果は充分にあったのだ。

 第三師団の管轄地域内に残る敵部隊は、残す所歩兵連隊と後方の一部のみとなった。後続はことごとく露に沈められたと聞いているから、ここを守りきれば、しばらく休めるだろう。連日戦い通しだったせいで、そろそろ寝不足もピークに達している。

 今もこの出雲島内で、誰かが戦って死んでいる。戦わなくとも、今は死者が出る。その事実が、乃木には悲しく思えた。

「師団長むちゃくちゃだよ……大隊単位で連隊相手に中央から切り込めって言うんだ」

 疲れきったキアラの声に、乃木の表情が引きつった。しかし北村は呑気に笑う。ランナーズハイというものかも知れない。

「無茶でもやれ、ですよね?」

「出来ないじゃない、やれ、だって」

 いかにも芙由が言いそうな台詞だった。乃木は力なく笑って、地面に伏せてあった槍を取る。滑り止めの為に持ち手に巻いておいた布が緩んでいたので、きつく巻き直した。

 この国に、有事法は存在しない。神が記した十冊の分厚い法令書だけが全てで、例外は原則として認められない。

 そんな事で、どう守ればいいのだろう。その時になってみないと分からないとは言うが、軍を作った以上、戦争が起きる事を想定していなかったとは、乃木には思えない。

「師団長、ヤケになっていない?」

「師団長はいつもそうですよ」

 髪と同じ赤褐色の眉を下げ、キアラは乃木を見た。呆れたような表情だ。

「……怖いんだね」

「怖いんです」

 一つにまとめられたキアラの赤毛が、風になびく。片手で髪を掴んで押さえた彼女は、小さく溜息を吐いた。末端兵士に、師団長の考えは分からない。

「戦車部隊が加勢に来るって話ですよね?」

「うん。レンジャーは交戦中だけど、航空隊も集まって来てるよ」

「でも撃てないですよね」

 北村とキアラのやり取りに、乃木は脱力した。

 撃てないのだ。こちらがどんなに威力の高い武器を装備していたとしても、相手が槍を使うなら、それに合わせなくてはならない。人を守ると言いながら、守る術すら断たれている。そう定めた神にも疑問を覚えるが、遵守する出雲のやり方も甚だ疑問だった。

 この世界を守る。それがどんなに難しい事か、分かっているつもりだった。ただでさえ難い事なのに、法が更に難しくする。

「しかし、そんなに戦力を集める必要はあるのですか? 歩兵を同等数ぶつければいいだけでは?」

 分隊長の問いに、キアラは首を捻った。

「ここで一段落つくからじゃないかな? 確かに、方々に散ってる部隊を集めるのも妙だけど……」

「部隊の姿が見えないのも妙ですね。戦車なんて、目立つのに」

 乃木が言うと、北村は積んだ瓦礫から顔を出して周囲を見回した。偵察が言うに敵部隊は確実に近付いて来ている筈だが、応援の味方からは何一つ連絡がない。指揮を取るべき大隊長も、一時間ほど黙り込んだままだった。

 師団長には、何か策があるのではないだろうか。戦力を集結させた事には、袋叩きにする以外の理由がある筈だ。そもそもあの師団長が、歩兵に戦車を当てるとは思えない。

「……ん?」

 微かに聞こえた音に、乃木は怪訝な声を漏らして空を見上げた。重苦しい鉛色の空には、鳥一羽見当たらない。気のせいだったかと首を傾げたが、乃木に気付いたキアラが、すぐさま双眼鏡を覗く。

 空を見上げるキアラの表情が、徐々に硬くなって行く。乃木の耳に届く音も、はっきりしてきた。戦闘機が立てる音ではない。

「……カブトに漢字の三は、どこの部隊マークだっけ?」

 これはヘリコプターの音なのだと、乃木は確信した。同時に目を丸くする。

「うちの司令部付隊です。なんで司令部が?」

「師団長じゃねぇ? 蒙古の時も、前線に出てたって言うよな」

 乃木が口にした疑問には北村が答えたが、そういう事を言ったのではない。意見を求めようとキアラを見たが、彼女も怪訝な顔をしていた。

「師団長が来る必要あるの?」

 キアラの問いに、全員黙り込んだ。小隊長が何も聞いていないのなら、他の面々に分かる筈もない。沈黙している大隊長なら何か知っているのだろうかと乃木が考えた所で、キアラがイヤホンを押さえた。

 何らか通信が入ったのだろう。表情を硬くして口をつぐんだ彼女の邪魔にならないよう、全員黙り込む。

 ややあって了解と答えたキアラは、今度は困惑したように眉根を寄せていた。そのまま小隊の面々の顔を順に見てから、口を開く。

「空から航空隊、左右から戦車部隊、正面は私達歩兵部隊で固めているんだって。敵部隊は、この袋小路に追い込まれて来てる」

「一網打尽ですね」

 北村が言うと、キアラは首を横に振った。

「違うんだよ。降伏させるのが目的だって」

 ヘリの羽音は、もうかなり近くで聞こえていた。乃木は今回の策をなんとなく理解して、ゆっくりと息を吐く。

「師団長、説得する気なんですね」

 キアラは何も言わずに頷いた。補給路を断ったのも、少しずつ相手の戦力を削るような作戦を取ったのも、この日の為だったのだ。銃は遠くからでも問答無用で人を殺すが、槍ならば近付かなければどうにもならない。姿が見え、声が届く範囲にいれば、説得も有効ではあるだろう。

 芙由は世界を守ると言った。出雲列島だけを守るのではなく、この世界の全てを守るのが、軍人の仕事なのだと言っていた。そしてその対象には、兵士達も入っている。

 守るというのがどういう事なのか、乃木は初めて理解出来たような気がした。全ての人の為に存在し、世界の安寧と秩序を保つ。それが、この世界の軍人なのだ。

「でも……でも、そんな事……」

 誰かが、震える声で呟いた。槍を抱き締めた青年は、去年入隊した新兵だ。

 膝を抱えた青年に視線を向け、キアラは微笑んだ。柔らかな太陽の光が満ちるように、乃木の心も温かくなって行く。彼女の笑顔が、この乾いた戦場で唯一の、乃木の希望だった。

「師団長は、やるよ。そういう人だから」

 確信に満ちたその声に、沈んでいた青年の表情が和らいだ。戸守師団長とは、そういう人だ。出来ない無理強いは絶対にしないし、無茶だと思えるような事でも確実にやってのける。だから誰一人不安を抱く事もなく、戦場に立つ事が出来る。

 唸るようなプロペラ音が、ぷっつりと途絶えた。どこかに着陸したのだろう。それと同時に、さざ波のような足音が乃木の耳に届く。

「師団長の到着まで、総員このまま待機。乃木君、何か聞こえる?」

 乃木は突然振られて慌てて顔を上げ、はい、と答えた。

「前方から、足音が聞こえます。衝突まで、あと二、三十分程度かと」

「時間通りだね。偵察班も、もう戻ってる。静かにね」

 騒げるような空気ではなかった。後方を見ると、それぞれ隊長から説明を受ける隊員達が見える。呑気に瓦礫の向こうを覗きながら会話していたのも、この隊だけだった。そういう気質なのだ。

 これで、一段落つく。乃木がいない間に、大隊の面子も三分の一は変わっただろうか。勝っていようが負けていようが、自軍にも死者は出ていたのだ。当たり前の事なのに、それが恐ろしくて堪らなかった。

 恐れている場合ではない。そう頭では分かっていても、不安は拭えなかった。今日生き残っても、明日死ぬかも知れない。死んで護れとは言うが、死ぬのは怖い。

「敬礼!」

 突然かかった号令に驚くより先に、体が動いた。立ち上がれないので座ったまま背筋を伸ばし、号令が聞こえた方向へ体ごと向いて挙手敬礼する。見上げた先には、濃緑色の背広を着た師団長がいた。白手袋を嵌めているから、略礼装だろうか。片手には、拡声器を持っている。

 芙由の顔は、青ざめているようにも見えた。元々肌の白い人なのだが、今日は余計に青白い。彼女も疲れているのだろう。

「ご苦労」

 疲労は窺えるものの、普段通りの落ち着き払った声だった。遠くから見ているだけでひしひしと感じる威圧感に、乃木は背筋が痺れるような感覚を抱く。両脇に槍を持った兵を従え、彼女は瓦礫のバリケードを越えて反対側へ出て行く。

 水を打ったように静まり返った場の空気に緊張感が募り、乃木は喉を鳴らして唾を飲み込む。そこでやっと大隊長が立ち上がり、起立と号令をかけた。

 全員一斉に立ち上がり、崩していた隊列を組む。果たしてこれからどうなるのか、乃木には不安もあった。それでも師団長の後ろ姿を見ていると、気が引き締まる。

「総員待機。指示を待て」

 乃木の耳には、もうすぐそこまで軍靴の音が迫って来ているように聞こえていた。横目でちらりと隣の北村を見ると、彼の表情も珍しく硬い。小隊の最前列でこちらに背を向けて立つキアラの表情は、確認できなかった。

 この為に瓦礫でバリケードを築いたのだと、乃木は今更気がついた。ここで休憩していた訳ではなく、最初から、ここで迎え撃つつもりだったのだ。戦闘するつもりではなかったからこそ、戦力をここへ集め、即席の塹壕を築いた。対話する舞台を作る為に。

 瓦礫の向こう、倒壊したビルの間から、次々と敵兵が出て来るのが見えた。先頭集団はずらりと並んだ兵を見て、一瞬立ち止まる。しかし槍での戦闘は、両者が揃わなければ出雲側から仕掛ける事はないので、向こうもぞろぞろと大通りへ出て来た。

 或いは、師団長が事前に通信していたのかも知れない。そうでもなければ安易に顔を出したりはしないだろうし、彼女も礼装ではいないだろう。

 三百メートルほど離れた場所で、華の兵は乱れた隊列を組み直す。人々の間から一人だけ装備の違う兵が出て来ると、それまで微動だにしなかった師団長が口元のイヤホンマイクを押さえて、何事か呟いた。

 ジェットエンジン特有の高い音と、石を砕くような音が聞こえる。それが戦闘機と戦車が近付いてくる音だと気付くのに、そう時間はかからなかった。どこで待機していたものか、その音からは既にかなり近い距離にいると推測出来る。

「たばかったか中将!」

 敵部隊の方から、華弁訛りのある怒鳴り声が聞こえた。芙由はゆっくりと片手を上げ、拡声器を口元に当てる。乃木の位置から、彼女の表情は見えなかった。

「私は最終戦だと言っただけだ、ホァン。心配しなくとも攻撃はせん、そちらが仕掛けなければの話だがな」

 芙由の声は、静かだった。感情の籠もらない冷たい響きに、乃木は寒気を覚える。

「出雲としても、これ以上の犠牲は払いたくない。同国の民が死に行くさまなど、これ以上見たくはない」

「同国だと?」

 嘲るような声だった。黄と呼ばれた敵方の師団長は、ようやく持っていた拡声器を口元に当てる。

「我らが望むのは独立だ。それを同国の民とは、馬鹿にするにも程がある」

 芙由が小馬鹿にしたように、鼻で笑った。

「下らん幻想に取り付かれたな」

「下らんのはお前達だ、神民よ」

 神民。出雲の軍人は、他州の軍人からそのようにして揶揄される。国ではなく神の為に戦う愚か者、と暗に言われているのだが、乃木は些か解せない。

 神が決めた定めを守るのが、軍人だ。神が定めた通り世界を護るのが軍人なのだから、同じ軍人がそうして揶揄するのは、妙なのではないかと思うのだ。

「神が私達に何をした? 世界を統一したのは、己の力を顕示したかったからではないのか」

 学者達の間では、神が行ったのは刷り込みだったのだとも言われている。雛鳥が殻から出て最初に見た、動くものを親と思うのと同じように、神は何も知らない人々に、己が最も尊い存在だと刷り込んだだけだと言うのだ。事実この世界の全ては神の所有物だとされているし、神を尊敬するように教育もされる。

 それでも、神は何も間違った事はしていない。軍を作った事だけは間違いだったのではないかと乃木は思うが、少なくとも、賢者が反発さえしなければ、世界は安寧を保っていた。自分に都合のいいように歴史を改竄する事さえ、神はしなかったのだ。

 だから例え刷り込みだったのだとしても、それが悪い事だったとは、乃木には思えない。

「神は争いが起きんよう、世界を国として統一した。己の地位を確固たるものとしたかっただけならば、今のような体制は取らん」

「何が理由にせよ、神がこの世界の全てを掌握する統治者である限りは戯れ言だ。世界の全てを手中に収め、全てを支配出来るようになったからこそ、神は造反を恐れて隠遁しているのではないのか?」

 芙由は何も答えず、左手で拳を握った。黄の鼻で笑う声が、拡声器越しに聞こえる。

「戦え、出雲。相容れぬ繰り言を垂れる気は毛頭ない」

 芙由は拡声器を口元から離して、鼻で嗤笑した。

「痴れ言を……このまま立ち去るなら追いはせん。だがこれ以上この地を蹂躙せんとするなら、容赦はしない。疾く去ね」

 芙由が言い終わるより早く、黄が片手を挙げた。隊列を組んだ兵は一斉に槍を構えるが、芙由は動じない。再び拡声器から顔を逸らして、イヤホンマイクを押さえた。

「やれ」

 微かに声が聞こえたその刹那、爆発音が轟いた。左右から飛んだ榴弾は敵部隊の頭上を越え、半壊したビルに当たって土煙を上げさせる。派手に崩れたビルのコンクリート片が敵部隊の頭上に降り注ぎ、一瞬大通りを真っ白に染めた。

 当たらないように、撃ったのだろう。それでも乃木には、芙由の行動が信じられなかった。これでは説得ではなく、脅迫だ。殺さないだけまだいいが、これでは大人しく相手方が撤退したとしても、無意味ではないだろうか。

「頭は冷えたか?」

 機械越しに、芙由の声が響く。土煙が拡散して再び見えるようになった敵部隊は、動けずにいたようだった。左右からは戦車、上空から戦闘機に威圧されては、無理もないだろう。

 黄は、何も答えなかった。距離が遠いから表情は窺えないし、片膝を着いているぐらいしか、体勢も確認出来ない。

「我々はお前達を、一瞬で肉の塊に変える事も出来る。分かったなら少し聞け」

 芙由はそこで少し、間を置いた。相手が何も言わないのを確認して、再び口を開く。

「貴公の言う通り、神は何もしてはくれない。そこに在るだけだ」

 乃木は一瞬、耳を疑った。彼女が神について語るところは初めて見たし、聞く事があろうとも思っていなかった。それよりも聖女である彼女が、神は何もしないと断言するとは、考えてもみなかったのだ。

「神の御名の下に剣を取り、神が定めた法を守る為ならば死すら厭わん覚悟だが、それは神の為などでは断じてない。我々が戦うのは人の為、生まれた世界の為だ。生まれ育った州の為と、独立を欲するお前達と、何か違うか?」

 ゆっくりと、芙由は語る。静かな声は、耳よりも胸に、深く染みて行く。

「神が正しいかどうかなど、私は知らん。お前達にとっては、チェンの方が正しいのかも知れん。だがこの世界から孤立して、どうする。親元を離れて一人で生きて行ける程、華は成長しきってはいない。華が独立してもやって行ける州なのかどうか、お前達の目から見て、分からなかったのか?」

 芙由の問い掛けに、黄は答えない。地面に膝をついて、黙り込んだままだった。拡声器を使うような素振りも見せない。

 乃木には今の彼らなら、芙由が正体を明かせば簡単に降伏してしまいそうな気がしていた。生きてきた年数の差なのか、それとも彼女が聖女だと知っているからそう思うのか、言葉の重みが違う。

「無茶はするな。これ以上誰も死なすな。死に急ぐな。私達は、同じものの為に存在しているのだろう。私達が守らなければならないのは、州の威厳ではない。生まれた州を含めた、世界の全てだ」

 硬い何かが、アスファルトに落ちた音が微かに聞こえた。黄は地面に両膝をついて、うなだれている。

「降伏する事で誰かが咎めるなら、私が守ろう。神と出雲は、全ての人の為に在る。もう誰も、死なせはしない」

 最前列にいた兵士の手から、槍が落ちた。先ほどの音は、槍が落ちる音だったのだろう。黄がゆっくりと両手を挙げたのを皮切りに、隊列の中から徐々に手が挙がって行く。

 芙由は、守った。この世界に生きる全ての人を守るという言葉通り、降伏させる事で敵部隊をも守って見せた。今まで補給ルートを残しておいたのも、今になってそれを断ったのも、この為だったのだろう。結局彼女は、間違っていなかった。

 さざ波のように聞こえる硬い音が止まる前に、芙由は自軍の方を向き、拡声器を口元に当てた。そして微かに、笑う。

「作戦終了。総員、炊き出し準備」

 了解、という地面を揺るがす程の大声が、曇天の街に響き渡った。

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