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神の国  作者:
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第二章 籠の鹿 四

 四


 自衛陸軍出雲本部は先の戦闘でかなりの打撃を受けた為に再編を行い、乃木が所属する第八連隊は、晴れて第三師団の隷下に入った。運が良かったという話ではなく、たまたま連隊長が士官学校で好成績を修めていたので、戦死した第三師団副師団長の後任となったついでと言える。出雲は今なお支部の教育に手一杯で、細かく体制を整えている暇がないので、時折このようなよく分からない再編が行われる。

 駐屯地で報を受けた兵達は皆大喜びしたが、隷下に入ったところで喜ぶような事もない。どうせ戸守中将には滅多に会えないし、チキンという汚名から逃れられはしないのだ。しかも中将は今、軍部を留守にしている。

 乃木は蒙古に派遣されたはいいが、出雲と華が停戦協定を結んだ為戦闘に出る事もなく、炊き出しや見回りをしていた。難民キャンプを一時的に受け持っていた、露支部の隊と交代したのだ。

 蒙古の風はひどく乾燥していて冷たく、顔から水分が抜けて行ってしまうような気がした。夜は何枚着込んでも恐ろしく寒いので、見回りには懐炉が手放せない。出雲の冬もそれなりに寒いが、こちらの冷え込みには遠く及ばない。安定した気候の平野部で生まれた乃木には、仕事内容よりも寒さが一番こたえた。

 乾いた砂の匂いと、動物の生臭さが入り混じって漂って来る。そんな中で乃木が所属する小隊の面々は、見張りに立ったりキャンプから出そうになった羊を追い戻したりしていた。この羊がなかなか曲者なのだ。大変とはいえ、別の隊は交通機関や戦場になった場所の整備、遺体の回収などしていたから、一番楽だったのは乃木の隊かも知れない。

 今回の出征には、戦場の空気に馴れる目的もあると隊長に説明されたが、ここは既に戦場ではない。ようは暇な隊を隷下に入れて人員を補充し、雑用させたかったといったところだろう。出雲は他州へ派遣する為の教育部隊に割かれる人員が元々多いから、常に人手不足なのだ。

 難民キャンプの人々は、誰もがのんびりしている。草原地帯で羊を追い掛けて過ごし、羊と共に生きる彼らは、少し出雲の人に似ていた。不便な筈のキャンプ内でも文句一つ言わず、彼らはあるがままに生きている。心に余裕があるという事なのかも知れない。聞くところによると、金銭的にも余裕があるそうだ。出雲も田舎の方で農業を営む家はかなり裕福なので、それと同じようなものだろう。

 避難区域内では羊が草を食んでいたり、ラクダがゆったり歩いていたりと、任務で来たのにのんびりしたくなってしまうような空気が流れている。羊もラクダも見た事がなかったという北村は大袈裟に喜んだ挙げ句、陽気な所有者にラクダの背に乗せてもらって酔っていた。衛生兵に怒られたのも、乃木は見ていた。

 見回りをしていると、遊んでいた子供達が時折わらわらと寄ってくる。寒さと乾燥した気候のせいで真っ赤になった子供達の顔は、どれもにこにこと楽しそうで、乃木は幸せな気分になる。自分達のしている事に確かに意味はあるのだと、きちんと役に立っているのだと、そう思える。

「アメ、ちょうだい!」

 子供達はたどたどしい出雲語で、そうして話しかけてくる。それ以外の出雲語を彼らの口から聞いた事がないから、恐らくそれしか喋れないのだろう。どこで覚えたものかと、乃木は思う。

 その声を聞くと、乃木は北村と顔を見合わせて笑う。そしてお互い至急品の板チョコレートを割って、一人ずつに配るのだ。アメでなくともいいのだと気付いたのは、つい最近の事だ。チョコレートだと言っても理解してもらえないので、教えるのも諦めた。乃木も北村も、蒙古語は分からない。

 全員にチョコレートを配り終えると、彼らは弾けるような笑顔で聞き慣れない言葉を口にし、走り去って行く。恐らくありがとうか、いただきますと言っているのだろう。まさかあの満面の笑みで、アメじゃないなどと捨て台詞を吐かれてはいない筈だ。

 元気に駆けて行く子供を見ると、乃木は幸せな気分になるのだ。どの州も、子供の姿は変わらない。子供が元気な州はいい州だというのは、千春の弁だっただろうか。乃木がふと思い出すのは大抵千春の言葉なので、間違いなくそうだろう。

 ロスト以前に問題視されていたという子供達の労働も、今は禁止されている。この地域では子供が手伝いをする事もあるようだが、少なくとも昔の奴隷のように、子供が酷使される事はない。無論この広い世界の全ての地域で、完全に守られているとは言えないのだろうが、目の届く範囲は概ね平和だと言える。

 目の届く範囲だから、平和なのかも知れない。現在亜細亜の総知事は印州にいるが、補佐官である賢者が出身地である華に引きこもっている為、かなり参っているという話も聞く。けれど亜細亜大陸は出雲に近いから、それでもなんとかなっている。近くに神が居ると思えば、少なからず安心するのだ。だから出雲は平和だし、島民の気質もおっとりしている。

 問題は欧州だろう。今どんな状況にあるのか乃木は知り得ないが、あちらが混乱している事は、軍にいれば漏れ伝わって来る。出雲本部に所属する乃木が目下守るべきは出雲なのだが、欧州をなんとかしたいとも思うのだ。無論、ただの兵士である乃木には、何も出来はしないのだが。

「第三師団の隷下に入ったはいいけど、なんで俺らがこんな事してんだろうな」

 ぼやきながら北村は、横を通った羊の背を撫でる。

「寒いし。相変わらず部隊マークはチキンだし」

「文句言うなよ、これも仕事なんだ。蒙古支部は人数少ないし、手が回らない所はうちがやらなきゃ」

「露も手伝うのはいいけどさ、やな所で戦闘してくれたよなー」

 露と華が戦場としていたのは、遊牧民が多数住まう区域だった。市街地戦になるより被害は少なかったが、それでも地元民にとっては大損害だ。大事な羊が何頭死んでいたかと嘆く人も、大勢見た。あちらは最終的に、銃火器が使われていたのだ。

「そんな上手く行くワケないだろ、内戦なんだから」

「やだよなあ、内戦なんてさ。ああカレー食いたい。カレー」

 補給部隊が巨大な鍋で作るカレーの匂いを嗅ぐと、自然と唾が出てくる。今日はマトンカレーだと言うが、兵達はこの美味そうなカレーではなくレトルト食品を食うのだ。

 別のキャンプでは、印州のチェーン店がわざわざここまでやって来て、隊にまでカレーを配ってくれているという。しかも牛肉が入っているそうだ。断じて悔しくなどない。

「ああ、手伝い行かなきゃ」

「腹減ったなー」

 ぼやく北村を尻目に、乃木はカレーの横の釜で、粥を炊いていた班に近付く。出来た食事を配るのは補給部隊の仕事なのだが、各テントには足の悪い老人もいる。補給部隊の面々は怖いので、大体配給を手伝わされるのだが、乃木はこの仕事が好きだった。

 食事を持ってテントに入ると、居るのは老人と付き添いの子供ばかりだ。労働力である大人達は交替で一時帰宅して、生き残った羊の世話をしている。生き物を扱う仕事だから、休む訳にも行かないのだ。早く体制を整えて、帰してやりたいものだと乃木は思う。

 仮設ベッドに寝かされた老人達には、大体粥と柔らかく煮た根菜類が出される。それから毎日必ず誰かしらが絞って持ってきてくれる、羊の乳。

「ありがとう」

 皺だらけの手でトレーを受け取る老人は、ゆっくりとそう言った。上手く発音出来ないのだろう。そんな老人を横で見ていた少年が、カップを受け取りながら不思議そうに首を傾げ、乃木を見上げる。

「ありがーと」

 反対側に首を捻り、少年は妙な顔をした。思ったように発音出来なかったのかも知れない。彼は真似しただけなのだろうが、老人はにっこりと笑って、少年の頭を撫でた。褒められたのが嬉しかったのか、少年は老人を見上げて満面の笑みを浮かべる。

 人はこんなにも、温かい。どんな状況にあっても人は懸命に生きて、こうして笑う。辛いのはこの二人の筈なのに、乃木は込み上げる涙を抑えきれなかった。

 乃木は急いで首を左右に振って零れた涙を振り払ったが、老人は気付いたようだった。彼は突然泣き出した乃木に一瞬困ったような顔をしたが、すぐに柔和な笑みを浮かべる。それから少年の頭を撫でていた手で乃木の手を取り、軽く握った。その枯れ枝のような冷たい手に、益々涙が込み上げる。

 老人は真っ直ぐに乃木の目を見て、笑顔のまま、二度頷いた。そこに言葉はなかったが、乃木には彼の言わんとしている事が分かったような気がして、心臓を鷲掴みにされたように苦しくなる。

 下唇を噛み締めながら老人の手を両手で握り、乃木は体を折りたたむように深々と頭を下げた。言葉を伝える術を持たないので、出来ることがそれしかなかった。たとえ伝えられたとしても、乃木は何も言わずに同じ事をしただろう。どんな言葉を伝えたらいいか、分からなかったのだ。

 手を離すと、老人は乃木の腕を軽く叩いてから、テントの入り口を指差した。配膳しに来た同僚達が、不思議そうに乃木を見ている。乃木は慌ててもう一度老人に頭を下げ、テントを出た。

 無為とも思える戦いを繰り返し、罪のない人を苦しめながら、人は生きてきた。この世界の長い歴史の中で、今までほど長く平穏が続いた事は、恐らくなかっただろう。それでも、世の中は間違っていると乃木は思う。

 どうして争うのか。どうして同じ世界に住む人々が、同じように幸せでいられないのか。

 誰もが平等ではないこの世界で、皆同じとは行かない事ぐらい、乃木も理解している。それでも今この地にいる人々が、本人達のせいではなく、他の誰かのせいで苦しんでいる。その事実が、乃木から冷静な思考能力を奪う。

 それは乃木の居る小さな世界では、あってはならない事だった。この広い世界のどこかでは、確かに今も、誰かのせいで誰かが苦しんでいる。こんな事が何故罰せられないのかと、乃木は怒りさえ覚えた。

 神は世界を統一し、人々を正しく導いた。その州特有の文化を今に残し、どんなに暗い歴史でも、包み隠さず伝えた。記憶をなくした人々が、今まで通り暮らせるように。今までよりずっと、幸せに暮らせるように。

 けれど神は、軍というものを作り直してしまった。人は争う生き物だ。それぐらい分かっているし、些細な口論なら、乃木だってした事はある。けれど、何故軍隊であったのだろう。軍隊でなければならない理由とは、一体なんだったのだろう。

 それが乃木には、分からなかった。手足となりうる団体が欲しかったのではないかとも、一時は考えていた。けれど、神は全ての人に己の言葉を伝えるという力を持っていた。人種や言語の壁を越えて、時には一部へ、時には世界中の全ての人の頭に、自分の言葉を、知識を伝える事が出来た。

 軍隊である必要性が、感じられないのだ。手足として動かすのなら、そのまま役人で良かった筈だ。それなのに神は、軍隊を作った。

 他ならぬ軍人である自分が、こんな事を考えるのはおかしいとも思う。けれど乃木は少なくとも、戦う為に軍人となった訳ではない。この世界の為に少しでも何か出来る事がないかと思ったから、軍に入ったのだ。これでは軍は世界の為というより、世界を混乱させる為に存在するものなのではないかとさえ思える。

 軍があるから、州は争う。神が作った軍を使って、州は神に反発している。州を守るべきである筈の軍が、州を壊している。

 何故、軍があるのか。何故警察というものでは駄目だったのか。それが乃木には分からない。槍も剣も銃も、全て壊してしまえば良かったのに。

「なんで……」

 呟いた声が、乾いた風に乗って乃木の周囲を巡る。頭の中で、響いているだけかも知れなかった。

「乃木!」

 声がした方へ視線を向けると、そこには北村がいた。太い眉をひそめ、彼は心配そうに乃木の顔を覗き込む。

「どうした、大丈夫か? なんかあったか?」

 普段の北村からは考えられないような小さな声に、乃木は思わず顔をしかめる。彼の気遣いが、嬉しかったのだ。その分、心配させてしまった事が申し訳なかった。

 乃木の狭い世界の中で、この友人の存在はかなりの規模を占めている。学生時代からずっと同じ道を辿ってきた腐れ縁の関係だが、悩めば彼が支えてくれた。また北村が悩めば、乃木が支えた。そういう風にして、お互い今日まで、厳しい軍隊での生活に耐えてきたのだ。

「……なんにもないよ。ちょっと」

「申し訳なくなった?」

 図星だった。何故分かってしまうのだろうと思ったが、彼とはかなり長い付き合いになる。そういう事もあるだろう。

「僕らのせいで、ここの人たち苦しんでるじゃないか。何やってんだろうって思ってさ」

 ああ、とぼやいて、北村は外套の襟元をかき合わせた。

「お前は不器用だなあ。なんでも自分に都合の悪いように考えるんだ」

「分かってるよ、そんな事」

 北村は泥饅頭のような顔に不器用な笑みを浮かべて、乃木の肩を強く叩いた。

「痛いよバカ」

「俺らがしてる事、間違ってないだろ」

 乃木は更に顔をしかめて、まじまじと北村の顔を見る。どんな顔をしたらいいか分からなかったのだ。

「間違ってないの。ちゃんと国を守ってるし、死ぬのは軍人だけだろ」

「……軍人でも死ぬのはどうかと」

「うるさいなもー!」

 乃木は肩を竦めて、亀のように首を引っ込めた。北村は構わず続ける。

「だから、ちゃんと尻拭いしてるだろ。自分がやった事の責任は、ちゃんと取ってんだよ。だから許されるとは思わないけどさ……」

 北村も、大概不器用なのだ。お互い不器用だから、こうしてやって行けている。

 乃木は小さく笑い声を漏らし、北村に頷いて見せた。

「うん。やらなきゃいけない事は、やってるもんね」

「そ、そうそう。そうだよ……ウン」

 何が言いたかったのか、自分でも分からなくなったようだ。北村は誤魔化すように腕を組み、小さく何度も頷いた。その仕草が何かに似ているような気がしたが、乃木は思い出せない。

「自分のやるべき事を、ちゃんとやるよ。これで食わせてもらってるしね」

「そうそう、ちゃんとやれ」

 何故か偉そうな北村がおかしくて、乃木はまた笑った。自分の中の疑問は払拭出来なかったが、不器用な言葉のおかげで気は晴れた。

 悶々と一人で考え込んでいても、答えは出せない。出雲へ戻ったらまた賢者に聞いてみようと、乃木は思った。彼女はまた、はぐらかすかも知れないが、とりあえず乃木の欲しい答えはくれるだろう。

「そろそろ飯かな」

 呟く北村の声に、乃木は急に空腹を覚えて、腹を押さえた。

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