遊生澄香が芸能事務所から追放されるまで
当作でメインとして扱う着せ替えアイドル系カードゲーム〈エンプリス〉は
同作者による小説
「女児向けアニメの「序盤で追放される小物系」の悪役令嬢になっちゃいました ~追放されたら破滅どころか消滅してしまうので意地を見せます~」
でも主題となったゲームと同じ内容です。
ただし、本作と上記の作品とは世界観が異なる別作品なのであしからず。
初見さんのために、本作でもルールはしっかり記載しますが、気になる方はもう片方の作品にも足を運んでみてください。
「君には失望したよ、遊生澄香君」
陽光が曇天によって遮られた街並みと窓ガラス一枚を隔てて向き合いながら、粟久プロデューサーが私に目を向けないままそう言った。
その言葉を発する声はあまりにも低く、明らかに失望が籠もっていた。
「違うんです、プロデューサー! 信じてください!」
もう何度目になるのか、私はデスクを叩きながら懸命に否認する。
その訴えと叩かれた机の音が、ほの暗い執務室に響きわたる。
「一体、何が違うというのだね。そこに動かぬ証拠があるというのに」
反論しながらプロデューサーが振り向く。
前後左右ともにお腹が出ている肥満な体によって顔まで脂肪のついた丸っこい愛嬌を見せてくれたのに、今では犯罪者を見つめるような冷めた表情で、改めて私と向き合った。
プロデューサーが言う証拠。
それは、何度目の新調なのか、未だニスの艶が真新しいデスクの上に散乱している、名刺よりも一回り大きいカードの群。
着せ替えアイドル系カードゲーム〈エンプリス〉
元は小さい女の子に向けられて発信された玩具だったが、今やプロデューサーなどの裏方を務める業界人に頼らなくともアイドル自身が仕事などをカードゲームによる勝敗で奪い合う、全く新しいオーディションの手段。
アイドルがこの芸能界で勝ち抜くには、カードの強さによる比重が大きいといっても過言ではない玩具を越えた必須ツール。
デスクの上で散らばっているのは、私が故郷にいる家族や友達の協力と応援によって完成し、私をここまで有名にしてくれた大切なカードの束――デッキ。
だけど、その中には忌々しい一枚が混入していた。
見た目はまったく同じカード。
だけど、その絵柄をよく観察すれば、公平な試合の場では決して使ってはいけないことを示す模倣の証が移っている。
禁じられている故に公の場で使った時点で不正行為にあたる偽物のカードだ。
私は不本意にも、反則をしてしまったのだ。
大切なオーディションという公の場で、ファンや仲間が見ている前で、使ってはいけないカードを使ってしまったことで、弁明するまもなく失格と退場を食らわされてしまった。
「でも、私……こんなカード知らないです。いつ、どこで、デッキに入っていたのかなんて!」
「もう”知らない”ではすまなくなっているんだよ」
怒鳴る一歩手前の語勢で一蹴したプロデューサーがデスクの隅に置かれた小さなリモコンを持ち上げた。
リップの器よりも太い五本の指でも器用にボタンを押しながら、執務室の壁に掛けられたモニターの電源を入れる。
そこに映し出されたのは、今でもなお私の不正した瞬間がリアルタイムで報道されていた。
あの時の私は、いつも通りの戦略でいつも通りにカードを使い、いつも通りに同じグループだけどライバルのアイドルと真剣に、でも楽しく勝負に望もうとしていた。
それが、あのカードを使った途端に突然水を差すように警告が鳴り出して、みんなが楽しんでいた公開オーディションが中断される騒ぎとなった。
オーディションからは数日経っているはずなのに、報道陣やコメンテーターからはまったく中身も真実も理解のない内容ばかりのコメントを知ったように絶え間なく吐き続けている。
それが事実でないにしても、そういった人たちに悪い印象を与えてしまったというのは紛れもない事実だった。
ましてや、大切にしていたファンからも、驚愕と落胆、そして怒号の言葉でインタビューに答えていた。
「まさかあのスミッペが……」
「びっくりです。澄香ちゃんのこと、あんなに応援してたのに」
「今までのは全部不正だったのかな。インチキで私たちのことを騙してたのかなぁ」
今からでも違うと自らの口で必死に訴えたいのに、それは叶わない。
画面の向こうの、ましてや何時そう答えたのかさえわからない映像を前に。
届かせようとしてもキリがないくらい、この不正事件は千里を駆けめぐっていた。
何を言っても届かないこのもどかしさに、私はただ黙って口も拳も堅く紡ぐことしかできなかった。
出掛かる涙も怒りも押さえ込むぐらい強く。
「君は、このQ-Key.333の中でランク9という一桁クラスの実力を持つ名アイドルだ。しかし、その失態が故意か事故であるかに関係なく、今回の不正によってもたらされた影響は大きすぎる」
こんな上辺だけの情報だけで真実だと高らかに報道する醜聞なんて自分自身も直視したくないはずなのに、プロデューサーは冷淡にもある資料を突きつけた。
「見るんだ。君の不正が知れ渡った途端、君が請け負っていた仕事がすべてキャンセルになった。CM出演も強制自粛、次のライブ出演も断られ、レコーディングさえも拒否された。これでは麻薬に触ったド腐れ芸能人も同然だ」
ぶっきらぼうに突きつけられた資料には、確かにプロデューサーからあらかじめ聞かされていたお仕事や、私が頑張って手に入れた仕事、それに後ほど聞かされるだろう予定されていた仕事が一覧となって並んでいたが、それらの真横には無慈悲にもキャンセルや停止というペンによる殴り書きの文字が綴られていた。
開いた口どころか見開いた目ですら塞がらなかった。
脳髄の奥にわき上がった黒い根が頭の中を埋め尽くすかのごとく一瞬で根付いてゆく感覚。
これが絶望の体感というのか、私は目眩を起こしかけた。
端から端まで、全ての努力が拒絶の文字で埋め尽くされた資料を持つ私の手が、ガタガタと震える。無実だと訴えているのに、あの一瞬でこんなにまで世間から失望されているなんて。
あれは自分の意志でやった訳じゃないのに、覚えのない後ろ指が私の背中を突き刺してゆく。
「信頼が全てである以上、一瞬の綻びで全てが崩れてしまう。今がそのいい例だ」
何度自分の口で無罪を訴えても、すでにプロデューサーまでもが私への信頼を打ち切ろうとしていた。
すでに自分の中で私に下す処分が決まっている。
そんな口振りでどっしりと椅子に腰掛ける。
「だからプロデューサー! このカードをデッキに入れたのは私じゃないです!」
それでも私は諦めずに主張する。
その度にデスクが叩かれ、卓上に置かれたペンスタンドが派手に倒れようとも、私は懸命に反論を続けた。
「君が入れたのではないとするなら、君以外が入れたことになると言いたいのだな? だが、もし仮にそうだとしても、君はこれまで一緒に頑張ってきた仲間を疑うというのかね?」
「そ、それは……」
犯人は仲間――Q-key.333のメンバーの中にいるかもしれない。
確かにチーム名どおりメンバーが日本だけで333人もいれば、顔をまともにあわせたことがないどころか性格が合わない子もいるし、一言も言葉を交わしたことがない子もいる。
自分が確実にやってないとするなら、犯人は大勢いる仲間の中へと必然的に視点が変わる。
仲間を疑うこと。
自身の無罪を訴えるならば、間違いが許されないほどの相応の覚悟がいる。
そう念を圧すプロデューサーの鋭くなった目に睨まれたことで、自分が言った言葉の意味を理解した私はこれ以上言葉が出なくなった。
仲間。
そう仲間だ。
薄暗い執務室には、私とその大事な仲間たちが所属している派生グループ「ナインボール」の五人も一緒に呼び出されていた。
美紀ちゃん、真希ちゃん、楓ちゃん、理香ちゃんは、ずっと何度もプロデューサーに反論している私の数歩後ろの方で見守っていた。
そう思っていたはずだったのだが……。
「ねえ! みんななら信じてくれるでしょ? 私……私は、あんな使っちゃいけないカードを使うようなアイドルじゃない! 今の今まで、ずっと私がみんなのお仕事をがんばって勝ち取ってきたんだよ! あんなカードを使わないで!」
プロデューサーどころか今でもなおしつこく報道するアナウンサーが言うとおり、私には333人中ランク9という数値化された実力の値がある。
でも、そもそもこのランクは引退した先輩から継承しただけ。
だけど、せっかく先輩の引退試合に勝って受け継いだランクに恥じず、そして先輩が一番に愛していたこのチームを引っ張っていくために、カードの腕前という他の子よりも得意な分野を生かして、みんなを色んな舞台へと導いてきた。
それは、イカサマだの不正行為を使わなくても勝ち取った全て私だけの実力。
みんなで一緒に頑張りたいという気持ちと絆の力で上り詰めることができた本物の強さ。
むしろ、ここまで出演数を獲得しておいて、今更不正カードを仕込んでいたのがばれるなんてへまが発覚する方が、不自然な方だ。
私は信じていた。
期待していた。
みんなも私が潔白であることを信じているって。
でも振り向いた先に見たみんなの顔という現実は、期待とは全くの正反対の表情を浮かべていた。
沈黙と逸らし目。
私がこんなにも必死で訴えているのに誰も同調してくれない時点でいやな予感はしていたが、それ以前に誰も私と目すら合わせてくれなかった。
話し掛けて欲しく無さそうな敬遠な顔。
こんな私を見苦しそうに感じている失望の顔。
もはや関心すら持っていない無情な顔。
何か言いたくても言い出せない苦痛の顔。
「な、何で何も言ってくれないの……ねぇ! 美紀ちゃん! 真希ちゃん! 楓ちゃん! 理香ちゃん!」
叫ぶように名前を呼んでも、みんなからの返答はなく、むしろ呼ばれたことで浮かべていた顔がより険しくなっていた。
「まさか、みんなも私がやったって言うの? い、今までみんなの為に正々堂々と頑張ってきたのに、全部ズルして勝ったって思ってるの?」
どんなに声を荒げながら問いかけても、帰ってこない応答。
下手な言葉を掛けられるよりも、逆に無言のまま佇むことで発せられる重たい空気が、よりいっそう私を孤立に追い込む。
「違う! 私じゃない! 私じゃないの! 嘘じゃない! 信じて! 信じてよ、みんな!」
いつの間にか、私は八方塞がりになっていた。
プロデューサーどころか、それ以上に信じていた大好きな仲間にまで信じてくれなかった。
罪を認めない犯罪者の如く見苦しく足掻いている私への失望と、自分達との絆をなかったことにしたいほどの糾弾という見えない圧が壁となって、少しずつ迫ってきていることに改めて気付かされた。
「お願いよおおおおおおおおおおお!」
命である喉を潰すほど叫ぶ私の声が、執務室に轟いた。
私にとっては一縷の希望として発した最後の願い。
だけど、人の目どころか耳には追いつめられた末に狂った悲鳴にしか聞こえず、誰の耳にもまともに届くことはなかった。
「遊生澄香、今回の重大な問題行為とそれによって発生した損害などを鑑みた結果、君との契約解除以外の処分は避けられない」
いくつもの冷たい視線に囲まれる私に、粟久プロデューサーは追い打ちどころか止めとなる処分を口にし始めた。
契約解除。
芸能界にとって契約を解除されることは、Q-Key.333のメンバーどころか事務所そのものからの追放を意味していた。
クビの宣告が聞こえた瞬間、私の顔から更に血の気が引いた。
「本当に残念だよ……」
まるで苦渋の選択の末にやっと放り出した答えに納得するように、粟久プロデューサーは遂に私と向き合うことを放棄してしまった。
「ま、待ってくださいプロデューサー! もっとよく調べてください! 私はイカサマなんてしていません! 今までだって全部自分の実力でみんなを引っ張ってきて――」
デスクに身を乗り出して絶えず弁明をしても、プロデューサーは聞く耳を持たず淡々と契約書を探しはじめる。
「それから君のデッキについてだが、こちらは不正の証拠としてこちらで扱う」
「そ、それだけは! それだけはやめてください! それは家族や故郷の友達が私のために一生懸命集めてくれた大事な――」
アイドルとしての立場どころか、故郷の思いすら没収されることに動転した私は、半狂乱になってデスクに散らばったカードを回収しようとするが、一枚も指先に触れることすら叶わなかった。
それからのことは、あっという間の出来事のように進んだ。
どうしても契約解除に応じない私に、痺れを切らした粟久プロデューサーが、執務室に数名の保安さんを呼び出して私を羽交い締めにしたこと。
動けなくなった私の指に無理矢理朱肉をつけて、意志に関係なく契約書に捺印を押させたこと。
もう覆せない契約書が完成した時点でアイドルでなくなってもなお、壊れたオーディオみたいに弁明を繰り返し続けている私を無理矢理牽引して、執務室から廊下、階段を経て事務所の外へ放り出されて今に至っているところまで。
まるで粗大ゴミを捨てるように投げ出された私を出迎えたのは、こんな私をあざ笑うかのように大雨を浴びせる鉛色の曇天。
数秒も外に放置されただけで、まるで水槽に落とされたかのように全身を余すことなくずぶ濡れになってゆく。
仮にも元事務所のアイドルだというのに、迷い込んだ野良犬よりもぞんざいに投げ出され、コンクリの敷き詰められた石床の上にうつ伏せたまま呻いている私の背中に、いつの間にかまとめられたのか私の荷物が詰まったキャリーバックが容赦なく落ちてきた。
でも、その痛みと雨の冷たさは感じなかった。
「あ……私の……デッキ……」
虚ろな目のまま、私は譫言のように呟いた。
消えてゆく。
小石をぶつけられて粉々に砕け散った硝子のように。
ようやくオーディションを勝ち抜いてまで欲しかった仕事の期待。
大事にしていたメンバーと頑張った努力の思い出。
心が暖かくなるほど仲間と過ごした楽しい日々。
満足な達成感を得られた総出演ライブの興奮。
引退という別れの涙をこらえて先輩に勝ち、ランク9を受け継いだ喜び。
初めてのオーディションライブでの勝利。
大人気アイドルグループQ-key.333の採用オーディションに受かったあのときの興奮。
絶対に採用されるように、故郷の知人たちが私の為に作ってくれたデッキ。
垂れ幕まで作って見送ってくれた幼なじみたちの声援。
反対もせず、夢に向かう私を笑顔で羽ばたかせてくれた家族の優しさ。
その一つ一つが元に戻せないほど細かく砕け、どんよりと淀んだ黒い悲壮の渦に流されて消えてゆく。
終わった。
私の夢が……。
明日が……。
もう何も見えない。
何も聞こえない。
降り注ぐ雨音すら。
目は確かに開いているのに、私の視界全てが何かに覆われているように真っ黒になった。
ただ一つだけ願うのならば、このまま水のように溶けて無くなりたかった。
降り注ぐ大雨に紛れて、他でもない何者になりたくなった。
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