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愛し方も知らずに  作者: リコピン
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1-05 繰り返される記憶

「……治療二日目、患者の状態に変化なし。引き続き、ケレンの記憶への接触を試みます」


初めてケレンの記憶に触れた次の日。セリーヌは再び彼のベッドの隣に腰を下ろした。


筋張った彼の左手を取り、全ての意識を集中させる。然して時間もかからずに、セリーヌは再びケレンの記憶――ほとんどが闇に覆われた世界へと潜ることに成功した。


(昨日と同じ?)


暗闇の中、遠くにまた、一つだけ灯りが見える。セリーヌはその灯りへと向かって歩き出した。


(……違う)


灯りに近づくにつれ、セリーヌの歩調が速くなる。見えて来たのは前回とは違う場所。どこかの路地裏であることに変わりはないが、昨夜目にした娼館が見当たらない。どころか、そこに居るはずのケレンの姿もなかった。


(彼は何処に……)


光と闇の境目で足を止めたセリーヌは、光の中を探す。昨日よりも広がった世界、現実ではあり得ないほど真っすぐに続く路地裏、不意に、誰かの駆けてくる足音が聞こえた。


ハッハッという荒い息遣いとともに近づいてきたのは、(とお)に満たない少年。昨日目にした姿よりも成長したケレンが、必死の形相でセリーヌの前を駆け抜けていく。通り過ぎた彼が、背後を振り返った。途端、怒声が響く。


「待ちやがれっ!この盗人が!」


手に太い棒のようなものを掴んだ白い影が現れた。セリーヌが驚きに目を見開くその前で、影がケレンを捕まえる。小さな身体が、地面に押し倒された。


「二度とこんな悪さができないようにしてやる!」


影が、振り上げた棒を躊躇なくケレンへと振り下ろす。鈍い音、上がる子どもの甲高い悲鳴に、セリーヌは漏れそうになる悲鳴を呑み込んだ。目を閉じそうになって、グッとそれを堪える。セリーヌは観察者だ。彼の心が壊れてしまった今、残された記憶の中で、彼の心を取り戻すための手掛かりが欲しい。


吐き気のする光景。無慈悲な暴力に震えながら、セリーヌは涙を湛えた両目を必死に開く。次第に、ケレンの上げる悲鳴が呻き声へと変わっていった。小さな体が動きを止める。と同時に、彼の身体と、白い影が掠れるようにして消え去った。


(終わっ、た……?)


彼の過去にあった出来事。恐らく、ここで彼が気を失ったことで、この場面は終わりを迎えたのだろう。セリーヌは小さく息をつく。記憶の世界の出来事とは言え、小さな身体が痛めつけられるのは痛ましい。これ以上、悲惨な光景を目にせずに済んでほっとした。


セリーヌはもう一度、周囲を見回す。他に、彼の中に残る記憶はないか。探したが、しかし、他の灯りは見つからなかった。代わりに――


(……え?)


セリーヌの耳が足音を拾った。軽い足音。それがこちらへと駆けてくる。次いで、切羽詰まったような荒い呼吸音が聞こえてきた。


(まさか……)


恐る恐る、セリーヌは音のする方へと視線を向けた。光の中、近づいて来る彼の姿が見える。セリーヌの目の前を駆け抜けていくケレン、恐怖に満ちた顔で背後を振り返るのも先程と同じ、そして――


「待ちやがれっ!この盗人が!」


(……ああ!)


半ば予想していたとは言え、突如現れた人影がケレンを捕らえたことに、セリーヌは絶望する。再び、目の前で繰り返される暴力。セリーヌは耐えきれずに両目をきつく閉じた。ケレンの上げる悲鳴が聞こえる。そうして暫く、悲鳴がうめき声に変わった頃、再び静寂が訪れた。


恐々、セリーヌは目を開ける。そこにはもう、ケレンの姿も白い男の影も見当たらなかった。


やがて――そう間をおかずに、再び足音が聞こえてくる。セリーヌは確信した。


(ループ、している……)


同じ場面を――他に何もない世界で、ケレンは繰り返している。よほど、強く記憶に残っていたのだろう。怯え、逃げ、暴力に痛みつけられた苦しみを、彼は何度も何度も繰り返して――


(……っ!)


セリーヌの前を、ケレンが走り抜けていく。


「待ちやがれっ!この盗人が!」


聞こえた男の声に、セリーヌは反射的に光の中へ飛び込んだ。


地面に倒れ伏すケレンへと駆け寄り、その身を庇うようにして覆い被さる。腕の中の小さな身体がビクリと震えた。振り向いたケレンの恐怖に満ちた瞳。それに「大丈夫だ」と目線で答えたセリーヌの背中に、鈍い痛みが走る。恐らく、殴られたのだろう。だが、その痛みの正体を確かめる間もなく、セリーヌは真っ白な世界へと放り込まれた。


「……っ!」


気付くと、セリーヌは自分の部屋、ベッドの隣に置いた椅子に座っていた。


(……弾かれたのか)


自分の状況を理解して、セリーヌはフゥと息をつく。


過去、ケレンが暴行を受けた際、彼を庇う人間はいなかった。だから、彼の記憶は、セリーヌの存在を「あり得ないもの」として締め出した。


(きつい、なぁ……)


セリーヌは握ったままのケレンの左手を見つめる。よほど強く握ってしまったのか、それとも彼の記憶に潜った影響か。セリーヌの手は汗でぐっしょりと濡れていた。立ち上がり、濡らしたタオルで自身の両手と彼の手を拭きあげる。両手が綺麗になったところで、セリーヌは記録球を持ち上げた。握り締めたそれに向かって、今日の報告を口にする。


「治療二日目。新たな記憶に接触。患者の年齢は、七、八歳と推定される……」


目にした光景を吹き込みながら、セリーヌは今後について思案する。


(どうすればいい……?)


繰り返される場面はケレンの中に深く根付いている記憶。幼い彼を助ける者が現れない痛ましい記憶から、ケレンは抜け出せないでいる。


停滞した記憶の世界。セリーヌは、彼をそこから救い出したいと願った。






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