1-02 研究報告会
セリーヌがロッシュと獣人の少女を逃した日から一週間、彼らの失踪が表立って騒がられることはなかった。元より、獣人の少女は廃棄予定。その少女がセリーヌの研究室に居たことは噂の域を出ず、生死不明の彼女の行方を気にする者はいなかった。
ロッシュに関しても多少の動きはあったものの、彼は一兵卒に過ぎず、それが直ちに大きな問題となることはなかった。恐らく、脱走兵として処理され、何らかの手配はされているだろうが、セリーヌはその詳細を知る立場にない。セリーヌにできるのは、ただ、彼らの無事を祈ることだけだった
その日――研究室に所属する研究員全員を集めての報告会において、ロッシュや栗鼠獣人に関する報告はなされなかった。研究に直接関わり合いがないため省かれた可能性はあるが、セリーヌは一先ず安堵する。
報告会は通常通り、各研究員が自らの研究内容を淡々と報告するものとなった。特に成果などない――あったとしても、吐き気を催すような悍ましい内容に、セリーヌは感情を殺して、その場に座り続ける。
報告会が終わりに近づいた頃、研究所の所長――マヌエル・ゾマーがセリーヌへ視線を向けた。
「……それで、セリーヌ君?君の研究課題は、今どうなっている?君がここに赴任してからまだ一度も、我々は君からの有益な報告を受けていない気がするんだがね?」
いつもの嫌味。無能と誹る彼の言葉に、セリーヌは一呼吸分沈黙してから、口を開いた。
「特に報告すべきことはありません。先日までは、廃棄予定の獣人に関する蘇生研究を行っていましたが、想定が上手くいかず……」
栗鼠獣人の少女を思いながらそう言葉にする。言外に「失敗した」と告げたセリーヌに、ゾマーは軽く鼻を鳴らして視線を外した。
末端ながら、帝国貴族に名を連ねる彼にとって、平民の――しかも、孤児であるセリーヌは彼と同じヒトだとは認識されていない。獣人に対するほどの敵意はないが、研究所の備品程度にしか認識されておらず、彼と並び立つ研究者とは認められていなかった。
(だからこそ、助かっている面もあるけれど……)
端からセリーヌに成果を期待しないゾマーのおかげで、セリーヌは望まぬ研究を強いられることだけはなかった。
セリーヌに一言言って満足したらしいゾマーが立ち上がる。会議場の中央に立った彼は、その顔に自身を漲らせて部屋中を見回した。報告会の最後、満を持して、彼が自らの研究成果を報告し始める。
暗い室内、壁に投影されるのは記録球の映像。次々に映し出されるそれに、セリーヌは膝の上で両の拳を握り締めた。
(何て、惨い……!)
映像に映し出されたのは、しなやかな体躯の山猫獣人の青年、彼に行われた壮絶な実験の数々だった。
得意げなゾマーの報告によると、青年は研究所に単身潜入したところを発見され、捉えられたとのこと。捕縛の際に衛兵二十人を殺害し、その倍の数の衛兵を戦闘不能にしている。
そんな彼に対し、ゾマーが行った実験という名の拷問は苛烈極まりなかった。当初、青年の侵入目的や経路、その他、バイラート王国に関する情報を、ゾマーはありとあらゆる手で青年から聞き出そうとしていた。
映像からは、薬に暴力、手段を問わず昼夜行われる拷問に、次第に山猫の獣人の「個」が失われていくのが伝わってくる。
青年の顔から、皮肉げに浮かべていた笑みが消える。散々に痛みつけられて動けぬ身体で、それでも、ゾマーに対する嘲りを吐き出していた口が動きを止めた。
やがて完全に沈黙した青年。そこで漸く、ゾマーは彼から情報を聞き出すことを諦めた。彼は、決して口を割らぬままに生き永らえたのだ。
(すごい……)
青年の生命力、意志の強さに、セリーヌは場違いな感想を抱く。痛ましいその姿から、目が離せなくなっていた。
ゾマーの報告が続く。青年から情報を聞き出すことを諦めた彼は、次に、青年を帝国の戦力とすることを研究課題とした。最早、抵抗すらできぬ青年の精神を犯し、軍の傀儡にするための実験に及んだのだ。
あり得ない暴挙。そんな実験が成功するはずがない。セリーヌにとっての自明の理は、けれどこの国の狂った研究者たちには通じない。壊れてしまえばそれまで。そう言わんばかりの粗雑な実験の数々に、やがて、青年は完全に自我を失ってしまった。言葉を発さず、起き上がりもしない。開いた目は何かを追うこともなく、ただ虚空を見つめている。
「……以上が、被験体アインスに関する研究報告だ」
結局、自らの名さえ明かすことのなかった獣人の青年は「アインス」という識別名を与えられ、ゾマーは彼への実験継続を断念した。
だが、断念したのはアインスに対する実験だけ。研究そのものの失敗を認めないゾマーは、報告の最後を「今後も本研究を続けていく」と締めくくった。今回得たノウハウを元に、次回は実験を成功させると嘯き、新たな被験体を入手次第、次なるフェーズに移るという。
傲慢な男の妄言に、セリーヌは怒りを覚える。けれど、セリーヌには彼の愚かな行為を止める力も勇気もなかった。周囲がゾマーの研究報告を褒め称え、共同研究に名乗りを上げる様子を黙って見つめる。
やがて、周囲の称賛に満足したゾマーが報告会の解散を告げる。研究員らが、三々五々、会議室を後にする中、セリーヌはゾマーの後を追った。
「所長……!」
セリーヌの声に、取り巻き達と部屋を出ようとしていたゾマーが足を止める。
「……なんだね、セリーヌ君?」
不機嫌を露わに振り向いた冷徹な目に、セリーヌは言葉を探す。彼らの非道を止める力が自分にはない。正論――自身にとっての常識を説いても、彼らには伝わらない。ならば――
「被験体アインスを私にお譲り下さい」
「なに……?」
訝しげに片眉を上げたゾマーに向かい、セリーヌは言葉を続ける。
「所長が先の実験で使用された被験体は、既に被験体としての価値を失っています。更なる実験に耐えられるものではありません」
「……」
「廃棄されるのでしたら、その前に、私にお譲り下さい」
頭を下げるセリーヌに、ゾマーが鼻で笑った。
「なんだ、セリーヌ君はアレが気に入ったのか?まぁ、確かに、見目だけは良いからな。……だが、あんな死にかけでは、玩具にするにも物足りんだろう」
ゾマーの下衆な発言に、彼の取り巻き達が追従の声を上げる。彼らの嘲笑を聞き流し、セリーヌは表情を消して言葉を続ける。
「お言葉ですが、生きた獣人の被験体はそれだけで貴重なもの。安易に廃棄されてしまっては困ります」
セリーヌの淡々とした物言いに、ゾマーが鼻白んだ。
セリーヌの主張は正しい。獣人を捕虜として捕まえることは難しく、国にとっても、研究所にとっても、生きた獣人は貴重な実験材料なのだ。それを理解しているからこそ、ゾマーは不機嫌ながらもセリーヌの言葉に耳を傾ける。
「所長。私であれば、被験体アインスを再生できる可能性があります」
「再生?……なるほど、君の能力を使えば、再利用が可能になるということか?」
「はい」
迷う様子を見せるゾマーに、セリーヌは畳みかける。
「可能性はあります。是非、やらせてください」
魔術の発達したこの世界には、それとは別に、「スキル」と呼ばれる固有の能力がある。発現するのは非情に稀だが、魔力や血筋に関係なく発現し、その効果も様々。物を浮かしたり、筋力を強化したりといったものから、軍一個大隊の戦力を上げるというものまである。
そんな多種多様なスキルの中で、セリーヌに与えられたのは「人の記憶」に関する能力だった。
かつてのセリーヌは、育てられた場所――国の施設でその力を使い、心に傷を負った人の治療にあたっていた。結果、国に目をつけられ、来たくもない研究所に入れられた時は、自らの力を呪いもしたが、今は、その力を得難く思っている。
彼を救いたい――
セリーヌは、三度頭を下げ、「被験体を譲ってほしい」と願った。ゾマーが鼻を鳴らす。
「ふん。……まぁ、いいだろう。どのみち、明日には廃棄予定のゴミだ。手間が省ける。好きに持っていきたまえ」
「……ありがとうございます」
顔を上げ礼を述べたセリーヌを、ゾマーの温度のない目が見下ろす。
「だが、自ら願い出た以上はそれなりの成果を出すように。……君なんぞに期待するのは、馬鹿げているとは思うがね」
吐き捨てたゾマーを見返し、セリーヌは口を開いた。
「所長におかれましても、あまり、被験体を粗末にされることがないよう願います」
「なんだとっ!?」
「あそこまで完全に自我を破壊されてしまっては、戦闘どころか、日常生活もままなりません。手間が増える一方です」
精一杯の嫌味と牽制を込めたセリーヌの言葉に、ゾマーの顔が紅潮する。
「黙れ!平民風情が私に意見するつもりか!?」
怒りのこもった眼差しに、セリーヌの背中にピリとした痛みが走った。セリーヌは「申し訳ありません」と頭を下げる。頭上で、忌々し気な舌打ちが聞こえた。
「二度と私に意見しようなどと思うな!不愉快だ!」
言い捨てたゾマーが身を翻して去っていく。彼の取り巻き達がその後を追った。
セリーヌはソロリと顔を上げる。未だ背中が痛むが、それも些細なこと。セリーヌの口の端が、僅かに弛んだ。