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愛し方も知らずに  作者: リコピン
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2-16 そして、全てを手に入れる Side K

これは、何だ?俺は今、何を見ている――?


壁一面に映し出された光の中で、人形のような男が一人、大切に、大切に、されていた。


赤ん坊のように食事の世話をやかれ、ぼんやりと宙を見上げるだけの身体がひっくり返され、怪我の治療を受ける。寝て、起きて、何の生産性もない男を飽きることなく見守る女。その瞳に映る感情の名を、ケレンは知らなかった。


知らなかったが、何故か胸が苦しくて、思わず笑ってしまう。


「……うわぁ。確かにこれ、かなり恰好悪いね、俺」


込み上げる何かを誤魔化すための言葉に、セリーヌがハッとしたように記録球から手を離そうとする。それを、彼女の手ごとギュッと握り締めた。


壁の映像がコマ送りで進む。暗転した映像に、セリーヌの声だけが流れた。


『……治療一日目、患者の意識は混濁している模様。こちらの問いかけに応答がないため、意思確認とれず。……記憶への接触を試みます』


次いで、セリーヌがベッドの脇に座る様子が映し出される。彼女の両手が、ケレンの手を握り締めた。彼女の祈るような姿に、ケレンの目が惹きつけられる。


そうしてまたコマ送り。呆れるほど代わり映えのないシーンが、何度も何度も映し出される。それが彼女の治療の光景だと説明を受けても、ケレンは「よくもまぁ飽きもせず」としか思えない。その奥に、言いようのない焦れったさ、燻る気恥ずかしさはあったが。


ケレンの知らないセリーヌとの時間。目を離せなかったケレンは、不意に動きを見せた自分自身の姿に瞠目する。寝ていたはずが、セリーヌの手を弾いてその身体を押し倒した。次の瞬間、彼女の首筋に噛みついた自分に、ケレンは息を呑む。


『止めて。止めて、ケレン……!』


「っ!」


セリーヌの悲鳴に血の気が引く。彼女の首筋から流れ出す夥しい量の血に、眩暈を覚えた。脅しではない。本気で殺しに掛かっている。それをやったのが自分自身だということが信じられず、呼吸が浅くなる。


映像の中でもがくセリーヌ。突然、彼女を襲う自分の動きが止まった。崩れ落ちる身体。その下から這い出した彼女の荒い息遣いが聞こえる。立ち上がるセリーヌ。逃げ出そうとする彼女の姿に、思わず、傍らにいる彼女に回した腕に力がこもる。が――


『治療三十二日目、ケレンの反応に変化あり。新たな記憶に接触後、覚醒。自発的行動を確認できました。……ああ、神様っ!』


真っ赤に染まった映像。セリーヌの声が聞こえる。そこに疑いようのない喜色を感じ取って、ケレンは勢いよく隣を見下ろした。


「何でっ……!?」


「ケレン……?」


「っ!」


何故、逃げない。殺そうとした男の回復を、その行動を、何故、喜べる。


問い質したいのに、言葉に出来ない。ケレンを見上げるセリーヌの瞳が、不安そうに揺れた。


「大丈夫ですか、ケレン?もしかして、何か思い出したり……?」


「違う……!」


ケレンはブンブンと首を横に振り、震える指で彼女の首に掛かる髪を払う。現れた首筋に――ケレンの噛みついたそこに、何の痕も残っていないことを確認して、深く息を吐き出した。腕の中に彼女を閉じ込め、その細い肩に額を押し付ける。


「……大丈夫かって、それは俺の台詞でしょう。……痛かった、よね?」


「……いいえ」


「……嘘つき」


痛くないわけがない。怖くなかったわけがない。なのに、平気な顔で嘘をつくセリーヌに、ケレンは泣きそうになった。


目の奥の熱をやり過ごそうと、彼女を抱き締めたまま、その肩越しに映像に視線を戻す。


映像の中では、フラフラと起き出した男が、セリーヌの寝床に潜り込んでいた。


「……あーあ、何あれ?」


格好悪いなんてものじゃない。意識があろうとなかろうと、求めるものは変わらない。子どもの後追いのような行動に、ケレンは自分を嗤う。セリーヌが「もしかすると」と囁く。


「この時期に、あなたの記憶の中で、私たちは会話をしました。それが、あなたに偽りの記憶を植え付けたのかもしれません……」


「へぇ?記憶の中で会話って出来るんだ?」


「いいえ。……出来ないはず、なんです。でも、記憶の中で、あなたは私のことを『魔女』と呼んで……」


小さな声で囁き合って、そのくすぐったさに、ケレンは喉の奥で笑う。


セリーヌの言う「魔女」という言葉に記憶を攫うが、該当するものは浮かんでこなかった。自分が何を以って彼女をそう呼んだのかは分からない。ただ、その言葉のもたらす印象は、決して悪いものではなかった。


「……いいね、それ。捕虜ちゃんより、魔女ちゃんの方がずっといい」


壁に映し出されていた映像が終わりを迎える。ブツリと途切れた後に残された白い壁を前に、部屋の中は一種異様な雰囲気に飲み込まれていた。アンジェリカでさえ、その口を開こうとしない。


(そりゃそうだよね……)


セリーヌが主張する「治療」という言葉から大きく逸脱する献身を見せられて、尚、彼女を疑うような馬鹿はいまい。


ケレンの生殺与奪の権を握った上で、惜しみなく与えられたアレは何だったのか。セリーヌに聞いてみたい気はするが、期待した答えではなかった時が怖い。


ケレンは、抱きしめていたセリーヌを解放し、その手を取った。


「……陛下。それじゃあ、セリーヌは無罪放免ということで。御前、失礼してもよろしいでしょうか?」


適当な辞去の言葉には、「許す」という言葉が返ってくる。浮かれ気分をそのまま表情に出して、ケレンは「ありがとうございます」と慇懃に頭を下げた。


漸く捕まえた大切な人の手を握り締め、意気揚々と扉へ向かう。そうして最後に、背後を振り返った。


「あ、そうだ。アンジェリカ様」


「……」


呼びかけに顔を上げた女の暗い双眸に、晴れがましい気持ちで笑いかける。


「証拠の記録球、俺がもらっておきますね?記念に残しておきたいんで」


「っ!」


ちょっとした嫌がらせ。ケレンなりの意趣返しに、アンジェリカはイイ顔で応えてくれた。ドロドロとした憎悪を煮詰めたような瞳に、ケレンは嗤う。


そして今度こそ、セリーヌの手を引いて、法廷を後にした。


部屋を出た途端、ホッと息をついた彼女の姿に我慢が効かず、ケレンはもう一度、その柔い身体を抱きしめる。鼻腔を満たす甘い香り。一部の隙間なくくっつき合った身体に、ケレンは深い充足を覚えた。


ケレンにとって必要なものは全て、今、腕の中にある。






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