2-15 積み重ねてきたもの
レーナの名乗りに、場がまたざわつき出し、好奇の視線、顰められた声が彼女に向けられる。それらの中、堂々と立つ彼女に対して、最初に口を開いたのはアンジェリカだった。
「……初めまして、レーナ様。お噂に名高い紅牙の二つ名持ちの方とお会いできて光栄です」
頭を下げたアンジェリカは、躊躇いがちな視線をレーナに向ける。
「ですが、あの、先程のお言葉が聞き間違いでなければ、そちらのセリーヌさんが、レーナ様の命の恩人、だそうですが……?」
「その通りだ」
迷いなく言い切ったレーナは、他の陪審員たちに視線を向ける。彼らの注目が未だ自身にあることを確認した彼女は、「数か月前……」と語り始めた。
「私は、グラストへの潜入捜査で敵に捕まり、第五研究所へ送られた」
「そんなっ……!?」
驚きの声を上げたアンジェリカが顔色を変えた。蒼白な顔をした彼女の視線が、レーナの頭部へ向けられる。
「あの、では、もしや、……レーナ様の耳は……?」
「ああ。人間どもの『実験』とやらで失った。……どうやら、獣人の耳と尾を切除して獣性を奪い、人間の支配下におくという試みだったようだが……」
そこまで言って、レーナは「ハッ」と声を上げて嗤う。
「そんなもので、獣人の心は折れぬ」
胸を張る彼女に、同情と賛美の視線が集まった。アンジェリカだけは、痛ましげな視線をレーナに向ける。
「酷い。どうしてこんな酷いことができるのでしょう……。レーナ様、どうかお許しください。同族の非道な行いを、代わって、お詫び申し上げます」
頭を下げるアンジェリカに、レーナが「止せ」と声を掛ける。
「貴女には何の責もない。同じ人間だからと、貴女が詫びる必要はない」
「ですが……」
「それに、私から耳と尾を奪ったのが人間なら、同じく、私の命を救ったのも人間、……そこに居るセリーヌだ」
レーナの視線が向けられる。真っすぐに見つめる瞳は柔らかで、セリーヌは居たたまれなくなり、視線を僅かに落とす。
アンジェリカの「信じられません」という声が聞こえた。
「あの、レーナ様、本当に、彼女が……?その、命を救ったというのは具体的にどうゆうことでしょうか?」
彼女の疑問に、レーナが「そうだな」と答える。
「私は、研究所の連中に散々痛めつけられて瀕死の状態だったところを、セリーヌに拾われた。その後、脱出の時まで、彼女の研究室で匿ってもらった。……今、私がここに在るのは、彼女のおかげだ」
「……そんな、本当に、セリーヌさんがそんなことを?」
「信じられない」と繰り返すアンジェリカに、レーナが皮肉げな笑みを浮かべる。
「信じられぬも何も、事実だ。それに、救われたのは私だけではない。軍に『山猫獣人生存』の報を持ち帰ったのは、この私だぞ?」
「それは、どういう……?」
「分からんのか?セリーヌが匿っていたのは私だけではない。そこの男、ケレンも同時に保護されていた。彼女は『ケレンの生存を報せろ』と、私の逃亡を手助けしたんだ」
レーナの言葉に、陪審員の視線が一斉にセリーヌを向く。そこに浮かぶ驚きや不信などの様々な感情を前に、セリーヌは身が竦んだ。
セリーヌの腰に回されたままだったケレンの腕に力がこもる。
「……大丈夫だよ」
囁かれた声に、セリーヌの強張りが解けた。
アンジェリカの、驚きと苛立ちの混じった声が響く。
「そんな、そんなことあり得ません……!だって、おかしいじゃないですか。彼女は今まで一度も、レーナ様の名前を出さなかったんですよ!?」
「ふむ。それは確かにそうだな。……私も疑問に思っていた」
アンジェリカの言葉に頷いて、レーナがセリーヌを見遣る。
「何故だ?確かに、貴女は私の名を知らなかった。だが、救った獣人の存在を告げるくらいは出来ただろう?」
それが酌量の余地になったと告げる彼女に、セリーヌは躊躇いながら口を開く。
「……貴女の存在を明かしていいのかが分かりませんでした」
「なに?」
「……許可もなしに、貴女が研究所に居たことを告げていいか分からなかったんです」
彼女の受けた仕打ちを思えば当然のこと。そう考えてセリーヌは沈黙を選んだが――
「私を、……私の名誉を守ろうとした、そういうことか?」
「……はい」
今、目の前のレーナが驚いたような、どこか呆れたような顔で宙を見上げたのを見て、途端、自分が滑稽に思えてきた。彼女の深いため息が聞こえる。
「ハァ、だとすると、下手を打ったのはやはり、私ということになるな」
言って、彼女はグッと表情を引き締めた。
「……言い訳をさせてもらうなら、私はグラストから脱出した時点でかなり消耗していた。情けない話だが、ケレン救出に向かう余力はなく、彼のことは軍に任せて暫く静養していたんだ」
内情を明かす彼女に、セリーヌは「そういうことだったのか」と頷いた。ただ頷くだけだったセリーヌに、レーナは表情を歪める。
「貴女のことも、一応、夫、ヴァルに頼んでおいたんだが……」
「?」
小さく首を傾げたセリーヌに、レーナは背後を振り返る。そこに立つヴァルターに視線を向けた。
「静養していたはずが、気付けば夫に軟禁されていてな?仕方ないから、貴女のことを『私の命の恩人だ』と伝えて、どうにか、減刑を図るように頼んでおいたはずなんだが……」
「……」
険の含まれた彼女の声に、ヴァルターが視線を逸らす。不機嫌を示す横顔に、レーナのため息が聞こえた。それにビクリと反応したヴァルターが、憎々しげな瞳をセリーヌに向ける。
「……私は人間が嫌いだ。愛する妻の耳と尾を奪った人間どもを、一生、許すつもりはない」
「ヴァルター……」
レーナの咎める声に、ヴァルターは「だが」と続ける。
「妻は貴様に救われたと言う。貴様の言葉があればこそ、私の元に帰って来たと。……ならば、致し方ない」
ヴァルターは、強い視線で「選べ」と告げた。
「貴様が生きたいと願うなら、私の全力を以って、その命を救ってやる」
彼の言葉にセリーヌはハッとする。それから、隣に立つケレンを見上げた。いつもと変わらない、何を考えているのか分からない飄々とした笑みがそこに在る。
(……私、生きていていいの?)
縋るように、彼の服の裾を握り締める。
諦めていた。自業自得だから、罪を償わないといけないからと。けれど、決して、死を望んでいた訳ではない。許されるなら――
「……ねぇ、ちゃんと生きてよ」
「っ!」
「セリーヌに死なれたら、俺が困るんだけど?」
何でもないことのように、軽い調子のケレンの言葉に、セリーヌは唇を噛んだ。声が震えそうになるのを堪えて、口を開く。
「……生きたいです。生きて、償いたい……」
「良かろう……」
深く頷いたヴァルターが動き出す。セリーヌと並ぶレーナを背後に守るように立ち、国王や他の陪審員に相対した。
「陛下、お聞き及びの通りです。紅牙の長、紅月の名において、セリーヌに一族の庇護を与え、彼女の無実を主張いたします」
「ま、待ってください!」
彼の宣言を遮って叫んだのはアンジェリカだった。彼女は、泰然と構える国王と鋭い視線のヴァルターを見比べ、「そんなことは許されない」と言い募った。
「彼女の有罪は既に確定しています!今更そんな……!」
「判決はまだ出ていない。陛下の裁可待ちだ」
ヴァルターが、「陛下」と呼びかける。
「我が妻の証言をお聞き届け頂けるのであれば、セリーヌの善性を考慮頂きたい。あれに、獣人を洗脳して支配下に置くという発想はないようですから。……あるのであれば、我が最愛は今、この場にはおりません」
彼の言葉に、国王は「ふむ」と頷き考え込んだ後、セリーヌに視線を受けた。
「……お前は、ヴァルターの庇護を受けるとはどういうことか、理解しているか?」
「……」
「これから先、お前の犯す罪の責任をヴァルター自身が負う、ということになる」
真摯に耳を傾けるセリーヌに、国王は「それを踏まえた上で」と口にした。
「お前は、そのスキルをどう扱う?」
(スキルの扱い方……)
これまで散々、力の使い方を迷ってきた。やりたいことと出来ることの乖離。望まぬ形で力の使用を強要されることもあった。だが、根幹にある思いは変わらない。
「……許されるのであれば、私はこの力を患者の治療に、……自分一人では乗り越えられない傷を癒す手伝いをしたいと考えています」
「治療、か……」
「はい」
セリーヌが一貫して主張してきたこと。人の記憶に触れる理由はそれであると告げたセリーヌに、国王が頷き返した。
「良い、分かった。お前の言葉を信じよう」
「陛下っ!?」
アンジェリカの非難の声を黙殺して、国王が判決を下す。
「セリーヌ、お前の研究所における罪は不問とする。今後、バイラートへの献身を以って応えろ。……そうだな、暫くは監視をつけるか。期間は……」
国王が迷い、一瞬、言葉が途切れた隙に、アンジェリカが再び「陛下!」と声を上げた。それに煩わしそうな視線を向けた国王に向かって、アンジェリカが手にした何かを突き付ける。
「陛下!判決の前に、こちらをご覧ください!ご覧になった上で、どうぞ、ご再考を!」
「……何だ、それは?」
国王の訝しげな視線に、アンジェリカは握り締めていた手を開いた。そこに現れた水晶球――恐らく記録球を掲げた彼女が、こちらを向く。
「こちらの記録球は、第三隊がセリーヌさんの研究室で押収したものです!」
(え……?)
予期せぬ言葉に驚くセリーヌの耳に、隣でケレンが舌打ちするのが聞こえた。
「クソッ。あれか……」
小さく吐き捨てられた言葉の意味を尋ねるより早く、アンジェリカがその答えを口にする。
「セリーヌさんが証拠の隠滅を図ったため、この記録球は破壊されていました。第三隊はそれを押収し、補修作業を行っていたのです。ですが……」
彼女の鋭い視線が、こちらを――隣のケレンを向く。
「技術的な問題かやる気の問題かは分かりませんが、遅々として作業が進んでおりませんでしたので、急遽、第一隊で補修を担当いたしました」
彼女の言葉に、ケレンが「勝手に持ち出したくせに」と小さく吐き捨てた。国王の視線が、アンジェリカの掌に乗せられた記録球に向けられる。
「直ったのか?」
「はい!担当者の尽力のおかげで、起動はするようになりました。ただ……」
言って、アンジェリカが記録球に魔力を込めた。一瞬光った球は、しかし、直ぐに光を失う。
「御覧のように、制御が掛かっており、未だ、中味を確かめられておりません。担当したものによると、作成者、……セリーヌさんの魔力であれば再生が可能であるということでした」
その場の全員の視線がセリーヌを向く。アンジェリカが口を開いた。
「セリーヌさん。あなたが何故、この記録球を破棄しようとしたのかは問いません。ですが、真実、あなたの行為が善意に基づく治療行為であったのなら、この場でこれを再生することに何の問題もありませんよね?」
「それは……」
セリーヌは答えあぐねる。
記録球に残されているのは、何の編集もされていない生のデータだ。セリーヌが吹き込んだ治療記録以外にも、自我を失っている間のケレンの姿を記録してある。至極無防備で繊細な彼の姿を衆目に晒すのは抵抗があった。
「……どこか個室で、陪審員の方々の前でだけ再生する訳にはいきませんか?それと、ケレンの許可を……」
「俺の?」
覗き込んでくるケレンに、セリーヌは頷いた。
「あなたの治療記録なんです。だから……」
「なんだ、そんなもんだったの?……破棄するくらいだから、どんなヤバいものかと思ってた」
言って、ケレンは軽く肩を竦める。
「だったら、まぁ、別にいいんじゃない?ここで再生しても」
何の抵抗もなく許可を出した彼の軽さに、セリーヌの躊躇いは消えない。とても私的な映像なのだと告げてみるも、彼の意思は変わらなかった。
「別に。全然、気になんないからいいよ?」
そう告げて、ケレンはアンジェリカの元へ向かう。記録球を受け取るケレンに、彼女は眉根を寄せた。
「あの、ケレン。私がこんなことを言うのも何ですが、本当に大丈夫ですか?……これには、あなたが記憶を失うような実験が記録されているんですよ?」
彼女の言葉に、ケレンは鼻で嗤うだけで何も答えない。不敵な笑みで戻ってきた彼に記録球を手渡され、セリーヌは覚悟を決めた。
馴染んだ水晶球に魔力を流し込む。




