2-14 反転
「それでは、開廷する」
国王の宣言と共に、セリーヌの最終審理が始まった。本日の警備を務めるのは第三隊ではないらしく、壁際に詰める兵の中に、セリーヌの知る顔はなかった。ただ一人、ダミアンだけが――恐らく、発言の真偽判定のために――、セリーヌの後ろに直立する。
「……では、前回の続きから。改めて、私の発言をお許し頂けるでしょうか?」
そう言って立ち上がったのは、やはり、将軍代理として出廷しているアンジェリカだった。今日の彼女は、その手に何も持っていない。視線は、セリーヌではなく、国王に向いていた。
「……良かろう」
国王の許可に、「ありがとうございます」と頭を下げた彼女は、顔を上げるとセリーヌに強い視線を向ける。
「それではまず、セリーヌさんの洗脳スキルについて、新たな証人をこの場に呼びたいと思います」
(証人……?)
それが誰か、セリーヌが予想を立てる前に、アンジェリカの視線は後方、会議室の扉へ向けられる。彼女が一つ頷いたのと同時、扉が開く音に、セリーヌは背後を振り返った。
「っ!?」
光を背負って現れたその人の顔を認めた瞬間、セリーヌの心臓が恐怖に凍る。
必死に押し殺した声。恐慌を来したセリーヌに、同じく青褪めた顔で入廷してきた男が、一瞬だけ視線を向ける。交差した視線を先に逸らしたのはどちらか。セリーヌは、男と既知であることを認めまいと、顔を伏せてじっと息を殺した。
警備に先導されてきた男が、セリーヌの隣に立つ。
「……本日は、私の召喚に応じて頂きありがとうございます。先ずは、所属とお名前を窺ってもいいですか?」
アンジェリカの求めに、隣の男が深く息を吸った。
「第二隊ガード班所属のロッシュです」
固い声できびきび答えたロッシュに、アンジェリカが満足そうに頷く。
「ロッシュさん。あなたには、今日ここで、お隣のセリーヌさんについていくつか証言してもらいます。前提として、あなたとセリーヌさんの関係を教えてください」
「……」
アンジェリカの問いに、ロッシュは答えない。アンジェリカは困ったように、「答えられませんか?」と小さく首を傾げる。
「うーん、分かりました。では、別の質問を……。ロッシュさん、あなたは人間ですよね?」
「……はい」
「人間であるあなたが何故、バイラート軍に所属しているのか。その経緯をお聞きしてもいいですか?」
「分かりました」
今度の問いには、ロッシュは躊躇うことなく答える。恐らく、軍に採用される段階で身辺調査はされているはず。ここで下手に嘘をつかない方が良いと、彼は判断したのだろう。
「私は、元グラスト兵です」
ロッシュの言葉に、陪審員が騒めいた。アンジェリカが口を開く。
「グラスト兵だったあなたがこの国に居るのは何故ですか?」
「……私は、グラストで一人の女性と出会いました。彼女は獣人です。彼女と生きるため、私は帝国軍を脱走し、バイラートに逃げて参りました」
彼の言葉に、アンジェリカが「なるほど」と頷く。
「素敵な出会いだったんですね。……私も、同じような立場ですから、あなたの気持ちは良くわかります」
そう言ってニコリと笑ったアンジェリカに、隣からホッとしたような空気を感じる。緊張を解いたロッシュに、彼女は再び先程の問いを投げかけた。
「では、ロッシュさん。あなたは、グラスト軍に居た頃にセリーヌさんとお知り合いだったということでよろしいですか?」
「っ!」
言葉に詰まったロッシュを気にすることなく、アンジェリカは先を続ける。
「ロッシュさんの所属は、グラストの第五研究所だったということで間違いありませんね?」
「わ、私は……」
「ああ、いえ、心配しないでください。第五研究所所属だったとは言え、一兵卒に過ぎないロッシュさんが罪に問われることはありません。……ですから、どうか、正直に話してください」
アンジェリカの問いかけに、ロッシュは必死に首を横に振る。それが何を否定するものなのか。明言はしない彼に、アンジェリカは「困った」と言わんばかりにため息をついた。
「ロッシュさん。残念ながら、あなたとセリーヌさんが顔見知りだということは既に分かっているんです。証拠もありますよ?……だって、あなた、地下牢のセリーヌさんに会いに行きましたよね?」
「っ!」
彼女の指摘に、ロッシュが驚きに息を呑むのが聞こえた。セリーヌの顔が引きつる。
(あの時……!)
バレていたのだ。だが、よく考えれば当然のこと。牢には見張りが立っており、ロッシュの立ち入りが許されたとはいえ、何らかの報告はあっただろう。アンジェリカがそれを押さえているとは思わなかったが、これで二人の関係は否定出来なくなった。
(失敗した……)
ロッシュが牢を訪れた時点で最早手遅れではあったが、「それでも」と後悔してもしきれない。彼が行動する前――中庭で彼を見かけた際に、もっと強く拒否しておくべきだったのだ。歯がゆさに唇を噛んだセリーヌは視線を床に落とす。
「……ロッシュさん。どうか、正直にお話していただけませんか?」
諭すようなアンジェリカの声が聞こえる。
「あなたが同じ人間であるセリーヌさんを庇いたい気持ちは分かります。それは、同族として当然の思いですから。……ですが、あなたの大切な女性は獣人ですよね?」
「……」
「セリーヌさんは我々獣人の脅威なんです。彼女にとって、獣人は動物と同じ、実験対象でしかない。その毒牙を、いつ、誰に向けるか分かりません。次に狙われるのは、あなたの大切な女性かもしれないんですよ?」
隣で、ロッシュが必死に首を横に振っている。「あり得ません」と言葉を振り絞る彼に、「それでは」とアンジェリカが告げる。
「ロッシュさんの大切な女性にも、この場に来て頂きましょうか?」
「っ!?」
(そんな……っ!?)
息を呑んだロッシュ。セリーヌは動揺を悟られぬよう、必死で目を閉じる。
彼女と会うことだけは絶対に避けなければならない。彼女にとって、セリーヌの存在は一番の不確定要素。もし、再会が記憶の呼び水となったらと思うと恐ろしくてたまらない。込み上げる吐き気と戦うセリーヌの横で、ロッシュが「無理です!」と叫ぶ。
「リリーは、彼女は、何も知りません!セリーヌ様のことも、何も!彼女に証言など出来ません!」
「あら?でも、あなたがリリーさん?と出逢ったのは、グラスト国内なのですよね?……出逢ったのは、第五研究所ではないんですか?」
「っ!ちがっ……」
「違う」と言いかけて、ロッシュは言葉を飲み込む。それから、必死に首を横に振った。
「……リリーは、覚えていないんです。グラストに居たことも、僕と出逢った時のことも。だから……」
「え?リリーさんも記憶が無いんですか?それはまた、凄い偶然ですね?」
アンジェリカが、芝居がかった声で大袈裟に驚いて見せる。
「……実は、第一隊のケレンもグラスト、正確に言うと、第五研究所での記憶が無いんです。これってただの偶然、にしては、出来過ぎていると思いませんか?」
ロッシュに問う口ぶりで、アンジェリカの視線はセリーヌを向いていた。沈黙で耐えるセリーヌに、彼女の視線はロッシュに戻される。
「……やはり、リリーさんをこの場にお呼びしましょう」
「っ!?ま、待ってください、アンジェリカ様!それだけは……!}
「ですが、そうしなければ、あの地で何が行われていたのか、その正しい答えを知ることは出来ないでしょう?」
困ったようにそう言うアンジェリカに、ロッシュがグッと言葉に詰まる。彼の視線がセリーヌを向く。横顔に感じる視線の強さに彼の葛藤が感じられ、セリーヌは大きく息をついた。
「……裁判長」
セリーヌの呼びかけに、国王が片方の眉を上げて応える。
「全ての罪を受け入れます。……ですから、彼を解放してください」
「っ!?セリーヌ様!」
ロッシュの悲鳴のような声。視線を逸らさぬセリーヌに、国王がゆっくりと口を開く。
「全ての罪か。……極刑を受け入れると?」
「はい」
「……何故、抗弁を放棄する?お前は自身の罪を認めていなかったであろう?」
セリーヌの翻意に、国王が理由を問う。セリーヌはそれには答えず、ただ首を横に振った。国王が訝しげに眉根を寄せる。
「解せぬな。……それほどまで、その男が大事だということか?」
「……」
「散々、同胞を売ってきたお前が、その男だけは守りたいと?」
セリーヌは頷いた。本当に守りたいのは彼ではないが、それを明かす必要はない。
セリーヌの返答に、国王は未だ納得のいかないようだった。が、アンジェリカに向かって「評決を採るように」と告げる。それに、「承知しました」と答えた彼女は、先日の陪審で否を唱えたヴァルターに視線を向ける。
「……ヴァルター様も、評決に移ってよろしいですか?」
黙って頷いたヴァルターに満足したように、アンジェリカは笑みを浮かべて他の陪審員を見回した。
「……第五研究所、元研究員セリーヌに対し、有罪、極刑相当だと思われる方は挙手をお願いします」
先日と同じフレーズ。違うのは、それに応えた挙手が八人分であったこと。セリーヌの身体から力が抜ける。
隣で、ロッシュが「待ってください!」と声を上げた。
「しょ、証言します!全て正直に話します!ですから、どうか……!」
彼の必死な訴えは黙殺される。セリーヌは、初めて彼に視線を向けた。
「ロッシュ……」
「ごめんなさい、セリーヌ様!僕、全部、話します!話して分かってもらいますから!」
そう言って、陪審員席に近づこうとした彼の行く手を、衛兵たちが阻む。
「っ!どいて下さい!僕、言わなきゃならないことがあるんです!」
だが、それで道が開くはずもなく、衛兵たちの背後からアンジェリカの指示が飛んだ。
「彼を外に出してください」
「っ!待って!聞いてください!」
叫びも虚しく、体格で勝る獣人二人に捕らわれたロッシュは、引きずられるようにして連れていかれる。
セリーヌは彼の姿を見送った。ロッシュと視線が合う。
「セリーヌ様!」
セリーヌは笑って見せる。この別れが彼の心の傷として残らぬよう、震える心を押し殺して、「満足している」と伝わるように。
「っ!駄目です!こんなの間違ってる!だって、セリーヌ様は何も悪くない!」
彼の最後の叫びも、やはり、誰にも届かない。セリーヌは前を向いた。
「……では、判決を言い渡す」
国王の前に、セリーヌは頭を垂れる。
そうして、今まさに、判決が言い渡されようとした時、陪審員席の空気がザワリと動く。と、次の瞬間――
「バン!」という激しい衝突音が部屋に響いた。
「っ!?」
驚き、振り向いたセリーヌの視界に、「もしや」と期待したその人の姿が映る――
(ケレン……)
つい先日、まさにこの部屋で支柱を蹴りつけた時と同じ。部屋の扉を蹴破って現れた彼は、不敵な笑みで部屋の中央を見据える。
「すみません。ちょっと遅刻しちゃいました」
セリーヌの胸に浅ましい望みがジワジワと広がっていく――
「俺も、裁判の証人を連れてきたんで。もう少しだけ付き合ってください」
そう飄々と言ってのけた彼は、視線を部屋の外、扉で死角になっている場所へ向けた。と同時に、アンジェリカが「ケレン!」と彼の行動を制止しようとする。
「既に判決は出ました!これ以上、神聖な場をかき回すような真似は……!」
言いかけた言葉は途中で止まる。扉の向こうから現れた女性の姿に、陪審員席にどよめきが起こった。
「レーナッ!」
椅子が激しく倒れる音が響く。セリーヌの横を、大きな身体が駆け抜けていった。それが、ヴァルターだとセリーヌが認識した時には、彼は「レーナ」と呼んだ女性にたどり着き、そのスラリとした長身を腕の中に収めていた。
巨躯の腕の中。強い力で抱き締められて困ったように笑うその人の姿に、セリーヌの胸の内に熱いものが込み上げた。涙が勝手に溢れ出す。
「え!ちょっ、何で泣いてるの!?」
ケレンに涙を見咎められてしまった。慌てた様子の彼が走り寄ってくる。そのまま、何の躊躇いもなくセリーヌの身体に回される腕。初めての優しい抱擁――添い寝をしていた時とも違う、守るようなその仕草に、セリーヌの涙は止まらなくなった。
「ああ、もう、泣かないでよ」
「……ごめん、なさい」
「謝るのはこっち。一人にしてごめんね」
柔らかい声がセリーヌの耳朶を擽る。
「ちょっと、お姫様を連れ出すのに手間取ってさ」
笑いを含むその言葉に、セリーヌが「どういうことか」とケレンを見上げると、背後で「ふん」と鼻で笑う女性の声が聞こえた。
「『姫』は私ではなく、その娘だろう?」
セリーヌが振り向くと、優しく笑うその人と視線が合った。見つめ合い、互いに互いの姿を確認する。レーナと呼ばれたその人に、獣人の証たる尾も耳もない。けれど、紛うことなき獣人である彼女は、今、彼女に近しい人の腕の中で笑っていた。
「……っ!」
セリーヌは何か言おうとして、けれど、結局、言葉が出てこなかった。耳元で、ケレンが笑う。
「俺にとってのお姫様はセリーヌだけど、レーナ様も十分、囚われのお姫様だったでしょ?」
「……そんな可愛げのあるものになった覚えはないがな」
言って、また困ったような顔で笑うレーナが隣を見上げる。視線の先のヴァルターが、苦しげな表情で口を開いた。
「……何故、ここに」
「閉じ込められるのには飽いた。それに……」
彼女の視線がこちらを向く。
「命の恩人の危機とあっては、駆け付けぬ訳にはいかんだろう?」
「っ!」
予想外の言葉に、セリーヌは瞠目する。それに、フッと笑ったレーナは、再びヴァルターを見上げた。
「……ヴァルター。貴方にとって、今の私は恥か?」
「っ!?」
レーナの言葉に、ヴァルターがヒュッと鋭く息を呑んだ。そしてすぐさま、「あり得ない!」と否定する。その答えに、彼女は満足そうに笑った。
「ならば、私は行きたい場所に行き、成すべきことを成す」
最後に小さく「許せ」と呟いた彼女は、ヴァルターの腕の中を抜け出し、一人歩いてセリーヌの隣に立った。青い瞳が真っすぐに前を向く。
「紅牙一族、蒼月のレーナ。此度の裁判において、真実を明らかにすべく、馳せ参じました。どうか、発言の許可を」




