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愛し方も知らずに  作者: リコピン
29/35

2-11 罪の前で、あなたに救われる

それ以降も、ケレンが地下牢を訪れることはないまま、遂に、セリーヌ自身の裁判が始まった。


被告として立たされた法廷。警備の任に当たるケレンが壁際に立つのを見て、セリーヌはホッとする。顔色までは分からないが、少なくとも、仕事ができないほどに消耗しているわけではないらしい。


(……エリスさんのおかげ、なのかな)


そう推測して、ギュッと締め付けられた心臓に、セリーヌは気付かぬ振りで彼から視線を外した。


ダミアンによる罪状の読み上げが始まり、セリーヌはじっと耳を傾ける。問われている罪は、研究所の研究に加担したというもの。セリーヌ自身の行いに関しては、ケレンの治療に関する以外は黙秘を貫いたため、「どの程度の関与があるかは不明」とされている。ただ、ダミアンは最後に、他の研究者たちからの証言として「積極的な関与はない」と付け加えてくれた。


恵まれている、セリーヌはそう思った。


恐らく、聴取に積極的に協力したためだろう。酌量の余地を与えてくれたジークを初めとする第三隊の恩情に、セリーヌは静かに頭を垂れた。判決の時を待つ。セリーヌの耳に、凛とした声が届いた。


「セリーヌさん。評決の前に、あなたにお尋ねしたいことがあります」


立ち上がった少女――アンジェリカの言葉に、セリーヌは「はい」と答える。それに満足そうに頷いて、彼女は問いを口にする。


「先日の、ザームエル・マイザーの裁判において、あなたが彼の発言を止めようとした理由は何ですか?」


今更、ではある。けれど、あの時の違和感――隷属紋の制裁が発動するより早くセリーヌが動いたことに、目の前の彼女はちゃんと気づいていた。そうして、改めてこの場でそれを明らかにしようとする彼女に、セリーヌは静かな視線を向ける。


「……黙秘します」


「黙秘、ですか」


不満そうにそう繰り返したアンジェリカは、眉根を寄せる。


「随分と、都合がいいんですね?他者の罪には積極的に証言をし、自身のことになると途端、口を閉ざす。これでは、貴女に後ろ暗いことがあると認めたも同然ではありませんか?」


「……」


アンジェリカの挑発に、セリーヌは無言で答えた。彼女の口から、「ハァ」とため息が漏れる。


「本当に、何から何まで、貴女に都合の良いことばかり。……ザームエル・マイザーが獄中死したのも、あなたにはとても都合が良かったんじゃありませんか?」


セリーヌの身体が僅かに震える。


(獄中死……?)


衝撃的な言葉に、けれど、内心の動揺を悟られぬよう、セリーヌは前を見続ける。


あの男が死んだ。


その事実を知っても、セリーヌの中に罪悪感も後悔も生まれなかった。在るのはただ、解放感と安堵。これでもう、あの()を傷つけた者は全員いなくなった。セリーヌとロッシュが口を閉ざし続ける限り、彼女が自身の過去を知ることはない。


セリーヌの張り詰めた気が弛んだ一瞬を、アンジェリカが目ざとく捉える。


「あなたの望んだとおりの結末ですか?」


「……」


「彼の不審死については、死因もまだはっきりしていません。或いは、あの場で彼に触れたあなたにも、殺害の機会はあったと思うのですが、如何でしょう?」


彼女の追及に、セリーヌは首を横に振る。「殺していない」と告げるセリーヌに対し、アンジェリカが更に何かを言おうとしたところで、不意に、低い重い声がその場に響いた。


「……その女を、ザームエル・マイザーの殺害犯とするのは無理がある」


「ヴァルター様……?」


アンジェリカの虚を突かれたような声に、ヴァルターと呼ばれた壮年の男性は、セリーヌにギロリと鋭い視線を向けた。


国王の右隣に座る彼は、恐らく、アンジェリカと同等かそれ以上の高位にある人物。珍しい銀毛の狼獣人と思われる彼の目は、血のように赤い色をしている。


ここまで、被告席に立つ者に対し常に冷たい眼差しを向けて来た彼が口を開くのは初めてのこと。今そこに確かな怒りを感じて、セリーヌの身が竦む。


「……その女がマイザーに触れたのは、我々の目の前だ。例えどんな秘術を用いたにしろ、この場に居る全員の目を欺くことは出来ない」


ヴァルターの冷めきった声に、アンジェリカが「ですが」と答える。


「私たちの知らない魔術やスキルを用いた可能性はあります。現に、彼女は……!」


「貴様は、我々全員の目が節穴だと言うのか?人間の小娘一人に出し抜かれる、無能だと?」


「そ、れは……!」


言いかけた言葉を飲み込み、アンジェリカはグッと唇を噛んだ。それから、「フゥ」と小さく息を吐き、「分かりました」と告げる。


「それでは、ザームエル・マイザーの不審死については、不問とさせていただきます。ですが、彼女がマイザーの証言を阻み、その理由を黙秘している件に関しては、皆様もご承知おきください」


言って再び、アンジェリカは鋭い視線をセリーヌに向ける。


「それとは別に、もう一つ。セリーヌさん、私はあなたに確かめたいことがあります」


「……はい」


これ以上、一体、何を問うというのか。追い詰められる感覚に、セリーヌの鼓動が速くなる。間を開けず、アンジェリカは手元にある資料らしきものを持ち上げた。


「調書によると、セリーヌさん、あなたは人を洗脳することができますね?」


「いいえ……」


首を振るセリーヌに、アンジェリカは「おかしいですね」と首を傾げる。


「調書によると、あなたは他人の記憶に潜り、その記憶を操作、書き換えることができるとあります。……これは、ダミアンが取った調書ですから、嘘はないと思うのですが?」


「そ、れは……。確かに、記憶を操作して多少、意識を変えることはできます。ですが、洗脳というような大掛かりなことは……」


「でも、出来るんですよね?人の意識を変えることが」


「……」


畳みかけるアンジェリカの言葉に、セリーヌは小さな声で「はい」と答えた。


「そうですか。……では、続いて、あなたがケレンの記憶に潜ったという供述もありますが、これは、あなたの言うところの『意識を変える』、つまり、洗脳だったのではありませんか?」


「いいえ……!」


セリーヌはきっぱりと|頭《かぶりを振った。


「洗脳なんてしていません!彼の記憶に潜ったのは、あくまで治療が目的で……!」


「ですが、その治療は彼の意識を変えるものだったのでしょう?その中で、そうですね、例えば、あなたに好意を抱かせるように意識を変えれば、それはもう、立派な洗脳ではありませんか?」


「違います!そんなことは……!」


していない、そう答えようとして、セリーヌはハタと気付く。続く言葉を飲み込んだ。


確かに、セリーヌは彼の記憶に潜るとき、「個」を消していた。顔を隠し、声を潜め、現実世界との繋がりを消すため、匂いさえも誤魔化して。だけど――


(あの時……)


セリーヌが夢だと思った世界で、ケレンは一度だけ、セリーヌを呼んだ。


俺の魔女――


あれは、セリーヌを「個」として認識していた証。セリーヌ自身を認めたわけではない。けれど、そこに居る「誰か」として、偽りの記憶を生み出してしまったのでは――


「……セリーヌさん。もう一度だけ聞きます」


気付いた事実に愕然としているセリーヌに、アンジェリカがキッと眦を釣り上げる。


「あなた、治療と言いながら、自分の良い様にケレンの記憶を操作したんじゃありませんか?……だって、彼、あなたが居ないと眠れないんですよね?」


「っ!」


セリーヌは、フルフルと首を横に振る。


「していません、……少なくとも、意図的には。……彼の記憶に触れたのはあくまで治療で……」


セリーヌの声が震える。自分でも、酷く頼りないと思えるそれは、とても真実を語っているようには聞こえなかった。


アンジェリカが「裁判長!」と国王を振り返る。


「裁判長、私は彼女に極刑を望みます!」


意思ある眼差し。彼女の断罪の言葉に、陪審員たちの間にザワリと騒めきが広がった。


「陛下!彼女は間違いなく危険人物です。今後、ケレン同様、他の獣人が洗脳される可能性があります。いえ……」


そこで言葉を区切ったアンジェリカは、部屋の壁際、そこに控える第三隊にグルリと視線を向けた。


「既に洗脳されている者がいるかもしれません。これ以上の放置は危険です。彼女は即刻、極刑に処すべきです!」


アンジェリカの宣言に、セリーヌは唇を噛んだ。死は――恐ろしいけれど――、受け入れられる。けれど、犯してもいない罪、それも、自身が誇りを持って臨んだ治療行為を罪と認めることはできなかった。


「違う」と言葉にしたい。だけど、反論の証を持たないセリーヌはグッと拳を握り締める。その時――


「ゴンッ!」という大きな音が部屋の中に響いた。


「っ!?」


ハッとして、セリーヌの視線は壁際を向く。他の多くの視線もそちらを向く中、視線の先で、警備のはずのその人が部屋の支柱の一つを足裏で蹴りつけていた。


不機嫌そうな顔。苛立たしげに髪を掻き上げた彼の瞳がこちらを向く。


(……ケレン)


一瞬だけ交差した視線。直ぐに逸らされたそれは、法廷の前方、未だ立ち上がったままのアンジェリカへ向けられる。


「……あのさぁ、黙って聞いてたら、何それ。何でそんな話になるの?俺がいつ、洗脳されたって?」


礼儀も何もない、苛立ちを露わにしたケレンの言葉に、しかし、アンジェリカは臆することなく答える。


「ケレン、洗脳されている本人はそうと気付かないものです。ですから、自覚症状はなくとも……」


「ハァ、もう、しつこいなぁ。……やってないよ。セリーヌがそんなことするわけないでしょ?」


(っ!)


ケレンのその一言が、セリーヌの胸を突く。


自分の「治療行為」が本当に正しいものだったのか。セリーヌ自身、自分の行いに自信がなかった。手探りで、多分、きっと、いくつも間違いを犯した。完璧ではなかった。けれど、他の誰でもなく、ケレンがセリーヌを信じてくれている――


溢れる想いを必死に飲み込むセリーヌの目の前で、アンジェリカの瞳が悲しみに曇る。


「……この期に及んで彼女を庇うなんて。ケレン、あなたはやはり洗脳されています」


痛ましげな声に、ケレンが「ハッ」と鼻で嗤った。


「別に、もういいよ、それで。……で?洗脳されてるとして、何か問題がある?俺にはないんだけど?だったら、そんなもの、罪でも何でもないよね?」


「なっ!?」


驚きの声を上げたアンジェリカの顔が歪む。


「第三隊の皆さん!ケレンを拘束してください!彼はセリーヌさんに操られています!」


将軍代理である彼女の指示に、しかし、警備の責任者であるジークは動かない。第三隊のメンバーが戸惑いを浮かべる中、ギリッと奥歯を噛んだアンジェリカが「衛兵!」と大声を上げた。その声に呼応するかのように、法廷の扉が開かれる。そこから雪崩れ込んで来た複数の兵、その先頭に立つ体格のいい男性を見て、アンジェリカが喜色を浮かべた。


「ブラウ!」


彼女が名を呼んだその人に、セリーヌは見覚えがあった。


(ケレンを助けに来た人……)


フードを被っていた男性の一人。その彼が今、視線の先に捉えたケレン目掛けて走っていく。


低く構えてケレンに突進する巨体。両者が激突する鈍い音に、セリーヌの口から思わず悲鳴が漏れた。


「……っ!」


細身の身体が吹き飛ばされる。数メートル、宙を舞ったケレンが床に転がった。彼が態勢を立て直すより早く、複数の衛兵が群がり、彼を上から押さえ込む。多数を相手に、ケレンの身体が再び床に沈められた。


「ケレン……っ!」


地に這い、怒りに燃える眼差しで周囲を睨み上げるケレン。セリーヌの頬を涙が流れる。こんな目に会ってまで、ケレンはセリーヌを守ろうとしてくれた。それが嬉しい。それだけでもう、十分だった。


(ごめんなさい……、ありがとう)


おかげで、最後まで胸を張っていられる。


前を向いたセリーヌを認めて、アンジェリカが周囲の陪審員をグルリと見回した。


「それでは、皆さん。この場で評決を採りたいと思います。……第五研究所、元研究員セリーヌに対し、有罪、極刑相当だと思われる方は挙手をお願いします」


彼女の音頭に、次々に手が挙がる。視界の外で、ケレンの「ふざけるな」という怒声が聞こえた。セリーヌは黙って彼らを見守る。自らの罪が決まる、その時を待って。


しかし――


「……あの、ヴァルター様?」


アンジェリカが困惑の声を上げる。八人の陪審員の内、一人だけ――国王の右隣りに坐するその人だけが、一向に手を挙げる気配がない。他の陪審員の視線が、彼に向けられる。


静まり返るその場で、皆の視線を集めるその人は、重々しく口を開いた。


「……その者の罪は未だ定かではないと判断する」


「え?」


「将軍代理殿の主張は推測の域を出ず、こじつけに過ぎない。よって、賛同はしかねる」


つまり、「反対」を表明したヴァルターに、セリーヌは我が耳を疑った。セリーヌだけではない。他の陪審員や国王さえも驚きの表情を浮かべている。


アンジェリカが、机に身を乗り出して彼に迫った。


「お待ちください、ヴァルター様!あなたは、獣人を廃棄するような人間を無罪にするというのですかっ!?」


「そうは言っておらん」


「では何故、人間の味方をっ……!?」


言いかけたアンジェリカの言葉は「ドンッ!」という大きな音に阻まれる。ヴァルターの大きな拳が、目の前の机に叩きつけられた。彼の怒りに燃えた赤い瞳が、アンジェリカを射抜く。


「……人間の味方だと?」


「っ!?」


「この私が、貴様らのような悍ましい種族に与するというのか?」


地獄の底から響くような声。彼の食いしばった歯の間から漏れる荒い息に、身を乗り出していたアンジェリカが一歩後退する。


「わ、私は確かに人間ですが、私の(つがい)はブラウ、獣人です。他の人間とは違う!私は獣人の味方で……!」


「知ったことではないわ。貴様もそこの女も、私にとっては同じ、唾棄すべき人間だ」


「っ!」


拒絶の言葉に、アンジェリカが顔色を失う。書類を手にした彼女の手が小刻みに震えるのを見て、ヴァルターが「フン」と鼻を鳴らした。


「私は、貴様らとは永遠に相容れない。……が、ここが裁きの場である以上、確たる証も無しに罪を問うことはせぬ」


言って、ゆっくりと椅子の背に身体を預けた彼に、アンジェリカが押し殺した声で尋ねる。


「……では、ヴァルター様は、セリーヌさんを無罪放免にすべきだと?」


「そうではないと言っているだろう」


不機嫌な声でヴァルターは首を横に振る。


「極刑には値しないと言っているのだ」


「っ!」


彼の発言に、再び周囲が騒めく。困惑の声が飛び交う中、中央に坐する国王が口を開いた。


「では、ヴァルターよ。お前は彼女の量刑をどう見る?どの程度の刑罰が相応しいと?」


「……労役、或いは、戦争奴隷程度が妥当でしょう」


ヴァルターは、嫌そうにそう口にした。彼自身、その量刑を認めたくはないのだろう。それでも、憎む人間相手でも公正であとろうとする彼に、セリーヌは感謝した。


(ああ。もし、本当に許されるのなら……)


セリーヌにはやりたいことがあった。


生きて償うことが許されるなら、もう一度、ケレンの記憶に潜りたい。「問題ない」と言ってくれた彼の記憶に潜り、自身の影響を全て消し去りたい。そうすれば、今度こそ、彼は完治するのではないか。


(せめて、不眠の原因さえ分かれば……)


生まれた希望。ヴァルターに掛けられた恩情に、セリーヌの気が弛みかけた時、アンジェリカの鋭い声が響いた。


「そんなの、絶対に駄目です!」


反対を示す言葉に、国王が彼女に視線を向ける。


「ならばどうする?これ以上、審議を重ねようにも、材料となるものが無ければな……」


「時間をください」


「ほう?」


アンジェリカの瞳に、再び強い意思が灯る。


「彼女の審議を延期してください。次回までにきちんとした証拠をお持ちします」


言い切った彼女は、その強い眼差しのまま、ヴァルターを向いた。


「……証拠をお持ちすれば、彼女を正しく裁いて頂けるのですね?」


挑発的な物言いに、言われたヴァルターは「ああ」と頷く。


「当然だ。罪あらば、相応の罰を科す」


その言葉に満足したらしいアンジェリカは頷き返し、視線をセリーヌに向けた。


「……セリーヌさん、あなたは狡い人です。ですが、罪から逃れられるなど、決して思わないでください」


「……」


セリーヌは何も言い返さず、ただ、視線をケレンへ向ける。


立たされ、仏頂面で両手を拘束されている彼までの距離が遠い。一度、夢見てしまったがために、その距離は先程までよりずっと遠くに感じられた。


衛兵に連れていかれるケレンが、こちらを振り向く。セリーヌは、泣きそうになって笑った。


ありがとう――


心からの感謝を、今、切実に、彼に伝えたいと願う。






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