2-10 毒
『ケレンと話をしてくれ』
ジークとのその約束を、セリーヌはずっと果たせずにいた。
隷属紋を暴かれた日以来、ケレンが地下牢を訪れることはなくなった。最初の一日、二日は、「彼の怒りは解けただろうか」と怯えていたセリーヌも、三日目、四日目となると、次第に彼の訪れを待ち望むようになり、一週間が過ぎた頃には、諦めがついた。
恐らく、ケレンの怒りは解けていないのだろう。あれほど激昂していたのだから、それも無理はないかと、セリーヌは彼の不在を受け入れた。彼の傍に居られないことは辛い、寂しい。けれど、元々が、身に過ぎた幸運だったのだ。これ以上は望むべくもない。
後はもう、自身の罪が裁かれるその日を一人静かに待とうと決めて、セリーヌは空いた日中をぼんやりと過ごすようになった。このまま、平坦な時間が過ぎていく。そう思っていたセリーヌの下に、ある日突然、予期せぬ訪問者が現れた。
「……こんにちは。こうして、二人で話すのは初めてね」
そう言って、人目を忍ぶようにセリーヌの独房を訪れたのは、黒猫獣人のエリスだった。
セリーヌは当初、彼女が地下牢の囚人の世話をしに訪れたのだと思った。彼女が手にしたローブは、囚人の着替え。今まで彼女が担当することはなかったが、他の獣人が着替えのローブを運んで来てくれていたことは知っている。ただそれは、扉の小窓越しに投げ入れられるもので、こうして、扉を開けて入ってくることはなかったのだが――
「単刀直入に言うわ。ケレンの洗脳を解いて」
「……無理です。私は、彼を洗脳しては……」
「うるさいわねっ!口答えせずに、分かったって言いなさいよっ!」
一瞬で激昂したエリスが、手にしていたローブを地面に投げ捨てる。
「あんたがケレンをおかしくしたのは分かってるんだから!あんたが!あんたさえ、現れなきゃ……!」
「……」
「ケレンは私のものなの!意識のなかったケレンを看病したのは私!彼を目覚めさせたのだって私なのに!」
尻尾を逆立て全身を震わせるエリスの瞳が、怒りに燃えている。
「なのに、何でよ!セザの葉ももう駄目だって、あんたじゃなきゃ駄目って、何よそれ!おかしいでしょっ!?洗脳じゃなかったら、何だって言うのよ!」
「……彼は、眠れていないのですか?」
「うっさい!あんたに関係ない!」
吐き捨てたエリスが、ギラリとした目をセリーヌに向ける。
「その服、脱ぎなさいよ」
「っ!」
つい先日、ケレンに言われたのと同じ言葉。けれど、エリスのほの暗い瞳に、セリーヌはあの時よりも強い恐怖を覚える。
思わず後ずさるセリーヌに、彼女が手を伸ばした。
「脱ぎなさい!脱ぎなさいったら!」
「っ!待って、止めてください!」
「要らないの!あんたなんて、要らないんだから!要るのは匂いだけ!匂いさえあれば……!」
言って、飛び掛かってきた彼女の勢いに押され、セリーヌは床に倒れ込む。馬乗りになったエリスに、ローブを思い切り引っ張られた。首が締まる。息が苦しい。
「ほら!ほら!脱げ!死にたくなかったら、さっさと脱げ!」
「脱ぎ、ます!だから……!」
セリーヌの懇願に、服を引っ張る力が弱まる。抑え込んだまま、今度は服を脱がしにかかった彼女に、セリーヌは抵抗することなく従う。
やがて、服を剥ぎ取られ、下着姿になったセリーヌは、床の上で小さく身体を丸めた。震える身体を自分で抱きしめていると、立ち上がったエリスが「ふん」と鼻を鳴らす。
「最初から大人しく脱げばいいのよ。うっかり殺しちゃったら、こっちだって色々面倒くさいのに」
「……」
「だからって勘違いしないでよね。あんたが必要とされてんのは、裁判の証人として。……ケレンだって、大事なのはあんたの匂いで、あんた自身のことはどうだっていいんだから」
そう言い捨てて、エリスは来た時同様、あっと言う間にその場を去っていった。一人震えるセリーヌの胸の内に、消えない毒だけを残して。




