2-09 罪の在り処
「軍事裁判、ですか?」
その日、最後の聴取に呼び出されたセリーヌは、今後の処遇についてを聞かされた。セリーヌの問いに、ジークが、「そうだ」と頷く。
「本来であれば、敵国の人間とは言え、軍属にない者を軍事裁判で問うことはない。お前たちの処罰に関しては、我々、第三隊に一任されていた。が……」
そう言って、一度言葉を切ったジークは、僅かに眉間に皺を寄せる。
「お前たち第五研究所の行いは著しく人道に悖る、そう判断された。よって、軍の指揮官同等の罪が問われることになる」
ジークの言葉に反応したのは、セリーヌではなくケレンだった。彼は聞かされていなかったのか、不機嫌を隠そうともせず、「何、それ」と不満を口にする。
「軍事裁判って、下手したら、戦争の責任とかとらされるやつじゃない?」
「いや。流石に、戦争の責を問うことはないだろう。……だが、組織の一員として、獣人の人体実験に関わった責任をとらされる可能性はある」
言って、セリーヌに向けられたジークの眼差しは怖いくらいに真剣だった。
「……極刑もあり得る。そう、覚悟しておけ」
ジークの言葉に、ケレンが再び、「何、それ」と呟いた。
セリーヌは、黙って聴取室に居る三人を見回す。ジークの感情の読めない瞳。ケレンの拗ねたような横顔。ダミアンの伏せられた茶色の耳。それら全てを心にとめて、セリーヌは頷く。
「分かりました……」
元より、死は覚悟の上。聴取が終われば終いだと思っていた生が、僅かな時とは言え、延びたのだ。裁判が終わるまで、せいぜい、彼らの役に立ってみせよう。
セリーヌの返事に、ケレンはますます嫌そうな顔をしたが、ジークはただ一言、「覚悟しておけ」と告げた。
そうして始まった裁判に、セリーヌは度々、証人として召喚された。既に聴取で述べた内容を攫うだけだったが、黙秘を貫く研究員もいたため、セリーヌの証言は彼らの罪を明らかにするために必要だった。
だが、正直なところ、証言台に立つことは、思った以上にセリーヌに苦痛を与えた。
バイラートで行われる軍事裁判に検事や弁護人はいない。会議室のようなホール。U字の会議机の上座には裁判長である国王陛下が座し、八人の陪審員がその両脇を固める。被告は国王の正面に立たされ、必要に応じて、証人もその横に立たされた。
必然、被告たちの怒りは、隣に立つセリーヌに向けられる。
「裏切り者」、「帝国の恥」、「死ね」という、剥き出しの憎悪。法廷はジーク率いる第三隊隊員が警備に立つため、被告の暴力がセリーヌに届くことはない。だが、至近距離から浴びせられる罵声は、確実にセリーヌの心を摩耗させた。
セリーヌの証言は、正しく、彼らを死刑台に送る。覚悟の上とは言え、セリーヌは泣き叫ぶ彼らを直視することが出来なかった。
そして、もう一つ、法廷にはセリーヌを苛むものがある。
八人の陪審員の内、国王の左手――王国軍最高指揮官の席に座る少女、アンジェリカ。自ら将軍補佐を名乗った彼女は、将軍の名代として軍事裁判に参加している。
居並ぶ、年齢も肩書も上の陪審員たちを相手に、彼女は一歩も引けを取らず、堂々たる振る舞いを見せた。被告の量刑は陪審員の総意で決まるが、彼女は鋭い意見で皆の同意を得るなど、強い発言権を持っている。それが、将軍補佐の職権故だと聞かされても、セリーヌは彼女に劣等を感じずにはいられない。
片や国の代表として悪を裁き、片や「仲間」を売って獣人に阿る。いくらセリーヌに仲間意識がなかろうと、この場ではセリーヌは研究員の一人でしかなく、やっていることは裏切りだ。
実際、陪審員の中には、セリーヌに露骨な嫌悪を見せる者もいる。仲間意識の強い彼ら獣人にとって――例え罪人であろうと――、同族への裏切りは卑しい行為。セリーヌを疎む彼らは、セリーヌを視界に入れず、無き者として扱った。
消耗し続ける心。だが、セリーヌは証言台に立ち続ける。
やがて、上級研究員の評決が出尽くし、裁判が終盤を迎えた頃、消えかけていたセリーヌの闘志に、再び火が付く出来事があった。
(この男……っ!)
被告として現れた男を前に、燻り続けたセリーヌの怒りが燃え上がる。下級研究員であったその男とセリーヌに直接の面識はない。が、セリーヌは男を知っていた。彼が、過去、研究所においてどんな罪を犯したのかも――
「……以上が、被告ザームエル・マイザーの罪状になります」
男の背後に立って聴取を読み上げたダミアンが顔を上げ、直立する。陪審員たちが量刑の審議に移る中、被告の男はどこか落ち着いて見えた。
(……もしかして、極刑はないと思っているの?)
ここまで、裁判で出た評決の全てが極刑だった。その死を以って償うしかないと判断された者たちと比較して、確かに、下級研究員だった男の罪状は比較的軽いと言える。
それが、聴取にある罪状だけであれば――
(……っ!)
ここに来て、セリーヌは新たな葛藤を覚える。
男の聴取は本人が黙秘したため、ほとんどがセリーヌの証言を元にしている。その聴取の中で、セリーヌが敢えて触れなかったことがあった。それは、研究所の報告会で得た情報ではなく、治療師としてのセリーヌが職務中に知り得たもの。だから、決して、口にしてはならない。その思いは今も変わらない。けれど――
(私が証言しなかったせいで、この男の罪が軽くなってしまう……)
セリーヌの脳裏に、濡れたような黒の瞳が蘇る。
怯え、震える身体。痛めつけられ、「止めて」と懇願する少女に、彼女を嘲笑う男の姿。その男の隣で、下卑た笑いを浮かべていたのは、間違いなく、目の前の男だった。
思い出した光景に、セリーヌは吐きそうになる。
少女を嬲った主犯の上級研究員は、既にこの世にいない。研究所襲撃の際に命を落としたそうだが、その男が死んだことで、男の研究補佐だったマイザーの罪は闇に埋もれた。
憎い、許せない、死んでしまえばいい。だけど――
男への憎悪と葛藤を飲み込んで、セリーヌは沈黙し続けた。
やがて、陪審員の審議により、男の処罰が終身刑に決まりかける。セリーヌが唇を噛んでその時を待てば、それまで発言していなかったアンジェリカが口を開いた。
「被告の罪状は、本当にこれだけなのですか?」
彼女の視線は、罪状を読み上げたダミアンに向けられている。
「はい。立証できたのはこれだけです。……被告が黙秘しているため、押収した証拠書類と証言を元にしたものになりますが」
ダミアンの返答に、アンジェリカはチラリと視線をセリーヌに向けた後、被告に問いかけた。
「マイザーさん、あなたの犯した罪は、本当にここにあるだけですか?他の罪は侵していないと、この場で誓えますか?」
彼女の問いに、男の顔が引きつった。「嘘をついている」、誰もがそう思うような青ざめた顔で、男は下を向く。
「……マイザーさん。ご存知でしょうが、ここに居るダミアンはあなたの嘘を見抜きます。偽証は最も重い罪。あなたが正直に罪を告白しないのであれば、私は、どんな手を使っても、あなたの罪を暴きます」
「っ!」
「そして、絶対に、あなたに報いを受けさせる」
アンジェリカは声を荒げることなく、ただ、強い眼差しでそう告げた。
男の身体が震え出す。彼女の言葉がどこまで本当なのかは分からない。だが、単なる脅しだと思えないアンジェリカの迫力に、男の口が僅かに開かれた。
(駄目……!)
男が何かを言おうとするのを察知して、セリーヌは恐怖に駆られる。何を話すつもりなのか。固唾を呑んで見守る中、しかし、男は開きかけた口を閉じ、再び俯いた。罪を告白する意気地がなかったのだろう。男の沈黙に、セリーヌは胸を撫でおろした。
だが、諦めるつもりがないらしいアンジェリカは、男に語り掛ける。
「……ですが、もし、あなたが自ら罪を明かすというのであれば、場合によっては、罪が軽くなることもあるでしょう」
「ほ、本当ですかっ!?」
彼女の言葉に、男が顔を上げた。希望にすがる瞳を、アンジェリカへ向ける。
「ええ。……例えば、そうですね、あなたが誰かの命令で犯した罪、あなたが逆らえない立場にあったというのであれば、酌量の余地があります」
セリーヌの甘言に、男が如実な反応を見せる。
「お、俺は、望んでやったんじゃありません!大体、獣人を使っての研究は、俺たち下っ端には回ってこないんだ!俺は、ただ、世話してただけで……っ!」
「っ!止めて!」
目を血走らせて告白しだした男に、セリーヌは咄嗟に飛び掛かる。
「うわぁっ!?」
「っ!」
自分より長身の男の口を塞いだ。ぶつかった衝撃で男がよろめき、そのまま二人で床に倒れ込む。男の恐怖に駆られた瞳。セリーヌは混乱していた。
衝動的に動いたが、ここからどうすればいいのか。
こんなことで、男の証言を止めることができないのは分かっている。ドクドクと鳴る心臓、キーンという耳鳴りに動けずにいると、不意に腕を掴まれた。強い力で、身体を引き起こされる。
「……あんた、何やってんの?」
呆れたような声。セリーヌは、自身の腕を掴むケレンの顔を茫然と見上げる。それから、自分がしでかしたこと――足元の男を見下ろすと、男の傍にジークがしゃがみ込んでいた。
そのジークが、緊迫した声で男に呼びかける。
「おい!しっかりしろ!」
「っ!」
ジークの影になっている男を覗き見て、セリーヌは驚愕する。男が口から泡を吐き、苦しそうな呻き声をあげていた。
倒れた時の打ち所が悪かったのだろうか。「自分のせいだ」と怯えるセリーヌの目の前で、仰向けに倒れた男の身体が大きくエビぞりになった。その状態を見て、セリーヌには思い当たるものがあった。
(まさか……!)
ケレンの手から急いで抜け出し、ジークの隣にしゃがみ込む。それから、男の身体をうつ伏せにひっくり返した。
「セリーヌ?何を……?」
ジークの戸惑う声には答えず、セリーヌは男の着ているシャツを捲り上げる。露わになった背中、そこに淡く発光する紋様を認めて、セリーヌの胸の内に苦い思いが込み上げた。
(馬鹿な男……)
命惜しさに、命を危険にさらすなんて。
セリーヌは、痙攣する男の身体をじっと見下ろす。このまま放っておけば、この男はここで死ぬ。そうすれば――
(あの子のことを知る人間が一人減る……)
胸に渦巻くどす黒い感情。飲み込まれそうになるが、セリーヌは深く息を吸って吐き出した。裁判長席に座る国王を見上げる。
「……陛下、この男の命は必要でしょうか?」
「命、とな……?」
セリーヌの突然の発言にも、国王は泰然としている。先を促す彼の視線に、セリーヌは言葉を続けた。
「この男を生き永らえさせ、罰を与えことをお望みですか?」
再度の問いに、国王は「そうだな」と呟く。
「殺すのはいつでもできる。……が、今はその時ではない」
「……承知いたしました」
国王の返答に、セリーヌは迷いを捨てた。
「では、陛下、いくつかお尋ねしたいことがございます。この国、バイラートには国立の研究所はございますか?」
「魔術研究所ならばある」
「そこの責任者、……意思決定はどなたが?」
意味が分からぬであろうセリーヌの問いに、けれど、国王は片眉を上がるだけで答えた。
「私だな」
「……ありがとうございます」
王の答えに深く頷いて、セリーヌは床に転がる男に視線を戻した。身を屈め、男の耳元へ口を寄せる。
「……聞こえましたか?」
男からの返事はない。
「グラストは今やバイラートの支配下にあります。国の機関である研究所の責任者も変わりました。国立の研究所の責任者はバイラート国王陛下です」
返事はないが、男は意識を保ったまま、セリーヌを横目で凝視している。
「その陛下が求められているのです。……あなたの発言は背信行為には当たりません」
「っ!」
話の帰結。説得するため一つ一つ重ねた言葉の意味を理解して、男は大きく目を見開いた。当然、こんなものはただの詭弁。事実を曲解させたものに過ぎないが、どうやら、男の脳は上手く騙されてくれたらしい。身体の痙攣が止まり、ぐったりした男はそのまま気を失った。
それを確かめて、セリーヌはフラリと立ち上がる。同じく立ち上がったジークが、男を運び出すよう部下に指示した後、セリーヌを向いた。
「……あれは何だ?」
彼の言う「あれ」とは、男の背に施されている紋様のことだろう。セリーヌは、一瞬迷い、それから口を開く。
「一種の魔法陣、隷属の紋です」
「何だと?」
ジークが鋭い声を上げる。彼が驚くのも無理もなかった。
通常、隷属の魔法陣が刻まれるのは、首輪などの魔道具に限られる。それを隷属させる相手に装着するのであり、人体へ直接刻むものではない。隷属の魔法陣は強力で、その分、繊細なため、歪みのある人体には本質的に向いていなかった。
(それを、獣人支配に利用しようとして、結局、人間相手の試験運用で行き詰ったなんて、笑い話にもならないけれど……)
セリーヌの口元に皮肉を込めた笑みが浮かぶ。
「それほど優秀な紋ではないんです。背中一面を使って、一つ、二つ、命令が刻めるかどうかといったところで……」
そう言って、セリーヌは、運び出されようとしている男に視線を向けた。
「彼の場合は、自死と研究所への背信行為を禁じられています」
「背信行為……。あの男の発言は、それに当たったと?」
ジークの問いに、セリーヌは頷く。
「ええ。ですが、言ったように、それほど細かな定義、何を以って背信行為とするかまで刻むことはできません」
だから、男の行為に正当性を持たせ、「自身の発言は背信行為ではない」と思わせることができれば、紋様の制裁は発動しない。
(多分、あの男の場合は、そもそもの発動のきっかけが私だった。彼の行動を制止したせいで、彼に『背信行為』を意識させたから……)
男に隷属紋が刻まれていることを知らなかった上での行為だが、セリーヌは男を殺しかけたことを後悔していなかった。
運び出された男を見送って、ジークが尋ねる。
「制裁の内容は?あの男は助かるのか?」
「恐らく助かると思います。ですが、すみません、正確なところは分かりません。制裁は魔力の過負荷による人体の破壊なので……」
既に体内の重要な器官が破壊されていれば、高度な治療技術が必要になる。後は、バイラートが彼の命にどれほどの価値を見出すか。それ次第だと答えようとしたセリーヌは、突如、背後からの衝撃を感じてたたらを踏む。傾いだ身体を、グイと持ち上げられた。
(え……?)
横抱きにされている。気づくと同時、セリーヌを抱き上げた相手――ケレンが走り出した。
「っ!ケ、ケレン……!」
「待て、ケレン!戻れ!」
セリーヌの驚きの声にも、ジークの制止の声にも反応することなく、ケレンは部屋を飛び出した。見上げると、表情を消したケレンの横顔が見える。
(ど、どうして……?何が……?)
中断されたとはいえ、未だ審議の途中。ケレンの突然の暴挙を止めるべきだが、走る彼の腕の中では声を上げることもできない。彼の横顔が見せる冷たい怒りに、セリーヌは口を噤んだ。
法廷用の会議室を出て直ぐ、ケレンは隣の小部屋――控室の扉を蹴り開けた。激しい音を立てて、扉が壁に叩きつけられる。大きな音に身を竦めたセリーヌは、訳も分から内に、ソファの上に落とされた。
仰向けに倒れ込んだセリーヌが身を起こすより早く、背中を押さえつけられる。上から、冷めた声が降ってきた。
「……脱いで」
「え……?」
既に混乱している頭では、唐突な言葉の意味を理解できず、セリーヌは動きを止める。恐怖にじっと身を固くしていると、ケレンの舌打ちが聞こえた。
「……あるんでしょ、あんたにも隷属紋」
「っ!?」
驚きに、セリーヌの身体がビクリと震える。
「見せて」
ケレンの短い言葉に、セリーヌはふるふると首を横に振る。怖かった。彼の前で肌を曝すことも、自身に刻まれた紋様を見られるのも。
「……いいから、痛い目に会いたくなかったら、さっさと脱げ」
「い、や……」
拒絶の言葉に、再び、ケレンの舌打ちが聞こえた。同時に、セリーヌを押さえつける力が弛む。安堵したセリーヌは身を起こそうとした。が――
「っ!?」
「怪我したくなかったら、大人しくしてなよ」
背後から、布が避ける音が聞こえた。背中が開放される。肌に感じる空気に、セリーヌが悲鳴を上げそうになった時、廊下を走る複数の足音が近づいてきた。
「……クソッ!」
ケレンの悪態に被さるようにして、低い声が響く。
「ケレン!何をしているっ!?」
「……何もしてない。それ以上、近づくな」
言って、ケレンがセリーヌから離れる。代わりに、セリーヌの背に温かな感触が触れた。それが布――ケレンの脱いだ上着だと理解したセリーヌは、上着の端をギュッと掴んで引き寄せる。
ソファの上で縮こまったまま、セリーヌが動けずにいると、ジークの深いため息が聞こえた。
「……ケレン、何を考えている。セリーヌに、何をしようとした?」
「別に?」
そう答えたケレンの声から、先程までの押し殺したような怒りが消えている。ソロリと背後を振り返ったセリーヌの視界に、扉近くに立つジークとダミアンの姿が映った。彼らに対峙するケレンが、軽く肩を竦めて見せる。
「ちょっと、隷属紋を確認してみただけ」
「隷属紋?……セリーヌにか?」
「うん。多分、あるんじゃないかなぁと思ったんだけど……」
そう言ったケレンが、セリーヌを見下ろす。その目が、スッと細められた。
「無かったんだ。……無い、んだよね?」
「……」
セリーヌがその問いに答えられずにいると、ケレンの細い目が吊り上がる。
「あるんだ?」
「止せ、ケレン。セリーヌを追い詰めるような真似は……」
「うるさいよ。ジークは黙ってて。……どこ?背中じゃないんなら、どこにあるの?」
セリーヌは、恐怖に首を横に振る。「ありません」そう小さく口にしたセリーヌに、ケレンの瞳がギラリと光った。
「嘘ついても意味ないよ。ダミアンだって居るんだから」
そう告げた彼の視線が、部屋の入口に向けられる。
「ダミアン。今の、嘘だよね?」
「う、うん。嘘だ。セリーヌさん、嘘ついてる」
ダミアンの答えに、ケレンの横顔が歪む。再びこちらをむいた彼の剥き出しの怒り、ギラギラとした瞳に、セリーヌの身体が震え出す。
「どこだ?どこにある?」
「いや、止めっ……!」
セリーヌの両手がケレンに押さえつけられる。
「さっさと言え。言わないなら、ここで全部剥いで、全身くまなく探してやるよ」
「っ!」
嫌だとセリーヌが首を振る度、背中の割かれたローブがずり落ちそうになる。恥ずかしくて、怖くて。泣き出しそうになったセリーヌの耳に、ジークの声が聞こえた。
「落ち着け、ケレン。それでは、セリーヌも答えられん。一旦、離れろ」
「……」
「セリーヌも。ケレンが離れたら、正直に話をしろ」
ジークの言葉に、セリーヌは頷いた。弾みで溢れ出した涙を見られぬよう、顔を逸らしたセリーヌの手が解放される。
ケレンの、不機嫌な声が降ってきた。
「それで?どこにあるの?」
「……背中に」
掠れた声で呟いたセリーヌの答えに、ケレンが「背中?」と怪訝そうに聞き返す。
「はい。……普段は、見えません。制約に逆らった時、制裁が発動すると模様が浮き出てきます」
「……あの野郎も同じなの?あんたの制約もさっきの男と同じ?」
「はい」
頷くセリーヌに、ケレンが「クソッ!」と吐き捨てる。
「何で黙ってた!?」
「そ、れは……、伝える必要が……」
「あるだろうがっ!?あんた、聴取で散々、研究所の内情ぶちまけてたよな!あんたも、あの野郎みたいに死ぬかもしれなかったってことだろ!」
セリーヌは、ケレンの激昂を目の当たりにして息を呑んだ。どんな時も――研究材料とされていた時でさえ、どこか飄々としいた彼が、声を荒げ、怒りをぶつけてくる。
誰よりも幸福を願う相手を本気で怒らせてしまったという事実が、セリーヌを絶望に落とす。涙が、止めどなく溢れ出した。
それを見て更に表情を歪めたケレンの向こうから、ジークが歩み寄ってくる。
「……ケレン、もういい。……お前は少し頭を冷やせ。ここから出ろ」
「嫌だね」
「命令だ。出ていけ」
ジークの厳しい声に、ケレンが「ハッ」と鼻で嗤う。
「追い出したきゃ、力尽くでこいよ!」
「いいから、今は引け。……セリーヌが怯えている」
「っ!」
ジークの言葉に、ケレンがセリーヌを見下ろす。未だギラギラした瞳。けれど、ケレンは小さく舌打ちすると、ジークの言葉に従い、部屋を出ていった。
「……ダミアン、誰かに服を持って来させてくれ」
「は、はい!」
ジークの命に、ダミアンもケレンの後を追うようにして部屋を飛び出していった。ジークと二人。残された部屋で、彼の深いため息が聞こえた。
「……それで?本当にお前にも奴隷紋があるんだな?契約は、自傷と背信行為の禁止か?」
「はい」
「ケレンではないが、それでよく、聴取に応じようと思ったな。……危険ではなかったのか?」
淡々と、落ち着いた声で事実確認をするジークに、セリーヌも徐々に落ち着きを取り戻す。
「欠陥の多い技術なんです。……そもそも、制約そのものが矛盾していますから。自死は禁じるのに、背信行為による制裁は発動されてしまうなんて、普通はそんな制約ありえません」
だからこそ、獣人支配の手段としては破綻した。どう縛っても、最終的に「死」という逃げ道は残されてしまう。
「……人間は、よくそんなものを同胞に仕込もうと思えるな」
「マイザーの場合はどうだか分かりませんが、私の場合は平民出身で、国への忠誠心が薄いと判断されたために刻まれました」
「忠誠心か……」
セリーヌは、ジークの呟きに頷く。
「はい。忠誠心がないので、自分の行動に勝手に理屈をつけて、『これは背信行為ではない』と暗示をかけています」
「自分に暗示。そんなことができるのか?」
「はい。……だから、本当に、命を落とすような危険はありません」
あったとして、たまに背中が痛むくらいのもの。安心して欲しいと笑って見せると、ジークは静かに頷いた。
「まぁ、何となく、理解はした」
そう言って、彼は部屋の入口に視線を向ける。
「ケレンには私から伝えておこう」
「……はい。ありがとうございます」
礼を言うセリーヌに、ジークは困ったような顔を浮かべる。
「……落ち着いでからでいい。お前からも、ケレンと話をしてやってくれ。お前の身を案じたが故の暴走だろうからな」
セリーヌは彼の言葉に暫く逡巡してから、最後に「はい」と小さな声で答えた。




