表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛し方も知らずに  作者: リコピン
26/35

2-08 所有/独占 Side K

ケレンにとって、セリーヌはちょっとした拾い物だった。


彼女を地下牢から連れ出したのはホンの気まぐれ。枕替わりにしたのも「そうしたい」と思ったから。その結果が思った以上の安眠だったため、彼女はケレンのお気に入りの一つになった。


周囲が言うように、「誑かされた」とは思っていない。が、別に「それでもいい」とも思っている。誑かされたとして、「それで?」と思うのだ。仮に、セリーヌが保身のためにケレンを誑かすつもりなら、ケレンは彼女を囲って自分のものにするし、飽きたら捨てる。


(どうせ、捕虜ちゃんは大した罪に問われないしね……)


セリーヌが主張する「治療」は、記録が残されておらず、彼女が「治療記録を明かすつもりはない」と口を閉ざしているため、未だその詳細が明らかになっていない。本来なら、それを以って重罪に問うこともできるのだが、彼女が真実を話していることをダミアンが保証し、彼女自身が他の研究者の罪を証言しているため、少なくとも、死罪に問われることはない。


(殺されるのが確定しちゃったら、流石に囲うのは大変かな?)


不可能とは言わないが、多少、面倒なことになるのは間違いない。それでも――今のところ――、ケレンにセリーヌを手放すつもりはなかった。


だから――


「ねぇ、捕虜ちゃん。何かあった?」


午後の昼寝を終えた帰り道。ケレンは、後ろを歩くセリーヌを振り返った。唐突なケレンの問いかけに、いつもより心なし距離のある彼女が、俯いたまま首を横に振る。


「ふーん?」


どうやら、答えるつもりがないらしい。ケレンはセリーヌから視線を外して、再び歩き始める。彼女は、黙って後をついてきた。


(拒絶って感じではないんだけどなぁ……、今更だし)


ここ数日、セリーヌはケレンに対して常に緊張している。それまでは――心を許しているまではいかずとも――、ケレンの存在を自然に受け入れていた。それが、今はなるべくケレンから距離を置こうとしているようだった。近づくと身体をガチガチに固くさせるため、抱き枕としての質も落ちている。


(それは、ちょっと面白くないよね……)


ケレンは、背後を歩くセリーヌの気配に神経を集中させる。彼女の心変わりの原因は何か。何故、ケレンから逃げ出そうとしているのか。探ろうとしたケレンの耳が、小さな空気の揺れを拾った。音にもならない小さな呼吸音。セリーヌが何かに驚いた気配に、ケレンは周囲に注意を向ける。


視界の隅に、人影が映った。


(……人間、の男?)


横切ろうとしていた中庭の反対側、顔の判別がつくかどうかという距離に、バイラートの軍服を着た男が立っている。男も、セリーヌを認識していた。


足を止めぬケレンに合わせて歩き続けるセリーヌ。男の視線が、彼女の動きを追う。ケレンが、男の表情に驚きと僅かな恐怖を感じ取った時、男が動こうとした。が、それよりも早く、ケレンの背後で動く気配がある。セリーヌが首を振ったのだろう。拒絶を示した彼女に、男は動きを止めた。それでも、その視線はずっとセリーヌに向けられたまま。


視界から消えた後も感じる視線に、ケレンの尾がユラリと揺れる。


不快――


胸を占める苛立ちに、ケレンはむっつりと黙り込む。ただでさえ、セリーヌの態度にイラついていたのに。男の存在はケレンの神経を逆撫でした。


セリーヌに、男について問い質そうとは思わなかった。尋ねたところで、彼女が素直に答えるとは思えず、何より、彼女の口から男の存在を聞かされるのが嫌だった。


何故、嫌なのか。それを考えることはせず、ケレンはセリーヌを地下牢へ戻す。牢に入る彼女の横顔は酷く青ざめていたが、ケレンは何も言わなかった。扉の鍵を閉め、地下牢を後にしても、ずっと黙り込んだまま。


だが、ふと思い立ったケレンは、自室へ戻りかけた道を引き返す。地下牢の手前、下り階段の前で警備に立つ顔見知りの兵に声を掛けた。そうして、いくつかの「頼み事」をしたケレンは結果に満足し、今度こそ、その場を後にした。


その日の夜――


ケレンは、地下牢の入口が見える廊下の闇に潜んでいた。山猫獣人の特性上、ケレンの目は暗闇でも特に支障なく周囲を見渡すことができる。そんなケレンの視界に、廊下を歩く人影が映った。


(うわぁ、ホントに来た……)


のこのこ現れた人影――昼間見かけた男の姿に、ケレンは「馬鹿なのかな」と思う。セリーヌが拒絶したことを考えると、男と彼女の仲は知られてはならぬもの。少なくとも、セリーヌはそう考えているはずだが、男は何の警戒もなく地下牢の入口に近づき、そうして案の定、警備の兵に行く手を阻まれた。しかし、短いやりとりの後、身を改められた男は地下への立ち入りを許され、階段を下り始める。


男の姿が見えなくなって直ぐ、ケレンは入口へ向かった。顔なじみの衛兵に軽く手を上げ、融通を効かせてくれたことに礼を言う。そもそも、許可の無い者が虜囚に会うことは禁じられており、男がここを通れたのは、ケレンが予め手を回しておいたからだ。


(我ながら、面倒なことしてるよねぇ……)


ケレンはうんざりとした気分で思う。


だが、それもこれも、男の正体――セリーヌとの関係を知るため。彼女が隠そうとするなら、こうして探る方が容易い。そう考えての判断は間違っていなかったわけだが――


(まさか、こんなに早く現れるとはね……)


緊張感がないのか、それとも、よほど焦っているのか。軽率な行動に、ケレンは半ば呆れつつ、気配を消して男の後を追った。


いくつかの扉の前を通り抜けた先、目当ての扉の前に、やはり、あの男が立っていた。男と、セリーヌの囁き声が聞こえる。ケレンは闇に身を顰め、扉越しに交わされる会話に耳を傾けた。


「……セリーヌ様、必ず助け出します。ですから、どうか、今暫く……!」


「止めて、ロッシュ!何もしないで……!」


男の思いつめたような声。返すセリーヌの声も切羽詰まっていた。


(ふーん……?)


ケレンの不快に拍車がかかる。


セリーヌのこんな声を、ケレンは知らなった。ケレンが何を言おうと、それこそ、聴取中に押し倒した時でさえ、彼女が感情を露わにすることはなかった。だから余計に、それを崩してみたいと思っていたのだが、実際に感情を剝き出しにしたセリーヌは、ただただ不快なだけだった。


(おかしいなぁ。絶対、面白いと思ってたのに……)


不快の理由は何なのか。声だけでなく、彼女の必死な顔を見れば、このイライラは収まるのか。首を捻るケレンの耳に、セリーヌの震える声が聞こえた。


「お願い、ロッシュ。帰って。帰ってそのまま、私のことは忘れて……」


「無理です!あなたを見捨てるなんてできない……!」


声が大きくなった男が、ハッとしたように周囲を見回し、声を潜めた。


「……安心してください、セリーヌ様。この国に亡命して、僕も漸く認めてもらえるようになってきました。今は王国軍の第二隊に所属しています。僕から話せば、きっと……」


「何を話すと言うの?」


男の言葉を遮るように、セリーヌの鋭い声がした。潜められていても怒気の伝わるそれに、男が言い淀む。


「それは……」


「私が……、私たちがしたことを公にするつもり?」


「……」


先程までの饒舌が嘘のように、男が黙り込んだ。


「……分かるでしょう、ロッシュ?あそこで起きたことは絶対に口にしちゃいけない。全て消した、……ううん、何もなかったんだから」


懇願するようなセリーヌの声に、男は答えない。


「……ねぇ、ロッシュ」


(っ!)


(おもね)る声。セリーヌの甘く甘く、優しい声の響きに、ケレンの背筋をゾワリとしたものが駆け抜ける。


「あの子は今、笑っている……?」


ケレンには読み取れぬ問いに、男は暫くの間をおいてから、「はい」と答えた。セリーヌが、安心したように「そう」と呟く。


「……だったら、やっぱり、お願いよ、ロッシュ。あなたは一生、口を噤んでいて」


「セリーヌ様……」


「あなたが私に罪悪感を抱く必要はないわ。だけど、納得できないというなら、沈黙をあなたの贖罪にして。……一生誰にも何も言わず、抱えて生きるの」


そう告げたセリーヌは、男が何か答えるより先に、「さようなら、ロッシュ」と別れを告げる。それきり沈黙した彼女に、男が何度も呼びかけるが、彼女が男の声に再び応えることはなかった。


そこまでを確かめて、ケレンは男より先に地下牢を抜け出す。階段を上がりきったところで、チラリと背後を振り向いた。


今夜この場で見聞きしたことを、誰かに報告するつもりはない。下手にセリーヌの秘密を暴いて、彼女が死罪になっては困るし、放っておいても特に問題にはならないだろう。あの男にセリーヌを助ける力はなく、彼女自身にも逃げる意思がない。


だったら、まだ暫くは、セリーヌはケレンのもの。ケレンの安眠は担保される。だから、問題は何もない。なのに、何故――


(……ムカツク)


何故、この不快はいつまでもケレンの内に留まるのか。


人気(ひとけ)の無い廊下、ケレンの苛立ちが舌打ちになって零れた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ