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愛し方も知らずに  作者: リコピン
23/35

2-05 明かす真実、語れぬ想い

ケレンが、笑っている――


込み上げる歓喜を押し殺し、セリーヌは静かに見惚れる。


新緑の瞳に映るのは愉悦だろうか。嬉々として語られるケレンの言葉を、セリーヌは一つも聞き漏らさぬよう、耳を傾けた。


研究所で捕らえられた時――否、そのずっと以前――より、セリーヌは自らの死を覚悟していた。前世の後悔から、決して自死は選ぶまいと決めているが、迫る死を拒みはしない。それが当然の帰結、自身が行ってきた行為の代償なのだから、粛として受け入れるつもりでいた。


セリーヌは、ケレンの足元で躯となった男を見下ろす。あれが自らの成れの果てだと思うと恐ろしいが、同時に、似合いの末路だとも思う。


「正直に答えろ」というケレンの言葉に従い、セリーヌは前を向いた。正面に座る獣人の青年には見覚えがある。ケレンの記憶に度々登場した彼には特殊なスキルがあり、嘘が通じない。セリーヌは黙って彼の言葉を待った。


「……あー、えっと、それじゃあ、改めて聴取を始めます」


茶色の耳の犬獣人――ダミアンの言葉に、セリーヌは頷く。


「それでは初めに、もう一度、名前を教えてください」


彼の問いにセリーヌが口を開きかけた時、横からケレンの声が割って入った。


「セリーヌだよ。さっき、そう言ったでしょ?」


ケレンの横やりに、ダミアンが分かりやすく唸り声を上げる。


「もう、分かってるよ!でも、これは大事な本人確認なんだから!ケレンは黙ってて!」


「えー、なんで?態々同じこと繰り返すなんて、面倒でしょ?」


揶揄うようなケレンの言葉に、ダミアンが勢いよく立ち上がる。彼が何かを言うより早く、ケレンの背後から手が伸びてきた。その手が、彼の襟首を捕まえる。


「ゥグッ!」


ケレンの口から漏れた呻き声。彼の身体がズルズルと引きずられていく。


セリーヌが唖然と見送ると、部屋の奥、壁の前で立ち止まった男性がケレンを放り投げ、こちらを振り向いた。セリーヌは、その男性(ひと)にも見覚えがあった。


目の合った男性――ジークがセリーヌを見て、思案するように呟く。


「お前はケレンを廃棄しようとした女だな?……あの研究所で、お前はケレンに何をした?」


彼の言葉に、セリーヌの身体はフルリと震える。


「私は……」


嘘を許さぬ相手を前にして、セリーヌの声が掠れる。正直に伝えて、それでどこまで信じてもらえるだろう。部屋に沈黙が落ちる中、床に転がっていたケレンが「乱暴だなぁ」とぼやきながら立ち上がった。


「何?俺、捕虜ちゃんに棄てられるとこだったの?」


その緊張感のない物言いに、セリーヌの口からスルリと否定の言葉が零れ出る。


「いいえ。本当にあなたを捨てようとしたわけではありません。あれは、あなたを逃がすために……」


セリーヌの言葉に、ジークが「フン」と鼻を鳴らした。


「物は言いようだな。お前は、ケレンを逃すためにあのようなことをした、偽装だったと言うのか?」


「はい……」


セリーヌが肯定すると、ジークは視線をダミアンへ向けた。ダミアンが頷き返し、セリーヌの言葉の真を認める。ジークの眉間に皺が寄った。


「では聞くが、なぜ俺たちがケレンを助けに来たと分かった?グラストの軍人どもは、俺たちの正体に気付いていなかった。なぜ、お前だけが気付けた?」


「それは……」


ジークの追及に、セリーヌは言い淀む。


正直に答えようとすると、必然、彼女(・・)の存在に触れることになる。セリーヌは彼女――狼獣人の女性が救助を要請してくれたのだと推測しているが、ジーク達から直接聞いたわけではない。この場においても、誰も、彼女について口にしていなかった。


ならば――


(……私から、あの女性(ひと)について明かすことは出来ない)


彼女はセリーヌの患者だ。患者について知り得た全てを、セリーヌは守秘すると決めている。特に、彼女が置かれた状況、彼女の身に起きたことを考えると、その思いは強くなる。治療記録を破棄したのもそのためだ。彼女が許さぬ限り、研究所(あそこ)での出来事が明るみに出ることはない。


沈黙するセリーヌに、ジークが片眉を上げる。


「どうした?答えることが出来んのか?」


その問いに、セリーヌは別の答え口にする。


「……私は、触れた相手の記憶に潜ることが出来ます」


「『記憶に潜る』?……人の記憶を読むということか?」


「はい、読むことも出来ます。ですが、それだけでなく、潜った記憶に関わる、……書き換えることが出来ます」


セリーヌの告白に、ジークの眉間の皺が深くなる。考え込んだ彼の隣で、ケレンが「へぇ」と口角を持ち上げて嗤った。


「すごいね、ソレ。てことは、捕虜ちゃんは俺の記憶に潜ってジーク達を知ったってこと?だから、俺のお迎えだって分かった?」


「はい」


「ふーん?じゃあ、もしかして、ダミアンのスキルについても知ってたりする?」


その問いにもセリーヌは「はい」と答えた。ケレンが「それじゃあ」と言いながら壁を離れ、セリーヌに近づく。背後に回った彼が、セリーヌの両肩に手を置いた。


「当ててみてよ、ダミアンのスキル」


「……彼のスキルは、人の言動から嘘を見破ること、です」


答えた瞬間、肩に置かれた手に力がこもった。セリーヌは背後を振り返ることなく、ダミアンを真っすぐに見つめる。彼の視線も、セリーヌを真っすぐに見つめ返した。数瞬の間、ダミアンの表情が崩れる。


「……ハァ、本当だ。彼女、嘘ついてないよ」


彼の言葉に、背後から「へぇ」という声が降って来た。ケレンの手が肩から離れ、そのままスルリと両腕がセリーヌの首に巻き付く。


「捕虜ちゃん、そんな悪いことしてたの?」


「っ!」


耳元で囁かれる声、首筋に感じる熱にセリーヌの身体がビクリと震えた。「ごめんなさい」、そう小さく呟いた声に、首筋に顔を埋めたケレンが押し殺した笑い声を漏らす。


動けないセリーヌ。呆れたような表情のダミアン。その空気を壊すように、ジークの低い声が聞こえた。


「ケレンの記憶を消したのはお前か?」


「っ!?」


セリーヌはハッとして部屋の奥に視線を向ける。ジークの鋭い視線に射竦められるが、それよりも――


「記憶が、戻っていないのですか……?」


声が震えた。握った拳も震え出す。


肩の上にあった温もりが離れていくのを感じて、セリーヌは隣を見上げた。目を弧にしたケレンが見下ろす。


「戻ってない。と言うか、欠けちゃってる感じ?」


「欠けている……。あの、具体的には?」


「捕虜ちゃんたちの研究所に侵入して、助け出されるまでの間、かな?」


ケレンの答えに、セリーヌは僅かに安堵した。


(良かった。大切な記憶は失われていない……)


再会した時の彼の様子から、完治したのだと勝手に判断し、当然、記憶も戻っていると思い込んでいた。そうでないと聞かされ慌てたが、失った記憶はごく一部。しかも、彼が記憶を失う直接の原因となった部分だから、セリーヌ個人としては「思い出す必要はない」とすら思う。


だが、それを決めるのはセリーヌではない。


「……記憶を、取り戻したいですか?」


「んー、別に?無くても困らないし。……ただ、捕虜ちゃんが俺にしたあれこれを思い出せないのはちょっと惜しいかなぁ」


その軽口に何と返すべきか。押し黙るセリーヌに、ケレンの笑みが深くなった。


「捕虜ちゃんがそう聞くってことはさぁ、俺の記憶がないのは捕虜ちゃんのせいじゃないってこと?」


探る視線に、セリーヌは小さく頷いた。


セリーヌは、ゾマーの研究に直接関わっていない。けれど、あの男がケレンに何をしたのか知っている。ケレンには、研究所(わたしたち)がしたことを知り、それを罰する権利があった。


セリーヌはもう一度、血だまりの男に視線を落とす。


「……ケレンを研究対象としていたのは、そこの男、マヌエル・ゾマーです。……彼は研究所の長で、獣人の精神支配、戦力としての運用を研究課題にしていました」


「精神支配、だと……?」


部屋の奥から聞こえた唸るような声。ジークが発する怒気に怯みそうになるが、セリーヌは己を叱咤して言葉を続ける。


「私は彼の研究班に加わっていなかったため、詳細は語れません。……ですが、研究所では報告会を行っていましたので、ある程度であれば、互いの研究内容を把握しています」


「お前は、研究所(あそこ)で人体実験があったことを認めるんだな?」


「はい。……あの、彼の研究室に記録が残されていませんでしたか?記録球など、ケレンに関するものがあるはずです」


セリーヌの問いに、ジークは首を横に振る。理由を語るつもりはないようだが、どうやら、ゾマーの研究記録は押収されていないらしい。


(私と同じように、ゾマーも記録を廃棄した……?)


だとしたら、あの男の研究内容を明らかにする手段は限られる。セリーヌは、覚えている範囲で報告会の話をしようとしたが――


「ねぇ、捕虜ちゃん。だったら、俺はなんで捕虜ちゃんに捕まってたの?」


「え……?」


「そいつが俺の頭をいい様にいじくったんだとして、その後、何で俺は捕虜ちゃんのところに居たの?」


セリーヌは暫し逡巡する。ケレンにあの日々の記憶が無いのなら、忘れたままでいてほしい。彼の傷に触れぬよう、言葉を選びながら説明する。


「……ゾマーの実験で、あなたは酷く傷ついていました。こちらの言葉に反応せず、動こうともしませんでした。それで……」


「それで?」


「……私のスキルで、あなたを治療しようと思ったんです」


セリーヌの言葉に、ケレンの耳がピクリと動いた。


「治療、ねぇ?実験の間違いじゃない?」


揶揄する言葉に、セリーヌは首を横に振る。


「研究所に所属していましたが、私は治療師です。私の研究は患者を治療すること。……私は、あなたの自我を取り戻したいと考えていました」


「それで、俺の記憶に潜ったって?」


「はい。……あなたの許可なく記憶に触れたことは申し訳なかったと思っています」


今更ではあるが、セリーヌは頭を下げる。顔を上げると、見下ろすケレンの口元に皮肉げな笑みが浮かんでいた。


「許可なく潜れるってことは、俺の記憶、捕虜ちゃんの好き勝手にいじられてるってことなんじゃないの?あ、ひょっとして、都合の良い記憶植え付けて、俺のこと仲間にしようとしてる?」


「いいえ……」


「分かんないよぉ?そう言えばなんか、ジークのことムカついてきた気がするし!」


ケレンの言葉はただの軽口だ。分かっていて、セリーヌは真摯に言葉を紡ぐ。


「それは不可能です。私のスキルには限度があり、記憶に矛盾が生じるような操作、書き換えは出来ません」


「ん?どういうこと?」


首を傾げるケレンに、セリーヌは「例えば」と告げる。


「ケレン、あなたに『自分は人間だ』という記憶を持たせたいとします。そのためには、あなたが生まれた時から今まで、矛盾する記憶を全て書き換えなければなりません」


「全部?」


「はい。あなたの周囲に居るのは獣人の仲間がほとんどですから、その彼らが『獣人ではなく人間だ』と記憶を誘導します。更に、それに付随する記憶にも矛盾がないよう、一つ一つ置き換えていく……」


説明の途中で、ケレンが「ああ、つまり」と呟いた。


「実質、不可能ってこと?」


「はい。人の持つ記憶は膨大なので、必ずどこかに齟齬が生まれます」


「んー……」


セリーヌの言葉に納得がいかないのか、ケレンは首を傾げて、それから、ニヤリと笑った。


「でも、書き換えはできなくても、消してしまうことは出来るんじゃない?消えちゃえば、矛盾じゃなくて、『分かんない』で済むよね?」


「それは……、はい、可能です」


セリーヌの答えに、彼は満足そうに頷く。


「そっかぁ。消しちゃえるんだぁ」


「……」


「でも、俺の記憶がないのは捕虜ちゃんのせいじゃないんだよね?捕虜ちゃんは俺の記憶を取り戻そうとしてくれただけだもんね?……失敗しちゃったみたいだけど」


「……はい」


小さな声で答えたセリーヌに、ケレンは満面の笑みを浮かべる。直視出来ずに俯くセリーヌの視界の外で、ダミアンの声がした。


「ジーク隊長、取りあえず、この人、嘘はついていません」


「……そうか」


「はい。どうしますか?聴取、まだ続けます?」


彼の言葉に、「いいや」という声が返ってきた。


「時間が押しているからな。今日の聴取はここまでだ」


ジークの声が近づいてくる。顔を上げたセリーヌの視界に、こちらを見下ろす彼の姿が映った。


「お前は、他の研究者たちの研究についても把握しているんだな?」


「はい。……ある程度ですが」


「分かった。では今後、お前には我々の調査に協力してもらう。お前の知ることを全て話せ」


威圧感のある言葉にセリーヌが頷いたと同時、ケレンのはしゃぐ声が聞こえた。


「わー!捕虜ちゃん、仲間を裏切るんだ!いいのかなぁ?そんなにあっさり仲間を売って」


「……」


「保身?自分だけは助かりたい?」


セリーヌは「違う」と首を横に振る。今更、何をしようと、自分の罪が許されるとは思わなかった。連座になるのは構わない。だから、彼らに協力するのは贖罪にもならない自己満足。獣人を貶めた人間に罪を償わせたいという怒りもあった。


「ふーん、そうなんだ?……まぁ、別に、どっちでもいいんだけどね」


言って、ケレンがフワリと笑う。初めて見せる穏やかな笑み。


「明日から、いっぱい話聞かせてね?……よろしく、捕虜ちゃん」


その笑みに魅せられて、セリーヌは静かに頷く。背中が、鈍い痛みを訴えていた。






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