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愛し方も知らずに  作者: リコピン
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1-16 待ち望んだはずの (一章終)

だが、結局、朝の光の中でケレンが見せた反応はセリーヌの期待したものではなかった。


今までと同じ、セリーヌが声を掛けない限り、彼は動かない。声を掛け、手を貸すことで日常の動作をこなすという状態に変化はなかった。


ただ一つだけ。変化があったのは――


(やっぱり、今朝も……)


就寝中にケレンが動いてみせた日から一週間。朝、目覚めると、ベッドで寝ていたはずのケレンがセリーヌの隣に移動している。それも、セリーヌを抱え込むようにして眠っているのだ。


自身を拘束する腕から抜け出したセリーヌは、立ち上がり、棚の上に置いた記録球を手に取る。魔力を流すと、記録された映像が白い壁に映し出された。


映像の中、映るのは暗い室内にそれぞれベッドと床で眠るケレンとセリーヌの姿。暫く何の動きもない映像を早送りで進めると、不意に、ベッドの上に変化が現れた。


ケレンが上半身を起こす。その目ははっきりと開いている。


ベッドから足を下ろした彼は静かに移動し、床に眠るセリーヌの傍に立った。それから、ゆっくりとした動作でセリーヌの隣で横になり、寝ているセリーヌを抱き締める。そうして、彼もまた眠りに落ちたのを確かめて、セリーヌは記録球に流す魔力を切った。


光を失った記録球を見つめて、セリーヌは思わずうなる。


(動きも、昨日までと全く同じ……)


ここ数日、就寝中のケレンを記録した映像はどれも似たり寄ったりの場面を捉えている。一見、自らの意思で行動しているように見えるケレンだが、その動きは画一的で単調。何かを考え行動しているようには見えない。これが、彼にとって良い兆候なのかどうか、セリーヌには分からなかった。これではまるで人形、操られているようだ、とそこまで考えて、セリーヌは首を横に振る。


(いけない。悪い方にばかり考えてる)


不安を断ち切るため、セリーヌは記録球を棚の上に戻した。お茶を淹れようと、私室を出る。研究室の薬缶を火にかけて、魔法陣の赤い火を眺める。


(大丈夫。悪化しているわけではない。多分、あと少し、もう少し、何かがあれば……)


思考の迷路に陥るセリーヌの目の前で、薬缶がシュンシュンと音を立て始めた。






「……治療七十二日目、前日より状態変わらず。……年齢は恐らく現時点に追いついているものの、記憶場面に新たな変化はありません」


その日の治療を終えたセリーヌは、潜った記憶世界の様子を記録球に吹き込んだ。


記憶世界の情報をカルテに残そうと、セリーヌは研究室へと移動する。机について暫く、特筆すべきことがあまりないことに悩んでいたセリーヌの耳に、部屋の外の喧騒が届いた。


(何か、揉めている……?)


外の様子を確認するため、セリーヌは扉を細く開いて外を覗く。廊下の先で、衛兵が出入りの業者らしき三人を足止めしていた。


研究所内に立ち入りが許されている部外者は少ない。許可されるのは大型荷物の搬入搬出、或いは危険物の引き取りを行う業者だが、彼らは分かりやすく黒の上下を着ているか、同色のローブを纏っている。廊下の先の三人も同じような恰好をしているが、先頭に立つ人物を見て、セリーヌは訝しんだ。


(女性……?)


珍しい。と言うより、初めて目にした、少女と言える年若い女性が、衛兵を相手に声を荒げていた。


「ですから!何度も言うように、私たちはセザント商会に依頼されて来ました!手が足らないとのことで、臨時の引き取りを任されたんです!」


少女が口にしたのは、日頃研究所に出入りしている業者の一つ。確かに、「廃棄物」の引き取りを行っている業者だが――


(あっ……!)


セリーヌは、少女の背後に立つ男性の顔を見て息を呑む。フードの奥、鋭い眼差しのその人を、セリーヌは知っていた。会ったことはない。けれど、彼の名前は知っている。恐らく、彼がここに居る目的は――


「っ!ごめんなさい、その人たちは私が呼んだの!」


状況を理解すると同時、セリーヌは研究室を飛び出した。


集団に呼びかけながら、近づいていく。衛兵が振り向いた。その衛兵が、狼獣人の女性の件で揉めた相手だと気付いたが、セリーヌは怯むことなく男の隣に立つ。


相対する三人に視線を向けると、やはり、一人は見知った人物。彼ともう一人の男性は真っ黒なローブ姿で、フードを被っていた。残りの一人――明らかに人間の少女が、訝しげにこちらを視線を向けて来る。


(この()は、人間、よね……?)


少女は男性労働者と同じような汚れの目立つズボンとシャツを身に纏っていた。顔も薄汚れていたが、目鼻立ちが整っているのが分かる。その背後に立つ二人の男性はどちらも背が高く、少女と違い、ローブのフードを深く被っていた。セリーヌは、少女の右に立つ男に視線を向ける。


(……間違いない)


そこに居たのは、間違いなく、狼獣人の男性。名を、ジークと言ったか。ケレンの記憶場面に幾度となく現れた彼の上司。今はフードに隠れているが、彼の頭部には立派な狼の耳が生えているはずだ。


セリーヌは、視線を衛兵に向ける。


「彼らは私が頼んだ廃棄処理の業者よ。騒がせてしまってごめんなさい」


彼らを庇い、研究室へ招き入れようとしたが、男が行く手を阻んだ。


「お待ちください。処理業者の立ち入りには我々衛兵の立ち合いが必要です」


「問題ないわ。私が対応します」


「駄目です。規則に反します。認められません」


鋭い口調でそう告げる男の目には、隠しようのない不審が浮かんでいた。


疑われている――


セリーヌはそう直感した。目の前の三人だけではなく、セリーヌ自身が疑われている。


セリーヌは、衛兵の向こうで緊張を見せる三人をチラリと見た。ケレンの記憶によると、ジークという狼獣人は強い。もう一人の男性もジークより更に体格が良いため、衛兵一人であれば、力でねじ伏せることが可能だろう。けれど、ここで騒ぎを起こしてしまえば、彼らがここを出た後、国境を越えるのが難しくなる。


セリーヌは焦る気持ちを押し隠し、衛兵に「分かりました」と頷く。


「では、立ち合いをよろしくお願いします。……ですが、処理をお願いするのは危険物ですので、重々お気をつけください」


脅しのようにそう告げて、セリーヌは研究室へと廊下を歩き出した。歩きながら、背後を確認する。不機嫌を露わに後をついてくる衛兵の姿を認めて、セリーヌは内心で歯噛みする。


(この人の前で、ケレンの話をするわけにはいかない)


獣人たち三人の目的は、恐らくケレンの救出。けれど、彼らの中にあの狼獣人の女性の姿がないため、セリーヌは確信が持てないでいた。なぜ、彼女がいないのか。もしや、三人の目的は全く別のものなのか。


(何か、ケレンの味方と分かるように符丁を決めておくべきだった……)


後悔するが、特に打つ手もないまま研究室にたどり着いたセリーヌは、扉を開いて背後を振り向いた。


「……外で待たれますか?」


そう尋ねたセリーヌに、衛兵の男は首を横に振る。


「いえ。中で立ち会います」


「分かりました……」


これ以上の拒絶は難しい。セリーヌは、衛兵と獣人たちを研究室へ招き入れる。


「こちらを着用してください……」


言って、衛兵の男に手渡したのは、衛生を保つためのエプロンとマスク。それに、分厚い革のグローブを追加する。渡された男が、僅かに戸惑いを見せた。


「……これらを使用する必要があるのですか?」


「ええ」


男の疑問に、セリーヌは自らもマスクを装着しながら答える。


「種々の実験に使用した実験体ですから。何の病気を持っているか分かりません」


「病気……」


男が躊躇うのを眺めながら、セリーヌは私室の扉を開けた。


「施した実験があまりにも多岐に渡るため原因の特定には至りませんでした。ですが、いずれかの病原体が悪さをした可能性はあります。……アレは脳まで侵され、再起不能に陥りましたから」


「っ!」


開いた扉の向こう、ベッドの上で虚空を見つめるケレンの姿に、衛兵の男が息を呑んだ。食事を摂るようになってから随分と回復したが、それでも、一度落ちたケレンの肉は完全には戻っていない。やせ細り、虚無を瞳に映す姿は衝撃的だったのだろう。一歩後ずさった男が、研究室の扉近くにいた獣人たちを振り返った。


「もういい。さっさと運び出せ」


男の言葉に、ジークが動く。黙ったまま歩み寄ってきた彼に、セリーヌは搬出用の袋を手渡した。狼獣人の女性が入れられていた袋。洗ってはあるが、血の染みついたそれに、彼の顔に一瞬だけ不快がよぎる。一瞬で消え去った彼の表情に気付かぬ振りで、セリーヌはベッド脇に立った。


「……その袋に入れてください」


セリーヌの指示に従い、ジークがケレンを袋に詰める。ケレンの抵抗はない。物言わむ彼の姿に、ジークの眉間に皺が寄った。苦しそうな表情、ケレンの姿に心を痛める彼に、セリーヌは内心で安堵する。


(良かった……)


やはり、彼らはケレンの救出任務が目的だったようだ。少なくとも、ケレンの身を案じてくれている。直接言葉は交わせぬものの、彼らにならケレンを任せられる。


「……袋を締めたら、どいてください」


「……」


何も言わずに場所を譲ったジークに代わり、セリーヌは閉じた袋の上に屈みこむ。中身が分からぬよう、きっちりと閉じられた袋に、搬出用のタグをつけた。


――廃棄処理(危険物指定)


赤のインクで書かれたそれは、開封厳禁を表す。これで、研究所を出るまで――もしかしたら、それから先のいくつかの検問も、中味を改められることなく通過できるだろう。


「……完了です。搬出してください」


立ち上がったセリーヌは、足元の袋を見下ろして淡々と告げる。ジークが、ケレンを肩に担ぎ上げた。


「……」


「……」


一瞬だけ交差した視線。ジークの瞳に、冷たい炎が垣間見えた。


「……ご苦労様でした」


辛うじて音にした労いの言葉。セリーヌが告げたそれに、返答はない。


衛兵を先導に、黙ったまま研究室を後にする獣人たち。最後尾、振り向いた人間の少女が見せた鋭い視線――侮蔑に、セリーヌは息を呑む。


自分と同じ人間でありながら、堂々と獣人の側に立つ少女。彼女の瞳は、獣人をモノとしか扱えぬセリーヌを憎み、蔑んでいた。


彼女と私はこんなにも違う――


(力が無いなんて、ただの言い訳。私は、今の境遇に甘んじてしまっている……)


羞恥に、セリーヌは彼女から視線を逸らした。


扉が閉まり、気力で支えていたセリーヌの身体が崩れ落ちる。その場にへたり込んだセリーヌは、静まり返った室内を見回す。


部屋には誰もいない。ベッドの上にも、どこにも。最初から、誰もいなかったかのように、何の気配も感じられなかった。


本当に、誰もいない――


突如溢れ出した涙。セリーヌの口から嗚咽が漏れる。たった一人きり、その空間で、セリーヌは疲れ果てるまで泣き続けた。






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