1-15 夢路
彼女が去った後、セリーヌは改めて自身の寝床を整えた。床の上に敷き詰めたクッションで寝る生活に戻ったが、そこに不満はない。
セリーヌは小柄な方ではあるが、成人二人で寝るにはやはり研究所のベッドは狭い。どれだけ気を付けたつもりでも、朝目覚めるとケレンに抱きしめられている、或いは、セリーヌがケレンに抱きついていることが何度かあった。
そんな夜、セリーヌは夢うつつに彼の記憶世界を覗いてしまう。治療目的ではなく記憶に触れることに引け目を感じていたセリーヌは、一人の寝床を確保して漸く安堵した。
ベッドで寝息を立てるケレンの姿を確認したセリーヌは、自身もクッションの山に身を横たえる。そうして訪れた睡魔に身を任せたその夜、セリーヌは夢を見た。既視感のある夢。よく似た場面を知っている。
(だけど、これは……)
本当に夢――?
夢の中で、セリーヌは混乱していた。これは夢のはず。そうでなければおかしい。だって、今は治療中ではないし、彼に触れてもいない。だから、これは夢のはずで――
「……また、あんた?」
「……」
どこかの屋敷だろうか。いつもより豪勢な室内、天蓋付きのベッドの上で横になっていた男が身を起こした。
「ほんと、しつこいな。そんなに俺をとり殺したいの?」
いつもと同じ軽い調子、だけど、いつもより僅かに疲れた声。少しだけ迷って、セリーヌは男――ケレンに答えた。
「……私は亡霊ではありません。あなたをとり殺すつもりもありません」
夢の中だから言えること。彼の記憶世界ではあり得ない反応を返したセリーヌだったが、記憶世界から弾かれることはなかった。
(やっぱり、夢なのか……)
ケレンの記憶世界を繰り返し覗いたせいか、夢と記憶世界の境界が曖昧になっているらしい。そのことに少しだけ不安を感じるセリーヌの耳に、「へぇ」というケレンの楽しげな声が聞こえた。
「あんた、しゃべれたんだ」
言ってベッドを下りた彼が、部屋の隅、セリーヌへと歩み寄ってくる。しなやかな肢体、足音一つ立てずに近づいてくる彼の姿が、現実の彼の姿と重なる。
夢の中だからだ。ここは彼の記憶世界ではない。そう分かっていても、彼の記憶が現在の彼に追いついたのではと錯覚してしまう。自然、セリーヌは笑った。
「……ねぇ、殺し屋でも亡霊じゃないないってんなら、あんたは何なの?」
目の前に立ち塞がったケレンが、セリーヌを見下ろす。
「気づいたら居るけど、あんた、何がしたいわけ?……そんなに俺に殺されたい?」
低くなったケレンの声にも、セリーヌの笑みは消えなかった。セリーヌは、小さく首を横に振る。
「何も……」
「は?」
「何もするつもりはありません。ただ……、ただ、見ているだけです」
セリーヌの言葉に、ケレンの眉間に皺が寄る。
「何、それ。意味わかんない」
言って、セリーヌの顔――ローブの奥を探ろうとするケレン。
「……ホント、意味分かんない。顔は見えないし、いつの間にか部屋に入ってくるし……」
そう呟くケレンが、ため息とともに首を傾げる。
「あんたさ、亡霊じゃなくても、人じゃないよね?魔女か何か?」
心底分からないという風に尋ねられて、セリーヌはまた笑った。
「あなたがそう思うなら。私は魔女です」
「……俺が思うなら、か」
スッと目を細めたケレンの右手が伸びてくる。彼の手がセリーヌに触れる直前、セリーヌの視界が白に染まる。記憶世界から弾かれるような感覚。けれど、これは夢。夢からの覚醒なのかと戸惑うセリーヌの耳に、ケレンの声が聞こえた。
――魔女、俺の魔女……
「っ!」
一気に覚醒したセリーヌの意識。暗闇の中、飛び起きそうになった身体が動かない。驚く間もなく、セリーヌは自身の身を包む熱に気が付いた。
クッションの上、セリーヌを抱き締める人がいる。
「っ……!」
セリーヌは、上げそうになった悲鳴を飲み込んだ。その熱が誰のものなのか。回される腕の重さをセリーヌは知っている。
(ケレン……!)
彼が、隣に居る。ベッドの上に居るはずの彼が。
(ああ、嘘っ!本当に……!?)
セリーヌの胸の内に歓喜が沸き起こる。
彼がココに居るということは、彼が動いたということ。セリーヌが寝ている間に、自らの意思で。
セリーヌは目にした事実が信じられずに、隣で眠るケレンをじっと見つめた。微かな寝息。無防備に寝顔を曝す彼は、どんな顔で立ち上がり、ここまで歩いて来たのだろう。ドキドキと、セリーヌの鼓動が速くなる。
確かめたい。
今すぐにケレンを起こして、彼の反応を見てみたかった。その気持ちを押し殺し、セリーヌは彼の寝顔を見つめる。期待に弾む胸、明日の朝が楽しみで仕方ない。彼は、自らの意思で立ち上がる姿をセリーヌに見せてくれるだろうか?何か言葉を掛けてくれるだろうか。
まんじりともせずに、セリーヌは朝の光を待ち続けた。




