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愛し方も知らずに  作者: リコピン
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1-08 動き始めた世界

「……治療三十ニ日目。患者の反応に変化なし。引き続き、記憶への接触を図ります」


ケレンの記憶世界でループから抜け出した翌日、セリーヌはいつものように記録球を置いて、彼の左手を握る。


落ちていく意識、一瞬の後、セリーヌは目の前に広がる光景に息を呑んだ。


(う、そ……)


暗闇の中に立ち尽くしているのはいつもと同じ。けれど、昨日まではたった一つしかなかった記憶場面が増えている。自身の横を通り過ぎていくいく光景に、セリーヌの胸に喜びが沸き上がった。


(記憶が、蘇り始めてる……!)


今までセリーヌが接してきた患者の記憶より、圧倒的に少ない数ではある。それに、よく見ると、いずれの記憶場面も霞が掛かっていたり、黒く塗りつぶされていたりと明瞭なものが存在しない。それでも、彼の中に生まれた如実な変化に、セリーヌの目の奥に熱いものが込み上げた。


溢れそうになるものを押し込んで、セリーヌはケレンの記憶を観察する。通り過ぎていく箱庭のような記憶達。登場人物がほとんど現れない陰鬱な場面が浮かんでは消えていく。ケレンを庇護する者――以前の母親のような存在が見当たらない。現れるのは「個」として認識されない有象無象の影のみで、彼らは常にケレンにとって「害をもたらすもの」として存在していた。


(……母親は亡くなっている?)


或いは捨てられたか。


前回、ケレンが追い回されていた時に薄々感じていたことではあるが、彼はどうやら孤児となってしまったようだった。残飯をあさり、店先から盗んだもので飢えをしのぐ姿。眠るのは路地裏か、打ち捨てられた廃屋のような場所。棒切れのような細い身体にほとんど用をなさなくなったボロをまとい、必死に生き足搔く少年が、通り過ぎる場面の中で徐々に成長していく。


最初から笑顔を見せなかった彼が、やがて暴力に悲鳴さえ上げなくなった頃、彼の生活に変化が訪れた。が、それは決して良い変化ではなかった。路地裏で生き残るために罪を犯し続けたケレンの行きついた先は犯罪者組織。そこのトップらしき男に目をかけられた彼は、生き残るために、更なる罪を犯し始めた。


便利な使い走りとして扱われていた彼が、徐々に力をつけ始める。暴力を振るわれる側から振るう側へ。


組織同士の抗争なのか、凄惨な場面がいくつも続く。セリーヌの目に映るのは、白い人影が悲鳴を上げ、怒号の中に倒れていく姿だったが、その影の一つ一つがケレンが手にかけた相手だと思うと、辛く、恐ろしかった。


目を背けたくなる場面を、セリーヌは注視し続ける。


そうして、幼かった少年の背が伸び、肉が付いた――恐らく、十五、六になった頃、ケレンは他を凌駕する暴力を身に着けていた。


立ち尽くすセリーヌの前に、一つの場面が現れる。他とは違う、細部までがはっきりと再現されたそれは、どこかの倉庫のようだった。


迫り来る場面が、セリーヌを飲み込む。


(……っ!)


飲み込まれたケレンの記憶場面に、セリーヌは瞠目する。薄暗い倉庫の中、そこかしこに倒れる白い影。ピクリとも動かぬそれが、夥しい数の死体だと認識したセリーヌは込み上げた吐き気に、両手で口を押えた。


死体、死体、死体――


物言わぬ亡骸の向こうから、不意に、人影が現れた。頭部に猫の耳を生やした男が、セリーヌを視界に捉える。


「ふーん?まだ生き残りがいたんだ……」


「っ!」


セリーヌは咄嗟に顔を伏せる。深く被ったフードで顔は見えないはずだが、初めて、彼がセリーヌを認識し、声をかけてきた。心臓が早鐘のように鳴り始める。返事を返すべきか否か。悩むセリーヌを気にした風もなく、ケレンが地面に置かれた甕を持ち上げる。


「あんた、どっちの仲間?ジェイの手下?それとも、フーバーのとこの人?」


甕の中身、液体を周囲に撒きながら、ケレンが尋ねる。セリーヌは、この場から弾かれぬよう、沈黙を貫いた。


ここまでのケレンの記憶から、ジェイというのが彼の所属する組織のボスだということは知っている。だが、フーバーと言う人物については心当たりが無い。反応を返さないセリーヌに、ケレンは「まぁ、どっちでもいいけど」と続けた。


「みんな死んじゃったからね。ジェイもフーバーも」


そう言って彼が口元に浮かべた笑みに、セリーヌはゾクリとする。


かつて、全ての感情を失ったかに見えた彼が取り戻した表情。酷く凄惨な笑みに、その笑みの下を知りたいと、セリーヌはケレンの横顔をじっと見つめる。


ケレンの視線が、セリーヌに向けられた。


「あんた、俺が怖くないの?もしかして、状況理解してない?」


セリーヌは動けない。


「俺が殺したんだよ。ジェイもフーバーも」


口元に笑みを残したままそう告げたケレンが、手にした甕を放り投げる。ゴトンと大きな音を立てて地面に落ちた甕が転がった。


「クズみたいな連中だけど、馬鹿ってわけじゃないからさぁ、結構大変だった。……上手く潰し合ってくれて助かったよ」


そこでストンと表情を消したケレンが、胸元からマッチを取り出す。シュッと音を立てて擦られたマッチの先に火が付いた。その火を、何の躊躇いもなく地面――先程撒いた液体へと放り投げたケレン。無造作なその行動の結果、小さな火はあっという大きな炎となった。


倉庫内を嘗め尽くすように広がる火を、セリーヌは茫然として眺める。ケレンの声が聞こえた。


「……逃げないの?」


その問いに、彼へと視線を向ける。


「ここに居たら死ぬよ?……まぁ、あんたが、こいつらと心中したいってんなら止めないけど」


そう言って、目の前の光景にフンと鼻を鳴らしたケレンは、セリーヌに背を向け、そのまま歩き始めた。


暗闇に向かって消えていく彼の背を、セリーヌはじっと見送る。彼の姿が消えた瞬間、世界が白く輝き始めた。


セリーヌの意識が急速に覚醒していく。遠くに、倉庫が燃え落ちる音が聞こえた。






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