回転寿司と馬鹿な民衆
スシローの行く客が減った。株価が下落した。馬鹿な民衆による馬鹿な風潮が馬鹿な経済効果をもたらした。馬鹿な企業が馬鹿な民衆の馬鹿な時代の流れの馬鹿なムーブメントを読んで馬鹿な政策を何の信念もない風見鶏のような世間の声だけに意識を傾けた馬鹿な民衆の馬鹿な何の実存のない実体の声に踊らされて、あくせくとまるで決然とした態度かのように打って出たと内心は只の追随者の癖にアピールしとている。それこそ、只の資本主義的態度に過ぎず、実態は、只気軽にお手頃価格で寿司を提供すれば儲かるからという利潤に基づいた思想に過ぎない、なので、その企業的本質に元付いた態度の一貫が今回の形であり、実に風潮的である。
風潮的であり、その風潮のいかにネットムーブであり、非リアル的な肌触りを、つまり大多数の同調的マジョリティーの蒙昧的な安心感の元に景気付けられた意見の同調的集積によるネット的マスメディア的抽出をあたかも真実や心理とするのは、コーヒーの色を黒と位置付けるに等しい。
というよりは、違和感に違いない。その違和感は、じつの所、じだいの流れに置いてけぼりにされた違和感であり、憤りである。世の中の態度というのは、とてつもなく流動的であると思う。その変化にとまどうし、不信感をつのらせる。間違いなく、世の中の大多数の私を含めたほとんどの人間はじだいに踊らされている。何かに踊らされている。まるで、当事者のようにあろうと必死になる。しかし、時代というものは、実のところ実体など無いのだ。そんなものに踊らされるのは、実感が無い証拠だ。SNSに踊らされるもの、ネットニュースに踊らされるもの、何らかのモデルに踊らされるもの。
少し前まで、こんなにも袋叩きにすることが、厳正に対処することが奨励されてはいなかった。寛大な態度や懐の大きさや自らの中に非を見いだすことや改善や対処することが、世間から称賛されるようなムーブメントだった。
其れがあまりに厳罰てあり、過剰であり、ストレス的であり、自己発散的であり、攻撃的である。まるで、同じ人間と認めないような、心の狭さを、そしてそれらが一部の人間であり、矮小な人間が極大化されて拡大されて広がっていってしまっていると、それらがほんとうの世間のマジョリティーだと錯覚してしまう事が恐ろしい。
そういったシステムが出来あがって、そのシステムが厚顔無恥な輩の温床であることを忘れたマイノリティーを、馬鹿馬鹿しい時代のムーブメントだと気付かずに、其れが真実であり、本当の人間の心の声であり、意見であるとさっかくしてしまうような、世間知らずな人間をこどくにさせ、無だないきどおりや、無だな疎外感や、無駄な葛藤を産み出す事が嘆かわしい。しかしながら、すこぶる健全なのは、そんなまるで蟻を踏み潰す事を何とも思わずに人間万歳している馬鹿どもより、例え蟻を絶滅させうる環境を産み出しながら、蟻を踏み潰す事に抵抗を感じる人間の方なのだ。
例えば、個人で負えないような多額の賠償金を課すという処罰をⅠ個人に課す。其れは一生をかけて償えということに相違ない。つまり、その行為がもたらす罰ないし、代償は、その咎をおったものがそのすべての人生をかけてつぐなえということである。今回の件、ましてみせいねんに対して、其れを要求し、もし其れが司法の元で、例え保護責任の親であれ、異常であり、少なからず、その妥当性を明白にするような根拠は、曲解的な無茶なこじつけに依る処も大きく、確かに人の生死を左右するような行為だったとは思う。
そして、そんな常識外れな事態を全て提供者である企業が責任を負うという考えも無理があるとは思う。
企業という、大きな力を持った組織が其処までの何ら法的に誓約を交わしていない一個人に対して権力を奮って良いものだろうか。
企業というものは、市民の為にあるもので、企業の為にあるものでも、政治や宗教や思想の為のものでもない。権力を奮うという言葉は、あなきらリズム的だが、効力を奮って良いものだろうか。
企業と一国民は私は違うと思う。そこを同列に考えるのは、極めて資本主義の人間的損失へと繋がるような考え方である。
只、はらだたしいのは、そのようなイレギュラーがあって、そのような到底想像できないような不測の常識はずれな事態が起こって、じゃあ此れからは私はもう安心して利用できませんという、馬鹿過ぎる輩である。勿論、理にはかなってる。客層であり、模範衆的存在への懸念であり、客層というのも、此れは傾向として否定できない要素である。勿論、そんな事を弁えた上での利用客もいないだろうから、今回の件で考えもしなかった懸案材料が浮かび上がってきた訳だ。
しかしながら、馬鹿げている。そんな事起こると想定する方が馬鹿げていて、あらゆる事態で場面でそんなことは起こり得る。其れこそ、只不潔で気分を害す異常に問題があるのであれば、其れは当事者が自ら命を守る必要があるし、私は、態度としてどちらかと言えば、提供側が管理徹底すべきという、お客様的立場に元づいた考え方が基本だが、そのような態度と、株価や店への利用が減るという態度は、イレギュラーを、足元の蟻を毎日注意しながら歩くような拡大した非合理的で、馬鹿げた態度であると私は思う。そして、そんな馬鹿げた態度の国民を、市民を善しとする企業も馬鹿げた態度であり、株主も馬鹿である。そんな一時のふうちょうに踊らされる人間は総じてバカである。毅然とした態度のようで、馬鹿げた損害請求も馬鹿である。馬鹿の見せしめであり、見本市である。そもそも、SNSで取り上げられた物事、一個人が何の責任感もなく取り上げた軽はずみな行為に対して、パブリックに対して声明文のように公表するのが馬鹿である。
お客様と国民のモラルを当社は信じて、企業活動を行いサービスを提供しています。
そう、慎ましやかに目立たなくHPに挙げて、当事者に対しては、当事者同士話し合いを進めており、其れを見せしめやアピールのように具体的に公表する必要などないのである。
そもそも、せけんに流された態度に過ぎない。世間が流されていることに、全くもって気づいておらず、其れは賢人集すれば鳥団に過ぎずである。
人は、誰しも集団の中で絶対的な実体の無いベールに覆われてしまう。だからこそ、時代はうねり進んでいくのである。滞留した川程に腐らず、清らかに流れ続けていく。それは、素晴らしいことであり、面白いことであり、人間が決して一個人だけには留まれない集合意識の中で永遠に種が滅びるまで生き続けるということでもある。