悪魔の思惑
「戻ってきたようだね。 どうだったかね」
声をかけてきたのはダリアスだ。
どうだったかと聞かれても……何がだろうか。
食事はとてもおいしかった、ただ集めた素材の見張りと言うことで街を見て回る暇が無かったのは残念と言うところだろうか。
しかしそれがあったからこそ、シフィリアからも「お礼も兼ねているので遠慮せずいっぱい食べてください」なんて言ってもらえたわけで、それを考慮す――――
「特に何もなかったわ」
答えを考えているうちにエルビーが答えてしまった。
「そうか。 まあ順調であるなら何よりだ。 ところでだが。 食事をタダにするとは言ったが限度と言う物があるぞ。 聞けば吾輩がお前たちの食事代として渡した額以上を食べたそうじゃないか。 その不足分の支払いを誰がしたと思っているのかね」
「んーダリアス」
「違うネリアだ。 まったく食堂の者が教えてくれたのだよ。 何回もお代わりに来る二人がいたと。 詳しく聞けばどう考えてもあの額では足りない。 それでネリアに聞いてみれば案の定不足分を出していたそうだ。 ネリアは善意でお前たちの面倒を見てくれているのだぞ?」
「えー、それならネリアも言ってくれればいいのに」
「ネリアはそういう性分なのだ。 分かれとは言わぬがもう少し気を遣えと言うことだ」
「でもあのぐらいは食べたいわよ? お腹空いたままじゃ全力だって出せないわ」
「いや全力は出さんで良い。 タダにするのは吾輩の個人的な理由であるぞ。 学長として公私の分別は付けねばならぬ。 まあ勝手がわからないだろうからとネリアに任せてしまった吾輩にも責任はある。 次からはお前たちに渡すからその範囲で食べてくれ」
「ねえ。 あんたほんとに悪魔なの? ただの良い人にしか見えないわ……」
「やかましい。 まったく、今のネリアは吾輩にとっても有用なコマなのだ。 今でこそまだ学生の身分だがいずれは聖王国内で権力を持つだろうよ。 ここでしっかり育てずなんとするものか」
「あんた悪魔ね……」
「そうだが? ただネリアは生真面目すぎる。 今回の件だってお前たちが悪いだけなのに金銭の管理は本人に任せると言えば与えられた役目を取り上げられたかのようになっている始末よ。 悪いのは大食いのドラゴンなのにな」
「待って。 ノールもいっぱい食べたわ」
「そういう話をしているのではない。 いや……もうこの話はよそう。 それより、この前話した魔法競技会の警備を担当する魔術師の隊長と顔合わせをする予定になっている。 いいか、くれぐれも素性がバレる言動はするでないぞ?」
「知ってた? そうやって念を押されるとボロ出ちゃうのがわたしなのよ?」
「自分を正しく評価していることは良いことだぞ。 ネリアも自分を正しく評価できれば良いのだが。 評価の良し悪しは真逆だがな」
それからもしばらく二人のたわいもない会話は続いた。
悪魔とドラゴンというのは案外仲が良いのかもしれない。
「ふむ。 やっと来たようだな。 良いか、話をちゃんと合わせるのだぞ?」
「え?」
疑問の声は扉をノックする音にかき消された。
話を合わせるってどういうこと?
「どうぞ」
現れたのは魔法使いと言うより戦士のような風体の男だ。
剣でも持っていたら間違いなくそう思う。
「まずは紹介しておこう。 彼はゲーリィード君、魔術師だ。 そしてゲーリィード君、こちらの二人は冒険者で今回の件に協力してもらう、ノール君にエルビー君だ」
「初めまして。 私はゲーリィードと言う。 よろしく」
男が差し出した右手を見つめるノール。
そんなノールと男を交互に見ているエルビー。
「あっ……そうだったわ。 ごめんね。 この子たぶんアクシュとか知らないのよ。 してるところ見たことないし。 わたしは教えてもらっていたから知ってたわよ、えへんっ。 あのね、ノール。 アクシュっていうのはこれからよろしくって言う意味でする挨拶の一つなのよ。 こうするの」
エルビーは昔仲間のドラゴンに人間のことを聞いて回った時、教えてもらった中に握手と言う挨拶があるのを思い出していた。
「なるほど……」
得心したのかエルビーを真似てノールも右手を出し男の手を握り返す。
「ああ良かった。 聞いてはいたんだが予想以上に小さなお子さんだったのでね。 私の容姿で怖がられてしまったのではないかと内心ビクビクしていたんだ。 そうか、握手自体知らなかったんだね……。 ああ良かった……」
「小さなお子さんって……」
「あっ……いや、すまない。 悪い意味で言っているわけではないんだ。 能力の有無に大人も子供も関係ないのも分かっている。 ただそれでも悪魔相手だし、子供と言ってももう少し上の世代を想像していたんだ。 ほんと申し訳ない」
「さあ、親睦も深まったところで仕事の話をしてもよろしいかな」
「え……ええ、よろしくお願いします」
「ゲーリィード君。 事前に話した通り、今回の魔法競技会の警備には彼ら二人にも協力してもらうこととなる。 彼らの役目は競技棟内に潜伏している悪魔の発見だ。 発見後はゲーリィード君たち警備に引き継ぎ拘束、場合によっては討伐となる」
「問題ありません。 それでひとつお聞きしたいことがあるのですが……」
「何かな?」
「彼らは悪魔を見分けることが出来ると言うお話でしたが、それはどの程度なのでしょう。 例えば近づかないとわからないのか、ある程度の距離があっても大丈夫なのか。 我々の計画では二人には学長のお傍に居てもらい私と副隊長他数名で護衛します。 そこから各員に指示を出す予定なのです。 ですが近づかないとわからないのであれば副隊長と共に会場を回り連絡を取り合うなどの方法に変更する必要があると思いますので」
「ふむ、なるほど。 ノール君、その辺はどうなのかね?」
「あの競技棟の広さならどこからでもわかると思う」
「そうなのか、なら当初の予定通りで大丈夫だな。 学長もそれでよろしいですか?」
「ああ、構わないとも。 他に、何か聞きたいことは無いかな?」
「はいはーい。 ねえそもそもな話なんだけどさ、悪魔は何を狙っているの? ただの嫌がらせってわけでもないんでしょ?」
「狙いが分からないから君たちに協力を依頼したと、以前言ったはずだったが?」
「あ……あれ? そうだったっけ? けど……なんかすっきりしないのよね」
ダリアスの言葉に違和感を覚えつつもエルビーはその違和感がなんなのかまでには辿り着いていないようだ。
しかしその違和感は自分にもある。
だから聞いてみる。
「狙いは分からないけど競技棟が狙われるのは分かっている。 なら競技棟に何かある。 つまり何が狙われているか本当は知っている?」
おそらく、間違ってはいないだろう。
「実は私もそれが気になっておりました。 学長は狙われているものがなんであるか、本当はご存じなのですか?」
「ふ~む。 なかなか鋭いな、ノール君。 まあ……いいだろう。 あの競技棟にはフレスベリアと言う物が眠っているのだ」
「…………!」
ダリアスの言葉に息を飲むゲーリィード。
「ふれ……ふれす……?」
聞いたことのない言葉にエルビーが反応する。
「フレスベリアだ。 見た目は装飾されたただの槍だが、その実、聖剣クラウソラスなどと並ぶ武器の一つとされている」
「え!? 悪魔も聖剣が欲しいの?」
自分が持つ聖剣も狙われているのかと警戒してか、エルビーは手にしていた聖剣を抱き寄せていた。
「いや、アレは聖剣とは少し違ってな。 武器の形をしてはいるが戦闘に特化した武器ではないのだ。 アレの能力はそれ自身の分身体とも言える物を生み出し、本体が集めた魔力により分身体側に強力な結界を発動させることが出来る。 距離も関係ないし別の結界があっても問題なく作動する」
「噂には聞いておりましたが……。 フレスベリア、本当にここにあったのですね……。 しかしよろしかったのですか、その……このような場所で話してしまっても……」
「なに、別段秘密と言う物でもなかったのだよ。 誰にも聞かれなかった故答えることもなかった、触れて回るものでもないからな。 それに聞いたところで人の手にはあまりあるものだ。 警戒すべきは悪魔だが、その悪魔もとっくに知っていることであろうな。 だからこそこのタイミングなのだろう」
「ということは、悪魔の狙いはやはり……」
「まあそういうことであろう。 つまり、それほど強力な結界で封印されているものを悪魔は解放しようとしている、と言うわけなのだよ」
「どういうこと?」
「強力な結界を生み出すフレスベリア本体もまた、結界によって守られているのだ。 そのため悪魔も手が出せないでいる。 しかし結界の発動に必要な魔力の供給だけはそのままでは出来ないのだ。 そこで年に一度、魔法競技会が開催される間だけフレスベリアを守る結界は解除される、と言うわけだ。 まあここまで言えば大方想像は付くと思うが、この魔法競技会そのものがフレスベリアに魔力を供給するためのイベントなわけだよ。 生徒たちが魔法を使って戦う。 その魔力の一部をフレスベリアに供給すると言う仕組みだ」
「げっ。 それってつまり……生贄ってこと?」
「馬鹿を言うな。 この仕組みを考えたのも昔の人間たち、いろいろ考えてこの方法が最善と判断したのであろう。 それだけのものを封印する必要があったのだ」
「私も聞いたことがあります。 噂程度なので真相は不明ですが……。 遥か昔、ドラゴンの討伐を終え平和になったはずの地にまたもや災厄が訪れたのだと。 悪魔自体はそれより昔からいたそうですが、そこに現れたのは過去に類を見ないほど危険な大悪魔だったとか。 勇者たちの活躍によりあまり世に出ていない話ではありますが、もし彼らが居なければドラゴンとの大戦以上に世界は混迷しただろうとも」
「へぇ。 悪魔ってそんなに強いの? そんなんで大丈夫なの? みんな」
「いやドラゴンと違って悪魔の強さはピンキリだからね。 本当にどうしようもないほどに強い大悪魔と言う存在はめったなことでは来ないらしいぞ」
「ドラゴンと言うのは自尊心の高い生き物であるからな。 弱い人間、弱い悪魔がいたとしても気にも留めないが大悪魔と呼ばれるほどに力がある者を放っておくことはしない。 悪魔からしてもドラゴンと言うのは好敵手足りえる存在、いやどちらかと言えば天敵か。 故にそんなドラゴンが勇者によって封印されたことで今度は悪魔の時代とでも思ったのであろうな」
「あの大戦もあって今でこそドラゴンを悪と見る人間がほとんどですが、そもそもドラゴンは世界を滅ぼしたいわけではありませんからね。 世界に混沌をまき散らそうとする悪魔と言う脅威を押さえつけていたのは天敵となるドラゴンだったわけで」
「そういうことだ。 勇者たちがフレスベリアを使い封印したまではいいが、それではいずれ封印が解け悪魔も解き放たれてしまうであろう? それを避けるために継続的に魔力を供給できる仕組みが必要となったのだ。 あれは競技棟内で生徒が放出し溢れた魔力を吸収させているに過ぎない。 まあ普段より魔力の消費は若干多めになるだろうが命に影響が出ることはないし、本人たちも気付かぬ量よ。 それほどまでに封印されている悪魔が厄介と言う話なのだよ」
「なら最初からフレスベリアってのを守っていればいいんじゃないの?」
「エルビー、それはたぶんダメ。 悪魔たちが目立つように動いているのは、悪魔たちもフレスベリアが競技棟のどこにあるのかまでは分からなくてこっちの反応を見るためだと思う。 僕たちがフレスベリアの護衛をするとその場所が悪魔たちにもわかってしまう」
「そっか。 それを狙っているのにここだよって教えることになっちゃうもんね」
「ははっ、そういうことだノール君。 話が早くて助かるよ。 つまりだ、警備において最優先なのは何事もなくこの魔法競技会を終わらせることにある。 何もできず終わってしまえば悪魔たちは解散することだろう。 故に、ただいるだけの悪魔などは放置でもよいのだ。 こちらを揺さぶるために問題を起こそうとする悪魔だけ排除していけばいい。 もっともここにやってくる悪魔たちはほとんどそれが目的だろうがね」
「なるほど、承知しました。 フレスベリア自体が狙いと言う以上、余計な詮索をさせないためにも部下たちにはその件、伏せておいた方が良いでしょうね。 我々警備は予定通り問題の起こしそうな悪魔を確保なり討伐していく方向で進めていきます。 しかし……万が一フレスベリアの場所が悪魔にバレてしまった場合、悪魔の侵攻を防ぐ手段は用意されているのですか?」
「ああ、もちろんだとも。 抜かりはない」
「そうですか。 やはり、それは我々にも秘密、ということですか?」
「ここの会話を誰に聞かれているかも分からないのでな。 必要もなく話すのは控えたほうが良いだろう」
「それもそうですね。 失礼しました。 それでは私も部下たちとの打ち合わせを行ってまいりますので、ここで失礼させていただきます」
「ああ、よろしく頼むよ。 ゲーリィード君」
ゲーリィードが部屋を出るとダリアスはまた先ほどと同じように態度を崩す。
「さて、とりあえずだが……お前たち二人だとどちらが強いのかね? まあ真っ当に考えればドラゴンの娘だろうとは思うのだが、吾輩の勘は少年の方に異常性を感じている。 正直理解が追いついておらん」
「わたしよ! ……って言いたいところだけど、たぶん今はまだノールよ、悔しいけど。 ノールの魔法ってホントすごいのよ。 以前グリムハイドに出たドラゴンモドキもノールが一人で倒しちゃったんだから。 こんなちっこいのにどこにそんな力があるのよって思うわ。 だから魔法を習いたいの。 ノールみたく強くなりたいから」
エルビーは人差し指をノールの頬にグリグリと押し付けながら悔しそうに言う。
エルビーの言葉を聞いたダリアスは笑みを深める。
「ほう……アレをやったのはやはり貴様らか……。 そうか、いい……これは実に素晴らしい……。 ところで、そのグリムハイドの西には悪魔が封印されている洞窟があることを知っているか? その近くでも悪魔が滅ぼされたのだがお前たち何か知っているか?」
「それもノールよ。 一瞬でぼぉ~んって」
「フハハハハッ! そうかやはりあれもか。 お前たち、実に愉快だな。 吾輩の勘に間違いはなかったわけだ」
「え? 何よ、気持ち悪い」
ダリアスは初めて二人を見たときのことを思い返す。
ドラゴンの娘が人の姿をして人間社会に潜んでいる。
あり得ないことではなかったが珍しいことではあった。
それよりもそんなドラゴンの娘と共にいる人間がただの人間のはずがない。
そう思うのにそこに居る少年はただの人間にか見えないのだ。
だからだろう、ダリアスには、いや大悪魔ベルードにはそれがひどく不自然に思えたのだ。
「まったく、お前がドラゴンと言うだけで吾輩が魔法を教えてやるはずがなかろう。 その程度だったなら普通に追い返すに決まっている。 ただ面倒なだけだからな。 だがグリムハイド周辺で起きた様々な事件。 タイミング良くやって来た聖剣を持つドラゴン。 そして得も言われぬ違和感をまき散らす少年。 吾輩の勘がお前たちを引き入れよと煩かったのだ」
「何よそれ、利用する気満々だったってこと?」
「吾輩、役立つコマは大事にする性分なのだ。 文句を言うな。 代わりに食事代はもう少し奮発してやる」
「え、ほんと? 良いわ、許す」
食事をチラつかせただけで機嫌が良くなったドラゴンの娘、ダリアスは真に警戒すべき相手の反応を見るため、少年へと視線を移す。
あまり表情には出ていないが、とてもうれしそうだった。
 




