はるかぜ亭
「だから!嘘じゃねぇつってんだろ!!」
声の主のほうを見やる。
ああまたあいつらか。
冒険者のビッツ。
たしか『風狼の牙』って言う冒険者チームを組んでいる。
四人組のチームで他はゲイン、ルドー、ダーンだったかな。
酒が入るとルドーはビッツをからかって遊ぶ癖があるようだ。
ビッツもそれに負けじと答える。
こういう場所だ。
多少のことには目を瞑るし、相手は冒険者だ。
荒くれどもと言うほど物騒な連中ではないが血気盛んな連中ではある。
ただ他のどの冒険者たちより二人の本気とも思える喧嘩が見てて笑えない。
私は慣れた。
ああいつものことだと。
他の従業員の子もだいたいは慣れている。
ただねえ。
さっきのビッツの声にビクッとして硬直している子を見て、ごめんね、と言う気持ちでいっぱいになった。
新人の子だ。
他の子も同じような道を辿ってきたさ、頑張ってね。
ここは宿屋兼食事処兼酒場。
昔は、そう開業したころはただの宿屋だった。
確か60年ほど前ぐらいに私の曽祖父が始めたと聞いた覚えがある。
それを祖父が継ぎ、父が継ぎ、そして私が継いだってわけさ。
ただの宿屋がなぜこんなことになっているのかと言うと、その原因が冒険者ってわけ。
私の父の代になって冒険者ギルドがこの街にも出来た。
周辺の街や村からも人が来る冒険者がいるので大繁盛ってわけさ。
ただこの周りは食事する場所がない。
うちを宿泊する客のために軽食程度は出すけどそのぐらいだったね。
で、そうなると唯一のこの店に要望が来る。
腹減ったから飯食わせてくれと。
もうちょっと中心部行けば飯屋もいっぱいあるよと追い払っていたんだが、父はいろいろ考えたようでこの店に食事処兼酒場を併設することにしたようだ。
宿の受付を二階に。一階は食事をできる場所にした。
実をいうと父の代の時は冒険者だけではなく、近所の人も食べに来るようになったのだ。
そして常連さんとなった。
それがねー、冒険者の割合がどんどん増えて、あの時の常連さんがあまり来なくなるようになっちまった。
先日街中でばったりと会って聞く機会ができたので聞いてみると「ちょっと冒険者の連中が怖くてね」ってさ。
いや、ほんとすまないね。
連中にはもう少し静かにするように言っておくから、気にせずたまには来ておくれ、その時はそう言って別れた。
そしてこれである。
「ちょっとあんたたち、他のお客さんに迷惑だからもうちょっと静かにしておくれ」
「すみません女将さん。ちゃんと言い聞かせますんで」とチームリーダーのゲイン。
「頼むよ。ほんと」
冒険者のおかげで売り上げは驚くほどに増えた。
それこそ以前は家族だけで切り盛りしていたのが、従業員を雇うほどに。
うれしい反面、同時に父からの常連さんが来なくなってしまったのは不徳の致すところってことなんだろう。
ちなみに、上の階から宿になっていると言ったが、これだけ騒いで苦情は来ないのか? と思った人。
実はほとんどと言っていいほど来ない。
と言うのも上で寝る連中は今の時間、ここでどんちゃん騒ぎしているからである。
まあ店に迷惑をかけるんだからしっかりお金は落としていってくれよ。
入口の扉が開く。
別に珍しいわけでもないが、偶然視界に入ったこともありそのまま入って来る客を観察する。
子供だった。
この時間に子供?一人で?
そう思考していると従業員の一人が声をかける。
「いらっしゃいませー」
うん、条件反射で言ってるな、これ。
子供はその声に反応することなく、辺りをキョロキョロし、そして何かを発見したのかそちらに向かって歩き出す。
なんとなく風狼の牙のほうに向かっているようだ。
そしてそれは正解だった。
その子供に気づいたダーンがビッツに合図を送る。
ビッツは最初その意図に気づかなかったようだが、これから村を襲うような表情をしながら振り返った。
その野盗が気持ち悪いぐらいに人の良さそうな笑顔をその子供に向けた。
おっと野盗じゃなくて冒険者だった。
「ようノール。まさかこんなところで再会するとは思わなかったぜ。とはいえこのあたりで食事できるのもここぐらいだし、言うほどおかしなことでもないか。フハハハッ」
なんだ知り合いか。
子供はそれに反応して何か言ったようだが残念ながらこの喧騒に紛れてよく聞き取ることは出来なかった。
――ブファッ――
おいおい。
連中、酒を噴きやがった。
誰が掃除すると思ってんだい?
従業員の子だけどね。
そんなことを思っているとまた喧嘩しだしたよ、この二人。
その後もビッツと子供の会話は続いているようだ。
残念ながら私にはところどころしか聞こえない。
ビッツが従業員に声をかける。
こっちに来るのですかさず聞いてみた。
「どうした?」
「あ、はい、あの子供にも椅子を持ってきて欲しいそうです」
ほう、そうかい。
従業員の子が椅子を持っていくとそれに子供が座る。
ビッツは自分の前にあった料理を子供に分け与えている。
それ、酒かかってないの?
ちょっと不安になった。
なおもビッツは子供に話しかけているようで、その子供はと言うと夢中で料理を食べていた。
話聞いてないんじゃないかとも思えたが、ところどころで頷いているようにも見えたので聞いてはいるんだろう。
するとビッツが席を立つ。
トイレか?とも思ったがそうではなくそのまま二階に上がっていった。
子供が食べている皿を空けるかと言うタイミングでビッツが帰ってきた。
何かを取りに行ったのだろうか。
しかし何かを持っているには見えないので、と、ふと部屋を借りに行ったのではと思い立った。
しかし初めて見るがあの子供はビッツの子供とかだったりするのだろうか。
以前結婚がどうのといつものように騒いでいたこともあったが既婚と言うような雰囲気ではなかったが。
しばらく飲み食いした後、チーム風狼の牙と子供は上の階へあと上がっていった。
どうやらあの子供はビッツやチーム内の誰かの子供、というわけではなく最近冒険者になったばかりの他人だったようである。
今は縁あってチームに入って依頼をこなしていると言うことだ。
情操教育に悪そう。
そんなことを思いつつ、彼らを見ていると大人はいつも通り食べて飲んで喧嘩しての繰り返し、子供はと言うとただひたすらに黙って食べている。
子供が冒険者、しかも魔獣と戦っていると言うのはどうなんだろうか。
怖くないのかね?
そんなことを思っていたある日のこと。
表の通りは普段は静かだ。
そんな店の外が今日に限っては騒がしい。
とうとうこの街にも変質者が出たのかと思っていると冒険者ギルドの職員が店内に入って来て早々に叫んだ。
「た、たいへんだ!どらおん、どらおんが出た!!」
どらおん。
たしか、遥か南方の郷土料理だったか?
だが残念。
うちでそんな料理は扱っていない。
するともう一人の職員が叫ぶ。
「違う! ドラゴンだ! 南の山、封印の地、ドラゴンズ・ピーク! おそらくそこからきたドラゴンが街の東の岩山に現れた! ギルドは冒険者をかき集めている! お前たちもギルドに集合してくれ!」
あ、違った。
郷土料理じゃなかった。
でも南のほう、は合ってたでしょ?
ふーん、しかしドラゴンか。
伝説上の生き物でしょ?それって。
そんなことを考えていると事態を察した一部の冒険者たちはさっさと支払いを済ませ一目散にギルドに向かう。
中にはこの騒動に乗じて金を払わずに出ようとする不届き者がいたがそうは問屋が卸さない。
あとこの騒動の中でも黙々と食べているあの子供の豪胆さよ。
いや、騒動を理解していないだけかも、私と同じで。
やっと事態を飲み込めたよ、たぶん。
街中騒然としている。
兵士が避難を呼びかけている。
ドラゴン、巨大な魔獣。
ひとたび暴れれば街など壊滅する。
正直、ここを離れるつもりは全くない。
理由は簡単だ。
曽祖父から代々受け継いだ宿。
それを放って逃げることなんてできるわけがない。
私には一人家族がいる。
旦那だ。
私にとっては勿体ないぐらいの旦那。
父の子は女の私一人だった。
私が男だったなら普通に継いで私の子に託すだけであっただろう。
もし結婚するなら、この宿を一緒に切り盛りしてくれる人じゃないと無理だと、そう思っていた。
父が健在な間に。
そう思っていた。
そんな父はまだ若くして逝ってしまった。
母もまた、後を追うように…。
二人とも流行り病だった。
宿だけならまだしも料理の提供は追い付かない。
当面は昔のように宿泊客に軽食だけ提供するスタイルに戻すことにした。
客からは残念がられたが仕方がないと諦めてくれた。
それでも心労は嵩む。
旦那とはそんなときに出会った。
手伝わせてほしいと。
それまで客として幾度となく来てくれていたのは覚えていた。
当時の私はこの店を守ることだけを考えていたのでならお願いと簡単に受けてしまった。
だが結果としてはそれでよかったと今では思う。
旦那は元冒険者、ここに通っているうちに私に一目惚れしたのだと。
そして、そんな旦那が私に言う。
ここは危ない、一緒に避難しよう、と。
出来ない、出来るはずがない。
ここがなくなったら私は生きがいを失う。
生きる意味を失う。
旦那には申し訳ないが、私はここに残ることを伝えた。
「そうか。分かった」
残念そうに言う旦那。
今までありがとう、そう感謝の言葉を伝えようとした。
「なら、俺も残るよ。お前が残るなら俺も残る。一緒に盛り立てようって約束したからな」
だから死ぬのも一緒だ。
旦那の言葉が私にはそう聞こえた。
涙が溢れた。
ふと、ビッツとあの子供の姿を思い返す。
もし、私たちにも子供がいたのなら変わっていたのかもしれない。
子供を守るために店を捨てる覚悟をできたのかもしれない。
でも子供はいない。
私と旦那の二人だけ。
だが今の私に恐怖はない。
ドラゴン、伝説上の生き物。
正直実感が分からない。
もしこれが灰色狼の群れが襲ってきたとかだったなら恐怖し、今頃震え上がっていたことだろう。
やって来たのがドラゴンで良かった。
私は今、恐怖もなくただ幸せを感じていられる。
いったいどれほどの時が立ったのだろう。
私と旦那、誰もいなくなった店。
従業員たちはとっくに避難させている。
そんな静かで、しかし外の喧騒が聞こえてくる店の中で私たちは過去の思い出に浸っていた。
出会った頃のこと、結婚した時のこと、二人で切り盛りしていた時のこと、従業員を雇いだした時のこと。
どうか、どうかこの幸せが永遠であって欲しい。
私はおそらく人生で初めて、そう神に祈ったのだった。
いまだに外の喧騒は収まらない。
いったい何時だと思っているんだ。
そんなことを考えていると、その喧騒の中に聞こえる声。
「消えた! 消えたぞ! ドラゴンが消えた!!」
兵士がそう叫びながら街中を走り回る。
消えたとはどういう意味だろう?逃げた?木とか何かの陰に隠れたとか?
「我々は冒険者と協力し、討伐をするべく準備を進めていた! ドラゴンの周囲で発光現象を確認した! ドラゴンは消滅していたとの話だ! 念のために現在ドラゴンの行方を捜索しているが発見には至っていない! あの巨体が見つからない点を鑑みて街周辺にはもういないだろう! ひとまずの避難勧告は解除とする!」
しばらくしたのち、今度は避難は不要となったとの声を聞いた。
私は神に感謝した。
きっとそうに違いない。
女神リスティアーナ。
それは世界をドラゴンと言う脅威から救ってくれた神の名。
感謝していたのは彼女だけではなかった。
街中では噂になっている。
神がドラゴンを滅したのだと。