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長老

『ふぅ…』


 アムライズィッヒの長老はため息をつく。

 長老の名はヴァルアヴィアルス。

 彼はドラゴン、人間たちがドラゴンズ・ピークと呼ぶ場所の長老なのだ。

 この辺りではもっとも高い山。

 アムライズィッヒと言うのもこの山の名前である。

 ただこれはドラゴンである彼らがそう呼称しているだけで、その名は人間たちの間には浸透していない。

 またドラゴンの間でもドラゴンズ・ピークと言う呼称は浸透していない。

 もしかすればアムライズィッヒと言う名も人間たちの書物には記されているかもしれないが、今となってはどうでもいいことであるとドラゴンたちは思っている。

 ため息の理由は別にある。

 数日前から、皆の目撃報告が正しいとするなら、そう、数日前の新月の日以降エルビーの行方が分からなくなっているのだ。

 今思えば問題ばかり起こす子であった。

 広場の神像は破壊するし。

 ここから出てはならない、人間の街に行ってはならないと幾度となく注意してきた。

 だがエルビーはいつもあの場所で人間の街を眺めていると報告を受けていた。

 最初のころは他の者に人間とはどんな生き物なのかとか、街とはどんな場所なのかとか聞いて回っていたらしい。

 それを知ったからこそ、長老は過ちを犯させないために行ってはならないと注意をしていたのだ。


(最近はあまり聞きまわることはしなかったようだが。時折、姉のミズィーに人間のことを聞くことがあったようじゃな。その姉自身も人間を見たことはないはずじゃがな)


 長老はいなくなったエルビーを妹のようにかわいがっていたミズィーのことを思い浮かべる。


(そうその姉じゃ。あの子がいなくなって以来、ずっと塞ぎ込んでおる)


 エルビーが嫌がるようなちょっかいも時折していたようだが、長老の目にはそれでも仲良く遊んでいるときのほうが多い印象だった。

 仲の良いものが突然いなくなる。

 さぞ辛いことだろう。

 長老もまた似た経験をしたことがある一人だった。

 それは他の誰よりも尊敬していた者だった。

 仲が良いとは違うかも知れないが、大切な者と言う意味で同じ。

 かつてのアムライズィッヒの長老。

 しかし尊敬していた先代の長老は、殺されてしまった――――。


   ――◇◇◇――


 ――――ヴァルアヴィアルスの記憶にあった先代の長老の最後。

 それは2000年ほど前……。

 この世界に4種のドラゴンが存在していた頃の話。

 アムライズィッヒに住み炎の魔法を得意とするドラゴン。

 風雪の谷と呼ばれる渓谷に住み風の魔法に優れていたドラゴン。

 地の魔法に優れグランドラル呼ばれる台地に住むドラゴン。

 そして、もう1種。

 そう言った世界に溢れていた魔法ではなく、感情に作用する魔法を得意としていたドラゴンが黒霧の谷と呼ばれる地に住んでいた。

 あの時、どのドラゴンも自分たちが世界の支配者だと疑ってもいなかっただろう。

 それだけの力を持っていたのだから。

 そんなドラゴンにとって、人間と言う存在は少しばかり邪魔なようであった。

 多くの獣が森の中に住み、ひとたびドラゴンが姿を見せようものなら見つからぬようにと隠れるものだ。

 だが人間は違う。切り開いた森や平野に村や街と言うものを作り住む範囲を広げていく。

 時折、そんなドラゴンと人間の間で争いが起こるようになった。

 いや、その時は争いなどと呼べるものではなかった、なにせ圧倒的にドラゴンのほうが強いのだから。

 人間はドラゴンに恐怖し、ひとたび姿を見せれば恐れ逃げ惑う。

 ドラゴンから見れば滑稽だったことだろう。

 それでも。人間の繁殖スピードとは底なしなのだ。


(恐れるなら拡がらずに小さく暮らしていればいいものを……)


 当時のドラゴンたちは皆、そう思っていた。

 そんな人間に、とうとう怒りを露わにしたものが現れた。

 黒霧の谷のドラゴンだ。

 人間の殲滅。

 黒霧の谷から来た者が長老に打診していたのをヴァルアヴィアルスは覚えている。

 無論、先代の長老はそれを断った。

 理由は簡単だった。


『我らアムライズィッヒの者は空を好む。故に高い山、ここアムライズィッヒを住処としておる。お主らが人間を不快に感じているのは理解しているが協力する理由が我らにはない』


 それは先代の長老が黒霧の谷の者に言った言葉だった。

 アムライズィッヒの者にとって人間が陸でいくら繁殖しようとも興味ないのだ。

 他の地に住む者がどう断ったのかをヴァルアヴィアルスは知らない。

 だが今となっては推測も出来る。


(風雪の谷は海に近く、人間の住む地とは離れているので彼らにとってもあまり関係なかろう。グランドラルの者は自分たちが住む台地にしか興味を示さぬ。我らと同じく空を飛べるのにあまり空を飛んでいる姿を見たこともなかったしのう)


 結局、ドラゴンの総意ではなく一部の地のドラゴンが人間と敵対するというだけになった。

 しかし黒霧の谷のドラゴンだけでも人間にとっては十分脅威となる。

 人間はなすすべなくドラゴンの蹂躙を受け入れるしかなかったことだろう。

 そもそも協力などしなくても多くのドラゴンが結果は見えていると考えていた。

 このまま人間は滅びるのだろう、と。

 しかし、ある時流れが変わった。

 ドラゴンを、あの黒霧の谷のドラゴンたちを意図も容易く屠る人間が現れたのだ。

 多くの者が何の間違いかと疑った。

 人間はそんな者の出現にさぞ湧いたことだろう。

 その人間は勇者と呼ばれていたがドラゴンにとって脅威となったのは勇者だけではない。

 多少力は劣るが英雄と呼ばれる勇者の仲間もいた。

 あれほどまでに一方的な蹂躙をしていた黒霧の谷のドラゴンたちが、今度は逆に自分たちが蹂躙されようとしていたのだ。


『山の同胞よ。少しで良いのだ。あの愚かな人間たちを滅ぼすため手を貸してくれぬか』


 黒霧の谷のドラゴンの長は先代の長老に救援を求めた。

 手を貸すべきか否か。

 しかし先代の長老はその救援を拒否した。


『それは出来ぬ。ドラゴンと人間の争いであるとは言え、その戦を始めたのはお主たちだ。下手に関われば我らもあの勇者たちに蹂躙されてしまう』

  

 それは、それだけはあってはならない。

 他のドラゴンたちもそういう判断を下したようだった。

 同胞の死に何も思わないわけではない。

 だが勇者や英雄と呼ばれる者はそう判断させるだけの力を持っていた。

 そして黒霧の谷のドラゴンの全滅と言う形で戦争は終結する。

 しかし、問題はここからだった。

 人間の国から使者がやって来たのだ。

 長老と少しの間話をして人間の使者は帰っていった。

 使者が帰った後にヴァルアヴィアルスは先代の長老に尋ねる。


『長老、人間たちはなんと?』

『うむ、此度の戦争の責任、それを果たせ、とのことよ。人間の国に赴き話し合いに応じるようにと』


 もっとも被害の大きかった国、そして勇者を送り出した国。

 名をムーンドファーエルマイス王国と言う。国王はエルマイス4世。

 その国には巫女と呼ばれる神の神託を聞くことができる者がいる。

 ドラゴンの侵攻に際して、神は勇者を誕生させると神託を下したのだった。


『ですが長老。戦争を起こしたのは黒霧の谷の者ら。我らは加担もせず。それなのに責任を取れと言うのは……』

『説明はした。が、その説明も含めて応じるように、だそうだ。他の地に住まう者たちも一緒に……な。断れば……おそらく勇者に滅ぼされよう』


 ドラゴンの長、そして数名の――ただし人の姿に変化できることが条件であったが――者がムーンドファーエルマイス王国にある一室に呼ばれたのだった。

 その中にはヴァルアヴィアルスの姿もあった。


(勇者……か。名は確か、ボールクスと言ったか。それから英雄の中にはディーゼルと言う男もおったのう。印象深い二人じゃ)


 ヴァルアヴィアルスは当時の一室でのやり取りを思い出す。

 責任を取る。しかしドラゴンは人間と違う。

 金銀財宝に興味などあるはずもない。

 払うものなど何もないのだ。

 ヴァルアヴィアルスがそんなことを思っていると、英雄の一人、ディーゼルが言葉を発したのだ。


「ドラゴンなんて脅威でしかないだろ。今はまだいいさ。俺たちがいるからな。だが俺たちが死んだあとはどうなる? このドラゴンたちはまた人間を襲うぞ。反省? フンッそんなもの信じられるか! 生かしておく理由なんてないぜ。神は俺たちにこれだけの力を与えてくれたんだ。ドラゴンと拮抗する力ではなく滅ぼせるだけの力だ。ならよ、滅ぼせってことだろうさ、ドラゴン全部をな!」


 そう来るか、いや、そう来るだろうとは思っていた。

 なんせ人間にとってドラゴンはドラゴンだ。

 ドラゴンが人間の違いを明確に判別できないように、人間もまたドラゴンの違いなど分かりようがない。


「ふむ。余もそう考える。ドラゴンは脅威よ。次、戦争が起これば滅ぼされるのは我らのほうかも知れぬ。それはまかりならぬ」


 とはエルマイス国王。


(神の使者であるはずの勇者より一国の王が上なのか)


 ヴァルアヴィアルスはそんなことを思ったが勇者も、そして英雄も人の子。

 それは国の民であるということ。

 英雄のすべてがこの国出身というわけではないらしいが、巫女を擁し勇者を抱える国に逆らうものなどいない。

 おそらくは、その言こそ神の意向、などと言えば勇者とて逆らえないのだろう。

 人間たちは今もそれぞれの意見をぶつけ合わせている。

 すると今まで黙っていた勇者が口を開いた。


「んあぁー。ちょっちいいっすか? いやね。まあ国王さんやディーゼルの意見ってのもよく分かるっすよ。俺っちなんて人間だし、あと何十年後かには死んじまう身だし。けどなードラゴン殲滅ってのはなー」


 かなり軽い口調。

 しかも国王の前にして。


「いやあーね。考えても見てほしいっすけどね。仮にドラゴン殲滅しますーってなってね。じゃあドラゴンがあいよーってサクッて死んでくれるわけないっすよねーって思うっすよ」


 周りを見渡し顔を伺う。

 特にここまでに反論は無いようだ。


「じゃあ、そうなったらどうなるかってーとー。死にたくねーって、死にものぐるいで他のドラゴンたちが一斉に人間の街に襲い掛かるっじゃないかなーってね。先の大戦でもいっぱい人間死んだっす。これは俺っちたちが参戦した後の話っすよ。そりゃ、ドラゴンと戦って、俺っちたちはまず死なないっすよ。強いからねー。でもその戦争に巻き込まれて確実に多くの人々が死んでしまうっす。俺っちは勇者なんで、それはちっとばかり困るんっすよ」


 確かに。

 この勇者の言う通りだ。

 我らとて死を宣告されただ黙っているはずがない。

 確実に、再び戦火となろう。

 他の人間も異論はない、と言った感じだった。

 国王でさえ黙って聞いている。


「で、で、こっからは俺っちが思う、まー提案っすけどね。とりあえず、今回は何もなく停戦ってことでどうっすか? その代わり、ドラゴンと俺っちたちで決まりを作る。例えばドラゴンはドラゴンズ・ピークから出ないとか。あ、それはちょっち厳しすぎるっすかね? でもねっすね、そういう不可分な領域をお互いで作っていくのが良いと思うんすよ。どうっすかね?」


 どうやら勇者は詰めに入ったようだ。

 いい落としどころを探している感じで。


「ちょっと待ってくれや。今回は何もなく? バカ言っちゃいけねー。多くの人が死んでる。知ってるだろボールクス。今回は無罪ですーじゃ死んだ者やその家族に合わせる顔がねーやな。けじめをつけるのは必要だろうがよ」


 勇者もその言葉が来ることは分かっていたようだ。

 やっぱり来たか、やれやれ、そんな顔をしている。


「んあーしかしっすねー。けじめっすかー?」

「余もけじめという点で賛成である。一国家の主として敗者の責任はしっかり取らねばならぬ」


 国王の言葉にどうしようかと思考を巡らす勇者。

 すると、今まで口を噤んで聞くだけに徹していたアムライズィッヒの長が口を開いた。


「人間の意志は理解した。勇者殿の心遣いにも感謝を。私の首ひとつでどうだろうか。私はすべてのドラゴンの主たるもの。その首を」


 自分を含めたドラゴンの皆が驚いた。

 だが声には出さない。

 ただ発言した長の顔を見て、そして理解した。

 長老は嘘をついた。

 すべてのドラゴンの主、と。

 それは嘘だ。

 アムライズィッヒの長はグランドラルのドラゴンや風雪の谷のドラゴンを従えていない、従えたこともない。

 人間で言えばまったく他国の王と等しい。

 エルマイス国王は逡巡する。

 勇者は残念そうな顔をする。

 ディーゼルだけはやっぱり文句を言う。


「首ってな。爺さんの首一つで何が収まるってんだよ」

「いや爺さんって、ドラゴンよ? ドラゴンの首よ?」


 ディーゼルの発言にどこからともなくツッコミが入る。

 ディーゼルはそういえばそうだったと言わんばかりの顔で、それを誤魔化すかのように鼻を鳴らす。


「ならば我の首も」

「同じく」


 それはグランドラルや風雪の谷のドラゴンの長だった。

 その言葉に最初の提案者であるアムライズィッヒの長も少しばかり驚く。


「ふーん。よかろう。余はそれで手打ちとすることを認めよう」

「えっ、ちょっと国王様よぉ」

「何かなディーゼル、余の決定に不満でも?」

「あ、いや、そういうわけじゃ、ちっ、ああわかったよ、それでいい、それでいいよ、ったくもう」


 これで決まった。

 3長老の命。

 そしてそれぞれのドラゴンがそれぞれの地より出ないこと。

 これは敗北したドラゴンに課せられたルールなのであった。

 伝令だろうか、家臣の一人が部屋に入って来て国王に耳打ちする。


「今ほど、我らが神、リスティアーナより神託が下った。此度の戦において、神リスティアーナはドラゴンたる者たちに、制限を課す、と」



   ――◇◇◇――



 思い出から思考を引き戻し、ヴァルアヴィアルスは考える。

 神、そう、勇者を遣わした神。

 そんなものはいないと思っていた。

 見たこともない。

 聞いたこともない。

 だが人間の間では伝えられている存在。

 しかし、それは実在した。

 のちに人間の間ではこの時の戦争は、神竜大戦などと呼ばれている。

 もちろん、ヴァルアヴィアルスにとっては記憶の断片、しかし人間にとっては伝説の話となっているだろう。

 ミズィーはその大戦の最中に生まれた。

 そしてその神の神託以降、ドラゴンに子は生まれなくなってしまった。

 これは呪いだ。

 神による我らへの呪い。

 そんな中で、本当に千年以上ぶりに生まれたのがエルビーだった。

 あの子を大切にしているのはミズィーだけではない。

 この地の同胞すべてが、あの子の誕生に歓喜したのだ。

 そんなあの子がいなくなってしまった。

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