ドラゴン
わたしの名はエルビー。
最強の存在であるドラゴン。
この世界で最も高い山に住んでいる。
それこそ最強の証だろう。
その中で一際高く切り立った場所がある、わたしのお気に入りの場所だ。
特に用事がないときはいつもそこから世界を見渡す、それが楽しい。
はるか遠くに人間の街と言うものが見えるがあまりにも遠すぎてさすがに良く分からない。
見に行ってみたいとも思うが大人たちに禁止されている。
ドラゴンは人のいる場所に行ってはいけないのだと言う。
おかしくない?
最強である我々が自由に行動できないというのは。
以前にもそんなようなことを姉に聞いたことがある。
姉が言うには人間の中には我々ドラゴンを倒せる者もいるというのだ。
何という名前だったか。
ちょっと忘れた。
しかしどうにも信じられない。
もしかしたら姉にからかわれたのだろうか。
ああ今思い出すとそうなんじゃないかと言う気がしてきた。
そうあの姉だ。
会うたびに私にちょっかいを出して来る。
正直あまり好きじゃない。
しかしあの姉以外に私と遊んでくれるものはいないし。
ドラゴンは長命だ。
それゆえ子供というのも滅多に生まれない。
わたし自身、数百年ぶりだかに生まれた子と聞く。
その時姉は大変喜んだらしい。
姉からしてみてもやっとできた遊び相手なんだろう。
まあ今は姉のことはいいや。
今度会ったときに名前聞いておこう。
いつだったか覚えてないが昔、人間を見たと思う。
なんでもこの山に無断で入ってきたらしい。
わたしは姉とともに避難させられた。
その時にちらっとだけ見たんだと思う。
大人のドラゴンに比べて小さかったと記憶している。
あんなのが我々ドラゴンに勝てるとは思えない。
ただただ不満ばかりが募る。
結局、わたしはいつものようにいつもの場所で世界を眺めている。
人間は嫌いだ。
人間がいなければきっといろんな場所に行けたんじゃないかと思う。
姉が言っていた。
人間の街と言うのはあそこだけじゃなくてもっといっぱいあるのだと。
わたしが知っている世界はここから見渡せる世界。
しかし見える世界に街というようなものはあの街しか見つけられなかった。
夜になると街は光る。
だからわかる。
あそこ以外にないと。
つまりだ、わたしの知らない世界というのがまだまだあると言うことでもある。
人間は嫌いだ。
でも興味はある。
人間に興味があるわけじゃない。
夜になると光るあの街と言うものに興味があるのだ。
見に行ってはダメかな?
例えば夜とかに行けば大人たちにバレずに済むような気がする。
山の中腹より上、我々の住処の入り口には見張りがいる。
ただこの見張りは地面を這ってくるしかない人間のための見張りらしい。
わたしはドラゴン。
羽がある。
空を飛べるわたしには関係のないものだ。
そうだ。
行ってみよう。
新月の夜が良い。
わたしの視界に他のドラゴンはいない。
なら他のドラゴンからもわたしは見えていないということだ。
よしそうしよう。
なんかちょっとワクワクしてきた。
帰ってきたときにバレて怒られるかもしれないけど、そんなのはもう慣れっこだ。
この間だって中心部にある変な像をブレスで壊してしまった。
とても怒られた。
ドラゴンたるものブレスの練習ぐらいするだろうに。
まったく。
新月の夜、三日後ぐらいだろうか。ああ楽しみだ…。
準備と言うものは特にない。
だってちょっと行って帰ってくるだけだし。
気を付けなければならないのは大人たちに見つからないようにすること。
帰りに見つかるならまだしも行く前に見つかっては意味がない。
怒られ損と言うものだ。
わたしは最強にして聡明なドラゴン。
まっすぐ街を目指してはあっさり見つかってしまうだろう。
月が沈む方は急な斜面になっている。
そっちはどこからでも見えるので逆に目立つからダメだ。
月が昇る方はなだらかだが山が繋がっているし森の木々も多く生えている。
紛れて飛ぶなら当然こっちと言うわけだ。
まずは尾根に沿って飛びある程度の場所から街に向かうわけだがその途中でむき出しの岩が小さな山のようになっている場所がある。
街を眺めるにはちょうど良さそうな場所。
新月だし人間は気づくことすらないだろう。
なんならそこでブレスでも一発吹いてやろうかと思ったが調子に乗ってはダメだと思い留まる。
好奇心で逸る気持ちを抑え、静かにゆっくりと空を飛んでいく。
思った通り街と言うのがよく見える。
なるほど高い壁を作りその中で暮らしているのか。
人間は見えるには見えるんだが、なんだろう、いろんなものが邪魔でよく見えない。
もう少し近づいてみるか?
いやさすがにまずい気もする。
しかしここまで来てこれだけで帰るのも勿体ない。
そんなことを考えていると、ふと、自分の正面に何者かの気配を感じた。
黒いローブ姿の、人間?
もしかしたら初めて間近で見る人間かも知れない。
いや待て、そもそもこの人間、空を飛んでいるのではないか?
見たところ羽もないし、人間は空を飛べないんじゃなかったのか?
『君は、ドラゴン?』
一瞬、思考が停止した。
目の前の人間が念話で語りかけてきたのだ。
ドラゴンにとっては当たり前のことなんだがまさか人間までとは思ってもみなかった。
「君は、ドラゴンなの?」
首を傾げ再度そう聞いてくる。
ただし今度は声だった。
正直不愉快だ。
バレないと思っていたのに見つかってしまった。
なのに自分は目の前に来るまで気づきもしなかった。
わたしは最強なのに。
わたしは賢いのに。
わたしはドラゴンなのに。
『だとしたなんだと言うのだ? 人間ごときが気安く話しかけるな。なんならお前とお前の後ろの街も、すべてわたしが消し去ってやるぞ?』
うぉぉぉぉぉぉ?!やっちゃった…。
ついつい感情が先に出てしまった。
まあいいや。
どうせ恐怖して逃げるだろ。
こっちはドラゴン、相手は人間。
楽勝楽勝。
そんなことを思っているとローブの人間の瞳の奥に、僅かにざわつく何かを感じたような気がした。
そしてローブの人間は手をこちらに向ける。
瞬間、視界が暗転する。
何が起こったのか分からない。
ただ眼前には木々が見える。
いやおかしい。
何がおかしいってわたしの視界が地面に近い。
あたりを見渡そうとする。
ふとバランスを崩してしまった。
そのまま後ろに倒れ尻餅をつく。
お尻がチクチクして痛い。
目の前には人間のものと思われる手と足。
はあ人間の手足ってこうなってるのかー。
でもなー、それ、自分のほうから生えているように見えるんだけど……。
視線を下に向け自分の体を見ようとしてみる。
混乱が一周して冷静になったかのように思ったがやっぱり混乱の中にいた。
(えっ? 何? どういうこと? これ人間?の体? えっ? えっ? ……)
体中を触る。
感触を確かめる。
この感触はドラゴンの鱗ではない。
鱗はもっと固い。
でも今の感触はプニプニしている。
顔を触る。
もう明らかにドラゴンのそれではない。
そう例えるなら目の前にいるローブの人間の顔の起伏にそっくりな感触だ。
「君は人間と言うものを理解していない。それは僕と同じだ。人間も同じ。ドラゴンをよく知らないから恐怖を感じ敵意を向ける。神は人間を導くがドラゴンは導かない。共にこの世界で生きるのに。それは悲しいことだと。君は人間を知るべきだ。僕と同じように。人間を知るには人間として生きてみるのが一番いい。だから……。」
だから?
だから何?
だからわたしを人間にしたとでも言いたいのか?
そんなのあんまりだ。
わたしは人間じゃない。
人間に憧れたわけでもない。
ちょっと興味があっただけなのに。
わたしは、ドラゴンなのに!
『もう……、ドラゴンには……戻れない? ……』
なんだろう。
目頭が熱くなる。
胸の鼓動が速くなるのを感じる。
胸が苦しい。
消え入りそうな、それでもはっきりした思念がノールに届く。
「君は君のまま。変えたのは姿だけで魂の在り様にまで手は加えていない。君がドラゴンだったのなら、君はドラゴンのままだ。姿を変えるのはさほど難しいことではない」
いや、何言ってんの?こいつ。
なんていうかこう、そう、姉を思い出した。
わたしをからかっているときの姉。
さっきまでの絶望に塗りつぶされたわたしの感情を返して欲しい。
いや絶望返されても困るけど。
どうしよう。
そうだこいつをぶっ倒して元に戻させよう。
そしてわたしは何事もなくドラゴンの姿で仲間のもとに帰れる。
ふと姉ことが脳裏によぎり、そして姉の言ったことを思い出す。
ドラゴンを倒せる人間。
もしかしてこいつが?
もしそうだとしてわたしに倒せるだろうか。
わたしのブレスならあるいは……。
って今人間の姿じゃん。
ブレス使えないような。
勝てないじゃん。
いやほんと、どうしてくれるの……。
『ねえ、わたしなんでこんな格好なの? あんたもそうだしさっき見えた人間も誰もこんな格好じゃなかった。なんていうかちょっと恥ずかしい気がする』
「ドラゴンは裸。服を着ていない。そのまま人間にしたから裸のまま」
『ああそう。そうなの。じゃあわたしにも服っていうのちょうだい』
しばしの沈黙。
「――服。街に行けば売っている」
『この格好で行けと!?』
二度目の沈黙。
「――このローブを貸す。大切なものだから汚さないで欲しい」
帰りたい、どうしたら帰してもらえるんだろう。
ため息をつきつつ、エルビーはそんなことを考えていた。