ドラゴンと二人の人間
ドラゴンズ・ピーク、人間たちがそう呼ぶ山は、その名の通りドラゴンが住まう地。
長老ヴァルアヴィアルスは西の地より感じる不吉な気配に危機感を募らせていた。
微かなドラゴンの気配。
だが生命の気配とは違う。
おそらくは穢れた魂だろう。
それは日を追うごとに力を増していく。
『長老。よろしいのですか?』
『何がじゃ?』
『あの気配です。 邪悪そのものの気配。 もしあれが人間の街を襲ったなら、その時我らに未来はないのではないかと』
長老の側近の一人、ヴィアス。
『心配するのも分かる。 しかし、あれはどうにもならぬ』
『それは、どういう?』
『あれはドラゴンの穢れじゃ。 我らドラゴンは肉体を持ち、その鱗の強度は生半可な刃など通さぬ。 だがそれは真の強さではないのじゃ。 我らドラゴンにとって真の強さとはその魂にある。 肉体と言うのは死ねばすぐに朽ちゆくが魂は死しても朽ちることなくあり続ける。 それでもたいていは世界の輪廻に帰されるのじゃが、あの穢れのようになってしまうこともあるのじゃ。ドラゴンの魂は強さであると同時に弱さでもあるのじゃ。いや、こういう言い方では語弊があるかの』
この世界において強大な力を持つとされるドラゴン。
そしてその強い魂は肉体が滅んでも世界に存在し続けることがある。
『ドラゴンの強さは魂に大きく依存しておるのじゃ。 故にその魂が乗っ取られたときは成す術がなくなる。 無論、ドラゴンである我らの魂が乗っ取られることなど早々起こりえない。 しかし、あの穢れは黒霧の谷の者たちであろう。 奴らは感情、つまり精神に強く作用する魔法を得意としておるのじゃ。 我らがあの穢れに近づけば、おそらく魂ごとその身を乗っ取られることよな』
ドラゴンを乗っ取ることが出来る者などこの世界にいない。
誰もがそう思うことだろう。
だが同じドラゴンならばどうか。
ドラゴンの魂はその強さゆえに穢れてもなおその力を失うことは無かったのである。
そしてあの穢れは幾多のドラゴンの魂の集まった物でもあった。
強大な肉体を持つドラゴンであっても、一匹のドラゴンの魂が集合体である穢れの精神支配に抗えるとは思えない。
『お主の言うように、あれを放置していてはいずれ人間の国を襲うことじゃろう。 じゃがそれはあくまで滅び穢れた者が人間の国を襲うという状況にすぎぬ。 しかし我らがあれに手を出そうものなら、その身を乗っ取られ、そしてドラゴンが人間の国を襲うという状況になってしまうわけじゃ。 それこそ最悪の事態と言えようぞ。 今、我らにあれを止める術はない』
『それは、知りませんで。 生意気を言いました』
ヴィアスもそのどうしようもない状況を理解した。
打つ手がない。
止めようとしてもし乗っ取られることがあれば、そのドラゴンもまた穢れの一部となってしまうのだ。
ミイラ取りがミイラになると言う状況になってしまう。
それは穢れの侵攻を止める以前に、仲間内で無用な争いを生むだけとなる。
『気に病むな。 わしとてお主と同じ立場だったなら同じことを言ったであろう。 それよりも、あんなものがなぜ今頃になって現れたのか、そちらの方が問題な気もするのう』
『あれは、あのすべてがドラゴンたちの魂なのでしょうか?』
『いや、違うな。ドラゴンの魂は核としてのみ存在しておる。 その周りを覆っているのは人間の魂じゃ。 だからこそ、彼の穢れは厄介な存在へとなった。 しかし、あの大戦以降、人間の魂が多く失われるような戦は無かったと記憶しておるが……』
『厄介、ですか? 悪く言うわけではなのですが、さきほどの長老のお言葉を踏まえると人間の魂など、ドラゴンの魂に比べればたわいのないものと思うのですが』
『単純な力としてであればその通りよな。 しかしな、人間の魂だけが世界を渡ることができるのじゃ。 いかにドラゴンの魂であってもこの世界の外には出られぬ。 ドラゴンに限らず、人間以外の者はすべて等しく、じゃな。故に神々は人間だけを守る。 正確に言うなればな、神々が守っているのは人間の魂なのじゃ。 一人二人の魂なら穢れてもいずれ浄化されるが、多くの魂が穢れていくと世界にとっての脅威となるのじゃ』
『世界にとっての脅威、ですか』
ヴィアスはその言葉を復唱してみたものの、しかしその重要性はやはり理解できなかった。
『それはのう、魔王と呼ばれておるじゃ。 世界を渡ることのできる人間の魂、その魂が穢れ生まれた魔王もまた世界を渡ることができるのじゃ。 つまり、この世界を滅ぼした魔王は世界を渡り、別の世界をも滅ぼしてしまう。 渡った先で人間の魂を吸収し際限なく成長を続けることになるのじゃ。 おそらく、いずれは神ですら手が負えなくなることじゃろう。 神々はそれを恐れておるのじゃよ』
『べ、別の世界ですか! そんな、そんな理由があったとは……。 私は、なぜ人間ばかり贔屓にされるのかと思っておりましたが、そうですね、たしかにそれなら神の考えも納得せざるを得ません。 我らドラゴンがいくら恨みを持って死に絶えても、その怨念が滅ぼせるのはこの世界のみ、と言うわけですか。 しかし、なぜ人間の魂だけがそんな力を持つのでしょうか』
『さあのう。わしもそこまでは知らなんだ。 もし、神と直接話す機会でもあれば分かるやも知れぬがな。 今、神と話ができるのは人間の中にいる巫女と言う存在のみじゃろう』
『しかし、あれほど危険なものを見過ごさないとならないと言うのは……』
『しかたなかろう。我らには成り行きを見守るしか出来ぬのじゃ。もし神がこの事態を見ておられるならばきっと何とかしてくれるじゃろうて』
ヴァルアヴィアルスはそう言いつつも思案する。
あの街はもう駄目だろう。
この世界にはまだ勇者がいない。
人間の守り手がまだ誕生していないのであればどうしようもないのだ。
あの街に向かい人間が逃げる手伝いをするか?
いや、人間はドラゴンを敵と見るだろう。
複数の脅威の出現により本当に警戒すべき脅威を見誤ってしまう可能性もある。
どうしようもないのだと、ヴァルアヴィアルスは結論する。
彼の穢れを見つけてからというのも、月は幾度となく天に昇ってきた。
その間、監視は怠らないようにしていた。
より力を付けるためにこの地を襲う可能性も残っていたからだ。
だが長老ヴァルアヴィアルスはまた考える。
本当にこれで良かったのか、と。
月が昇るたびにそんなことが頭を過る。
そんな長老のもとにヴィアスが報告にやって来た。
『先ほど、ドラゴンの穢れが人間たちの街に攻撃を仕掛けました』
『そう、か。 他の者たちは?』
『念のため、安全な場所に避難させてあります』
『うむ。 お主は避難せぬのか?』
『私は長老と共に』
『よかろう』
とうとう、その時は来てしまった。
長老はヴィアスと共に街がよく見える場所に向かう。
それはエルビーが好きだった場所。
『のう、ヴィアスよ。 わしの選択は本当に正しかったのじゃろうか』
『申し訳ありません。 私にはわかりかねます』
『いや、すまなんだ』
よそう。
その時はその時だ。
ヴァルアヴィアルスの視線の先に人間が見えた。
『長老、あそこに人間が』
『うむ』
ヴィアスもまたその人間を見つけたようだ。
長老やヴィアスは魔法によって遠くを見ることができる。
そして外壁にある尖塔のひとつ、その屋根に二人の人間を見つけた。
(いや、まさか)
見たこともない人間の少女。
(しかし、この魔力は……)
彼の穢れが強大なブレスを放った。
長老は人間の少女が気になっていた。
しかし今ではもう間に合わないだろう。
その時、少年が魔法障壁を展開した。
それもかなり巨大で強力なものだ。
人の身ではあり得ないほどの。
『なんですか? あれは! あんな強力な魔法障壁は見たことがありません』
『ああ、わしも長いこと生きておるが、おそらく初めてじゃわい』
(もしや、あの少年は勇者か。可能性はあるがのう。しかし、それよりもあの少女が……)
『なっ?!』
ヴィアスが驚く。
『ちょ、長老! あれは、あのドラゴンは!』
『ああ、やはり。 あれはエルビーじゃ』
『しかし、なぜエルビーが人間の街に?』
『分からぬ。 じゃがあの人間の少年がカギとなるやも知れぬな』
『あの少年が? いや、少年は何をする気……』
『!! いかん! すべての同胞よ!! 魔法障壁を全力で展開するのじゃ!!』
どの程度の者たちが思念による声に反応し魔法障壁を展開させたかは分からない。
ただ全員が同じ場所に避難しており、警戒している者がとっさに魔法障壁を展開させていれば大惨事になることはないだろう。
直後の大爆発。
(これは?!)
かなりきつい。
『無事か? ヴィアスよ』
『は、はい。 なんとか』
『そうか。 エルビーの好きだったこの場所も、なんとか守り切れたかの』
『あ、そうですね』
『しかし、何という威力じゃ。 やはり、あの少年は勇者なのやも知れぬな』
『ゆ、勇者!? あの少年がですか?』
『まだ可能性の話よ。 だが、ただの子供にあんな真似は出来まい? それに、勇者と考えればエルビーの行動もなんとなく理解できると言うものよ』
『あ、あのドラゴンの穢れはどうなったのでしょうか』
『ああ、消滅したわい。 跡形もなくな』
『なるほど。 勇者とはこれほどに。 実を言いますと、かつて勇者がドラゴンを殲滅したと言うのを疑っていたのです。 人間にそんな真似ができるはずがないと。 ですが、これほどの力を持つ者なら、それも可能、なのでしょうね』
『ヴィアスよ。 あくまで可能性じゃ。 それを忘れてはならぬ。 決めつけは、時として身を亡ぼすぞ』
『はい。肝に銘じておきます』
『ふー。それよりも同胞の被害のほどを確認せねば。 それからヴィアス。 エルビーのことは、まだ皆には内緒に。 良いな』
『わ、分かりました。 ただ、それはミズィーにも、と言うことですか?』
『そうじゃ。 あの少年が勇者ならば、下手に行動するのは女神の怒りを買いかねん。 それは避けねばならぬからな』
『なるほど。 承知しました』
邪悪な存在は消滅した。
そして同時に今まで気がかりだったエルビーを見つけることが出来た。
しかし良かった。
エルビーはすぐ近くにいた。
見た感じはとても元気にもしていた。
早くミズィーにも会わせてやりたい。
もちろん自分自身も会いたいと。
しかし、どうするべきか。
ここはいつものように……。




