二人と、悪しきドラゴン
夕暮れが過ぎ、夜が始まろうとしている薄闇の中。
遠く離れたそれは咆哮のようなものを上げた。
そして進路を街に向ける。
ドラゴンの姿をした、それは魔王の成り損ない。
いや感じる力からは魔王と言えるのかも知れない。
昔見た、あの魔王の成り損ないも強い力を感じてはいたが本体のサイズも大きく、力も垂れ流しで、おそらく制御されていない代物だったのだろう。
でも今のものはあれとは違い、無駄に力を垂れ流すようなことにはなっていない。
ドラゴンの怨念を核として人間の憎悪がこびりついた結果なのだろうか。
人より強い意思の塊によってそれはより魔王に近い存在へと至っているんだろう。
この街グリムハイドは周囲を外壁に囲まれている。
その外壁には等間隔で尖塔が立てられており、この外壁上の通路や尖塔は普段であれば解放されている。
今はあれの襲撃に際して立ち入りが禁止されているようだ。
自分とエルビーはこの薄闇に紛れて今ここにいる。
街の外壁、その上に等間隔で建てられた尖塔の一つ。
ただし屋根の上だが。
尖塔の中や外壁上通路には監視のためか数名の兵士が行ったり来たりしているが、人間たちはこちらに気付く様子はない。
その邪竜ともいうべきものは遠く離れた場所から、この街グリムハイドに向かってブレスを吐いている。
だが届くはずもない。
自らの周りにブレスを吐くだけの結果となっている。
おかげで邪竜の周囲は炎に包まれている。
しかし、時折魔法の気配を感じる。
だが、まだうまく発動していないようだ。
そして発動していないせいだろうか、それが何の魔法なのか理解することが難しい。
なおも吐き続けるブレス。
闇雲に吐き続けているだけにも見えるが本当にそれだけなんだろうか。
そのブレスに少しずつではあるが変化が現れる。
先ほどまで届いていなかった場所に届くようになっているのだ。
邪竜が移動しているから、と言う感じでもない。
ブレスの距離は次第に伸びていく。
声を出して兵士たちに気づかれないようにと、念話で会話をする。
『ねえノール。 あれって何なの?』
『おそらく、魔王、ただ、まだ完全じゃない、成り損ない』
『魔王って何?』
何?
魔王は魔王だ。
それ以外の何者でもない、はず。
『世界を、滅ぼす存在』
『え、何それ。 ヤバいじゃん』
『そう。 だから止めなきゃいけない』
『止めるって言っても…。なんかあのブレス、どんどん近づいてきてない? ほら、さっきより近いよ、これ。 うわっ!? 街の向こうまで飛んでったよ? なんか、狙いを定めている感じかな? あ、今度は手前過ぎー。 あ、ほらまた街超えちゃったよ。 どうやって遠くまで飛ばしているのかな? えー、わたしだったらあの距離はちょっと無理だと思うんだけどー。 あーまた飛んできた。 あっ…』
着実に狙いを定めていったブレス攻撃は、とうとう街の東側外壁に当り、その一部を破壊してしまった。
あの辺りに兵士も含めて人はいなかったはず。
立ち入り禁止されていて良かったと言うところだ。
『あ~あ。 ねえノール。 当たったわよ。 あれ。 ヤバくない?』
『うん』
『あれ、でも攻撃止んだね。 どうしたんだろ? 疲れちゃったのかな』
直撃したからか、ブレス攻撃が止む。
しかしノールは感じていた。
今までで最も大きい魔法の反応を。
おそらく直撃させたことで、魔法とブレスの合わせ方を掴んだんだろう。
そして最大の力でもって街を破壊するつもりではないだろうか。
邪竜の魔法が完成する。
これは……。
眩い閃光、そこから膨大なエネルギーを纏った力の奔流が押し出される。
ドラゴンのブレスに魔法を乗せたその一撃に、ノールは魔法の壁を展開させた。
魔法の壁にぶつかったブレスは激しい光と共に轟音を立てながら弾ける。
弾けたブレスは四方八方に飛び散る。
森の中、遥か遠く街の東、その山の向こうにまで。
飛び散った欠片でさえ街を容易に破壊せしめるだろう。
そんな奔流の僅かな欠片、ほんの小さな欠片が魔法の壁を抜け街の中に落ちる。
たしか神殿というのがあったあたりだけど、大丈夫かな?
ノールにとって防げない威力ではない。
ただ規則性を見出すのに手間がかかる。
中途半端な結界だと容易に破壊されることだろう。
「ぎゃーーー!!」
「退避!! 退避ぃぃーーー!!」
ノールたちが立つ尖塔の中からそんな声が聞こえてくる。
ふと周囲を見ると、他の尖塔や外壁上からも兵士たちが避難している。
『ちょっと! 何よあれ、あんなの倒せないわよ!?』
『大丈夫、だけど相手の攻撃が厄介。 ブレスに魔法を乗せてくる。 こちらから攻撃したいけど、その隙にブレス撃たれると街への被害が心配。 相手の魔法に合わせて、こちらも魔法で対応しているけど油断すると抜けそうになる。 知恵も理性もないはずなのに。 ちょっと不思議』
『大丈夫ってどうするの?』
『エルビー、ちょっとアレに攻撃して』
『いや、無理だって。ブレスも使えないし』
『そう……。じゃあ一度ドラゴンに戻すから、ブレスで攻撃してて。 その間にアレに近づいて滅ぼす。 あ、あとエルビーが持っている剣を貸して。 文字が刻まれている奴』
『えっ?剣?いいけど……。 ってえっ?ちょっ?ドラゴンに戻すって!? 戻せるの?!』
『ドラゴンから人にした。 その時の魔法を逆転させるだけ』
『って何よそれ。 だったら帰してほしかったわ』
『返す? 何を?』
『ああ、もういいわよ。』
ドラゴンの攻撃を防ぎつつ、隙を見てエルビーをドラゴンに戻す。
光がエルビーを包み、そして消える。
『わたし! 復活!!』
なんか嬉しそう。
ドラゴンに戻ったエルビーは外壁上に足をかけたりして、まるで巻き付くかのように尖塔を器用に登り、魔王となった邪竜を見る。
「ドラゴンだーーー! 街にドラゴンが出たぞー!!」
逃げ行く人間たちの中からそんな声が聞こえてくる。
『それで?ブレスで攻撃すればいいのね? でも当たるかな? いやそもそも届くかな?遠いし』
『相手のブレス。 魔法で強化みたいなことしている。 魔法の威力では向こうに敵わないけど、それでも距離は埋められる』
『ま、魔法? あたしあれ苦手』
『エルビーならできる』
『ノールがそういうなら頑張ってみるわ』
エルビーはブレスを放つ。
やっぱり届かない。
相手の攻撃は散発的でありながら、次の攻撃が読みづらい。
ちょっと間が空く時もあれば連発されるときもある。
威力そのものは最初の一撃が一番大きかったけど、今の威力でも街は壊滅的なダメージを受けるだろう。
『エルビー、相手の魔法をしっかり見て』
そして、イメージを強くする。
エルビーは度重ねてブレスを放った。
コツを掴んだのかエルビーのブレス攻撃が邪竜に当たるようになった。
それに応じるように邪竜の攻撃の間隔が長くなってくる。
『そのまま攻撃を続けてて。 じゃあ。行ってくる』
そういうとノールが街を守る外壁から外に向かい飛び降りる。
『あれ? ちょっとノール?』
エルビーはまさか走っていく気なのかと少し心配にになり、落ちていくノールを視線で追って外壁の下を器用に覗き込む。
落下する中でノールは魔法を展開する。
目標は邪竜の頭上。
横から攻撃するとその余波で被害の範囲が広がってしまう。
ノールが選んだのは真上からの一撃。
空間が歪みゲートが出現すると、ノールはそれに吸い込まれるように落ちていった。
邪竜の真上にもゲートが出現する。
しかも邪竜のかなり近く。
それはノールが落下する最中、邪竜に攻撃の隙を与えないため。
エルビーの持っていた剣。
魔法の剣であり、その特性は不壊。
さらに魔法を込めることでその強度、威力を高めることができる。
おそらくノールの魔法にも十分耐えられる代物。
邪竜の真上に出現したノールはすぐにゲートを閉じた。
エルビーのブレス攻撃が邪竜に当たる。
そしてノールは別の魔法を展開する。
空間を、重力を支配する魔法。
それを剣に乗せる。
魔法が展開されると同時に光り輝く。
だがそれは一瞬のことだった。
その後は、剣に向かって光が落ちていく。
荒れ狂う力の渦。
そんな力の渦ですら剣に吸い込まれていく。
そして、一撃。
邪竜に打ち下ろされた剣はその吸い込んだ力をすべて開放する。
莫大な熱量を伴ったそれは巨大な火球となって天へと昇って行った。
衝撃、轟音、そして地面が揺れる。
街の外壁は尋常ならざる衝撃を受け、崩れたり吹き飛んだりしていた。
この街の外壁は何かの対策のためか通常よりのかなり高く、そして頑丈になっている。
それが幸いしたのだろう。
中心部にある領主の城、その最上部は見事に吹き飛んだが。
破壊された破片が街に降り注ぐ。
エルビーはそんな光景を見ながら爆発の衝撃によって破壊された尖塔と共に落下していった。
ぐへっ!
街の中は未曽有の事態にパニック状態だろう。
外壁はところどころ破壊されその破片が周囲に飛び、そしてドラゴンが落下してくるのだから。
ノールは間近で受けた爆発の衝撃を魔法の壁で緩和しつつ、地面に降り立った。
そして衝撃が収まったのを確認すると再度ゲートを開き、エルビーと共に居た尖塔のあった場所に戻る。
邪竜のいた場所は、爆発の衝撃で巻き上げた土など様々なものが雲のようになっており、その中では雷鳴が轟いている。
エルビーはと言うと、ひっくり返った体勢だったためか藻掻いている。
『エルビー、大丈夫?』
『あ、うん、これドラゴンあるあるだから』
『そう』
『でももうちょっと心配して』
『してるよ。早くしないと人間が集まってくる』
『え、ちょっとまずいじゃん』
「こ、これあの時のドラゴンだぞ!」
『これとか言うなし。 ふう、やっと起き上がれた。 ひっくり返るとね、翼が邪魔で戻りにくいのよ。 うまいドラゴンはあっさり戻れるらしいんだけどね』
「お、おい! 嘘だろ? 街を攻撃していたドラゴンが居なくなったぞ!!」
「本当か?」
「いやだって、ほら! ドラゴンが居たところの木々が根こそぎなくなっている!」
恐怖より好奇心が勝ったのだろうか、破壊された外壁、まだ壊れていない通路を通り尖塔までやってきていた人間がそう説明している。
「どういうことだ? え、もしかし、この赤いドラゴンが倒してくれたんじゃ……」
次第にエルビーの周りに人が集まりだしていた。
「そうだ! きっとそうに違いない!!」
「私たち助かったのね!」
「ありがとう!! 赤いドラゴンさん!」
「ドラゴンがドラゴンを倒したのか!」
「お、おい、今すぐに城に行き領主様に報告だ!」
「ハッ!」
『ノールー、助けて―、完全に囲まれてしまったわ。 逃げられないよー』
エルビーは大きな体で器用にキョロキョロとしている。
『エルビー。そこで吠えて』
『え?咆えるって?』
『そう吠えて。 えっと、ワンワンだっけ?』
『あ、うん。 ってそれ犬よ!!』
『ドラゴンってなんて咆えるんだろう』
『まったく』
そう言いながらもエルビーは天に向かって咆哮を上げた。
その声に合わせノールは魔法を展開する。
ゲートではない、転移魔法。
空間同士をつなぐゲートに比べて転移は対象のみを移動させる。
咆哮を上げたエルビーの足元には魔法陣が浮かび、そして周囲は光り輝く。
周りの人間たちからもどよめきが起こる。
光はエルビーを包み込み、そしてエルビーと共に消えた。
「消えた」
「どういうことだ?」
「そ、そうか、役目を終えたから帰ったんだ」
エルビーの転移先は少し離れた森の中。
人目につかない場所、と言うことで最初にエルビーが現れた岩山の反対側にした。
自分も人間たちに気づかれないように転移する。
「エルビー。気分はどう?」
『あ、ノールお帰り。 っていうか何が起こったの?』
「たぶんあれで、エルビーが自分で転移したと人間は思うはず」
『ああ、なるほどね。 そんなこと私にはできないけど、咆えた後に光って消えたら自分でやったとしか見えないものね』
「そう」
何やらエルビーがそわそわしている。
どうしたんだろう?
「エルビー。またトイレ?」
『違うわよ! ああ、そのなんていうか、もう、人間にしてくれないの?』
「ああそうだね」
ノールは再び魔法を使う。
エルビーの体が光り輝き、そして光が消滅するのと同時に人間の姿のエルビーが現れた。
「あ、あー、あっ、あっ、ゴホン。 よしちゃんと喋れるわね。 ねえ、ノール」
「何?」
「だから! なんでわたし裸なのよ!!」
「だって、ドラゴンは裸だから」
「またそれか!」
結局またローブを奪われ、街で新しい服を買うこととなったのだった。
「人間に戻す時にさ、服も一緒に戻せないの?」
「ドラゴンに戻した時に服を着せたままにしておけば、出来ると思う」
「いや、それ服破けるから」




