領主の選択
「いったいなんなのだ」
報告を聞き終え頭を抱えている男が独り言ちる。
男はグリムハイド領主、エイント。
だがそこに居るのは彼だけではない。
今、領主と臣下である貴族たちは報告を受けたものに対してどうするべきかを話し合っている最中なのだ。
「兵士や冒険者を動員して討伐に当たるべきです! このグリムハイドを落としてはなりませんぞ!」
「何を言っている!ここは逃げるべきだ!」
「逃げるだと?! いったい何人この街に住んでいると思っているんだ! そんな非現実的なことを言って何になる!」
はあ……。
そんな内容の話を延々としている。
事の発端はこうだ。
低い呻り声のような音が聞こえる、それが怖いだとか五月蠅いだとか、眠れないだとか。
そんな報告がしばらく続き、仕方がないので冒険者ギルドに調査を依頼した。
その時の結果は残念だが《不明》。
当然だろうと思い継続的な調査を依頼しつつ、様子を見ることにした。
そして、そんな報告から数日が過ぎたある日。
偶然にも西側遠方に出ていた冒険者チームのひとつが異様なものを発見する。
発見と言っても遠くから視認しただけというレベルだが、それだけでも十分と言えるものだった。
その冒険者チームは連絡用魔符を使ってギルドに報告してきたようだ。
それは山沿いをゆっくり東に進んでいる。
異様なものの正体、報告には黒いドラゴンと思われると記載されている。
まったく、何が黒いドラゴンだ。
この間は赤いドラゴンが出たばかりだというのに。
だが外壁にある尖塔からもそれを確認することができるようになり、目撃者が多数現れる。
外壁にある通路、それと繋がる尖塔への出入りは禁止していない。
見晴らしが良く、観光にも繋がると考えたからだ。
そして、限られた兵士だけの監視より、一般人を観光の名目で監視に利用するという意図もあったりする。
今回もそのおかげでわずかに蠢く黒い影を確認することができたわけだ。
ゆっくりとは言え、近づくほどにその正体が露わになる。
その正体が黒いドラゴンというわけなのだが、なぜか輪郭がぼやけてはっきりしないというのだ。
昼間でも。
黒い靄のようなもので包まれているのではないか、そう報告されている。
詳細の調査と言う案も出たが、山沿いを東に向かっているところで刺激して、街に向かって来てしまっては元も子もない。
そのために冒険者ギルドへの調査依頼を中止にして外壁からの監視と言う方法に切り替えた。
現在、外壁上部、内部、および尖塔への一般人の出入りは封鎖している。
そうしないとドラゴンを一目見ようと人混みで溢れ監視が容易ではなくなるからだ。
黒いドラゴンの大きさは、先日現れた赤いドラゴンより一回りか二回りほど大きいという報告もある。
こちらからちょっかいを出さなければ素通りしてくれるのではないか、そんな意見が無いわけでもないが、それはさすがに楽観しすぎる。
小さな村ならまだしもこれだけ大きな街だ、外壁も高いせいで目立つことこの上ない。
そして、やはりと言うべきか、街のおおよそ南西に来た辺りでこの街に気付いたのだろうか、そのドラゴンは大きく咆哮を上げ進路を変えてきてしまったのだ。
街の存在に気付いた黒いドラゴンは現在、進路方向にブレスを吐いている。
進行方向、それはつまりこのグリムハイドだ。
この街は確実に狙われている。
それはもう疑いようがないことだろう。
あのドラゴンからすれば、この街を狙って攻撃しているつもりなのかもしれない。
おかげで今や森林火災真っ只中となっている。
ドリ何とかと言う木の精霊みたいなのがいるなら、早く止めていただきたい。
あなたの住処が丸焼きですよ、と。
なんなら退治してくれ。
もっともそのブレスは黒いドラゴンの周りを焼くだけで、グリムハイドとは距離が遠く離れているため今のところ何の影響も出ていない。
さらには日も暮れ始めた。
しかし木々を燃やす炎のせいか黒いドラゴンの周りだけ明るくなっている。
「今! 街から遠い今! 兵士を向かわせ叩くべきです! 皆さんもそう思うでしょう?!」
「何を言っているんだ! あそこまでどれほど距離があると思っている。討伐などする前に兵士が疲れ切ってしまうわ!」
「ドラゴンに人間が挑むなど愚かですよ!」
「ドラゴンの周りは燃えているんですよ?! どうやって近づくおつもりですか!」
「私の息子は兵になったばかりなのだ! 息子を死地に送れと言うのか!」
「命を賭して街を守るのが兵士の役目でしょう!」
「命をゴミのように捨てるのは兵士の役目ではないわ!」
「今は……今はまずい……嫁に逃げられる……。」
すべての視線が彼に集まった、そして一瞬の静寂……。
しかし、かける言葉が見つからないのか、言い合いを再開させた。
「えっ……て、徹底抗戦だ! それしかあるまい!」
「戦う?! ドラゴンと戦うですと?! 寝言を言わないで頂きたい! どこの世界にドラゴンと戦う兵士がおりますか! この街にかつての勇者はいないのですぞ!!」
「寝言を言っているのは貴様ではないか! この地を、この街を!! ドラゴンに差し出せと抜かすのか!!」
「ですから! ドラゴンの周りの森は燃えているんです! どうやって近づくんですか?!!」
ここの者たちにも上下関係と言う物は当然ある。
だが今は、そんな上下関係など気にもせずに皆発言している。
この街は上も下もなく皆平等であるから自由な発言を許している、などと言えたらどれほど良かったことか。
彼らはただドラゴンと言う恐怖に当てられて、相手が目上と言うことを考える力も奪われているに過ぎない。
「先日の赤いドラゴンのことをもうお忘れか! あの後、多くの兵士が辞めていったのだぞ! それよりも大きいドラゴンに兵士たちが敵うわけが無かろう!」
「辞めていったのはやる気のない兵士だ! 今残っているのはやる気のある兵だから大丈夫に決まっている!!」
「だから!私の息子が!!」
やる気の問題ではないだろう。
兵士にアレを倒せるのか……。
まあ難しいだろうな。
冒険者であれば実力はピンからキリまである。
だが兵士は皆、等しく練度が低い。
理由は簡単、彼らが兵士だからだ。
戦争もないこの国にとって彼らの仕事は街の防衛である。
もちろん魔獣などが街に入り込めばその討伐は兵士の仕事となる。
しかしこの街は高い外壁に守られている。
私が知る限り街中で魔獣と戦ったなどと言う話は聞かない。
つまりこの街の兵士は訓練以外での戦闘経験が無いに等しいのだ。
そんな彼らにドラゴンなど倒せるはずもない。
では冒険者ならどうか。
それも無理な話だ。
赤いドラゴンの出現。
その時にも冒険者たちにはギルドを通じて戦ってもらうことを要請した。
その時の報告も読んだが、全員青ざめていたそうだ。
それでも家族を守るため、大切な人を守るためと戦うことを選んでくれた者もいるようだが。
あの時は現れたのも突然で、しかも街のすぐそばと言う状況だったからと言うのもある。
では、今回は?
ブレスを吐き始めてからはさらに進行速度が低下しているようだ。
しかし、何とも忌々しいものだな、ドラゴンと言うのは。
かつての伝説、子供の頃聞かされたおとぎ話を思い出す。
人間を襲うドラゴン。
女神リスティアーナに遣わされた勇者がそのドラゴンたちを滅ぼしたのだと。
そして生き残ったドラゴンたちもまた南の山にて封印されたのだと言う。
この街に勇者はいない、か。
いやそもそも今の世に勇者はいないだろう。
残念ではあるが、この街が滅ぶのは避けられないのではないか。
女神ですらこの事態を予想できなかったのだろうか。
我々人間は本当に無力だ。
神の力なくして生きることすらままならぬとは。
せめて、一人でも多くの命を守りたい。
そうだとも、今はドラゴンの行動が鈍っている。
つまり時間はまだある。
ならば取る手段はひとつしかない。




