閑話 ~巫女と嘘~
「ねえ隊長、俺らいつまでこのままなんですかね?」
「それは俺が聞きたいぐらいだ」
裏組織の間でも聖王国の闇とまで恐れられていた彼らは巫女を追ってやって来たエデルブルグで足止めを食らっていた。
正確に言うなれば巫女を追って来たではなく大蜘蛛を追ってきたのだが……。
「まさか全員こんなことになるとは思いませんでしたよ」
「やっぱり全員なのか? 一人ぐらい……」
「じゃあもう一度点呼します?」
「いや、いい……」
「はあ、腹減ったなあ……なんか食いたいけど……このままじゃ俺らが食われちゃうんでしょうかね……」
「だがいまだ誰一人食われずにいると言うことはだ、目的は別にあるのではないか?」
「隊長知らないんですか? こういう魔物は生まれてくる子供の餌としていっぱい確保しておくもんなんですよ、自分の餌は別で捕りに行くんです」
「そうなのか? じゃあ我らはあの大蜘蛛の子供に食われるということか」
そんな彼らは今一か所に集められ、動けないよう蜘蛛の糸で縛られ木々に吊るされている。
エデルブルグの近くまで追ってきたのは良いが、気づけば安全のため後方に残していた連絡役との通信が途絶えていた。
一時的な魔力障害かとも思えたがどうするか検討している間に、こうして自分たちまで捕らえられてしまったというわけである。
「しかしあっという間でしたね、隊長」
「昔から大蜘蛛には決して手を出すなと聞いてはいたがまさかこれほどとはな。 あの蜘蛛が使っていたのは精神系の魔法なのだろうか……」
隊長と呼ばれたノウゲンは捕まった時のことを思い出していた。
例え強大な敵とは言え普通に考えればこれほどの人数を一人も漏らさず捕らえるなど不可能なはずだがこの魔物はそれをやってのけたのだ。
大蜘蛛と対峙した瞬間なぜか体が動かなくなってしまい、そして動けなくなった者たちをゆっくりと蜘蛛の糸で拘束したというわけである。
「毒のようには思えませんでしたね、離れていた者もほぼ同時だったようですから。 毒なら離れている者ほど効果は遅くなるはずですし風向き次第では影響を受けないはずです。 でも魔法的な効果と言うなら同時なのも頷けますよ」
「大蜘蛛に対する攻撃すらできなかったからな。 それにこの糸、刃も通らないし魔法まで効かないとは……」
蜘蛛の糸には火が効くと言う話も聞いていたのでイチかバチか試してみたが失敗に終わった。
「いや隊長、あんな無茶なことしないでくださいよ。 仮によく燃えたとしても中の俺らまで燃えちゃうんですから」
「糸が解ければ火傷など回復薬で癒せるだろ」
「糸が解けなかったせいで中の人間だけ焼けるところだったことに文句を言っているんです」
「解けなければどのみち食われて死ぬのだぞ? そんなこと言っている場合でもないだろう」
「けどこれ、食われて死ぬとか以前に飢えて死ぬほうが先にも思えます、誰か気づいてくれないかなあ」
稀に魔獣を見かけたりもしたがさすがに大蜘蛛の餌を横取りする勇気のある者はいないようでなんとか死なずにはいた。
それから数日後、彼らにも希望の光が見える。
エデルブルグの兵士が彼らを発見し周囲に集まり始めたのだ、しかし大蜘蛛と言う厄介者のせいで兵士たちもまた、遠巻きに見るのみだった。
しばらくして兵士たちに連れられ数名の貴族らしい者たちがやって来た、その中には見知った少女の姿もある。
「隊長、あれって……」
「やはりエデルブルグに隠れていたか」
その少女は今まで彼らが探していた巫女だった。
そして巫女は兵士と少し話をするとこちらへと近づいてくる。
「あの巫女大蜘蛛がいること気づいていないんですかね? 俺らみたいに捕まっちゃうんじゃ」
「さあな、だがそうなったところでもともと殺す予定だったのだし問題はあるまい。 しかしそうするつもりならあの時点でそうなっていたはずだがな」
そんな巫女を一人の貴族が引き留め話をしている。
すると巫女はその場に留まり、代わりに話をしていた貴族が近づいてきた。
「お前たち、掃除屋だな。 私は神務局局長のオズウェルだ。 モーリウスのやつは今どこにおる?」
彼らも当然その顔に見覚えがある。
「さあ? 我々は知りません、ご覧のように連絡も取れない状態なので」
オズウェルは蜘蛛の糸で縛られ身動きできなくなっている彼らに事情を説明することにした。
「つまりモーリウスの奴が裏切った、そういうことでしょうか?」
「その通り、無論私も一度は許可したがね。 奴は内務局長に篭絡され本来の使命を違えてしまった。 もう奴に今までの立場は存在しないと思ってもらって構わない。 それで君たちはこれからどうする気かね?」
「いや、どうするも何も。 あの蜘蛛に食われて死ぬか飢えて死ぬかを待つだけなんですが」
「それだがな、巫女の話ではたぶん助けられるそうだ。 あの蜘蛛は巫女を守る為に君たちを拘束したようだぞ? つまり君たちが私の指揮下に戻り巫女の暗殺を取りやめるなら、おそらくあの蜘蛛は君たちを解放するだろう、と巫女は言っている」
大蜘蛛が巫女を守っているだろうことは彼らも察しがついていた。
しかし同時に魔物が人間を守っているということがどうしても信じられずにいる。
「我々は一個人に従っているつもりはありませんよ、あくまで国に従って動いたまで。 国がその任務を中止しろと言うのであれば異論はありません」
「そうか、なら従うと言うことだな。 くれぐれも言っておくが大蜘蛛が拘束を解いたからと言っていきなり巫女を襲うような真似はしないでくれたまえよ? 聞いた限りではあの蜘蛛はよほどせっかちな性格をしているらしい。 君たちの剣が巫女に届く前に、蜘蛛が君たちを仕留めるだろうからね」
「飲まず食わずで散々放置されてたんで、そんな力はもうありませんよ」
こうして彼らは数日ぶりに解放されたのだった。
◇
聖都へと戻ったリュールはいつものように神殿で暮らしていた。
巫女は神殿から出てはならないという決まりがなくなったわけではないからだ。
ただ今回巫女が神殿から抜け出したことは様々な原因があったことや女神からの指示であったこともあり不問とされた。
あれから女神の神託はないがそれが普通だったのだ、数年に一度あれば良いほうなのに立て続けに神託を受けることになった今回のほうがおかしい。
エデルブルグに避難していた時もそうだが第一王女のルナに会う機会は幾度とあった。
聖王がルナを案じて許可したのだろうとリュールは思う。
リュールはルナの無事をその目で見て安堵していたが、ルナもまたリュールの無事を知って喜んでいた。
聖都に戻ってもお互いの関係は変わらず、これまで通りの生活に戻るのだとリュールは思っていた。
夜遅く、神殿の一室、リュールが寝室としている部屋にこの時間には珍しく客が訪れた。
神殿にやってくるのは神官か王族のみ、しかしどちらもこんな時間に来たことは一度もない。
「お休みのところ失礼します、フレデリカです」
声の主はルナの護衛騎士であるフレデリカだった。
さらに彼女の後ろには隠れるようにしてその両目を赤く腫らしたルナがいる。
「リュール……」
その力ない声からしても今まで泣き腫らしていたのだろうとリュールは思った。
「巫女様、こんな夜遅くに申し訳ありません。 ですがどうか姫様の話を聞いてはもらえないでしょうか。 さあ姫様」
ルナの話、それは兄アルハイドのことだった。
ルナは城に行った際、偶然にも父エルマイスと兄ヴェルクリフが言い争いをしているのを聞いてしまったのだ。
その内容と言うのはもう一人の兄、アルハイドの処遇について。
処刑はやりすぎだと嘆願するヴェルクリフに、エルマイスは一切取り合おうとしない。
国のためにはやむを得ないのだと、その一点張りだった。
二人の兄の間に王位継承と言う問題があるのは知っているがそれがどの程度のものかまでルナには分からない。
ルナにとってはどちらも優しく大好きな存在でしかなかった。
時折、誰かがアルハイド殿下がルナ姫を殺そうとしたのだ、などと話しているのが聞こえてくることはあった。
だがルナはそんな言葉を信じてはいない。
兄はそんなことする人じゃないし、何より母グレーテがそれを否定する。
ならばなぜ聖王である父は兄ヴェルクリフの言葉に耳を傾けないのだろうか。
父が兄アルハイドを処刑しようとしていることがルナにはまったくわからなかった。
「今のお父様は怖いです。 なぜ優しい兄様を死なせようとするのですか? お父様は兄様が嫌いになったのでしょうか?」
それこそルナがこんな遅くにリュールの元へと訪れた理由。
とは言ってもリュールにもその理由など分かるはずがない、なんなら自分より年上であるフレデリカのほうが知っているはずだろうに。
「あの、騎士様……」
リュールの視線を受け、おそらく言いたいことを察したのだろうフレデリカがリュールに答える。
「我々は姫様をお守りするのが役目、姫様のご意思に介入することは許されないのです」
つまり知っていても余計なことは言えない、と言うことだろう。
リュールは考えた、余計なことは言えないと言うフレデリカはなぜここに、こんな時間であってもルナを連れてきたのか。
(姫様がそれを望んだから?)
その可能性はあるがそれだけではないはずだ。
ルナの意思に介入は出来ないと言うが、護衛するうえで必要なことには忠告したりするし止めることもあるはず。
今回だって城壁の中とは言えこんな時間に出歩くのは危険だからと進言するのが普通のはず、しかしそうはしなかった。
(なぜ……? あ……そうか。 騎士様は私に……余計なことは言えないご自分に代わって、私にその余計なことを言って欲しいんだわ……でもいったい何を言えばいいのかしら)
慰めの言葉だろうか。
だがその程度ならフレデリカでも言えるだろう。
そしてリュールはクレヌフのことを思い出した……。
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「失礼します! 今しがたリュール様が神託を授かりました。 急を要するとのことで勝手ながらお連れしました」
「フレデリカ!? 神託だと? 何を言っている! それは護衛騎士の領分を逸脱しているぞ!」
「申し訳ありません団長、ですが本来神託を報告するべき最高神官長の座は空席、そして他の神官も自分たちの手に余ると拒否されていたので已む無く代わりに私がお連れしました」
「しかも神殿より出てはならない巫女を勝手に連れ出すなど……」
「私が聞いてご報告した場合正しく伝わらない可能性がありました、ですのでご本人に直接お話して頂くのが最善と判断しお連れした次第です」
フリュゲルの威圧を物ともせずフレデリカはまったく態度を崩さない。
「まあ待てフリュゲル、巫女の処遇についても考え直さねばならぬところであった。 それは後にしてまずは女神のお言葉を確認するべきであろう。 リュールよ、いったいどんな神託を授かったのだ?」
「はい、その……女神様からは、あの、アルハイド殿下の命を奪ってはならないと……えーっと、もしそのようなことがあれば世界に災いが起きると仰っていました」
「なっ、災いだと!? それはいったいどんなことが起きるというのだ?」
「申し訳ありません、そこまでは……」
「ぬっ……そうか、それが女神の意思と言うのであれば仕方あるまい。 ならば別の極刑に処することを考えねばなるまいか……」
「あっ……えーっと、極刑のようなものもダメと女神様は仰っておりました。 つまりその、そうです、ルナ姫様が悲しむような罰は良くないと、そう仰せでした」
「なんだと!? 女神はルナを案じているとそういうことか? まさかルナに魔王を生み出しかねない何かがあるということなのか」
リュールの言葉にグレーテは何かを感じ取ったのか、一気にその表情は明るくなりいつものグレーテらしさを取り戻していた。
「陛下、要らぬ差し出口と思いますが、わたくしからもよろしいでしょうか?」
「グレーテか。 うむ、申してみよ」
「ありがとう存じます。 わたくしが思いますにこれは女神様から与えられた試練なのではないでしょうか」
「試練だと?」
「はい。 貴族の皆様方を納得させるにはアルハイドを極刑に処するのがもっとも確実なのかも知れません。 ですがそれは人の理での話、きっと女神様にとって重要なのはそこではないと思うのです。 女神様の敬虔なる信徒としてわたくしたちはその判断を試されているのではないかと思うのです」
「なるほど、貴族連中を納得させることは確かに人間社会の問題。 女神には関係のない話か……」
エルマイスはしばらく考えそしてリュールへと向き直る。
「リュールよ、神託の件しかと受け取った。 最高神官長の不在は問題よな、其方の今後だけでなくそれについても考えるとしよう。 フレデリカ、其方にも苦労を掛けたな」
リュールとフレデリカは挨拶をすると王の間から退出した。
「リュール!」
声を掛けてきたのはグレーテだ、二人が出た後に追いかけてきたのだろう。
「リュール、ルナのこと気にかけてくれたのですね、ありがとう。 わたくしもヴェルクリフも陛下を説得することはついぞ叶いませんでした。 ルナの愛する兄、そしてわたくしが愛する子を守ってくれてありがとう」
「あっ、いいえグレーテ様、これはその女神様のご神託ですので。 私は別に……」
「あらそうでしたわね、わたくしとしたことが。 ではどうか、わたくしの代わりに女神様に感謝の言葉を。 わたくしも祈りは捧げておりますがしっかり女神様に届いているのか分かりませんから」
やはりグレーテには気づかれていたようだ、その神託が嘘だということに……。