悪魔研究の調査3
しばらくするとラフィニアが戻ってきた。
本当にちょっとの準備だったのか、急いで帰って来たのかはリックにも分からなかった。
しかし入ってすぐ、リックたちの姿を見たラフィニアの冷めた視線が酒を片手に盛り上がっていた自分に突き刺さっていることだけははっきりと感じ取っていた。
どうせ後から請求できるから支払いは気にしなくていい、そんな思いが自分にそうさせたのだろうかとリックは自問自答する。
(いや、俺も注文したけどほとんどはエルビーだったはず、つまり俺が考えなしに料理を注文しテーブルいっぱいにしたわけではない。 そもそもこの状況を作り出したのはラフィニア本人だ、俺はその命令に従ったに過ぎないはずだ)
ラフィニアは文句を言うわけでもなく同じく席に座りテーブルに並ぶ料理を食べ始めた。
(やはり何も言わない、つまりラフィニアもまた己の責任も感じていると言うわけだ。 大丈夫、恐れることはない。 俺は言われた通りにエルビーたちを大人しくさせていただけだ)
しかしリックは無言で食べ続けるラフィニアを見るたびになぜか自分の鼓動が高鳴っていくのを感じる。
それはまるで遠く鳴る警鐘のようだった。
なんとなく気まずい雰囲気の中で酔いなどとっくに醒めてしまったリックは、そんなこと気にもせずにただ食べ続けるノールとエルビーを怨めしそうに見ていた。
食事を終わらせると借りた部屋に戻っていく。
(まずい……。 大人しかったのは公衆の面前だったからではないか? つまり説教と共に人前じゃ言えないような罵詈雑言が飛んでくるかもしれないのか。 いや、ラフィニアは怒るときはその場で怒る主義だ、体面とか気にするような奴じゃねえ。 ならなんだ? 考えすぎている? 俺が? 怒られる前提で考えているから本質を見失っているとでも言うのか?)
そんな心配がリックの頭の中をぐるぐると回っている。
部屋にはベッドが二つ並んでいるが四、五人で寝るにはどう考えても手狭であった。
全員が部屋へと入り扉が閉まる、すると物静かに先頭を進んでいたラフィニアが振り返りあきれ顔で言う。
「まあ私が言い出したことでもあるし仕方がない部分もあるとしてね。 飲みすぎ」
(料理のことじゃないだと!?)
リックにとってそれは驚きだった。
いつもなら何とか食べきれる量であっても注文しすぎだと文句を言う。
それが今回、どう見ても残しかねない量だったにも関わらずその事に触れる様子がないのだ。
「すみあせん」
「ほら、呂律が回ってないじゃないの。 どんだけ飲んだのよ、あなた」
「いやーだって久しぶりだったんへ。 こう誰かと一緒にがっつり飲むの。 こいつ、おーだる、酒強いのさ」
「まったく、やることやったらすぐ出発する予定だったのに……」
リックは気づいた、前提が間違っていたと言うことに。
どうせ後から請求できるから支払いは気にしなくていい、そう考えたのはリックだけではなくラフィニアもだったのだ。
(クソッ……つまり飲みすぎたから怒られてんのか……でもしょうがねえだろ、こればっかりはよ……)
男の名はオーダルと言った。
リックは人並みに酒を飲むが、相棒のラフィニアはよほどのことがないと飲まない。
さらに残りは子供となれば飲み仲間が恋しくなるものなのだ。
大迷宮遠征の時はミルドやラジ、それにザリオなど酒飲み仲間もいたので行く先々でこっそり飲みに行ったりもしたがここ最近は一人で飲むことが多かった。
そんなときにオーダルと出会ってしまったというわけである、意気投合するなというほうが無理な話なのだ。
「それでオーダルさん。 私、あなたが連れて行って欲しいと言うからそのための準備で出かけていたのだけど」
「面目ない……」
「はぁ…… まあいいわ。 今日はこのままここに泊まる、あなたのことは明日、それでいいわね」
「いや、俺はこの程度の酒で酔うことなどないので………………明日で構わない」
如何なる者もラフィニアの眼力の前には従わざるを得ないということをリックは理解した、いや再認識した。
そしてそんなラフィニアを恐れることもなく、なんか自然にベッドで寝ているノールとエルビーの胆力にも戦慄する。
解放されたリックはやむなく部屋を借りに行く、オーダルは自腹で自分用の部屋を借りていた。
ラフィニアが借りた部屋は二人部屋、それを3人で使うのかという疑問もあるが問題はない。
先にベッドで寝ていたノールとエルビーだが、俯せて寝ているノールの背中を枕にエルビーが寝ているのでベッドは一つ空いているからだ。
ノールの場合はベッドに対して横向きになっていて、寝ていると言うよりエルビーに潰され身動きが取れなくなってそのままと言った感じだが……。
ラフィニアはその空いているベッドを使うつもりらしい。
ノールを救出しリックが借りた部屋に放り込むという選択肢はないのだろうと、リックは判断した。
翌日、目を覚ましたラフィニアは隣のベッドで寝ているはずのノールたちを見やる。
エルビーはまだ寝ているがノールの姿はなかった。
どこに行ったのかと思いつつ起き上がると、床に転がるノールの姿を見つける。
エルビーの姿勢が昨日と違うことを考えるとあのまま落とされた可能性はあるが、たぶん誰にも真実は分からないだろうと考えるのを止めた。
朝食を取るため二人を起こし、そしてリックたちと共に食堂へと向かう。
昨日はしていなかった自己紹介も済ませ、ラフィニアは最後の確認をオーダルに向けた。
「オーダル、一応もう一度聞くわよ。 本当にいいのね?」
「ああ、やってくれ」
オーダルに気持ちの変化はないらしい。
それだけの決意ということなのだろうか、何が彼をそこまでさせるのかラフィニアは少しだけ気になった。
「それじゃあリック、私とオーダルはちょっとすることがあるから、あなたたちは呼ぶまでここに居て」
「え? ああそれはいいけどよ、何か手伝うことはないのか?」
「平気よ、そんな面倒なことをするわけじゃないから」
「分かった」
「言っておくけど、お酒は飲まないでよ? そのままここを発つんだから」
「さすがに昨日の今日でそんなことしねえよ」
リックの言葉に頷くとラフィニアはオーダルと共に二階に上がっていった。
「ねぇねぇリック、ラフィニアたち何するつもりなのかしら?」
「さあな。 まあ俺たちには見せたくないことってのは分かる。 つまり、ロクでもないことだってのもな」
リックが二日酔いに良く効くと店主に勧められた謎の飲み物に口を付けようとしたとき階段を下りる足音が聞こえた。
いつものラフィニアの足音だがオーダルの足音はない。
「3人とも食事は済んだ? ちょっと話しておこうと思うから上に来て」
やっぱりロクでもないことだなとリックは直感した。
そしてそれは的中する。
「な、なあラフィニアこれって……」
「そ、奴隷紋よ。 とは言っても簡易的なものだけどね」
「いやいや、人間を奴隷にするのは無しだろっ! いくら潜入のためって言ってもさ」
「そんな心配は不要だ」
「不要ってお前も何言ってんだよ!? 亜人を奴隷にするのとはわけが違うんだぞ!?」
「言葉が足りなかったな、俺は人族ではないから心配には及ばないということだ」
「へっ?」
「彼はその亜人、獣人族よ」
「やはり知っていたか」
オーダルは頭に巻いていた布を取ると、頭の上のほうに人間にはない耳がちょこんと生えている。
そんなオーダルを珍しいものを見るような目でエルビーが見ている、見る角度を変えたり場所を変えたりしてマジマジと。
「なんとなくよ、普通の人に奴隷なら問題なくアルメティアに入れるなんて発想はないもの」
「ああ俺今すげえショック受けてる、獣人見るのも初めてだけど奴隷ってのも初めてだし」
「私だって同じよ」
「でもそれ、これからはラフィニアの奴隷として生きて行くってことだろ? 本当にいいのかよそれで」
「ちょっとリック、人聞きの悪いこと言わないで。 簡易的なものって言ったでしょ、強力なものじゃないし一時的なものよ。 ただ獣人族ならば奴隷なんて嫌悪感しかないと思ったから聞いただけなの」
「なあでも奴隷って違法だろ? ラフィニアは大丈夫なのかよ、捕まったりしない?」
「売買が禁止されているだけで所有すること自体はまだ禁止されていないわ。 私は買ったわけじゃないからそれで罪に問われることもないの」
「まったく、ロクでもねえことしてんだろうなとは思ったが、想像の斜め上すぎて言葉にもならねえよ」
「けど実際、彼をアルメティアに入れるためにはこれぐらいしか手段が思い浮かばなかったわ」
かくしてオーダルも加わりアルメティアへと向かうことが決まった。
「ラフィニア、今回も乗合馬車使って行くのか?」
「すぐに出るようなら乗合馬車にするけど、しばらく待つようなら貸馬車かしらね」
アルメティアに向かう乗合馬車と言うのがまったくないわけではない。
聖王国からアルメティアに入る街道は2つあり、西側は主にマラティアの大迷宮へ向かう者たちがディエンブルグ領からアルメティアへと入る道。
そして今いる東側の道はドルドアレイク領からアルメティアへと入る道となっていて、こちらは主に聖都からアルメティア首都に向かう者が使う道となっている。
大迷宮へ向かう者と言うのは意外に多く、そのほとんどは冒険者と商人である。
ではアルメティア首都に向かう者はどうかと言うと僅かな商人を見かける程度だった。
商人と言うのは基本自前で馬車を用意する、そのため結局この辺りで乗合馬車を使う人はなかなかいないのだ。
とは言えまったく利用者がいないわけでもないので、数十日ごとに一度馬車が往復する程度であった。
運良く出発直前の馬車に乗ることが出来れば言うことはないが、無ければ貸馬車と言うことになる。
ラフィニアたちはまず乗合馬車の出発日を確認するべく馬車ギルドへと向かった。
「相変わらずボロい建物だな……。 って言うか隣の馬小屋のほうがしっかりした造りなのってどうなのよ?」
「馬も車も彼らにとっては大切な商売道具だもの、まあ大切にするわけよ。 リックには分からないかもね、武器の手入れもろくにしないし。 これからはちゃんと実家に帰った方が良いかもしれないわね、あなたに代わって親方さんがしっかり見てくれるでしょうから」
「うっ……言わなきゃよかったぜ。 武器なんてダメになったら買い替えればいいだろうにな、なんて言ったらまた怒られそうだけど」
「聞こえてるわよ。 私は別に怒らないわよ、親方さんに今度会うときに伝えといてあげるだけね」
馬車ギルドとは言うが冒険者ギルドや商業ギルドのような立派なものでは無かった。
多くの人が行きかう街道ではすでにどこかの商会が営業している。
もちろん、聖王国は商会による独占を禁止しているので、個人馬車屋がそういう街道で客を拾ってもそれ自体はまったく問題ない。
それでも個人馬車屋の多くが商会が手を付けなかった場所で営業している。
そういうものたちが拠点としているのが馬車ギルドと言うわけである。
「こんな寂れた街道走らせて儲かるのかね? 俺なら客の多そうなところ走らせるけど」
「そういう街道は大商会と客の取り合いになって馬車に金を掛けられない個人は不利だし、そもそも国や領主から補助金が出ないのよ。 で、こういう利益の少ないところで走らせると補助金が出るってわけ。 前に聞いた話だけど個人のほうがうまく行けば大商会に属している御者よりも儲かるって言ってたわね」
国境を超える乗合馬車と言うのはその多くが国境沿いの街にある馬車ギルドで管理されている。
ギルドと称しているが実質はその街だけの組合のようなものでしかない。
「出来れば乗合があればうれしいんだけど……っと、あったあった」
それは古びた建物に貼りだされた一枚の紙。
「ああ……乗合は二日前に出たばかりみたいね。 今回は貸馬車で行くとしますか」
乗合馬車の利点は何と言っても目的地に着いたらそれで終わりと言うことだ。
これが貸馬車だと目的地についても返すまでの間、馬の面倒や盗難などにも気を付けなければならない。
「なあ、貸馬車の持ち主ってなんで御者やらねえんだ? ああやって大切な商売道具として良い環境に置くぐらいなのに他人に預けるって怖くないのかね?」
「ゴメン言い換えるわね、馬も車も大切な金蔓なのよ」
「いやだから言い方っ」
「貸し出されるのは高齢の馬にいつ壊れてもおかしくないような車。 そういうのを貸して無事に戻ってきても壊されて戻ってこなくても損はしないって言うぐらいのことはしているわよ」
「けどなぜか国境越えって嫌がるよな、何でだろ。 乗合馬車だって国境超えてんのに」
「やっぱり危ないからでしょ。 立派な馬車を壊されても嫌だし、自分が襲われても嫌だろうし。 乗合馬車の場合は万が一の場合もギルドが補償してくれるみたいなこと言っていたわね。 馬車盗まれた場合でもエインパルドさん費用出してくれるのかしら?」
「言わなきゃわかんないじゃねえの?」
「かかった費用は後で請求するってことだけど、この紙に書いて支払い時に相手のサイン貰えって」
「思ったよりセコいな」
仕方なくラフィニアは馬車ギルドへと入り交渉した。
そして交渉の結果、御者込みで馬車を借りることが出来たと言うわけだ。
この場合、盗難等の問題は御者の責任になるし、馬の面倒も御者が見てくれる。
不要になったらそれまでの金を清算して終わりだ。
国境へと続く道は人通りがまったくと言って良いほどない。
それだけ聖王国からアルメティア首都に向かう者がいないわけだが、ラフィニアやリックはアルメティアに何度か訪れたことがある。
マラティアにある大迷宮に向かう場合は別として、それ以外の依頼で立ち寄ったこともしばしば。
街の雰囲気は聖王国よりも王国に似た感じだが、違う点を挙げるなら街へ入る場合など厳しく管理されていることだろう。
例えばまず国境を超える際にも検問がある、そして入国できた後もたいていの街で訪れた者の確認がされているためなかなかに厄介な国であった。
ただし、それらは人間に対して厳しい管理がされていると言う意味ではなく、人間以外の亜人種がその対象となっている。
人間であることが明白ならそれこそ名の知れた殺人鬼であっても入ることが出来るほど管理が緩くなるし、逆に亜人種であればどんな聖人君子であっても門前払いというわけである。
もっとも、昔であれば「門の前に亜人の死体が転がっているのも良く見る光景だった」と言うのも良く聞く話なのだった。