リュール
始まりは姫の言葉からだった。
少女の名はリュール、聖王国の唯一の巫女。
巫女であるリュールは神殿から出ることが許されていない。
そんな彼女にとって姫との出会いは救われる思いのした出来事だった。
もちろん幾人かの神官たちと接する機会はあった、しかし彼らは常に一定の距離を取ろうとしている。
姫も最初のころは距離を置いていたが次第に打ち解けるといろいろな話をするようになっていった。
そして少女は姫から耳を疑うような話を聞いたのだ。
「ねえリュール聞いて! 今日お父様から聞いたのだけどやっと聖王国に勇者様が現れたのですって! 素晴らしいことだわ! まだお会いすることは出来ないけどお披露目の時には私もご一緒させてもらえることになったのよ!」
そう嬉しそうに語る姫。
だがそれはリュールの知らない話であった。
勇者の誕生、本来ならば巫女が女神の神託により伝えられるもののはず、それを巫女であるリュールが知らずなぜ姫が知っているのだろうか。
いや、なぜもないだろう。
クレヌフが偽りを聖王へと伝えた、それ以外に考えられない。
なぜそんなことをしたのか疑問に感じた少女は、さりげなくクレヌフに確かめることにした。
クレヌフの表情が一瞬強張ったのを少女は見逃さなかった。
「リュール様、なぜそんなことをお聞きになるのですか? そのような話いったいどこでお聞きになったのでしょう?」
そう尋ねるクレヌフの顔は普段の顔に戻っており、それだけ見ていれば悪意など感じる余地もない。
だがさっき見た顔、きっとあれこそが本心……。
「それは…… 女神様よりお言葉を授かったのです。 その……勇者とは何か、と」
「め、女神様が!?」
もちろんそんな神託など授かっていない、ただの嘘に過ぎない。
だがクレヌフの表情からはあからさまな動揺が見て取れる。
この男、クレヌフは真に女神リスティアーナの崇拝者なのだ。
おそらく女神の怒りに触れてしまうかもしれないことに怯えているのだろう。
「い、いやなんでもない。 ともかく巫女よ、その話は忘れなさい」
「分かりました」
間違いない、クレヌフは聖王様を謀っている。
とは言えこれ以上追及しても意味はないし、自分にはどうすることも出来ない。
しばらくして、今度は本当に女神様より神託を授かった。
それは姫がその命を狙われているというものだった。
「いったい……なぜ?」
リュールはその神託の意味を考える。
神託には詳しい情報もなくただ狙われていると言うだけだったが、少女の中で何かがカチリと嵌る音がした。
情報の出所が姫だとクレヌフは気づいたのだろう。
これは失態だ、自分があんなことを迂闊にも聞いてしまったばかりに姫を危険に晒してしまうことになった。
姫の護衛騎士をなんとか捕まえ事情を話す。
信じてもらえないかもと思ったがその護衛騎士は信じてくれた上に自分の心配までしてくれた。
でも自分で蒔いた種だし仕方がない。
姫を逃がすことには成功したものの、やはりと言うか残念なことにそれだけでは終わらなかった。
女神から新たな神託を授かる、それは自分の命も狙われているというものだった。
◇
「マジかよ、え? え? これってやばいんじゃないの?」
「なるほどね、それなら必死になって姫様や巫女様の命を狙うわけよね」
「信じられん。 まさかそんな……」
巫女を連れ戻ってきたノール。
そして巫女は起きたことのすべてを話す……。
勇者は偽物、そんな事実を聞かされエインパルドの顔からはすっかり血の気が引いてしまっている。
「エインパルドさん、確か勇者様の時は神託を授かったと聞いたのでしょう?」
「ああそうだ、私が聞いたのは神務局長からだったがな」
「そうなると、クレヌフが一連の騒動に関わているのはまず間違いないわね」
「だが一人で出来ることでもないぞ」
「そうなると神務局長もかしら?」
「けどよ、局長自らが黒幕だって言うなら、今までの襲撃だってわざわざ偽物を使う理由がないんじゃねえか? ザリオから聞いた話じゃ掃除屋って神務局の子飼いらしいぜ?」
「ああ私もそこが引っかかっているのだ。 連中を動かす理由などいくらでもでっち上げられる、現に巫女を追っていた者は本物の掃除屋であろう。 外部の暗殺者など使わず、最初から本物を使っていれば失敗もなかったはずだがな」
「例えばだけどよ、掃除屋を動かすには聖王様の許可を取らなくてはいけないとかそういう理由があったんじゃねえのか? それなら本物使えない理由としては十分だろ」
「連中を動かすのに許可などは不要だ。 あれらは神務局のための兵と言っても良い存在でな、陛下も存在こそ知っているものの構成員の情報すら知らぬはずだ、そして万が一にも責任が及ばぬように神務局長のみが命令する権限を持っている。 仮に陛下が連中を動かそうと思えば神務局長を通す必要があるということだな」
「あ、じゃあ逆だ! ラフィニアだって掃除屋のこと知っていたわけだろ? つまり掃除屋使うってことは襲撃が神務局の仕業だって言っているようなものじゃんか、それを隠すためにあえて偽物を使ったんじゃねえかな?」
「リック、それなら掃除屋に見せかける意味がないのよ。 無関係を装いたいならむしろ全く違う見た目にするべきだわ。 でもあの服装、偶然似てしまったと言うより意図的に似せて作られたと私は思うの」
「神務局長が黒幕とすると掃除屋の動かし方に一貫性が感じられない。 考えられるのは反聖王派の工作と言うことだ」
「私もその可能性が一番高いと思うのだけど、でもあのクレヌフが反聖王派と言うのがどうもしっくりこないのよね。 言動を見る限り聖王派そのものって感じだったし」
「おそらくだが……奴も利用されたのではないかと私は睨んでいる」
「利用されたって…… そりゃ一体誰にだ?」
「ねえ、いま奴もって言ったけど、他にも利用されてた人がいたってこと?」
「フッ、なかなか敏いな。 まあその通りだ、実は……君たちにはまだ言っていないことがあってな、いやまだ公表すらされておらんことだが先日、第二王子アルハイド殿下が拘束された」
「第二王子が? どうしてまた……」
「未遂で終わった姫の襲撃計画などもあったのだが、それらに関わっていたのが第二王子と言う話だ。 本人はそれを否定しているが、状況として第二王子は反聖王派と言えなくもないのでな」
第二王子は現聖王のやり方に多少なりとも不満を持っていた。
「兄であるヴィルクリフ王子は聖王派でな。 まあ弟のアルハイド王子とよく言い争いをしているのを見かけたことがある」
そして兄ではなく第二王子アルハイドが次期聖王となるために集めていた者らが、なぜか王女襲撃計画の場にいたというわけだ。
「捕らえた者らの証言で王子が拘束され、さらにその供述から全員を捕らえたのだ。 ただすべての者が襲撃計画に参加したわけではなかったようだがな」
「けどそれなら王子が黒幕だったってだけじゃねえのか?」
「いや、陛下もその可能性が高いと思っているようだが私の考えは別だ。 ここからが厄介な話なのだが――――」
捕らえたものはすべてが貴族、ただし地位はバラバラ。
そして旗印としての王子だが実際に彼らを扇動していたのは、王子の次に地位の高かった者で反聖王派として名の知られていた貴族だった。
その者の名はボンボルド、上級貴族の一人。
「じゃあそのボンボルドってやつが黒幕か?」
「ボンボルド自体は最初に捕らえた者の中にいたのだよ。 王子の名を最初に出したのもボンボルドだ。 この時点で王子はボンボルドに利用されたのだろうということは分かる」
「それならもう解決だろ? 首謀者のボンボルドは捕まった。 それのどこら辺が厄介なんだ?」
「連中が言う計画とは城内の離れにいる姫を襲撃する予定だったのだよ。 ボンボルドも姫が離れにいないことを知らなかったようだな。 なら、実際に街道で襲撃したアレはいったい誰の差し金だ?」
「なるほどね、首謀者が捕まっているのに実働隊がまだ動いていた、これは厄介なことね」
「話が早くて助かる」
「え? つまりどういうことよ?」
「あのねリック、普通に考えれば首謀者が捕まった時点で暗殺計画はとん挫、実働隊も動きを止めるはずよ? 前金ですべて貰っているならまだしも捕まった者から報酬なんて支払われないんだから。 それでも実働隊が動いていたとするなら可能性は二つ、一つは実働隊の独断専行、お金うんぬんより信念で動いている場合は頭を失っても体は動き続けるのよ」
「なんだそれ、アンデッドかよ」
「まあ似たようなものね、そういうのが数十年後に出てきて亡霊だなんて言われたりするし。 それはそうと二つ目の可能性、それは捕まった者たちはただの囮で首謀者は別にいる場合ね。 今回王子の証言で一網打尽なわけだけど、ちょっとうまくいきすぎな感じがするわ」
「けどよ、それなら王子たちが捕まった後で暗殺者が動いちまったら、黒幕が別にいるって分かっちまうわけで囮の意味なくねえか?」
「いいえ、王子にしてもそのボンボルドと言う貴族にしても囮としての役目はちゃんと果たされているの、それは王子たちを隠れ蓑にして人を集めること。 この人って言うのは捕まった人たちのことじゃなくて、今回のように実際に暗殺で動いている人たちのことね、そしてそれ自体は成功していたわ。 さらに囮として相手を油断させることも成功した、でしょ? エインパルドさん」
もしボンボルドたちが捕まらなければ聖王も慎重に動いていたかもしれない、きっと安全な場所でもう少し様子を見させていたことだろう。
しかし姫の不在を知った黒幕はボンボルド自体を生贄にして姫たちを穴倉から誘い出したというわけである。
襲撃そのものの質は決して高いとは言えず、これがもし掃除屋ならばノールたちの邪魔が入る前に終わらせていたことだろう。
だがラフィニアの心には得も言われぬ不安が募る、そしてそれは相手の計画を潰せていると思えば思うほど強くなっていくのだった。