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巫女と蜘蛛

 少女は走る。

 ただひたすら走る。

 森の中はとても走りにくいがそんなことを言っている状況ではない。

 走らなければ殺されるだけ、殺されたくはないから走る。

 いったいどれほど走ったのか自分でも分からなくなっている。


 昼間だと言うのに森の中は薄暗く、いつ凶悪な魔獣が襲ってくるかのか分かったものではない。

 体中から汗が吹き出し喉もカラカラだ。

 限界と思うことは幾度とあった。

 息は苦しいし足は重く木の枝や鋭利な葉のようなもので服も所どころが破け僅かに血も出いている。

 何度も諦めかけた。

 走る速度は遅くなりやがて止まってしまう。

 木にもたれかかり息を整える。

 しかし、そうやって体を休めると今度は脳が働き出していろいろなことを考え出してしまう。

 街のこと、家族のこと、友人のこと……。


 少女にとって巫女としての生活は苦ではなかった。

 日々祈りを捧げ、神託を授かれば最高神官長へと伝える。

 家族にも友人にも会えないがそれは覚悟していたことだ、それよりも女神に仕えることが出来ると言うのは何よりの誉れだと少女は考える。

 つらいと思ったことが一度もないのかと聞かれるとさすがに悩んでしまうが、それで泣いたことは一度もない。


 でも今は……。


 会いたい、一目でいいから会いたい。

 それは巫女としての生活が嫌になったと言うわけではない。

 ただ少女は知ってしまった、自分の命が狙われていることに。

 殺されてしまうのも怖いが、今少女を突き動かしているものは別にある。

 どうせ殺されるのならせめてもう一度だけでも家族に会いたいと言う想い。

 だから走る。

 限界を感じ立ち止まれば家族の顔が脳裏に浮かび、そしてまた走り出す。

 そんなことの繰り返し……。


 幸い追手に追いつかれることはなかった。

 それどころか魔物に襲われることすらない。

 きっと女神様が加護を与えてくださっているのだと少女は思う。

 足は痛いし体中傷だらけ。

 それでも少女は走り続けていた。



    ◇



 ノールは眼下に広がる一面の森に視線を向けた。

 転移の目印とした一匹の蜘蛛、知らない人が見たら小さな蜘蛛が深緑の絨毯の上を歩いているようにしか見えなかっただろう。

 しかしそれはこの高さだからこそ小さな蜘蛛に見えるだけ、この前見たときはかなり大きさだったと記憶している。

 今のノールは転移によって高く上空にいる。

 とは言ってもその場に留まっているわけではなくその眼下に広がる森に向かって落ちている最中だが。


 蜘蛛を警戒するように十数名の気配を感じるが今すぐに襲いかかるという感じではない。

 そして蜘蛛に最も近い場所にいる気配、それがおそらく巫女なのだろうと考える。

 ノールは落下しながら状況を把握するともう一度、今度は巫女の近くへと転移した。


「あっ……」


 逃げる少女はノールに気づき走るのを止める。

 それどころか、少し少しと後退りしているようだった。


「私を、私を捕まえに来たのですか?」


 恐怖と言うより諦めに近い表情の少女がノールに問いかける。

 ノールはその質問の意味を理解しようと試みた。

 捕まえるわけではない、ただ連れて帰るだけ。


「違う」

「そう……ですか。 いえ、そうですよね。 私は、やはり殺されてしまうのですね……」


 少女の汗ばんだ顔、その瞳に涙がにじむ。

 おかしい、連れて帰るだけなのになぜ殺されるということになったのだろうか。

 おかしいのは分かったが何がおかしいのかが分からない。

 返答に困っているとドスンと言う音と共に何かが降ってきた。

 少女もその音に気づき後ろを振り返り、そしてそれを見た。


「きゃあっ!!」


 足場の悪い森の中、突然背後に現れた巨大な魔物に驚いた少女は転んだ。

 少女の前に現れたのは巨大な蜘蛛、神殿に連れて来られる前、少女も魔物自体は何度か見たこともあったがこれほど大きな魔物を見たのは生まれて初めてのことだった。


「魔物!?」


 少女は蜘蛛がずっと付いて来ていたことに気づいていなかった。

 森を行く少女を森の魔獣が襲ってこなかったのも当然だった、大蜘蛛が狙う獲物を横取りでもしようものなら自分が食べられると魔獣たちも分かっていたからだ。

 ノールは転んだままの少女に声を掛ける。


「大丈夫?」


 巨大な蜘蛛の魔物を前に平然と声を掛けてくることに少女の思考が一瞬止まる。


「えっ? あ、あなたは怖くないのですか? あんな大きな魔物がいるのに」


 そんな疑問が口から出たものの少女自身も魔物を前にしながら何を聞いてしまっているのかと驚き、そして少女はノールと蜘蛛を交互に見る。


「あの蜘蛛はずっと君を守っていただけ。 襲ったりはしない」

「私を守って……? あ、もしかしてお城での騒動も……」


 少女には心当たりがあった。

 城内の騎士寮と姫のいる離れの間に神殿はある。

 何とかして逃げ出せないかと様子を伺っていると何やら緊急事態が起きたらしく王族騎士たちが慌ただしく動き回っていた。

 夜と言う暗さ、そして物陰に隠れながら城の出口まで移動する。

 門番までそこを離れるということはなく諦めかけたその時、頭上を何か大きな影のようなものが通り過ぎた。

 門番の目が門から上に向かったその隙に少女は逃げ出したのだ。


「そう、あの蜘蛛」

「で、でもなぜ蜘蛛が私を?」

「それは知らない。 あ、待って。 君からリスティアーナの匂いがすると言ってる。 そんな匂いする? そう、するらしい」

「えっと、あの、まさかと思いますが、その蜘蛛と会話したりしてないですよね?」

「ずっと昔から住んでいて、人間の言葉も理解できると言っている」

「そうなのですか。 私は食べられたりしない、ということでしょうか」

「そう、君は食べない」

「女神様の匂いですか……私はその、巫女なのです。 私は女神様からお言葉を聞くことが出来ます。 もしかしたらその際に女神様のご加護を頂いているのかも知れなくて、匂いとはご加護のことかも……」

「知ってる。 ルナから居なくなったと聞いたので探しに来た」

「姫様から? 姫様は無事なのですか!?」

「無事、エルビーが見てるから大丈夫」

「そう、ですか。 良かった、本当に良かった……」


 少女の瞳から涙が零れた。


「なので君も連れて行く」

「あの、お気持ちはうれしいのですが、私は今、追われているのです。 彼らは聖王国の闇とも言われる方々、彼らから逃げ切ることなど絶対に出来ません」


 逃げられないならなぜ逃げたのだろうか、ノールの疑問が口から出るより先に蜘蛛が動き出そうとした。


「待って、大丈夫だから」


 巫女を守る蜘蛛、人の言葉を理解できると言っていたその魔物は、おそらく巫女の言葉を聞いて追手を排除しようとしたのだろう。

 だが排除する必要はない、このまま転移で連れて行けばいいだけだから。


「君はどこかに行くつもりだったの?」

「え? あ、はい。 えっと聖王国の最南端エデルブルグ領、私の生まれ故郷です。 殺されてしまうのなら最後に、一目でいいから家族に会いたかったのです。 ですが、今思えば無茶なことですよね、聖都からあんな遠くまで歩いて帰るなんて……」

「そう、分かった」

「あの、分かったとは何が?」

「後で連れて行ってあげる。 けど先に偉い人(・・・)に会って。 それと、キミはその場所知ってる?」


 最後の質問は少女に向けたものではない。

 少女もノールの視線からそれが背後にいる蜘蛛に向けたものであると分かったようだ。


「知っているんだね、なら先に行っていて。 後から行く」


 ノールがそう告げると蜘蛛は何かを察したのか、木に登りそして南に向かって動き出した。


「あの、あの蜘蛛はいったいどこへ?」

「君の言っていた場所に向かった」

「あの、それって街が大混乱するのではないですか?」

「ん?………… それは……分からない」


 そのことについてもう少し考えようともしたが、蜘蛛が居なくなったと同時に警戒していた人間たちも動き出した。

 少女の話が正しければ、この人間たちが少女の命を狙っているということになる。

 まあ、そんなことはなんの関係もないことだけど。

 ノールは少女を連れて転移した。



    ◇



「あれ? 隊長、あの蜘蛛動きが止まりましたよ?」

「ああ、見ればわかる。 何があった?」

「さあ、さすがにこの距離じゃ木が邪魔で巫女の様子は分からないですよ」

「他から連絡は?」

「んーまだないですね」

「もしや蜘蛛に集中しすぎて巫女を見失ったわけじゃないだろうな?」

「いや、さすがにそんなヘマはしないと思いますよ? 蜘蛛の動きに合わせているのはありますけど、こうして周囲を囲って移動しているんですから。 おわっと、蜘蛛が下に降りたっすね」

「いったい何があったんだ? 連絡はまだなのか」

「おっとそう思ったら連絡っす。 えっとなになに? ああマジか」

「どうした?」

「なんか知らん人間と巫女が話をしているようですね」

「人間だと? こんな森の中でいったい何しているんだ」

「それは俺らもそうっすけどね。 で、どうします? 近づいて攻撃してみますか?」

「どんな人間だ?」

「えっと、あれ、子供ってことらしいですね」

「子供? なおさらこんなところで何をしているのだ。 とりあえず様子見だ、もし巫女から離れたらその時に殺せ、会話内容の確認を取る必要はない」

「へぇーい」

「しかし、巫女もその子供も大蜘蛛が目の前に現れたというのになんとも思っていないのか? いったいどういう状況なんだ? 会話の内容は分からないのか?」

「さすがに遠すぎるようで。 やっぱり子供、殺す前に尋問しますか?」

「いや必要ない。 俺たちの役目は調査ではないからな、排除すればそれでいい」

「しっかしあの蜘蛛、ピョンピョンピョンピョンよくもまあ器用に木の上歩きますよね。 こっちの苦労も分かってほしいですけど…… ってあっ。 隊長蜘蛛離れていきますよ」

「良し好都合だ。 いいか、対象は巫女だけでなくあの子供も一緒だ。 決して逃すなよ」

「あんな子供に逃げられたら笑いものですよ、隊長」

「ああそうだ、いい笑いものだ。 そうならんように気を抜くなよ」

「まったく…… え……? えぇぇぇ…… なんで?」

「どうした? 報告はしっかりしろといつも言っているだろう」

「その、すっごく言いづらいんですけど……」

「ああ、なんだ?」

「二人に逃げられたそうです」


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