とある暗殺者の災難
「姫がいないだと!? それはいったいどういうことだ?」
薄暗い室内で目の前の男が声を荒げる。
「そんなこと俺は知りませんよ。 暗殺のためにいろいろ準備していざ実行してみれば部屋はもぬけの殻。 例の護衛騎士の姿も見たりませんでした。 おそらく情報が洩れ逃げられたのではないかと。 まったく暗殺対象のいない部屋を襲撃するなどいい恥さらしですよ、これは」
彼の名はズィギー、本当の名ではなく仕事を受ける際の名なのだが、かれこれ十数年に亘って使っているため今では本当の名を忘れているぐらいだ。
そんなズィギーは王女暗殺の依頼を目の前の男から受け今はその報告に来ていた。
「それならお前たちの失策ではないのか?」
「ご冗談でしょう? 俺たちが施した策は何一つバレていませんよ? そちらの誰かが下手を打ったのではないですかね」
早急に暗殺してほしいという依頼ではあったが相手は城の中、さすがにそれは無理だと断るつもりだった。
聖王国では城の警備をすべて王族の者らで行っており、そこらの屋敷に侵入するのとはわけが違うのだ。
それでもズィギーならば城に侵入すること自体は不可能ではないが対象が確実にそこにいるという事前確認が中々に難しい。
これが貴族の屋敷などであれば出入りする者に見かけたかどうかを何気なく聞き出せばいい話だが、離れや神殿の情報と言うのは城に出入りする貴族ですら把握できないようにされている。
事前に仲間を潜入させておくにも時間が足りず、入ったばかりの新人など警備する王族騎士により門前払いとなるだろう。
そして実際に実行する際も連中を出し抜くのは骨の折れる仕事だったりするほどだ。
それでもこの男が確実に王女は離れにいるというので信用し数日で準備を済ませ実行に移したというわけである。
「ならどういうことだ。 その日の夜姫はまだいたであろう? 私もそれは確認しているのだぞ。 直前になって計画を知られることなどあるはずがな…… いや…… まさか……」
「なんですか? 思い当たる節でも?」
「巫女だ、巫女が襲撃を予見したのやもしれぬ」
「巫女って神の神託を聞くだけではなかったのですか? いつから予知能力まで授かったので?」
「巫女になくとも女神が予見し神託として授けたのかもしれんであろうが」
ズィギーは考える、神が神託を授け襲撃を阻止しようとなら、聖王国の者としては襲撃などすべきではないのではないかと。
もっともズィギーはこの国の民ではないので知ったことではないが、目の前の男はその神に仕える信徒の一人のはずだが。
(まあ、俺には関係ないか)
ズィギーにとって重要なのは金払いの良さでしかない。
そして目の前で苛立ちを露わにしている男は金払いの良い上客と言うわけである。
「どうしますか?」
「こんなところでやめられるものか、次だ、次の計画を考えろ」
「計画と言いますが、そもそもどこにいるのかも分からないんですよ?」
「それも含めてのお前の仕事だろう」
「んー、無茶言うなぁ……」
「何か言ったか?」
「いえ何も。 まあ分かりました、けどその分報酬は上乗せしてもらいますよ」
◇
ノールたちが神殿へと連れてこられたその日。
ズィギーは失敗に終わった王女襲撃について考えを巡らせていた。
先の襲撃はとてもうまく事が運んでいたように思う。
男は夜に紛れて暗殺することは得意としているがこうして昼間から襲うことは不慣れなので襲撃の際は合図役に徹していた。
王女が隠れていた護衛騎士の家から数台の馬車が出ていくのを確認した男は、それが王女の乗る馬車であることを確信し自分の得ていた情報が正しかったことに喜ぶ。
襲撃のタイミングは慎重に、なにせ相手はそこらの王族騎士とは違い武闘派一族と名高いランドルフの家。
つまりあの馬車にいる者たちは全員が手練れだと考えて行動しなくてはならない。
最初にすべきは姫の乗る馬車とそれ以外の馬車を分断することにあった。
そして男の合図でそれは成功し、あと少しと言うところまで追いつめることが出来たのだ。
だと言うのに、自分が追い付こうとした頃には逆に引き返してくる者がいる。
聞けば邪魔者の横やりを受け襲撃は失敗し五人が捕まると言う大失態だった。
もっとも末端の五人が捕まったところで足が付くようなヘマはしないが、失敗と言う事実は汚点として残り続ける。
たった二人の騎士など少人数で十分と思ったのがいけなかったのだろう、多数の戦力を他の馬車の足止めに割いてしまったのがまずかった。
今度こそは失敗できない。
常に護衛していた専属の騎士は先日の襲撃による怪我で療養中、つまり今いる護衛は不慣れな者のはず。
専属の騎士が快癒して復帰する前に暗殺を成功させる。
姫のいる離れは人の出入りもほとんどなく一見不用心にも見える。
だがそもそも周囲への警戒が厳しく近づけないと言うのが現状なのだ。
誰も近づけないのだから離れ自体の護衛は少なくて済むというわけだろう。
それは言い換えれば中にさえ入ってしまえばあとは何とかなるという意味でもある。
今回の暗殺計画は実行こそ難しくはないが準備が非常に大変なものだった。
警戒の隙を突き侵入するのだが相手は城を警護する者たち、そう簡単に隙など生まれない。
誰がどこの警備にあたるかをなんとか調べ上げ少し体調が悪くなるように弱い毒を盛ったり、事故を装い怪我をさせ別の不慣れな者がその警備に付くように仕向けたりと様々なことを仕込んでいく。
そして今、男はなんとか離れの屋敷に潜入することに成功した。
(しかし姫の護衛が騎士一人とはな、聖王国は人手不足なのか?)
街道での襲撃があったというのにその後の護衛が一人とはさすがにおかしい。
もしくは、実は無能な者の集まりで自分が警戒しすぎだったののだろうか、そんなことを思いながら目の前で居眠りをしている護衛騎士の前に念のため眠らせる効果のある粉を放り投げる。
持続効果は短いがその分強烈に作用するため短時間での暗殺にはもってこいの道具であった。
居眠りをしている相手にまで使う理由は浅い眠りだった場合にちょっとした物音や殺気で起きてしまう危険があるからだ。
ゆっくりと音を立てないように扉を開け中を確認する。
ベッドには姫が――――
(あれ?……この娘誰だ……)
――――と知らない娘が姫と一緒に眠っていた。
(いや、そんなことはどうでもいい。 狙うは姫のみだ)
男は手に持った短剣が届く距離へと姫に近づく。
ふと妙な気配を感じた。
まるで誰かに見られているかのような気配……。
しかし周囲を確認するも姫と誰だか知らない娘、そして自分以外この部屋にはいない。
そしてまた一歩と姫に近づく。
そのたびに得体の知れない不安のようなものが心をざわめかせる。
男はふと天井を見上げる。
「ひゃっ……!?」
天井には一人の子供が立っていた。
驚きのあまり少しだけ声が漏れ出てしまい、そのまま倒れそうになるのをグッと堪える。
真っ暗な部屋の中で瞳を光らせた人間が天井に立っている光景に身の毛がよだつような恐怖を感じた。
男は必死に現実的な理由を探すが何も出てくることはない、なにせ初めて見る光景なのだから。
これまでに男が殺した者の霊か、この地に囚われていた霊か、その子供は言葉通り天井に足を付け逆さまになって立っているのだ、決して何かにぶら下がっている感じでもない。
男が困惑していると子供は男に向け手をかざす。
その瞬間、男の見ていた世界が暗転した。
◇
「ぶわぁっ!!」
視界に光が戻ったかと思えばズィギーはなぜか水の中にいた。
いや水の中と言っても水中ではない、ひざ下ほどにも満たない小さな水路、その中にいた。
とは言え突然のことで上下感覚もなく放り出された男は危うく溺れるところだった。
「げほっ、ごほっ……」
男は状況も何も分かったものではないが、あの悪霊に何かされたことだけは理解していた。
「くそっ!」
悪態をつきつつ何か解決策はないかと考えながら拠点にしている宿へと帰っていった。
翌日の夜、男は悪霊などに効果があると言うお守りを身に着け暗殺へと向かう。
中止することも考えたがその場合は今まで準備に要した時間も金も無駄になるし、依頼主であるあの男から何を言われるか分かったものではないと実行することに決めたのだ。
幸い、警備に生まれた穴はまだ有効で昨日と同じく離れまではすんなり入ることが出来た。
(警備は……昨日と変わっていないか。 まあ最初から居眠りしていたんだから当然だな)
警備に変更がされていない点を見れば昨日の出来事そのものが誰にも伝わっていないのだと分かる。
男は昨日の子供が悪霊かなにかであることを確信した、幽霊が業務報告をするなど聞いたことがない。
昨日と同じく眠りの効果のある粉を使う。
これで護衛の騎士は無力化に成功した。
問題はここから、悪霊が出てきた場合の対処である。
「悪霊め、同じ手が二度も通じると思うなよ」
男は何やら懐から取り出すと少しずつ魔力を込めていく。
それはアンデッドやゴーストなどに対して効果を発揮する魔道具の一つで、今身に着けている迷信対策のお守りとはわけが違う。
勢いでお守りを買った後、冷静になって買いに行ったものだった。
こっそりと部屋の扉を開ける。
まずは悪霊の確認、周囲を見渡すがそれらしきものは見えず。
霊を察知すると知らせてくれると言うものも買ったが反応は無し。
もちろん相手は霊だ、突然背後に現れることも想定しておかなければならない。
その対策としてこの魔道具があるわけだが、さらに盤石なものとするため床に聖水をたんまりと撒いていく。
(これだけしておけばいかに頑固な悪霊だってそうそう出ては来れないだろう)
一歩、また一歩と姫に近づく。
悪霊が出る気配は全くない、効果は抜群だ。
しかしそれでも男は油断することなく周囲を警戒していた。
そう、周囲だけ警戒していた。
「あんた誰?」
謎の少女がベッドから起き上がりこちらを見ている。
「あっ……」
「ふあぁー…… なんか変な魔力感じるなあって起きちゃったわ。 あっ昨日ノールが言ってたやつね、それなら……」
少女はそういうとベッドの上から飛び上がりそのまま男に襲い掛かる。
その右手にはすでに鞘から抜かれた剣を持って。
「クソッ」
男はなんとか短剣で応戦する。
「まだ眠いのよ、早くやっつけて寝よっと」
その娘が軽い口調でそんなことを言った。
「ほう、こうして刃を交えるのは得意とは言えぬが、小娘一人に後れを取るほど苦手ってわけでもないんだがな!」
男は叫ぶ。
この際、娘を倒してそのまま姫を殺せばいいと考えたからだ。
エルビーはまだ寝ぼけている頭で考えた、普通に剣でやり合っていたら時間がかかるだろうと。
そしてエルビーの攻撃は炸裂する。
「燃え尽きろ!!」
その一瞬で剣に魔力を込め魔法として解き放つ。
轟音と共に男と壁が吹き飛ばされていた。
「あ…… これどうしよ……」
夜の風が吹き込む部屋、その冷たい風に少しずつ頭がすっきりしてきたエルビーは目の前の光景に呆然とするのだった。