聖都ミラリア
ディエンブルグを経ってから数日が過ぎた。
相変わらずの森を進み比較的大きな街や小さな村々を抜け聖都まで半ばと言う辺りに来て、ちらほらと勇者の話が出るようになる。
ただ残念なことに聞くたびに勇者が変わる。
大斧を片手で振り回す大男だとか、聖女のような人だったとか、小柄で気弱な魔法使いだったとか、聖法衣をまとった老人だったとか。
アーニャは街で聞いた話をみんなに聞かせていた。
「それ、勇者じゃなくてパーティメンバーのほうじゃないかしら?」
「やっぱりそうよね。 おかしいと思ったんだー」
「最後のはメンバーですらない気がするけどな、たまたま案内していた神官をメンバーと勘違いしたんだろ」
「ここまで勇者っぽい人の情報がないわけだけど、まさか本当にその中に勇者がいるってことなの?」
「最後の老人じゃなければあるいは……」
「一体誰からそんな情報を聞いたのだ?」
「宿屋のおばちゃんだったり、遊んでいる子供だったり、日向ぼっこしてたお爺ちゃんだったり」
「って全部この村の人じゃねーか。 もっと正確な情報持ってそうな人から聞けよ」
「あの、先ほど聖都から来た商人から聞いたのですが、勇者さんは青年だったらしいですよ。 真面目そうな好青年だったと」
「さすが商人」
「ぶぅー」
「じゃあやっぱり他のはメンバーってことだろうな、最後を除いて」
そこからさらに数日を掛け聖都は目前、最後の街を発てば次はもう聖都となる。
「この街で最後なんだよな?」
「そうだよ、今日中には聖都に着くね」
「長かったなぁ……」
「まあね、初めての王国だったし。 でも私は楽しかったわよ」
「旅の締めはフォントラッド商会で美味しい食事だな」
「領主様のとこで出た料理も美味しかったけど、聖都で名のある大商会がどんな料理を出すのかも楽しみね」
「ところで旦那、聖都着いたらそのままフォントラッド商会に行くのか?」
「いや、使いを出す。 そうすれば正式に向こうから招待状が届くだろう。 待つ間、君たちはどうするのかね? 君たちのこともこちらで先方に伝えようか?」
「本当は直接乗り込むつもりでいたんだけど、そうね、商人さんが伝えてくれるっていうなら私たちも宿に泊まって待つことにするわ、東にある宿屋よ」
「ああ、あそこか。 君たちは?」
「決めてないわ、ねえ食事がおいしいとこがあれば教えて」
「ふむ、それなら南側の宿がお薦めだな。 ああ宿屋の食事ではないぞ。 その向かいに食堂があるのだがな、そこはまあボリューム満点、味も文句なしと言う優良店なのだ、ぜひ利用するといいぞ。 まあ、そこの経営者は私だけどな」
「うわっ、大喰らいの冒険者を自分の店に誘導するとか旦那えげつない!」
「へぇ、じゃあ御馳走してもらえるわね!」
「ん? いや、そういう意味ではなくてな……」
「プッ……ハハハハハハ、狩ろうとした獲物に逆に狩られているぜ旦那!」
「ぐっ……仕方がない……まあ今回世話になったことだしな、良かろう!」
「やったぁ!」
「マジか?! 旦那太っ腹!」
「あら、私たちは招待してもらえないのかしら?」
「君たちは東の宿だろう?」
「宿なんてどこも一緒よ、おいしい食堂があるのなら南の宿でも問題ないわ」
「まったく、わかった今回は私が持つとしよう。 その代わり今後も客として来てもらうぞ」
「食事がおいしければ常連にだってなるわよ?」
「それは保証するぞ」
と言う感じで聖都での宿も決まった。
馬車に揺られること数刻、恰幅の良い商人が声を掛けてきた。
「君たち、聖都は初めてなのだろ? なら外を見てごらん」
商人の言葉にノールとエルビーは身を乗り出すように外を眺める。
「うわぁー、おっきい……」
馬車は今小高い丘の上、その頂上付近にいる。
そしてそこからは聖都ミラリアが一望できるのだ。
王都エステリアも驚くほど大きかったが、聖都はまたさらに大きかった。
「王国から来た人はだいたいこの景色に驚くのだよ。 何せあっちはだいたい壁に囲まれているのが普通だからな。 聖王国も魔獣が出るのは同じだが、このように壁はなく湖や川をうまく利用として魔獣に備えているのだ」
商人が言うように街を囲う壁はなく、そのせいだろうか街はより広く見える。
これまで多くの街に行っていたが、こうして上から街全体を眺めることはなかったかもしれない。
目に映る街はまるでオモチャのように佇んでいるが、この中にはたくさんの人間たちが暮らしているのだと思うとなんだかとても不思議な感じがした。
こういう街がまだ世界にはたくさんあり、そしてそこにはたくさんの人間が住んでいる。
なんとなくエルビーが知らない土地に憧れるのがわかったような気もする、少しだけだけど。
「湖に大きな建物が見えるだろう。 あれが聖王の住まわれているお城だ、お城を囲むようにして壁が見えるだろう? その中には国にとって重要は施設なんかもあるのだよ」
「お城なら王国でも見たことあるわ。 けど壁の外にも街があってそこも壁に囲まれているのね」
「ああ、それは貴族街と言ってな、貴族たちが住む屋敷があるのだ。貴族街は貴族以外は入れん場所だからお前たちも興味本位で入ろうとしては駄目だぞ」
湖に面して城が立ち、いくつかの建物が壁で囲まれている。
壁の南側には貴族街があり、その貴族街もまた別の壁によって囲まれているというわけだ。
「壁の外側は平民街と呼ばれていてな、右手側に大きな川が見えるだろう? そちらが南で湖が北、先ほど言った東の宿や南の宿というのも平民街の東側と南側にそれぞれある宿なのだよ。 ちなみに、私の家も南のほうにあるのだぞ」
南から流れてきた川は聖都の東側を通り湖へと流れ込んでいる。
その川の反対側、つまり聖都の西側にはそれより小さな川が流れていて、聖都自体が二つの川と湖に囲まれるように作られていた。
「なんか不思議ね、おっきな街がおっきな川に浮かんでいるみたいだわ。 王国みたいに街を守る壁がないけど、もしかしてあの川が魔獣の侵入を防いでいるのかな」
ノールたちの乗る馬車は今聖都の西にある丘にいるので、聖都の入口はノールたちから見てだいたい右側にある。
その聖都の入口辺りから川が左右に分かれ右が大きな川、左が小さな川と言う感じだ。
そしてその二つの川が北側の湖にそれぞれ流れ込んでいるため、まるで大きな川の中に街を作ってしまったように見えなくもない。
聖都の入口への橋は小さな川のほうに架けられていて、他にも小さな川にはいくつかの橋が架けられているようだ。
大きな川にはひとつ橋が架けられており、その先はきっと東の街へと通じているのだろう。
「その通りだ、だが手前の小さいほうの川は自然のものではななくてな、その昔に街や畑へと水を引くことと魔獣対策を兼ねて人の手で作られた川なのだよ。 橋もその時に作られた物だろうな。 ほれ一番北側の橋は手前に農地が見えるだろう? 農耕に従事している者だけはあの門からの出入りが許可されているわけだな、それと城から近い門でもあるから騎士団が出入りに使用したりもする。 二つの橋の間にある橋はほとんど使われずにいるがね」
「ふーん、人間もいろいろ考えて暮らしているのね」
「そうだな、勇者や英雄と一部には強いものもいるが、総じて人は弱い生き物だ。 それでも人が生きていけるのは先人の知恵と工夫のおかげであろう。 知恵を絞り工夫を凝らす、そうして脈々と受け継がれていくものなのだよ」
それが人間の、国の歴史なのだと商人は締め括る。
商人の言葉を聞いたエルビーは自分の心の中に何かが生まれたのを感じた。
ただそれは非常に小さく次の瞬間には忘れてしまっているようなものだったが……。
馬車は丘を下り始めやがて聖都の入口とも言える橋に差し掛かった。
橋を越えるとそこには門があり、魔獣などが押し寄せた場合には閉じられるのだとか。
夜は閉じないのかと聞いたら昼夜開けっ放しなのだそうだ。
「聖都では様々な人が出入りしている。 余所の街では門が開くまで外で野宿することもあるだろうが、ここ聖都でそれをやると大変なことになるだろうからな。 出入りできるのはここだけだし、閉めたところで見張りの兵が必要なことに変わりはないのだし」
恰幅の良い商人が説明してくれた。
確かに閉めるのは魔獣がやってきた時だけでいいし、これだけ見晴らしが良ければそれで十分だろう。
周囲を川に囲まれた自然の要塞、しかし要塞のような堅苦しさを外から来る者に全く見せない、それが聖都ミラリアなのだと商人は自慢げに語っていた。
街に入った馬車はそれほど進むことなく止まる。
エスラミエルースから聖都ミラリアまでの長い旅の終着である。
二人の商人や冒険者たちはその長い旅を噛みしめるかのように聖都の空気を大きく吸い込む。
「皆さん、長旅お疲れ様でした。 正直初めての聖王国でとっても緊張していたんですが、皆さんのおかげで無事聖都に着くことが出来ました」
「ハッハッハッ、それは何よりだ。 だが君はここに商談に来たのだろ? 気を緩めるのはまだ早いのではないかな?」
「アハハハ、それはごもっともですね。 けど不慣れな長旅の緊張に比べたら商談のほうが慣れている分気が楽ですよ」
「もしかして、緊張を隠すためにいろいろ質問していたのかね?」
「そういうのもあったと思います。 あっでも疑問に思ったのも本当なので」
オリファンの言葉には少し照れた様子が感じられた。
「俺はここで失礼させてもらう。 良い旅だった」
「あなたはフォントラッド商会のお誘い断るの?」
「その気持ちだけで十分だ。 いや、そう伝えてもらえると助かる」
「そう、分かったわ。 伝えておく」
「すまぬ。 では……」
無口な男はそれだけ言うと立ち去った。
「無口さで言うとノールといい勝負よね」
「あら、私はペラペラと喋る男より好感が持てるわよ?」
「でも何考えているかよく分らないんだもの」
「大丈夫だよ、うちのリーダーなんてよく喋るけど、何考えているか分らないもの」
「だから俺をネタにするなって」
「リ……リーダーは……その、みんなを気遣って……くれてる……だけだから」
ミネハが不慣れな感じで、それでも精いっぱい声を絞り出していた。
「そう、それ。 俺はさあ、お前たちのリーダーとしてすっごく気を遣っているわけだよ」
「そういうことすぐ言うから胡散臭いんだっての」
「えっ? うそマジで?」
「ああ、リーダー気づいてなかったのか」
そんな彼らを見たラフィニアの心には様々な思いが渦巻いていた。
もし自分にもこんな仲間がいたのなら、復讐などではなく生きるために冒険していたのだろうか。
もし彼らが互いに出会っていなければ、彼らも自分と同じような道を辿っていたのだろうか。
今更考えても答えが出るわけもないが、時折そんな考えが頭を過ぎってしまう。
「あなたたち本当に仲がいいわね」
それはラフィニアの紛れもない本心だった。
ただ羨ましいとかそういう気持ちから出た言葉ではなく、純粋にそれぞれがそうなるように努力した結果なのだろうと称賛する言葉だ。
「そうですね、実際リーダーがいたから俺たちはこうして一緒に冒険者やっていられるんだと思います。 とことんお調子者だけど、俺たちはそういうのに助けられてきたんだって今なら思えますから」
「だろ? やっぱり俺のおかげなんだよな」
「だからそういうこと言わなければいいのに」
「お前たちいい加減にせんか、さっさと準備せい」
いまだに言い合っている彼らに商人の怒声が飛ぶ。
その声にラフィニアもまた、ノールやエルビーを待たせていたことに気づき気持ちを切り替えていく。
「それじゃ私たちは南の宿で待っているわ。 もし居なかったら宿の人に伝言を頼んで貰ってもいいかしら?」
「ああ承知した。 それと私の店で御馳走する件だが今日の夜で構わないかね?」
「ええ空けておくわ、楽しみにしているわね」
「では後ほど」
ラフィニア、リック、そしてノールとエルビーは南の宿に向かう。
宿までの間、ラフィニアが少しだけこの街のことを教えてくれた。
先ほども言っていたように聖都の出入り口は基本この南側の橋のみのため外から来た客はここを必ず通ることになる。
そう言った事情もあり南側には多くのお店が立ち並び商人たちの住まいも必然的に多いのだとか。
西側は農地が広がる関係で農業をする者たちの住まいが多く、逆に職人などの多くは東側に工房を持ちそして住んでいる。
北側は貴族街や城に近いためか裕福な者が住む。
そしてこの南側の門と貴族街を結ぶ大通りは最も売り上げに影響する一等地なため商人の間では激しい争奪戦が繰り広げられていると言っていた。
これから向かう宿、その向かいにあると言う商人が経営する食堂もこの大通りにある。
「ねえ、こっちの宿のほうが近くて楽なのにラフィニアたちはなんで東側にある宿に泊まろうとしてたの?」
「それはね、私たちが使っている武具だけどその職人の工房が東側にあるの。 こっちの宿だと往復が面倒になるからいつもは東の宿を利用していたのよ」
「へぇ、新しいのに買い替えるの?」
「いいえ、刃欠けとか綻びがないか見てもらうのよ。 いざと言うときに役に立たなかったら困るでしょ」
「私の剣も見てもらったほうがいいのかしら?」
「フォントラッド商会にお呼ばれされるまで時間はまだあるだろうし、明日にでも行こうと思ってたのだけどあなたたちも行く?」
「いいの? じゃあ行くわ!」
「行く」
武器の手入れと言うけどエルビーの持つ剣は不壊属性、果たして手入れが必要なのだろうか。
そんなことを考えているうちに4人は宿屋へと到着した。