街道の獣3
「ねえ、ノール。 さっきからどうしたの?」
エルビーはノールの視線の変化に気づいていた。
普段ならただ目の前の景色を見ているだけだが、今のノールは景色と言うよりずっと先を見ているようだったからだ。
木々が邪魔で先など見えるはずもないのだから、目で見えているのではなく何かを感じているのだろうとエルビーは思った。
「獣、たぶん魔獣だと思う」
「食べられそう?」
「分からない」
「そう、じゃあほっといていいんじゃない?」
「ちょっと待って君たち。 何か見たのならそういうのはみんなで共有しましょう、ね? さっきの小熊でのやり取りは一旦忘れて」
二人のやり取りを聞いていたラフィニアはフォローに回るが、若い商人 -オリファン- の顔はみるみる赤くなっていった。
「それで、えーと君、どこにいたの?」
ラフィニアの言葉にノールは首を傾げた。
「あ、あれ? 見たんじゃないのかしら?」
ノールの反応に困惑するラフィニア。
「見てはいない、ただ近づいている」
「ええっと……」
さらに困惑するラフィニアを見てエルビーが代わりに質問する。
「ねえノール、その魔獣って今どのあたりにいるの?」
「嬢ちゃん、それが分かったら苦労は――――」
エルビーの質問に御者は苦笑いを浮かべながら無理だろうと言おうとしたがそれはノールの言葉に遮られる。
「あっち」
「いやわかるのかよ!?」
思わず振り返ってしまう御者。
「ノールはこういうのわかるらしいのよ、どうせなら食べられるかどうかぐらいも分かるようになって欲しいけど。 それでこっちに近づいてるの?」
「こっちには近づいてない。 でもこのまま行くと先に着く」
「そんなことまでわかるのか、すげぇな」
「先天的な能力なのかしらね?」
「へへっ、こりゃああれだ、神のご加護だぜ、きっと」
パノンとアーニャが驚いて言うと、なぜか御者が得意満面になって言う。
「あれ? でもそれ分かるなら今までも警戒する必要ってなかったってことじゃねーの?」
「おまえ……あれで警戒していたのか」
パノンのふとした疑問に恰幅の良い商人は驚いた。
「ちょっ……旦那、こう見えてもちゃんと周辺の警戒はしてるっての」
「いや他の者に任せているのだとずっと思っていたのだ、スマンスマン」
「まあリーダーの警戒は当てにならないけどな、平気平気とか言って何度魔獣と戦うことになったことか」
「そうそうスコットの言う通り、最初からミネハに頼っていればいいのに」
「お前ら揃いも揃って、ひでぇ……。 でもよ、そのミネハだって引っ込み思案すぎて言うのはいつもギリギリだろ?」
「それは、まあな……」
パノンの言葉にスコットは何か言いたげな顔でミネハを見る、そのミネハは俯いたままでどんな表情をしているかは分からなかった。
「あのねリーダー、ミネハはリーダーが大丈夫って言うから信用して任せているの。 だけどリーダーがまっっっったく気づく気配ないから代わりに教えてくれるだけなのよ」
「マジか……知らなかった。 いやでも、それならそうと早く言ってくれればいいのに」
パノンの言葉にスコットは上を見上げため息を吐いた。
アーニャはミネハの気持ちに全く気付く気配のないパノンに呆れつつも、僅かながらにヒントを入れてみる。
「だから、ミネハは信じているのよ、リーダーをね。 そのことにリーダーだけがまったく気づいていないのよ」
「えー? ミネハがリーダーとして俺を認めてくれているのは俺だって知ってるっての。 と言うよりミネハだけだよな、認めてくれてんのさ……」
アーニャはため息をつきスコットは憫笑した。
「ま、まあなんだ、先に着くってことは魔獣に襲われる前に次の街に着くってことなんだな? なら一安心だな」
会話が途切れたことを察した御者はそうい言いながらすっと胸を撫でおろす。
「違う。 この先に人間がいる。 そこに着く。 魔獣もだいたいその方向に進んでいる」
「はっ? じゃ、じゃあここで止まってやり過ごしたほうが良くないか?」
御者の言葉にラフィニアは抗議する。
「ちょっと待って御者さん、人がいてそこに魔獣が向かっているのでしょう? 放ってなんか置けないわよ?」
「ああそうか、そうだな。 でも……大丈夫なのかい?」
「大丈夫よ、だいたいノールもわかってて言わなかったんでしょ? 最近わたしもノールの考えそうなことわかるようになってきたのよね」
不安そうな御者に自信満々で答えたエルビー。
「嬢ちゃん、それどういう意味だい?」
「この子、やることが決まっている場合話さないことが多いのよ。 えっと、だからね、なんて言うのかな……」
「なるほどね、このまま進めば先に到着してそこで魔獣を迎え撃つことになるってところかしらね」
「そうそう、たぶんそういうこと」
「けど、心の準備というか、そういう意味でも言って欲しかったかしら」
「それ! ほんとそれ! まあ、わたしお姉ちゃんだし? このぐらいはもう仕方がないかって諦めているところもあるのよね」
「ふふっ、あなたも苦労してるのね。 そうね、私はこの子の迎え撃つという選択に賛成よ、知っていて無視はできないわ。 あなたたちはどうかしら?」
「俺たちは、まっ旦那に従うだけだな」
「ふむ、そう……だな。 もし、ここにいる皆が認めてくれるのなら、この先にいる者たちと合流する。 戦えない者がいるなら警告し全員でその場を離れる。 避難が間に合わないなら兵士に合図を送り増援を待ちつつ魔獣を抑え込むか、可能なら討伐する。 と言うことでどうだろうか、私も見捨てるということはしたくない。 それをしてしまえばいつかは自分が女神に見捨てられるだろうからな」
「そちらの商人さんは?」
「怖くないと言えば嘘になりますけど、皆さんを信じます」
「えっと、あなたは?」
「俺に異論はない」
「御者さんはどう?」
「え? 俺もか? ああ、そうだな。 俺も女神様に見捨てられるのは御免だな、この仕事続けたいしよ」
「了解、じゃあそういうことで。 ところで御者さん、もう少し速度は上げられるかしら? 早く着けばそれだけ避難する時間もとれると思うし」
「ああわかった、多少揺れが強くなると思うから気を付けてくれよ」
馬車は一段と速度を上げた。
「なあ、ところでだが勝ち目はあるのか? そのどんな魔獣が近づいているのかわかるのか?」
「分からない。 まだ会ったことがない魔獣」
「遭ったことないのに魔獣かどうかは分かるのか」
「それは分かる」
「そっかー、じゃあ魔獣の姿を見るまでは判断できないってことか」
掴みどころのないノールの言葉に御者も僅かな不安を覚えるが、これだけ冒険者がいるのだからと気持ちを切り替えていくことにした。
それからしばらく走ったあたりだろうか、御者の目に数台の馬車が止まって何名もの人が右往左往している光景が映る。
「あれか!?」
「商人かしらね、あんなところでどうしたのかしら?」
「あああれだ、あの先、馬車が一台逝っちまったみたいだな」
「なるほどそれで立往生ってことなのね。 ねえ君、まだ魔獣はこっちに向かっている?」
「来てる」
「了解。 向こうも護衛がいるみたいだから協力してもらいましょう」
馬車はスピードを落とし商人たちの馬車の最後尾に近いところで止まる。
「お~い! あんたたち!」
いそいそと作業している者に御者が声をかけた。
続けてラフィニアが声をかける。
「ねえ責任者はいる?」
「私だが、どうかしたのか?」
答えたのはそれほど年配と言うわけでもないが若いと言う時期はとっくに過ぎたであろう男だ。
「転移魔獣の話、聞いてない?」
「ああそれなら聞いている。 だがこの有様でな、参ったよ」
「なら話が早いわね、その転移魔獣がここに向かっているらしいの。 戦えない人は一度避難させたほうがいいわ」
「な、なんだと!? それは本当なのか!?」
「ええ、探知スキル持ちがそう言ってるわ。 魔獣の強さまでは分からないから少し離れた場所に」
「ぐぐぅ……いや仕方がないか。 ヴィルド! その馬車の回復作業は中断だ、例の魔獣が近づいている、直ちに避難の準備を開始しろ!」
「了解しました!」
ヴィルドと呼ばれたのはまだ子供のあどけなさが残る若い青年だった。
勢いよく返事をしたその青年は途中途中声をかけながら前方に向かって走り出していた。
「それで君たちはどうするのかね?」
「出来れば一緒に避難するわ」
「まだ時間は大丈夫か?」
「ちょっと待って、ねえ君、まだ大丈夫そう?」
「距離はまだある。 でも最初からここを目指していたから避難できるか分からない。 逃げた先まで追ってくるかもしれない。 それと……何を、積んでいるの?」
「!? 積み荷!? 魔獣は積み荷を狙っているの?」
「それは分からない、ただその可能性があると言うだけ」
ノールの言葉に驚いたのは男のほうではなくラフィニアだ。
むしろ男のほうは驚く様子もなく、心当たりがあると言った言葉を返す。
「そうか、たぶんあれか。 厄介な物を押し付けられてしまったか。 しかし、どうすれば……」
「心当たりがあるのね。 その、切り捨てることは出来ないの?」
男は沈黙する。
どうするか考えているようだがその沈黙はさほど長くも続かなかった。
「出来なくもない。 だが……」
「私も冒険者よ。 だから分からないわけじゃない。 けど、それは命より大事?」
「もちろん今いる従業員の命が大事だ。 だが、私の命よりは大事な品だ。 私はアレを切り捨てて逃げるわけには行かない」
「わかったわ、協力する。 そういうことだけどみんないいかしら?」
「ああ、問題ない。 私も商人だ、その思いは嫌というほど理解できるからな。 で、お前たちも避難するか?」
「はあ……この状況で逃げますとは言えないだろ。 俺らも戦う、っていうかみんなの目がそう言っているし俺だけ逃げたいと言っても聞いてもらえないし」
「ありがとう、ごめんなさいね、私のわがままに付き合ってもらっちゃって。 御者さん、兵士さんたちに救援の信号を。 それから商人さんはこちらの商人さんと共に避難して。 それと君たちもね」
「なら、うちの護衛も共に戦わせよう。 Cランク冒険者5名だ」
「いえ、万が一ということもあるし、そっちの護衛も必要だと思うの。 こっちの護衛がいなくなることにもなるし避難組と行動してもらって出来れば私たちの馬車も護衛してほしいわ」
「だが、あなた方だけに危険を押し付けてしまうわけには」
「無理はしない。 事情は知らないけど、あなたの雇い主だってあなたに戦えなんて言わないだろうし、冒険者が戦ったけど守り切れなかったとなれば言い訳もたつでしょ? 私たちAランクよ」
「俺たちは違うけどな……ってイテッ!」
パノンがアーニャに叩かれていた。
「Aランク2名にCランク4名、十分では?」
「分かった、任せよう。 そちらの方々は我々が責任をもって護衛すると約束しよう」
「よし、じゃあ、はい。 あなたたち降りて戦う準備、戦う準備」
ラフィニアがそういうと護衛冒険者たちが降りる。
そして無口な男も一緒に降りてきた。
「あなたまで降りる必要は……」
「最初に言ったはずだ。 気遣いは無用、必要があれば戦うと」
「じゃあお願いするわ、御者さんあとはよろしく」
馬車が動き出そうとしたとき、エルビーが御者席に出てきて立ち上がる。
「お、おい嬢ちゃん、そんなところに立ったら危ないだろうよ」
「何言ってるのよ、わたしたちだって戦うわよ」
「いやいや嬢ちゃん、こういう時はAランクとCランクの上位冒険者に任せておくものなんだって。 嬢ちゃんたちは俺らと一緒に避難だ」
と、その時、森の奥から獣の咆哮が聞こえた。
それは低く深く、地面を抉るような感じさえする。
「何!? なんか良さそうな感じじゃない? ちょっと楽しくなってきたわ!」
そういうとエルビーは御者席から飛び降りた。
「ノールおいで」
エルビーに呼ばれたが、すでにノールも御者席から飛び降りる直前だった。
「おい、坊主まで!?」
「まったく、しょうがない子たちね」
「いや、いいのかよそれで」
「本人がそうするって言ってるんだしいいんじゃないかしら?」
「悪いなお客さん、突然だったもので止められんかった」
「ふふっ、問題ないわ」
「クリムドさん! 準備できました!」
ヴィルドと呼ばれていた青年が男に声をかける。
「わかった、では我々も避難を始めるが構わないか?」
「ええ、じゃあ御者さん行って」
「ああ、気を付けてな」
「さてと、さすがの私も気配を感じられるぐらいには近づいているみたいね、みんな準備はいい?」
「おう!」