表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/166

終わりと始まり

 真っ白な空間。

 ただただ真っ白すぎて上下や左右と言った感覚すら本当に正しいのかも分からない。

 もしかしたらそう感じているだけで浮いているのかも知れないと思ったが、足には地面の感触があるのは分かる。

 目の前の状況が理解できない。

 もし経験や知識を持つ者であれば、きっと死後の世界なのだと結論付けたのかも知れない。

 だがその者はその発想に至るだけの知識すら持ち合わせていなかった。

 目を閉じ考える。


 ―――ノール。


 それは自分の名だ。

 何もわからないはずの状況、それでも自分がノールと言う名であることを知っている。

 思い出したのではない。最初から知っている。


 ―――では名前以外のことは?


 残念だが何も分からなかった。

 だと言うのに不安に感じるわけでもない。

 そもそも自分と言う存在を認識できているのだ。

 思い出せないだけで本当は知っているのだろうとノールは結論付けた。

 いや、決して考えても無駄だと思ったわけではない……はずだ。

 どの程度の時間が経過したのだろうか。ふと真っ白な空間が歪む……。

 歪んだ場所には一人の老人がいた。どこからやって来たのだろうか。


(あれ、でも時間(・・)老人(・・)と言った言葉の意味は分かる。いや知っている?)


 やはり思い出せなかっただけできっかけがあれば思い出せるのだろう。

 見知らぬ老人の出現に気を惹かれながらも、ノールの思考は明後日の方向へと向かう。


 ―――アズラエル。


 老人は自らをそう名乗った。神なのだそうだ。

 そして自分ノールもまた神なのだと。

 神と言う言葉はやはり知っている。知ってはいても自分が神だと言われても実感はないが……。

 アズラエルが下を指さすと眼下に世界(・・)が広がった。

 美しい世界。

 他に言いようがない。

 まるで宙に浮いているような感覚に襲われるがやはり足にはしっかりと地面の感触がある。

 手でならば触れるかと思ったがただ地面に触れただけだった。


 世界に……触れてみたい……。


 そんなことを思った瞬間、ノールの頭の中に断片的な知識が流れ込んできた。

 一瞬だった気もするがとても長い時間だったようにも感じる。

 何が起こったのか分からずノールはアズラエルを見上げた。

 おそらくアズラエルはそうなることも知っていたのだろう。

 そんなノールの挙動を見ても疑問に思うことはなかったようだ。

 そして語り始める、それは世界の記憶なのだと。

 神として、その力を以って世界を御し、他種から人間が襲われるならそれを庇護し、人間が自ら悪しき道に進むようならば、それを是正する。

 人間が悪意によって滅ばぬように神として導くのだと。

 アズラエルは一方的に語るだけ語ると右手を軽く振る。

 すると真っ白とは対極的な真っ黒な空間が生まれ、まるで吸い込まれるかのようにその場を立ち去ってしまった……。

 眼下に広がる世界を残したまま、また真っ白になった空間を見つめ、ノールはアズラエルの言葉を思い出していた。


(とは言っても何をすればいいのか……)


 もう少し何をすればいいのか教えてほしかった。

 アズラエルの言葉はよくわからなかったし。

 世界の記憶とは言うが、その記憶の中に自分がするべきこと(・・・・・・)はない。

 記憶にあるのは未来ではなく過去だけだ。

 つまりこの先のこと、未来に対して何をすればいいのかまでは記憶にもないのである。

 ノールはいまだ眼下に広がっている世界を眺める。緑豊かで美しい世界。

 しかし弱肉強食の世界。

 自分の記憶にある世界の姿も思い出せるが、今となってはそれが自分の記憶なのか世界の記憶なのかもよくわからないことになっているが。

 しかしまあ、世界の大きさからみればそれは些細なものだ。

 弱いものは食われ、強いものが生き残る自然の摂理。

 この美しい世界はそんな小さい醜さの集まりなのだろう。

 人間は時々戦争と言うものをする。互いに殺しあうのだ。

 繁殖し繁栄させているかと思えば、次の瞬間には戦争をして互いに数を減らし始める。

 いったい何がしたんだろうか。

 人間が強大な魔物に襲われている。

 これも弱肉強食だ、自然の摂理のひとつ。

 人間だって獣を狩って生きているのだ。

 それ自体を醜いと感じることもあるが、しかしそれが世界をより美しくしているのだろう。

 だから人間を救うことをしなかった。

 それが自然として正しい姿なのだと、そう思っていたから……。



   ――◇◇◇――



 ノールは夢を見る。肉体もなく夢など見るはずがない。

 でもなぜか時々思考は暗転し、そして知らない世界の夢を見るのだ。

 自分の忘れていた記憶なのか、世界から流れてきた記憶なのかは分からない。

 ノールはいつものように夢を見る。

 ただ、その時はいつもよりも永い時間ときを眠っていたみたいだ。

 目が覚めたノールは眼前に広がる光景に呆然としていた。

 どうしてこうなったのか…。

 緑はすべて失われ、赤黒い地肌が姿を見せている。まるで大地が焼けているようだった。いや、実際に焼けているのか。あれほどまでに美しかった世界が崩壊している。

 人間がこれをしたのか? なぜ? いやしかし人間にこれほどの力はないはず。

 なら人間より強者である魔物がしたのだろうか。だがそれも考えにくい。

 それほどの力は魔物にだってないはずだ。

 じゃあ誰が?

 記憶には……ああそうか、記憶にないだけでいるんだ……きっと。

 たぶん……世界のどこかに今も……。

 それはそれほど時間をかけずとも見つけることが出来た。

 蠢く存在……。形は全く定まっておらず、黒く、そして大きい……。

 どろりとしたそれが世界を飲み干したのだろうか。

 記憶の中にも大きな魔物はいた。

 そんな魔物でさえ小さく見えるほどに大きな存在もの……。

 初めて見る存在、しかし分かる。なんとなくわかってしまう。

 これは人間の憎悪だ。世界中の人間の憎悪が集まり、そして塊となったもの。

 アズラエルはこの事態を阻止したかったのか……。

 今更気づいてももう遅い。世界は滅んだ。滅んでしまった。

 神である自分は人間を導くことができなかったのだ。

 いや、違う……。

 しなかったのだ、それが正しいのだと思い込んで……。

 自分の役目を理解できなかった。世界を崩壊させたのは自分だ。

 ノールは世界(・・)に降りる。

 眼前で蠢くソレ(・・)をよそ目に、もしかしたら生きている人間がいるのではないかとあたりを探す。

 地表にいなくても地下に隠れているかもしれない。ノールはそれから数百年の間、いるはずのない人間を探し続けていた。



   ――◇◇◇――



 わかってはいた。

 自分は神……。

 世界が教えてくれるのだ。

 この世界に人間はいない、と言うことを。

 いや、人間どころではないか。

 何もいない。

 すべての生き物がこの世界から消失していることを教えてくれる。

 けど信じたくもなかった。

 人間はまた生まれてくるのだろうか。

 それとも一度失ったものは二度と戻らない?

 いくら考えてもそれだけは分からなかった。

 だが今ここに人間がいない理由は分かっている。

 この黒い塊だ。

 これが原因。

 悪いのは自分だが、けどここにあっていいものでもない。

 これはこの先もすべてを飲み尽くすだろう。

 これがある限り何も生まれることはない。

 今の自分のように感情と言うものがこの黒い存在ものにもあるのかは分からない。

 でも今は滅ぼそう。

 欠片一つ残さずに。

 おそらく神となってから初めてその神たる力を使うのだ。

 使い方は……もちろん知っている。

 世界の記憶にあるから。

 魔法と言う形で解放された神の力。

 大地が、空気が、世界のすべてが激しく揺れる。

 もはやかつての原形を留めていない世界を見て、ノールはもう一度あの世界を見たいとそう願う。

 だがいったい誰に願えばいいのだ。

 神たる自分以外に願いを叶えられるものがいるのだろうか。


 …………。


 ふとアズラエルのことを思い出した。

 アズラエルは今どこにいるのだろうか。

 世界が一つだけならアズラエルもまたここにいるはずなのだ。

 だがアズラエルはいない。

 それはつまり世界は他にもあると言うことではないだろうか。

 アズラエルはどこからともなく現れたのを覚えている。

 世界(・・)の記憶を読み解く。

 あれも魔法だ。神の使う魔法。

 そして自分も神……。

 ならアズラエルと同じようにここではない別の世界に行くことだってできるんじゃないだろうか。

 もしそこにアズラエルがいれば、どうしたらいいのか聞いてみよう。

 アズラエル以外の神がいるならその神に聞くのでもいい。

 ノールはあの時見た光景を思い浮かべる。

 そして模倣した。

 アズラエルの使った神の魔法を、寸分違わぬ精度で。

 世界と世界を繋ぐゲートがノールの目の前に現れる。

 世界を守れなかった後悔。

 人間を導けなかった無力感。

 世界を失った喪失感。

 今は置いておこう。

 ノールは躊躇うことなくゲートをくぐる。

 まばゆい光が辺りを包み込んだ。音はない。

 光が薄れた後、ノールはまた真っ白な空間に立っていた。

 あの時のように地面に触れる。

 ほどなくして眼下にあの時見た世界が広がった。

 いや違う。似ているがそこは自分がいた世界とは違う。

 そもそもまともな世界に転移できる保証などなかったのだが、ノールにそんな考えは一切よぎらなかった。

 すこしばかり世界を見渡す。

 美しい世界。

 もう一度この景色を見ることが出来たことに安堵する。

 だがそれと同時に滅んだ世界を思い出し自分がしてしまったことにどこか苦しくなる。

 何者かの気配を感じた。こちらに近づいているようだ。

 ノールは立ち上がりその気配のするほうを見る。

 アズラエル……ではない。

 残念だがアズラエルとは違う感じだ。

 でも同じ神だったならうれしい。


 「こんにちは。あなたは……そう、あなたも神なのね。」


 その姿はとても綺麗だった。

 アズラエルとは違うがアズラエルや自分と似た気配。

 神、そうアズラエルや自分と同じ存在。

 ノールはその神の言うことを肯定するように小さく頷く。


「しかし、他の世界の神がやってくるなんて主神様以来だわ。あなたにも自分の世界があるのではなくて?」


 そうかやっぱり。世界(・・)はいっぱいある。

 そしてアズラエルは魔法を使っていろいろな世界を渡っているのだ。

 ノールは少し迷った。自分の世界であったことを正直に話すべきだろうか。

 だが嘘をつく理由もないし利点もないと、正直にあったことを話すことに決めた。

 うまく説明できる自信はないがただ簡潔に、そう事実を。

 目の前の神は自分の話を淡々と聞いてくれた。

 ところどころ質問を投げ返してくる。

 その神は目を閉じ深く考え込む素振りを見せた。

 そして口を開きこう告げた。


「それは、おそらく魔王、いえきっと魔王のなり損ないね。私たち神は世界をコントロールする。それはつまり世界のルールに私たちは縛られないと言うことでもあるの。魔王と言うのは同じように世界のルールに縛られない存在。人間の敵となる存在なの」


 そうか、あのアレは魔王だったのか。

 いやなり損ないと言っていたか。

 なら魔王とは一体どんな存在なんだろう。

 人間の敵となるなら滅ぼして正解だったということだろうか。


「そうね。人間の脅威となる存在は多くいるわ。例えばドラゴンなんかもそう。でもね、ドラゴンは世界に縛られている存在なの。それはドラゴンに限らずその世界に住まうものなら普通のことよ」


 つまり弱肉強食、自然の摂理と言うことだ。


「だからドラゴンは人間にとって、その世界の中では脅威ではあるけど他の世界には脅威とはならないの。でも魔王は違うわ。あなたが世界を渡って来たのと同じように魔王も世界を渡ることができるの。つまり魔王の誕生って言うのはその世界のみならず、すべての世界の脅威となる」


 すべての世界の脅威……。

 自分は自分の世界のみならず、こっちの世界まで危険に晒していたと言うことになるのだろうか。

 目の前の神は少し伏し目がちになったノールに、何かを察したのか微笑みながら言葉を続ける。


「ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。わたしはリスティアーナ。女神リスティアーナよ。よろしくね。それで、あなたの名前は?」

『ノール』

「そう。ノールって言うの。かわいいお名前ね」


 リスティアーナはそう言ってノールの様子を伺う。


「それでノール。あなたはこれからどうするの?」

『人間のことを教えてほしい。あと、あの世界はまたあの時みたいに戻るのだろうか』

「世界のことは、きっとあなた次第だと思うわ。だって神ですもの。世界をコントロールする力を持った神、ね?」


 リスティアーナは何かを考えるポーズをしながら、ノールへの提案を口にする。


「そう、ね。人間のことはね、言葉で説明するより、見て感じるほうがよっぽど分かると思うの。人間を知るには自分が人間になってみるのが手っ取り早いんじゃないかしら? なんてね」


 さすがだ。自分はまだ肉体を持っていなかったが、リスティアーナは肉体を得ていた。

 リスティアーナを観察する。何をどうすれば良いのか、おおよそ見当がつく。

 これならおそらく難しいものではないだろう、根拠はないがそう思う。


『リスティアーナの言う通りだ。人間になれば人間のことが分かる。人間になればいいんだ』

「えっ?」


 リスティアーナの言葉にノールは念話で返事をして、同時に魔法を発動させる。

 自分の言葉を聞いたリスティアーナから何か戸惑いともとれる声を聞いた気もしたが、今は魔法に集中する。

 しばらくの時間、展開されていた魔法は収束し消滅する。

 肉体を持たない神が、肉体を持つ人間に変わった瞬間だった。

 人間に変わったと言っても神は神。

 その本質までが変わることはなかった。当然と言えば当然だ。

 もとに戻れなくなっては元も子もない。

 と言うかさっきから目の前のリスティアーナがきょとんとした顔で自分を凝視している。

 魔法、失敗でもしたのだろうか。角とか生えてる?

 念のため顔や体を触ってみるが特に異常というべき点は見つからなかった。


『ありがとう。それで、僕はこの世界にいさせてもらっていいの?』


 何やら申し訳なさそうに聞くノールだがリスティアーナはまだ動くことなく、ノールを見つめたままだ。互いが互いを見つめたまま数秒が経過した。


「あ、いや、うん、そう、こちらこそありがとう。そうね。えーと、いさせてもらう、いさせてもらう、と。ああうん、そうね、大丈夫よ」


 我に返ったかのようなリスティアーナだが、何やら声の調子がおかしい。

 胸に手を置き呼吸を整えている。


「ところでノール。人間として暮らすなら念話ではなく声で会話できるようにならないとダメよ。人間は念話を使わないから」

「ぁ、あり、がとう。もう、ひとつ、おし、えて、ほしい。まずは、なにを、すればいい?」


 まだたどたどしい口調ではあるが感謝を口にするノール。


「そうね。人間の生活には冒険者と言うのが最適よ。知り合いがいなくても冒険者になれば生きていけるわ。やることもそんな難しいことはないの。魔獣を討伐したりとか。それでお金を貰って暮らすのよ」


 魔獣討伐? ああ、狩りのことだろうか。

 確かに人間は狩りをして生活していた。


「あ、食事はしなきゃだめよ。精神体ならいざ知らず、肉体を持つならその肉体のエネルギーの維持も必要になるから。厳密に言えば必須というわけではないのだけど、今はそういうものだと思っておいて」


 やることが決まった。街に行き冒険者になる。

 そしてふと思う。自分の世界に冒険者というのはいたのだろうか。

 ノールは元の世界で人間たちをそれなりに見ているつもりだったが……。

 こうして思い返してみると人間も獣や魔物と同じようにしか見ていなかった。

 世界の中で人間を特別とは思っていなかったが、それでもアズラエルに言われていたので人間を見ているつもりでいた。

 しかし思っていた以上にしっかりとは見ていなかったんだな、とその時初めて実感したのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ