9.尻尾は口ほどにモノを言うようです(後半)
(あ、あれ?)
虚を衝かれて、マージェリーは瞬きをする。
てっきり呆れ、不愉快そうに自分を睨んでいることだろう。そう思ったのに、ユリウス王はただただ、じっとこちらを眺めている。
ついに居心地の悪さを感じたその時、ふっと彼が鼻で笑った。
なんだろう。どこかで、何かを間違えた気がする。
戦慄するマージェリーをよそに、王はのんびりと頬杖をついた。
「へーえ? 君は弟相手に失恋をした。だから、本当はフローラ・エルメイアと過ごすのは苦痛であったと……。私の知る話とは、大分異なるな?」
「なにをご存知だというのですか?」
からからに喉が渇く。それをなんとか押し殺して、マージェリーは恐る恐る尋ねる。すると王は、明らかに面白がっている様子でこう答えた。
「君たちが学院を卒業した夜。パーティに出席するでもなく、私があんな時間まで学院に残り、学院長と話し込んでいた理由。それが君にわかるか?」
「い、いえ……」
「フローラ・エルメイアだ。彼女について、学院長から詳しく聞いていたんだ」
(そんなの初耳なんですけど!?)
内心仰天するマージェリーをよそに、王はすらすらと続ける。
パーティで、セルジュがフローラ・エルメイアを婚約者として発表する。その報告は、事前に宰相であるマージェリーの父から得ていた。
仮にも王族が伴侶を取るのだ。王として、その人となりを把握しておく必要がる。そのために彼は、学院長にフローラの情報をあれこれと尋ねていたんだそうだ。
「そこで興味深い話を聞いた。入学当初は生まれのせいで浮いていたフローラ・エルメイアだが、彼女は最良の友を得た。その友というのが君。ノエル家令嬢、マージェリーだと」
「さ、さようでございますか?」
「生まれのせいで、フローラ嬢はたびたび嫌がらせを受けていた。けれどもそれは、一年の終わりごろにはほとんど収束した。原因は君らしいな。なんでも、フローラ嬢に手を出していた連中にあれやこれやと手を回して、二度と嫌がらせを出来ないよう蹴散らしたとか」
「あら。まあ。なんのことやら。私にはさっぱり」
「しかも君は、積極的に弟とフローラ嬢の仲をとりもったと。デートのセッティングからプレゼント選び、最後は告白のタイミングまで。実に甲斐甲斐しく世話を焼いてやったそうだな。学院長は、君こそが弟たちの愛のキューピットだと感激していたぞ?」
「…………」
だらだらと冷や汗を流しつつ、マージェリーは顔を逸らす。
どうしよう。学院編の破滅フラグをへし折るためにしたことが、ことごとく首を絞めてくる。
どうせユリウスは学院時代のことなど知らないのだし。そう思っての言い訳だったが、完全に悪手だった。策士、策に溺れるとはこのことか。
戦慄する彼女を追い詰めるように、王はずいと身を乗り出した。
「弟とフローラ嬢の姿を見るのがつらかった。そんなことを言っていたが、随分と献身的だな。張り裂けんばかりに胸を痛めながら、そこまで相手のために尽くせるなんて」
「え、ええと、それは、ですね……?」
「まあ、君が本当に失恋の痛手を抱えていたとしても心配いらない。そんな君の痛みまでまるごと含めて、君を抱き留める用意が私にはあるからな」
(それもはやプロポーズでは!?)
妙に男前なセリフと共にきらきらと手を差し伸べる王に、マージェリーは頭を抱えた。
とはいえ絶望している場合じゃない。頭痛を抱えつつ、マージェリーは必死に頭を回転させる。この窮地を脱するための突破口を早急に探すのだ。
理由は何でもいい。なんとしても、このまま城にステイコースだけは……!
「……どうしても、引き受けてはもらえないのだろうか」
「へ?」
不意に響いたしおらしい声に、鼻息荒く反撃に出ようとしていたマージェリーは、思わず口をつぐんだ。見れば、先ほどまで獰猛なオオカミよろしくピンと耳を立てて狩りを楽しんでいたユリウスが、しょんぼりと視線を落としている。
なんだ。突然どうしたんだ。そう目を丸くするマージェリーをよそに、ユリウスは尚も寂しそうに続ける。
「半分とはいえ血のつながりがある弟が、生涯の伴侶を選んだんだ。たまには兄として、してやれることがあればと思ったんだが……」
「え? あ、あの?」
「君なら力になってくれるかもしれない。そう思って頼んでしまったが、君の気持を考えず、少し逸り過ぎたようだ。……すまない。今日話したことは忘れてくれ」
なぜだろう。なんだが胸が、ズキズキする。
黒髪の間から主張する尖がり耳も、ぺしょんと項垂れている。どういうわけだかズボンを通り抜けて垂れ下がる尻尾も、どことなく元気がない。哀愁を誘う光景に、マージェリーは「うっ」と呻いた。
(え、なに? 私が悪いの? なに、この空気??)
目の前には、捨てられた子犬よろしくしょんぼりと項垂れる美形の王。流れるのは、なんとも後味の悪い、いたたまれない空気。
そのまま、微妙な沈黙が流れた。
(う、うう……)
これは罠だ。マージェリーを手元に置くために、オオカミが張った巧みな落とし穴だ。そう頭ではわかっているのに、しくしくとこみあげてくる良心の呵責が、椅子を蹴って立つことを許してくれない。
ついに耐えられなくなったその時、マージェリーは叫んだ。
「わ、わかりました、わかりましたわ! 引き受けます、引き受ければいいんでしょ、ほんとにもー!」
「本当かっ」
ぱあっと。それはそれは見事に、ユリウスは顔を輝かせる。無表情でも綺麗な顔をしているのだから、きらきらと光る笑顔でこちらを見つめる姿は、また格別だ。
ひくりと顔を引きつらせるマージェリーだが、その手をユリウスが摑んだ。
「絶対だな。今になって、やっぱりやめるはなしだからな」
「……はい、まあ」
「最初に伝えたが、ロワーレ城に住み込みになるぞ。宰相が渋っても、そこは譲らないぞ」
「ですから、引き受けますってば!」
思わずやけになって答える。するとユリウスは、ますます笑顔の華を咲かせる。これが少女漫画なら、背中に花を背負っていたことだろう。
そうやって笑み崩れておきながら、彼はほんの少し照れくさそうに小首を傾げた。
「嬉しいな。これからは、すぐ近くに君がいるんだな」
「…………」
いや、まあ。そうなるけど。断じて、そのために引き受けたわけじゃ。
反論したいのはやまやまだ。けれども、恥じらいの籠った幸せそうな笑みが。ぴょこんと元気になった尖がり耳が。視界の隅でぶんぶん振られるふわふわの尻尾が。野暮なツッコミをするなとマージェリーにブレーキをかける。
最終的に彼女は、黙って天を見上げる。そして、心の中で叫んだ。
(こんちくしょうめ!!)