7.お父様の目がマジです
ユリウス・ルイ・ルグラン国王はその日、朝から上機嫌だった。
冷徹なまでに整った顔で冷ややかにすべてを見下ろし、誰をも寄せ付けない孤高の狼王。そんな彼の周りが、今日はどこか柔らかく感じられる。そのため彼の美しさが一層華やぎ、城勤めの女たちを人知れずドキドキさせていた。
そんな王の執務室に、ひとりの男が訪れる。
「彼女が参りました」
「そうか」
宰相ジョルダン・デュ・ノエルの呼びかけに応じ、ユリウスは書き物の手を止める。いそいそと羽ペンをあるべき場所に戻し、王は速やかに立ち上がった。
「淑女を長らく待たせるのは男の恥だな。すぐに向かおう」
けれどもジョルダンは動かない。珍しくもの言いたげな顔をしてこちらを見ている。
「なんだ? 申してみよ」
「では、恐れながら」
壮年の紳士は恭しく首を垂れる。だが次の瞬間、かちゃりとモノクルの飾りを揺らして顔を上げた彼は、勢いよく中指を立てた。
「娘を泣かせたら、ただで済むと思うなよ。あらゆる手を尽くして、あなたを王位から引きずり下ろしますから」
「それは反逆予告か?」
「場合によっては」
モノクルの奥で鋭く目を光らせる宰相を、ユリウスはじっと見つめる。ややあって、彼はふっと笑みを漏らした。
「かまわない。頭の隅に留めておこう」
「ありがたき幸せ」
先ほどと同じく、ジョルダンは恭しく胸に手を当てる。
彫が深い顔立ちにモノクルが似合う壮年のこの男を、ユリウスはそこそこ買っている。ユリウス個人をどう思っているのかは知らないが、仕事には忠実な男だ。
おそらく彼は、『王』ではなくて『国家』に仕えている。ある意味危険な人物だが、却って、宰相のそういったドライな部分が楽だった。
一方で、ジョルダンは愛妻家で子煩悩だ。特に妻に瓜二つである娘への溺愛ぶりはすさまじく、滅多に仕事以外の話をしないユリウス相手の会話ですら、時々名前を聞くほどだ。
まさかその娘のことで、宰相に詰め寄られる日がこようとは。王はそのように感慨にふける。
あの一夜をなかったことにしてくれ。そう、のたまった彼女のことだ。彼女は宰相に打ち明けていないのだろう。けれどもジョルダンは、愛娘の微妙な態度から、何があったのか薄々勘付いているに違いない。
(まあ、宰相の心配は杞憂に終わるがな)
彼女を泣かせるつもりはない。少なくとも、この件では。
「ユリウス王陛下のおなりです!」
先に謁見の間に入ったジョルダン宰相が、高らかに声を張り上げる。格式ばった場でもないのでいちいち名乗りを上げる必要もないのだが、おそらくは謁見の間で待つ『彼女』への、父親なりの配慮だ。
--ここに、彼女がきている。
とくりと。心が弾んでいるのを感じる。これまで何にも執着してこなった自分でも、浮かれることが出来るらしい。
「待たせたな、マージェリー」
大急ぎで来たことがバレないよう、精一杯勿体つけて壇上に上がる。王座についた彼は、長い脚を優雅に組んだ。
「言っただろう? またすぐ会おうと」
伏せられていた瞼がゆっくりと持ち上がり、深い海の色をした瞳がこちらを見上げる。
そんな彼女に、王の顔は自然と綻ぶのだった。
わかっていたけど、やっぱり作画がイイ。
目の前に現れたユリウス王に、マージェリーは改めて舌を巻いた。
男性にしては長めの黒髪に、切れ長の美しい目から覗くルビーのような真っ赤な瞳。すっと通った鼻筋も、艶然と微笑む唇も中性的で、ぞくりとするほどの色気を醸し出している。本当はここに、さらに犬耳と尻尾が追加されるだなんて、なんて欲張りな存在だ。
(私が悪役令嬢じゃなくて、この人が破滅フラグじゃなければな……!)
くっと息を呑む。けれども嘆いても仕方ない。彼は紛れもなくユリウス・ルイ・ルグランで、マージェリーの破滅フラグである。
そんなことを考えていたら、しばらく彼を見つめてしまっていたらしい。ふいにユリウスは、愉快そうに目を細めた。
「どうした。穴が開くほど見つめて。そんなに私に会えたのが嬉しいか?」
「っ、いえ。失礼いたしました」
「何を謝る? 私は嬉しいぞ。君に会えて」
色気たっぷりに微笑んだ前世の推しに、マージェリーは鉄壁の笑顔の仮面を貼り付ける。
推しの神作画を身悶えながら堪能したいのは山々だが、今の自分は侯爵令嬢。社交辞令は社交辞令として、令嬢らしくさらっと流さなくてはならない。
これはお戯れを。そのように、マージェリーはよそ行きの笑顔で答えようとする。
けれども次の瞬間、王の背後から突き刺さる視線にぎょっと目を剥いた。
ユリウス王の右斜め後ろ。具体的には、王の背後に控える宰相――にして、マージェリーの敬愛する父ジョルダン。その彼が、ものすごい圧でユリウスの後頭部を睨んでいる。
殺す。娘に手を出すオオカミを、完膚なきまでにブチのめす。そんな声が今にも聞こえてきそうな父の様子に、マージェリーは青ざめた。
(お、お父様、抑えて! 殺気駄々洩れちゃってるから! 完全に獲物に標準を定めて、マジで仕留める3秒前みたいな猟師の顔になっちゃってるから!)
「お、おほほほ……。お戯れを、陛下」
このままでは破滅エンドより先に、身内から犯罪者を出してしまう。その危機感から、マージェリーは慌ててよそよそしく答える。するとユリウスが、不満げに眉をしかめた。
「ユーリ、だ。君だけはそう呼んで構わないと、この間そう言ったじゃないか」
「そうはいきませんわ。たかが小娘が恐れ多くも陛下をそのように呼ぶなど、ご不快に思われる方もいるかもしれませんし」
「なるほど。愛称で呼ぶのは二人きりの時にしたいと。それは悪くない申し出だな、気に入った。けれども既に、私たちはそういう段階を越えた仲だと、私は思っているけれども」
(お父様ー! 堪えてー! 全力で堪えてーーーー!)
とんでもないことを言いだしたユリウスに、マージェリーは胃がぎりぎり痛んだ。父は今や、殺気の籠った目で両手をワキワキさせている。一流の猟師に道具はいらない、素手で事足りると言わんばかりの殺気である。
と、その時、ふいに小さく噴き出す音が響いた。はっとして視線を戻せば、ユリウスがくつくつと肩を震わせて笑っていた。
「く、ふふ。はは、……!」
素が垣間見える楽しげな横顔に、不覚にもマージェリーはどきりとしてしまう。同時に気付いた。なるほど。王はジョルダンの視線に気づいたうえで、からかって遊んでいたのか。
(やめてよ、心臓に悪いから……)
げっそりとして、マージェリーは肩を落とす。心臓に悪ければ、胃にも悪い。なんなら、すべての臓物にガタがきそうである。
そんな風にマージェリーが疲れていると、ひとしきり笑い終えたユリウスが、愉快そうに彼女を見た。
「と、いうわけで、このままでは会話もままなりそうにない。茶の準備をさせているんだが、そちらに移らないか? 君に、『依頼』の内容をきちんと伝えたいんだ」