6.さすが陛下、仕事が早い
ルグラン王国初代王、『ルグランの狼王』。彼は聖獣であるフェンリルに魔力を分け与えられ、王国を統治する力を得たと伝えられている。
その言い伝え通り、ルグラン王室には何代かに一度の割合で、初代王と同じく獣人に変化する力をもった黒髪の王子が生まれる。その場合、たとえ第一王子でなかったとしても、黒髪の王子が王位を継ぐことになっていた。
今代ではそれがユリウスだった。けれども彼は、生まれが少々厄介だった。
王妃との間に長らく子が生まれなかった先王が、夜遊びに連れ込んだ侍女に産ませた子供。それがユリウスである。
正嫡でもないのに初代王の力をもって生まれてしまった子をどう扱うか。ルグラン王国は割れに割れた。
最終的には本人の実力でユリウスが王位を継いだわけだが、そこに至るまでのゴタゴタにより、未だにユリウス王とセルジュの間には溝が出来ている。
……そんな設定を負って、第二部から登場したユリウス王。何を隠そう、彼はお気に入りのキャラクターだ。
生まれのせいで敵が多く、心に傷を抱えた孤独なオオカミ。そんな彼にくらりとやられた。『シンデレラは突然に』のストーリーが頭に残っているのも、本編はもちろん、ユリウスのファンアートやSSをネットで漁っていたためだ。
特にお気に入りのシーンは、第二部の中盤も過ぎたころ、ユリウスが主人公に素直な心情を吐露する場面だ。
皆が求める『オオカミ王』の仮面を被り続けてきたユリウス。そんな彼が初めて、「本当に王にふさわしいのはセルジュだ」と漏らす。生まれのことだけではない。弟は皆に愛され支持されている。自分とは大違いだ、と。
それにフローラはそっと首を振る。ユリウスとセルジュは、互いに手を取り合って前に進むべきだ。自分が二人の架け橋になる。だから彼と向き合ってくれないか、と。
まっすぐな言葉は、孤独なオオカミの心を揺らした。だからユリウスは、ずっと呪っていた獣人の姿で、初めてセルジュのもとを訪れる。ユリウス推しの読者は涙なしに語れない名シーンだ。
そんな大事な姿なのに。
(おもっきし見せつけられた~! どや顔で披露された~! あんなん反則よ~!)
郊外に構えるノエル家の屋敷。その私室にて、マージェリーはクッションに顔を埋めながら悶えていた。
作画がイイ。冗談抜きに、神作画が過ぎる。
挿絵でも拝んだしファンアートも散々漁ったが、生の破壊力はけた違いだった。
端麗な面差しに犬耳というギャップも、ゆらゆらと揺れる気品漂う尻尾も。容姿端麗な彼の容姿と、相性が抜群に良すぎた。
だからだろうか。
〝今日のところは勘弁してやる。またすぐ会おう〟
獲物を泳がせるオオカミの目でそう送り出された時も、こうして悶えている今も、まともに対策を練られずにいる。
「なんで! どうして! こんなことになってるのよ!」
輝く銀髪を抱えて、マージェリーはソファの上でごろごろと転がる。
破滅ルートを回避したと思ったら、別の破滅ルートを拾ってしまった。しかも一夜の過ちというオプション付き。これで錯乱するなと言う方が、無理な相談だろう。
そんな彼女に、やれやれと首をふる者がいた。
「いつまでそうしているつもりですか。事態が好転するなら良いですが、はっきり言って時間の無駄です」
「アーニャのいじわる!」
むすりと唇を尖らせ、マージェリーは呆れた顔でこちらを見つめる侍女を睨んだ。
彼女はアーニャ。マージェリーの侍女兼、用心棒である。
用心棒というと屈強なムキムキマッチョを思い浮かべがちだが、彼女はそうではない。猫のようにぱっちり釣り目の美少女である。
そんな外見と似合わず、彼女はひどく腕が立つ。昔、父がどこかの裏通りで拾ってきて以来の付き合いだ。
ちなみにアーニャも小説の登場人物だ。登場は第二部から。暗躍するマージェリーの手足となって、まるで隠密のように動き回っていた。
主人の恨めしげな目線に、アーニャは肩を竦めた。
「泣いても笑っても、お嬢様がユリウス様に美味しくいただかれちゃった事実に変わりないでしょう」
「やめてよ、その言い方」
「なら、こちらはどうでしょう。いわゆる婚前交……」
「もっとやめてくれる!?」
ぎゃーすと怒ると、アーニャは小首を傾げる。ちょっと可愛い顔だからって、本当に敬意の足りない侍女である。
尚、彼女は唯一、昨晩マージェリーの身に起きたことを知っている。鋼の精神力ででっち上げた朝帰りの『理由』を、アーニャだけが嘘だと見抜いたためだ。
〝お嬢様? 私には本当のことを話してくれますよね?〟
部屋に入って早々、アーニャはマージェリーに迫った。誤魔化そうとすると、彼女は悪魔のような笑みを浮かべた。
〝お話にならないならご覚悟を。だーんーなーさーまー! おじょーさまはー! なーにーかーかーくーしーてー!〟
慌てたマージェリーは、結局すべてぶちまけたのだ。
むすりと頬を膨らませているマージェリー。そんな彼女に、アーニャはふと首を傾げた。
「陛下との縁談、お受けになったらいいじゃありませんか」
「え?」
「王様ですよ? 王陛下ですよ? どう考えても誉ではありませんか。少なくとも、一晩寝てポイ捨てされるよりずっといいですよ。何が不満なんです?」
「そ、それは……」
小説のことを打ち明けるわけにはいかない。突然そんなことを話したら、頭がおかしくなったと思われるだろう。
けれどもマージェリーには死活問題だ。なんたって相手は死亡フラグだ。あれこれ暗躍をしなければ大丈夫かもしれないが、確証がない。なにより、この先ずっと命の危機に怯えながら暮らすのはまっぴらごめんである。
(何としてでも、陛下との婚約は回避しなくちゃ!)
胸の中でそう固く誓う。そんな主人を、相変わらずアーニャは変なものをみる目つきで眺めている。けれども彼女は、ふと何かに気付いたようだ。
「ところで言ってはなんですが、随分お元気そうですね。体は辛くないんですか?」
「あ、ああ。言われてみればそうね」
一瞬きょとんとするが、すぐに納得をする。昨晩がマージェリーにとって初体験だったのだが……強いて言えば二日酔いと心労で頭が痛いぐらいで、後はぴんぴんしている。
(そういうことって、疲れるのかと思っていたけど……)
頬を赤らめ、マージェリーは体を見下ろす。いかんせん経験がないからわからない。今生はもちろん、前世も部活やら仕事やらで走り回っていたせいで、恋愛事とは無縁だった。
侍女も奇妙な目でマージェリーを見つめる。やがて彼女は、聞き取れないほどの大きさで、ぽそりと呟いた。
「陛下は本当に、お嬢様に手を出したのでしょうか」
「何か言った?」
「いえ。なんにも」
聞き返すと、アーニャは軽く肩を竦める。答えるかわりに、くいと眉を上げた。
「なんにせよ、本気で逃げたいなら急いだほうがいいですよ。相手は一国の王様です。もたもたしてたら、あっという間に捕まえられてしまいますよ」
「や、やあね! 昨日の今日よ? さすがのオオカミ王も、まだ何も動いちゃいないわよ」
希望的観測で、マージェリーは目を泳がせたのだったが。
「今、なんておっしゃいました?」
そのすぐあと。父の書斎に呼び出されたマージェリーは、今しがた告げられた内容を受け止められずにいる。
この国の宰相――ジョルダン・デュ・ノエルは、娘を一瞥してから読み終えた手紙を机に落とした。
「もう一度言うよ。お前に明日、城に上がるよう命が出ている。ユリウス陛下じきじきに、必ず来るようにと仰せだ」
〝この姿を見た君は、もう私から逃げられない。『ルグランの狼王』の名にかけて、必ず君を手に入れるぞ〟
うっすら笑って囁いた、オオカミ王の声が耳に蘇る。
流れるような筆跡は、おそらくユリウス本人だろう。王自らしたためて宰相である父に手渡してきた。マージェリーに拒否権がないことを重々理解したうえで。
(早速、逃げ道塞いできたー!?)
「ところでマージェリー。……昨晩、陛下と何があった?」
薄々、何かを感じ取っているのだろう。王の懐刀と恐れられる宰相にあるまじく動揺を隠しきれない様子で、父は愛娘に問いかける。
けれどもマージェリーは唖然と立ち尽くすばかりだった。