3.破滅フラグと一夜を共にしてしまった!?
「本当にありがとう、マージェリー。君のおかげだよ」
和やかな歓談タイムへと時が移ったころ。セルジュが改めて、マージェリーに声を掛けてきた。
堅苦しい挨拶とは違う。親しい友人として、セルジュは気恥ずかしそうに頬を指で掻く。
「フローラを守りたい。ずっと、その想いは胸にあったのだけれど。一人ではあんなに穏便に、事を収めることは出来なかった。心から君に感謝しているんだ」
「私もですわ、マージェリー様」
隣でフローラも瞳を潤ませる。ちなみに彼女は、三年間マージェリーがみっちりプロデュースしたおかげで、誰もが頷く可憐な美少女に生まれ変わっている。
「セルジュ様と想いを通じ合わせることが出来たら。そんなの、過ぎた夢だとずっと思っていたんです。そんな私の背中をマージェリー様が押してくださいました」
「よしてください、お二人とも」
本当は心の底からガッツポーズをして叫びたい。そんな衝動を麗しい笑顔で隠し、マージェリーは優雅に手を振った。
「先ほど申し上げた通りです。大切なお二人に幸せになっていただきたかっただけですもの」
「マージェリー……」
「マージェリー様……」
セルジュとフローラ、似合いの二人が同時に声を詰まらせる。二人は目配せするように微笑みあってから、控えめに切り出した。
「卒業しても私と会ってくださいますか? これからも仲良くしてくださいますか?」
「フローラは結婚まで城で過ごすんだ。その方が色々と準備も捗るからね。君も時々顔を出してくれると嬉しいのだけど」
実に主人公カップルらしい真摯な眼差し。これは清純派ですわと妙に納得しつつ、マージェリーはにこやかに答えた。
「喜んで。呼んでくだされば、すぐはせ参じます。もちろん我が家にもお招きさせていただきますわ。フローラ様が大好きな沈丁花の咲く季節に、また一緒にクッキーを作りませんこと?」
「はい!」
ぱっと笑顔の花を咲かせて、フローラがマージェリーに抱き着く。「あらあら」と受け止めながら、マージェリーは内心でしめしめと小悪魔の笑みを浮かべた。
――かつて、こんなにも完璧に破滅ルートを回避した悪役令嬢がいただろうか。仲睦まじく腕を組んで去っていく二人に手を振りながら、マージェリーはほくそ笑む。
会社員だった前世、電車の中や寝る前のちょっとした時間に、恋愛小説を読むのが至福の時間だった。中には、乙女ゲームの悪役令嬢に転生した主人公の物語も多数ある。
それらと比べても、この結末はなんて完璧なのだろう!
ヒロインとヒーローからの好感度は抜群。親友どころか、恋の恩人として覚えはめでたく、末永く良好な関係を築く地盤はばっちり固めてある。
加えて実家の父にも手回し済みで、この先にあった別の破滅フラグもへし折り済みだ。
(くぅー! 我ながら自分の完璧さが恐ろしい……!)
両腕で身体を抱きしめ、マージェリーは自分を讃える。もはや内側からにじみ出る笑いを隠すことさえ困難だ。
思えば高級ジュエリーの外商マンとして働いていた前世から、ミッションだらけの毎日だった。
ご本人以上にお得意様の記念日を把握し。日々のちょっとしたやり取りの中からヒントを探し。言葉の裏の本音を探り当てて。
地道な努力を積み重ねた先で、抜群のタイミングで期待された以上の提案を繰り出してきた。
その自負があったからこそ、今回も乗り切れた。何度も諦めそうになったが、「やればできる、絶対できる、私はできる」と自分を励まし粘ってきたのだ。
(なんだか私、泣けてしまいそう)
事実、ちょっぴり瞳がウルウルする。ここがスポ魂モノの青春小説の世界だったら、夕日を浴びながら思う存分感涙にむせぶところだ。
もう何も心配することはない。フローラとセルジュとの関係を適度に維持しつつ、原作とは全く無関係に、のほほんと平和な日々を過ごすだけだ。
原作と無関係というのが重要だ。3年間、綱渡りのような毎日を過ごしてきた。これからはまったりスローライフを満喫したい。
(どーしよっかなー。なーにしよっかなー)
開放感でマージェリーは軽くスキップする。『完璧な淑女』の奇行に周りが目を丸くしているが、今夜は気にしない。気分はひとり打ち上げだ。
せっかく異世界転生をしたんだ。半年くらい旅に出てもいい。もしかしたら素敵な出会いもあるかも。なにせここは、恋愛小説の世界なんだから。
いっそ領内にカフェを開いてみようか。よくあるではないか。前世の趣味を生かして、パン屋を開いたりケーキを焼いたり。一年くらいなら、宰相の父も見逃してくれるだろう。
期待に胸を膨らませ、マージェリーが足取り軽く歩く。そこに、通りがかった給仕が優雅にトレーを指し示した。
「どうぞ、シャンパンはいかがですか?」
「まあっ!」
ごくりと喉がなる。
この世界では飲酒の年齢に制限はない。学院でも、今日のような特別なハレの日には酒が出るくらいだ。
「喜んで」
表向きは淑女として微笑みつつ、うきうきとそれを受け取る。すんすんと嗅ぐと、かぐわしい上質な香りが飛び込んでくる。マージェリーはうっとりと目を細めた。
そろりと唇を付ければ、泡がしゅわりと喉をくすぐる。その心地よさにマージェリーはすっかり浮かれた。
(なあんて美味しいのかしら!)
やはり仕事後の一杯は格別だ。もしかしたら前世から数えても、一番美味しいお酒かもしれない。
調子に乗ったマージェリーは次々にグラスを空けた。今夜は不思議といくら飲んでもイケる心地がする。一晩中飲み明かすことすら出来そうだ。
すいすいと芳醇なシャンパンが喉に消えていく。パーティの夜も更けていく。次第に意識が、ふわふわと曖昧になっていく―――――。
――そうして今、マージェリーはさーっと顔から血の気を引かせていた。
「ようやくお目覚めか。随分と待ちくたびれたぞ」
耳に深く響く、ぞくりと色気をはらんだ声。
蠱惑的な眼差しが、愉快気に自分を眺めている。
夜の帳を下ろした空のような艶やかな漆黒の髪と、その下から覗く鮮血のような赤い瞳。
すっと通った鼻筋に細面の顔と、どこか中性的な美しさを漂わせながらも、緩く纏ったローブから覗く身体は間違いなく男性で、どうしようもなく色気を醸し出している。
それだけでも目を覆いたくなるというのに、男はさらに絶望を突き付けてくる。
「王の隣で熟睡とは、なかなか見どころのある娘だな。さすが、この私と一晩を共にしただけはある」
一晩、だと。あまりの事実に、マージェリーは卒倒しそうになる。
男がほのめかした内容がわからないほど、初心ではない。加えて彼はなんといっただろうか。王の隣。よもやそれは、聞き間違いであってはくれないだろうか。
――いいや。どうあがいても、目の前の絶望から目を逸らすことは出来ない。
絡めとるような美貌に、覇者の風格の漂う眼差し。なんといっても、ルグラン王家の、それも選ばれた一部の王族のみが持って生まれる艶やかな漆黒の髪。決して見間違いようのない、目の前の男の正体は。
「ユリウス・ルイ・ルグラン陛下……」
呆然と名を呼ぶと、聖ルグラン王国の若き王は、満足げに微笑む。
セルジュ王子の異母兄であり、小説の登場人物のひとり。通称、ルグランのオオカミ王。
彼こそが、マージェリーがとっくの昔に遠くに蹴り飛ばしたはずの、もうひとつの破滅フラグである。