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19/40

19.作戦というのは崩れるもの



 うららかな午後のお茶会から小一時間も経たないうちに、事件は起きた。


 セルジュと別れ、夕方の講義に向かおうとしたとき。フローラが「あ!」と慌てた表情をした。


「申し訳ありません、マージェリー様。お茶会の席に、ハンカチを置いてきてしまいました」


「あら。取りに戻りますか?」


 お茶会の席に置いてきたのなら、片付け中のアーニャが拾ってくれるはずだ。そう思って尋ねると、フローラは少し迷ってから頷いた。


「そうします。セルジュ様にいただいた大事なものなので。マージェリー様は先に……」


「いえ、ご一緒しますわ。講義が始まるまでまだ余裕がありますし」


 にこやかに微笑んで、来た道を戻る。夕方の授業はマダム・エルザのマナーレッスン。中庭に戻ってから再び向かっても、十分間に合う計算だ。


 話に花を咲かせながら、ふたりは中庭に向かう。その途中、とある回廊に差し掛かったときだった。


「我慢なりません。お助けください、セルジュ様!」


 角の向こうで響く男の声。顔を見合わせてから、マージェリーとフローラは壁にぴたりと張り付く。そして、そっと角向こうを覗いた。


 そこにはやはりというか、別れたばかりのセルジュがいる。彼は困った顔で誰かに耳を傾けていた。


(あの後ろ姿は……フリード大臣?)


 小柄で太っちょなその背中。儚げな美貌のティタニア太后殿下とは似ても似つかないが、太后の弟で外務大臣のルチアス・フリードだ。


 隣国アグリナから太后が嫁いできた際、一緒にこの国に入り、ルグラン王家の家臣になった男。


 セルジュを次王にと推していた筆頭であり、現ユリウス王との軋轢も多い。


(隣国への建前上、無碍にも出来ない人物……。それが厄介だと、お父様も話していたわね)


 前に珍しく父がぼやいていたことを思い出し、マージェリーは眉根を寄せる。セルジュに詰め寄っている様子を見る限り、穏やかな場面とは言い難い。


 マージェリーたちが固唾を飲んで見守っているとは露知らず、フリード大臣はうんざりと嘆く。


「私は何度も申し上げたのです。今こそアグリナ国と軍事協定を結び、共に領土拡大に踏み出す好機だと。なのに陛下は一向に耳を傾けてくださらない。私が太后殿下の弟だから、警戒しておいでなのです!」


「ちがう。陛下にはお考えがあるんだ。相手がお前だからと耳を傾けないわけじゃ……」


「では陛下は、なぜセルジュ殿下にもお会いにならないのでしょう? ティタニア様に近い者を遠ざけるのは、ユリウス陛下の常ではありませんか」


「それは」


 痛いところをつかれ、セルジュが言葉に詰まる。それみたことかと言わんばかりに、フリード大臣は溜息を吐いた。


「我が国の発展を願うなら、この好機を逃すべきではありません。なのに過去の遺恨に囚われ家臣の言葉に耳を貸さないばかりか、戦にも引き腰であらせられるとは……。オオカミ王の名が泣きますな」


「っ、な! 口を慎め!」


「私ばかりではありません。皆が申しておるのですよ」


 表情をかえるセルジュをものともせず、ねちっこく、こびりつくように大臣は続けた。


「ユリウス殿は、王の器ではなかった、と」


 そのとき、比喩ではなく空気が凍えた。


「――そう思うなら、剣を手に向かってくればいい。その方が、互いに時間を無駄にせず済むものを」


 ヒュッと、フリードの喉が鳴る。小物らしく大臣が青ざめる中、セルジュが声を震わせた。


「……兄上」


 マージェリーも息を呑んだ。


 回廊の奥から姿を見せたユリウスは、見たこともない表情をしていた。


 鋭利なまでに整った顔からは表情がごっそり抜け落ち、紅い瞳だけが冷たく大臣を射抜く。すらりとした肢体に黒い服を身にまとい、まるで急所に狙いを定めた獣のようにゆっくりと歩を進める。


 早朝から走らされて不貞腐れたり、マージェリーのちょっとした一言に喜んだり、照れたりした名残は今の彼にはない。


 ルグランのオオカミ王。そう呼ぶにふさわしい姿が、そこにはあった。


「フリード」


 凍えた声音で名を呼べば、大臣は「ひっ!」と飛び上がる。それをものとはせず、ユリウスはゆっくり身を屈めた。


「何と言おうが、他国に攻め入るつもりはない。どうしても気に入らないというならば……残念だな。他所ではなく、国内で戦を始めなければならないかもしれない」


 もはや大臣は哀れな獲物だ。鋭い牙が喉笛に食らいつくように、ユリウスは冷ややかに告げる。


「望まぬ王を仰ぐのは辛いだろう。同情はしてやる。――だが覚えておけ。牙を剥くなら容赦はしない。オオカミ王の名にかけて、お前を狩ってやるぞ」


「あ、ああ……」


 ガタガタと大臣が震える。やがて彼は「お赦しを!!」と叫ぶと、脱兎のごとく走り去っていった。


 そうして、異母兄弟だけが回廊に残される。


「セルジュ様……」


 心配そうに、一緒に隠れるフローラが呟く。隣で、マージェリーもごくりと生唾を飲み込む。


 ユリウスとセルジュ、二人の間に流れる空気は最悪だ。マージェリーが二人と無関係であったなら、回れ右をして逃げ出すほどの緊張感だ。


 だが。


(……あら?)


 マージェリーははたと気づいた。


 考えてみれば、これはチャンスではなかろうか。


(想定シチュエーション、第118番。『誰かが、セルジュ殿下に自分の悪口を言っているところに出くわしてしまった場合』。そうよ! 想定会話集に、ちゃんと載せてたじゃない!)


 ぱあぁあと。曇天が晴れていく心地がした。


 こんな間の悪い偶然あるだろうか。自分でも疑いながら書いたが、うまく読みが当たってくれた!


 しかもケース118番は今朝読み合わせた。律儀に予習もしてきたらしく、想定会話はばっちり頭に入っていた。


(胃がキリキリしたけど、神様の導きだったのね! 陛下とセルジュ殿下が仲直りできるように、神様が味方してくれたんだわ!)


 一転して期待をこめ、マージェリーはユリウスを見つめる。


 改めて見ると、ユリウスの凍りついた無表情も、覚えた想定会話を一生懸命思い出そうとしているように見えなくもない。


(頑張って、陛下! 大事なのは思いやりと労り! お前を、悪口を言った奴と一緒と思っていないとフォローしてあげてから、さりげなく仲直りに持ち込むのよ!)


 ぐっと手を握り、ユリウスに念を送る。


 ――けれども。


「よかったじゃないか。あんな小物でもお前の味方だ。お前が王になれば、さぞ喜んで仕えるだろうよ」


(…………はい!?)


 声が出そうになって、慌てて口を塞ぐ。その間にも、ユリウスはオオカミ王として冷たく義弟を見下ろす。


「奴だけじゃない。お前を王に望む声は多い。寄って集ればオオカミ1匹葬るのも夢ではない。……その前に、連中を狩り尽くすのもありかもしれないな」


「兄上……!」


 青ざめ、セルジュが息を呑む。手遅れになる前にと、彼は必死で言い募った。


「私が彼らを抑えます。ですからどうか。どうか粛正だけは……!」


「どうだかな」


 ユリウスは薄く笑う。咳のような乾いた笑い声が、回廊に響いて霧散した。


「お前も、私が邪魔なら遠慮はするな。最も、お前に私が殺せるとは思わないがな」


 セルジュの表情が強張る。兄上、と。消えそうな呼びかけに、ユリウスは答えない。


 そのまま、兄弟は行き違った。


(は、はぁぁあああ!?)


 あんまりな展開に、マージェリーは言葉を失った。


 これのどこがフォローだ。仲直りだ。もふもふ愛され計画だ。手酷く突き放したばかりか、恐怖政治でごりごりに溝を深めやがった。


(あのひと何考えてんの!? やる気ある!?)


 瞬間湯沸かし器のように、マージェリーは憤慨したのだが。


(あっ……)


 セルジュと行き違った途端、ユリウスに表情が戻った。


 整った顔に浮かぶのは苦悶の色。


 自責。後悔。自己嫌悪。そういったものが複雑に絡み合って、暗く影を落とす。


「っ、……」


 薄い唇から、吐息が漏れる。


"真に王に相応しいのはセルジュだ。私じゃない"


 小説の彼のセリフが、頭の中に浮かんで溶けた。


「ま、マージェリー様! マージェリー様!」


 くい袖を引かれて、我に返る。瞬きをして振り返れば、フローラが焦った表情で囁いた。


「陛下がこちらに来ます! 早く隠れないと」


「へ? あ、え!?」


 立ち聞きをしていたことに思い至り、マージェリーも青ざめる。だが時すでに遅く、カツリと靴音が響く。ふわりとマントの裾を翻し、美貌の王が姿を現した。


 靡く黒髪の下、赤い瞳が見開かれる。


 まずい。これはさすがに謝らなくては。青ざめたマージェリーが、勢いよく頭を下げようとしたその時。




 ユリウスが、脱兎の如く逃げ出した。




「えええええ!?」


 頓狂な悲鳴をあげている間にも、王の背中はみるみる遠ざかっていく。呆気に取られて見守っていたマージェリーだが、はっと我に返るとフローラを振り返った。


「申し訳ありません。夕刻の講座、少々遅れて参ります。先生にその旨お伝えいただけます?」


「え、ええ? マージェリー様はどこへ?」


「私は陛下をとっちめて参ります!」


 ええええ!?と。フローラの悲鳴を後ろに聞きながら、マージェリーはむんずとスカートの裾を掴む。幸いユリウスの背中は見えている。追いつけない距離じゃない。


 ダッと、マージェリーが地面を蹴る。


 こうして、追いかけっこのゴングが鳴った。



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