18.「進捗、OKです」と思いきや
鮮やかなグリーンと、色とりどりの花が咲き乱れる午後の中庭。そこで3人の男女が談笑している。
「ううぅ……。授業でウトウトしてしまいました」
しょんぼりと反省するフローラ。
「ふふふ。学院の時みたいで懐かしいね」
くすくすと笑いをこぼすセルジュ。
「フローラ様はよくやっていますわ。落ち込まないでくださいな」
慈愛の籠った眼差しで、フローラを慰めるマージェリー。
マージェリーはこそりと後ろを振り向き、隅で控えるアーニャに手招きする。呼ばれた侍女は、すすすと近くへ。
さっと差し出されたソレを受け取り、マージェリーは改めてフローラに微笑みかけた。
「ミントのチョコですわ。頭がスッキリして、眠気覚ましにいいですわよ」
「マージェリー様……」
フローラが目をうるうるとさせる。
そろりと手を伸ばし一粒を摘まむ。それを、小さな唇がぱくりと包む。
頬に手を当てて、フローラは「ふえぇ」と声を漏らした。
「美味しいです! マージェリー様の優しさに、涙が出てきます……!」
「フローラ様のためにご用意したんですのよ。さ、たんとお食べください」
「食べます……! 食べて、夕方の授業も頑張りますううぅ……!」
「ええ、ええ。その意気ですわ」
にこにことチョコを勧めるマージェリーに、ぱくぱくと食べるフローラ。
そんな二人に、セルジュは「ぷ、くくっ」と噴き出したのだった。
午前の授業と夕刻の授業の間に生まれた、空白時間。
それを活かし、マージェリーはフローラのリフレッシュのために、プチお茶会を開いていた。急遽開催を決めたが、ちょうどセルジュも手が空いていたらしく、使いをやったらすぐに駆けつけてくれた。
「一体何の授業だったんだい。フローラが眠くなってしまうなんて」
ひとしきり笑ったあと。滲んだ涙を拭いながら、セルジュは尋ねた。
「いつもやる気いっぱいなのに、珍しいよね」
「歴史です……」
「フローラの得意分野だよね、それ」
きょとんとセルジュが首を傾げる。彼の言う通り、教会出身のフローラは、歴史や宗教に詳しい。
しゅんと小さくなるフローラにかわり、マージェリーは苦笑して答えた。
「先生の声のせいですわ。今日来てくださったのが、ベネット教授だったんです」
「ああ」
納得してセルジュは頷いた。
歴史学者のベネット教授。研究畑の人間なので教鞭をとることはほとんどないが、王立学院所属の、誰もが知る著名な学者である。
彼の授業を受けられるのは非常に貴重な経験だ。だが、いかんせん声のトーンが心地よすぎる。絶妙に眠りに誘う声をしているのだ。学院時代にも、教授の特別講義に意気揚々と集まった生徒の大半が、魔術的な眠気にあちこちで船を漕いでいた。
「私が言うのもなんだけど、ベネット教授なら仕方がないよ」
「でも、マージェリー様はちゃんと起きてましたし」
ちらっとフローラがマージェリーを見る。それに、マージェリーはにこりと頷いた。
「私、眠気を覚ますツボに詳しいんですの。眉間、頭頂部、中指、親指の付け根……。目立たなくてオススメなのは手周りです。よければ、あとで教えてさしあげますわ」
「君はさすがだなあ」
半分呆れたようにセルジュが感心する。その隣で、フローラはぐっと手を握りしめた。
「ぜひお願いします! 私も、どんな時でも起きていられるようにしなくちゃ。この先、大事な式典で眠くならないとも限りませんし」
「ふふ、そうですわね」
微笑ましくフローラを眺めながら、マージェリーはふと午前の授業を思い返した。
マージェリーが眠くならなかったのは、ツボのおかげだけではない。
内容が、聖女の歴史だったからだ。
(聖女フローラ、か)
楽しそうに話す横顔を、マージェリーはこっそりと眺める。
聖女の起源は、初代王の時代にまでさかのぼる。初代聖女は後に王妃となったライラ。彼女は初代王と共に、災厄と呼ばれた魔の精霊を嘆きの谷に封じたことで知られる。
それからというもの、黒髪の王が生まれるとき、聖女もまたこの国に現れた。大抵は、王の周囲にいる魔力持ちの女に聖女の力が芽生えるのだ。
(初代聖女ライラ。第二の聖女ルーナ。第三の聖女エミリア。第四の聖女リリアーヌ。みんな、オオカミ王がいるときに目覚めているけど……。そういえば、聖女ってなんなのかしら)
改めて考えると疑問である。
小説のフローラも、ユリウスがぎりぎり在位中のタイミングで聖女の力に目覚めている。オオカミ王と聖女。彼らが定期的にこの国に現れるのには、何か意味があるのだろうか。
(たしか前世では、第三部で聖女の謎が明かされるんじゃないかって、考察されていたっけ)
ふむとマージェリーは考え込む。
第一部の学院編。第二部の花嫁修業編を経て、「シンデレラは突然に」は一応の終わりをつける。
ユリウス王亡きあと、王を継ぐのは異母弟のセルジュ。聖女の力に目覚めたフローラが、妃としてセルジュの隣に立つ。聖ルグラン王国は新しい夜明けを迎えた――というところで、物語は終わるのだ。
けれどもファンの間では、幻の第三部の噂があった。『定期的に生まれるオオカミ王』『同じタイミングで目覚める聖女』と、深く説明されていない設定がいくつもあるから、というのが理由だった。
それらの謎が第三部のテーマになるのだろうと、ファンは盛り上がっていたのだが。
(私も結構期待して待っていたんだけど……。その前に事故で死んじゃったのよね)
溜息をこぼし、目を瞑る。
第三部が本当に存在したのか、存在したとして聖女の謎が解明されたのか、マージェリーは知らない。今となっては、これ以上事件も謎も増えないでくれというのが、正直な感想である。
そんなことを考え込んでいたとき。
「それで、マージェリー。……マージェリー?」
呼びかけられて、はっとする。気づくと、セルジュとフローラが揃ってこちらを見ている。
コホンと咳払いして、マージェリーはにこやかに微笑んだ。
「少々ぼーっとしてしまっていて……失礼いたしました。なんでしょう?」
「兄上と……陛下と、君は会ったりするのかな?」
「陛下とですか?」
突然出てきた名前にぱちくりと瞬きをする。考え事をしている間に、すっかり話題が変わってしまったようだ。
するとセルジュは、困ったように頬を掻いた。
「正式に、兄上にお会いすることにしたんだ。……君は前に一度、兄上に謁見していたよね? どんなことを話していらしたか、先に聞いておこうと思って」
来た!と。マージェリーは机の下でガッツポーズをした。
なんのかんの、二人がまだ顔を合わせていないのはユリウスから聞いていた。意図的にユリウスが避けていたようだが、ようやく腹が決まったらしい。今度弟に会うことにしたと、今朝がたユリウスも話していた。
(ユリウス様も乗り気になったし! 二人がうまくいくように、ここは一肌脱がなきゃね!)
内心ものすごく張り切りながら、マージェリーは涼しい顔で微笑んだ。
「私も深くお話ししたわけではありませんが……。陛下は、セルジュ様を気に掛けておいででしたわ。たまには弟の為に兄らしいことがしたいと。そう仰っていました」
「兄上がそんなことを……」
「ええ。その時の陛下はとても優しい目をしておいでで。私、とても感激しましたの」
嘘である。
本当は、犬耳・ふわふわ尻尾の圧力で、断れない状況に追い込まれただけである。
だがモノは言いようだ。それに、ユリウスがセルジュのことを気にしているというのは、ほんの少しは本当である。
〝……それで、どうなんだ?〟
朝方。セルジュと会うと話した後で、ユリウスは突然そんなことを聞いてきた。
わざわさストレッチを中断して、王はじとっとこちらを見上げている。そんな彼に、マージェリーはきょとんと首を傾げた。
〝どうとは、何がです?〟
〝異母弟だ。それと婚約者。君が来て、二人は喜んだのか?〟
〝……? はい。学院時代のように、おかげさまで楽しくやっておりますが〟
〝そうか〟
そっけなく答えて、ストレッチに戻る王。
顔合わせに向けて探りを入れているのだろうか。一瞬そう思ったが、ちらりと見えた横顔は、ちょっぴり嬉しそうだった。
それを見て、マージェリーもむずむずとにやけてしまったのだ。
(なんだ。なんだかんだ、ちゃんとセルジュ様のことも考えていたんじゃない)
完全に私利私欲のためにマージェリーを呼び寄せたと思っていたが、それだけでもないようだ。
やはり兄弟に必要だったのは小さなきっかけ。それさえあれば、互いに踏み出すことが出来る。
確信を得たマージェリーは、胸を躍らせたのだ。
「大丈夫ですわ。陛下もきっと、セルジュ様とお会いするのを楽しみされているはずです」
だからマージェリーは、セルジュにも自信満々にそう告げたのだが。
「――お前も、私が邪魔なら遠慮はするな。最も、お前に私が殺せるとは思わないがな」
ユリウスのひどく凍えた声に、鋭い眼差し。
受けるのは、青ざめて色を無くしたセルジュの強張った顔。
柱の陰に身を隠すマージェリーは、あまりな光景にわなわなと震えた。
(なんで……。なんで、こんなことになっちゃうのーーー!?)