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17/40

17.オオカミ陛下は寝不足です



 ふくぁ、と。ユリウス王は欠伸を噛み殺す。


 時刻は穏やかな日差しが照りつける昼過ぎ。たしかに眠気を誘いやすい時間帯ではあるが、彼が欠伸をするのは珍しい。


「いかがなさいましたか」


 ちょうど書類を届けにきたジョルダン宰相が、王の様子に目敏く気づいて声を掛けた。


「お疲れでしたら、ご署名は後で問題ありませんが」


「いや。いま済ましてしまおう」


 こめかみを揉んでから、王は書類に羽ペンを滑らせる。見事な達筆でサインを入れながら、ユリウスは深く考えずに続けた。


「体調が悪いわけじゃない。少し寝不足なのと、筋肉痛なだけで」


「筋肉痛とは珍しい。陛下は日頃から鍛えておいでなのに」


「私もそう思っていたんだが、鍛え方が甘かったらしい」


 羽ペンを置いて、軽く伸びをする。そのまま、彼はぽろりと口を滑らせた。


「全部マージェリーのせいだな……」


 その時、宰相がピシリと凍り付いたのに、ユリウスは気づかない。「寝不足で……? 筋肉痛……?」と宰相が不穏な空気を纏い始めたのをよそに、王はここ最近のことを思い返して、ふっと笑みを漏らした。


 ――早朝トレーニングが始まってから、早半月。最初の宣言の通り、マージェリーによる特訓は毎日欠かさず行われている。


 初めはきつかったランニングも、だいぶあのペースに慣れた。ユリウスに余裕が出たのを見抜いたのだろう。最近ではランニングの後に、簡単な筋トレも加わった。


 その後は想定会話集の読み合わせ。こちらが鬼門で、マージェリーにびしばししごかれている。


(ていうか、確実に半分はいらなかったろう、あの想定会話集……)


 内容を思い出し、ユリウスは苦笑をする。


 シチュエーションに合わせて組まれた300通りの会話。マージェリーが得意げに胸を張ったように、中は『向こうから訪ねてきた場合』や『式典に一緒に参加する場合』など、確かにありそうな場面で組まれている。


 だが、中には『トイレでばったり会った場合』や『セルジュ様とフローラ様のデートをうっかり邪魔してしまった場合』など、「これは本当にいるか……?」と首を傾げるようなものも混じっている。


 極めつけは『お風呂が一緒になった時』だ。せっかくなので兄弟で背中を流しあうこと。会話集にはそう注釈が付けてあったが、なんだ、背中を流しあうって。ルグラン国にはない文化に、ユリウスの頭の中は疑問符でいっぱいになった。


 とまあ、よくよく読み込めば、突っ込みどころ満載な会話集。けれども、なかなかどうして、愛おしくてたまらない。


〝さすがに骨が折れましたが、これだけのシチュエーションで想定すれば漏れはないでしょう。よかったですねえ、ユーリ様。私があなたの味方で〟


 誇らしげに胸を張り、微笑むマージェリー。


 努力の方向が若干間違っている気がしなくもないが、彼女がユリウスのためにと、これを作ってくれたのは抗いようのない事実で。


 すっかり見慣れた、規則正しく並ぶ几帳面な文字たち。


 これを書きながら、彼女は何度、自分のことを思い浮かべてくれたのだろう。どれほどの時間、自分(ユリウス)のことだけを考え続けてくれたんだろう。


(……きっと、大真面目にアレを書き上げたんだろうな)


 ユリウスの頬は自然とほころんでしまう。


 ――マージェリーの言う通り、ユリウスは自信がない。


 なにより自分が嫌いだ。それほどに、オオカミ王の力を憎んできた。


 王にお手付きされた侍女の息子。そんな彼でも平和に暮らせる可能性はあった。事実、当初母は王家から小さな家を与えられ、そこで静かにユリウスを生んだ。


 だが、ユリウスが黒髪だったことで状況は一変した。赤子は母から引き離され、王により厳重に隠された。王妃、つまり現王太后やその周囲に、黒髪の赤子の存在を悟らせないためだ。


 そしてユリウスが5歳になった時。彼の存在は公にされた。その時、王妃の腹には宿ったばかりのセルジュがいた。


〝私の子も男の子です。なのに、なぜ! なぜ!! なぜ!!!!〟


 セルジュが生まれた後、王妃の半狂乱な悲鳴を何度となく耳にした。初代王の力がどうとか。王国の習わしであるとか。父王は、一辺倒に答えていた気がする。


 嘆き、衰弱し、それでも憎しみの籠った目で、王妃はユリウスを睨んだ。


 あの子さえいなければ。あの子さえ生まれてこなければ。


 望んで生まれたわけじゃないと。幼いユリウスは、血がにじむほど唇を嚙みしめた。


 自分を生まなければ、産みの母は体を弱らせ死ぬことはなかった。自分が生まれなければ、王妃は憎悪に苦しむことはなかった。


 ……せめて初代王の力がなければ。普通の、なんの変哲もない男児であったなら。


 王家には目を付けられず、落とし子として真っ当に暮らせたのかもしれない。そしたら母も、子を王に奪われず、産後の不調をこじらせることはなかったかもしれない。


 存在したかもしれない、優しく穏やかな世界。


 こんな、力がなければ。


 そうやって自分を呪ってばかりいたからだろうか。マージュリー・デュ・ノエルという少女は、ユリウスにはとてもまぶしかった。


 ところどころ抜けているくせに、決してへこたれず。打ちのめされたかと思えば、胸を張って立ち上がって。羨ましくなるほどに心の底から前向きで。


 彼女は夜道を示す明星のようだ。そう思った。


 そんな少女が、自分のためを思ってくれている。頭を悩ませ、知恵を絞り、手を差し伸べてくれている。それだけで、こんなにも心が満たされるなんて。


 相変わらず自分が嫌いだ。けれども彼女に恥じない程度には、足を踏み出してみてもいいのかもしれない。初めて、そんな風に思えたのだ。


(君は本当に、私の明星なのかもしれないな)


 自然と笑みがこぼれた、その時だった。


「陛下」


 がしりと、肩が摑まれる。見れば、完全に目が据わった宰相が、ゴゴゴゴとすごい気迫を纏って、ユリウスを見ていた。


「寝不足とはどういう意味でしょう。筋肉痛とはどういうことでしょう。全部マージェリーのせいとは、一体どういうことでしょう??」


(……ん?)


 何か勘違いをさせたか。ユリウスがそう思い至った時、宰相は血走った眼でさらに詰め寄った


「今日という今日ははっきりさせていただきます。さあ、陛下。私の可愛いマージェリーに何をしたんです!?」


「誤解だ、宰相。むしろ私は、彼女のいいなりというか」


「うちの子から陛下に迫ったと!?!?」


「いや、だからそうじゃなくて」


 ちなみにノエル宰相の誤解は、半泣きで執務室を飛び出していった先で(マージェリー)に叱られるまで、解けることはなかったのだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] これって、陛下が誤解されるような言い方をしたからではないかと……。 これで、マージェリーとことを起こしたのを知られた日には……。 うーん、恐ろしい(ホントにやったかどうかは知りませんが)
[良い点] パパン、娘好き過ぎ(笑) そして陛下もマージェリー好き過ぎ 義理の親子になる時が楽しみ
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