1.悪役令嬢の華麗なる卒業式
昔から不思議な夢を見た。
鉄の箱に詰められて、どこかに運ばれていく光景。きらきら光るショーケース。無茶振りにつぐ無茶振りに、駆けずり回る自分。
そんな毎日に一縷の癒しを与えてくれた、一冊の『本』。
それが前世の記憶だと気づいたのは、彼女が学院に入ってすぐだった。
* * *
聖ルグラン王国の貴族子女らが15歳からの3年間を過ごす、由緒正しき王立学院。その卒業パーティが、ホールで盛大に執り行われていた。
貴族が通うだけあって、学院と名がついているものの、建物はちょっとした城のように豪奢な造りだ。けれども今宵、一段と会場が華やいで見えるのは、著名な芸術家が手掛けた内装のためではないだろう。
「無事この日を迎え、ホッとしますな」
「あの方を送り出すことができ、鼻が高いというものですねえ」
先にホールで待つ教師陣が、グラスを手にひそひそと囁きあう。その表情に浮かぶのは、一様に誇らしげな笑顔。そうやって彼らは、今宵の主役を待つ。
その時、在校生たちがわっと歓声を上げた。
「ご覧になって! 先輩方ですわ!」
赤い扉が開かれ、卒業の証しを受け取ったばかりの卒業生たちが姿を見せる。拍手が盛大になる中、卒業生たちは男女ペアになって優雅に行進する。
ラスト、輝く金髪頭の背高の生徒が現れた途端、拍手は一層大きくなった。
「セルジュ殿下!」
「殿下、ご卒業おめでとうございます!」
シャンデリアの灯りを受け、青年は優美に微笑む。甘いマスクがふわりと笑みを浮かべた途端、視線の先にした女子たちが黄色い歓声を上げてよろめく。
セルジュ・ルイ・ルグラン。この国の王弟殿下だ。
女生徒を華麗にエスコートしながら、麗しの王弟は笑顔で手を振る。きゃあきゃあ女生徒たちが騒ぐ中、しかし、一部の生徒の間では別の動揺が広がりつつあった。
「お、おい。殿下がエスコートしている生徒……」
「あ、ああ。本当だ」
ざわざわと、ひそかに、しかし確実に、動揺がホールに広がっていく。
それもそのはず。卒業パーティは、婚約者か、その候補となる女性をエスコートするのがほとんどだ。
セルジュに婚約者はまだいない。けれども、そう目されているご令嬢がいる。彼らはてっきり、セルジュは『彼女』をエスコートすると思っていたのだ。
けれども、セルジュが連れているのは、およそ王族と釣り合うと思えない男爵令嬢だ。そのうえ彼女は、もともとは教会から引き取られた孤児のはず。
フローラ・エルメイア。それが、彼女の名前だ。
さて。驚く在校生たちをよそに、セルジュはフローラと共に颯爽と歩く。ずらりと並ぶ卒業生たちの中心に収まった王弟は、皆に向けて胸に手を当てて微笑んだ。
「在校生の諸君。そして、私たちを今日まで導いてくださった、教師の皆様。今宵は、私たち卒業生のため、このような場を設けてくださり感謝をいたします」
セルジュの言葉に合わせて、卒業生たちが一斉に優雅に礼をする。ぱちぱちと拍手が応える中、優しげな空色の瞳を細めて、殿下は一同を見渡した。
「私たちは学院で、大きな学びを得ました。知見を広げ、生涯の友を得て、時にかけがえのないパートナーを得ました。ここでの時間が、これからの私たちを支える宝となることでしょう」
パートナー、と口にしたとき、セルジュは甘い眼差しをフローラに送った。フローラも頬を染めつつ、嬉しそうに微笑み返している。しばし見つめ合ったのち、彼は声を張った。
「この晴れやかな日に、ほんの少し、時間を頂戴することをお詫びします。――私、セルジュ・ルイ・ルグランは、ここにいるフローラ・エルメイア嬢と婚約いたします」
あらかじめ知らされていたのだろう。教師たちが、和やかな笑みで拍手を送る。けれども在校生の大半は、戸惑うように目配せし合った。
フローラ・エルメイア。たしかに彼女は頻繁にセルジュといるところを目撃され、二人は恋仲なのではないかとたびたび噂になった。
そこで王弟は、不意に緊張を逃すように吐息を漏らした。
「そして、もう一つ。私は今日、区切りをつけるべくこの場に立ちました」
次いで彼が口にした名に、在校生たちは息を呑んだ。
「マージェリー・デュ・ノエル!」
前へ。促したセルジュに応えて、ひとりの令嬢が卒業生の列から一歩前に出る。
夜空に輝く星々を閉じ込めたような美しい銀髪に、思慮深い光を称えた、深い海の底のような蒼色の瞳。絹のような白い肌も、うっすらと笑みを浮かべた薄紅色の唇も、何もかもが美しい。
非の打ちどころのない、完璧な淑女。それが彼女、名家の出にして宰相が娘。長らく王弟のパートナーだと目されていた侯爵令嬢、マージェリー・デュ・ノエルである。
マージェリーは、ゆっくりとセルジュへと足を向ける。その歩みは王国一の淑女らしく優美そのものだ。だというのに、彼女の歩に合わせてホールには緊張が高まっていく。
そういえば聞いたことがあったと。在校生たちはうろ覚えの記憶を掘り起こす。
庶民の出であるフローラが、セルジュや名家の生徒たちと親しくすることを快く思わない一派がいる。そのため彼女は、裏でたびたび嫌がらせを受けていたのだと。
これは、まさか。ごくりと、在校生たちは息を呑む。
――侯爵令嬢マージェリーは、セルジュの婚約者に誰よりもふさわしいと一目置かれていた。そんな彼女を差し置いてセルジュと親密となったフローラを、マージェリーが憎んでいたとしても、少しもおかしなことはない。
フローラが受けていたという嫌がらせ。それを裏で手を引いていたのは、マージェリーなのではないか。もしかしたら王弟は、これからそれを、皆の前で明らかにしようとしているのではないか。
在校生たちは色めきたった。予想通りだとしたら、これから始まるのは極上のエンターテイメント。スキャンダルは、第三者として見る分にはこの上ない娯楽である。
凛と前を見据えて歩みを進めるマージェリーに、彼らはこっそり期待の目を送る。
彼らは待ち侘びた。女生徒たちが好む恋愛ストーリーのように。身分違いの恋を描いた、大どんでん返しのラストのように。
セルジュ殿下がマージェリーを断罪する、ドラマチックな場面の目撃者となる瞬間を!
悠然と歩を進めていたマージェリーは、ようやくセルジュの前に立つ。背筋をまっすぐに伸ばし堂々と王弟と向き合う姿は凛と美しく、一方でピリリとした緊張感を漂わせる。
セルジュの明るい空色、マージェリーの深い海の色が交わる。
ギャラリーの期待と緊張が最高潮となったその時、セルジュとフローラが動いた。
――なんと二人は、マージェリーに跪いたのだ!
「マージェリー、貴女に永久の敬意を。私、セルジュ・ルイ・ルグランは、貴女に深く感謝いたします」
在校生たちが唖然とする中、セルジュは真摯な瞳でマージェリーを見上げる。美しい笑みを浮かべて佇むマージェリーの手に、彼は敬意を込めて口付けをした。
「私とフローラが結ばれたのは貴女のおかげです。貴女という真の友人がいなければ、私は秘めた恋心を抱いたまま、今日を迎えていたでしょう」
「過ぎたお言葉ですわ」
ゆっくり手をひき、マージェリーは立ちあがるよう促す。セルジュ、そしてフローラの手を取ったマージェリーは、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「私はただ、大切な友人ふたりに、幸せになって欲しかっただけですわ」
わっと、教師たちが拍手をする。完全に置いてけぼりの在校生たちもとりあえず手を叩いた。
これは一体どういうことだろう。断罪イベントどころか、当事者たちが手を取り合い、仲睦まじく微笑み合っている。
満面の笑みで、フローラがマージェリーに抱きつく。驚いて目を丸くしつつも、マージェリーも嬉しそうだ。
そんな夢物語のような、美しい光景の中。
――聖女のような慈悲深い笑みの下に隠れて。マージェリーはおよそ侯爵令嬢とは思えない、力強いガッツポーズを決めていた。
(――……完璧よ。計画通り、だわ!!)
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